フォト
無料ブログはココログ

« 2011年11月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月31日 (火)

【Skyrim】ドラゴン・チェリー

 メイジ編と同時並行でやろうと思っていたローグ編ですが、たちまち(キャラレベル的にもプレイ時間的にも)追い越してしまいました。 

 キャラレベル的に追い越したってのも怪しいもんで、プロットやクエストなんて全然進んでいなくたってキャラレベルがどんどんあがる(こともある)このゲーム。

 だから私の場合はプレイ時間で言ったほうがのめりこみ度を示すのに役立ちそうですが、そちらでもメイジ主人公をパスしたという意味です。Skyrimのゲーム・ファイルのプレイ時間。

 メイジ主人公32時間、レベル22
 ローグ主人公37時間、レベル35

 ちなみに第一子長男ウォーリアーは例によって、この世の中のありとあらゆる伝染病だのウィールスだの無防備な形で一身に浴びたし、未熟な親(プレイヤー)がたまに不注意で浴槽に落としたり!するから、大変であった。第二子以降は、長子(免疫)や親(学習)などの経験に恵まれているのだ。

 ウォーリアー主人公32時間、レベル16
 ウォーリアー主人公37時間、レベル18

 スキル・アップがキャラクター・レベル・アップを決定するので、このような差が出てもさほど不思議はない。メイジとローグはトレーナーを同じくらい活用しているはず。(お金ある限り)常に使う、ってポリシー。ウォーリアーは最初の頃忘れてやってない(えーっと、親が学習塾というものの意味を理解していなかった)。
 メイジが頼るスペル関係スキルをあげるのは結構面倒ですね。
 

 それからローグ主人公になってはじめてキャリッジ(Carriage)、日本語でなんつうの、主要な街の間を走るワゴン馬車、あれを活用しましたので、移動に要するプレイ時間はぐっと短縮。自分の足で歩き回っているメイジ主人公は、どうしてもたださまよっているだけの時間がかかる。

 ローグねたは主要な街に密集していることも関係あるか。メイジものはどうしても辺鄙な洞窟を探索しろとか、山ん中の廃墟から喪われたあれ探して来いとか、手間隙がかかる。

 メイジはパートナーにも恵まれてなかったので(親(お前)の指導が悪い)、コンバットで苦戦が続いたということもある。ローグはただ一箇所死ぬかと(詰むかと)思ったところがあったが、大抵はらくらく進めるし、スニークを使って丸ごとコンバットを回避できるところもある。
 もちろん主人公お陀仏になってリロードしたらゲーム・ファイルのプレイ時間にカウントされないので、メイジはやたら死んでいる(のは事実だが)という意味ではなく、長時間逃げ回っている、隠れ回っているということだ。

 でも、一番重大な違いはこれかもしれない。

 なんとローグ・カジートはレベル35にとっくになったのに、うまれてこの方まだ彼女いないじゃなく、ホワイトランのヤールと対面していないのだ。
 

 ということは、ドラゴンを倒したこともなければ、ドラゴン・ソウルを吸収したこともなければ、シャウトを使ったことも一回もない! 

20120129_00047
 現時点でのキルカウント。ラビット2、ドラゴン0。

 もちかちてチェリー?  

 このドラゴン・フリー(チェリー)プレイ、これが快適なんすよっ?!

 もー、スカイリムのどこへいったって、おそるおそる上空を見上げる必要がないのだ。
 

 だってドラゴンがとんでいないもの!

 くそっ、ノルマンディー上陸以降の連合軍には、制空権のおかげで少なくともこの移動の自由という特権があったのか!(いやいや、フレンドリー・ファイアー、友軍の誤爆というもっとおっかないものがありましたけどね)。 

 最初は、メイン・クエストを進めないとどっかで詰まることあるのかなー、と思ってはじめたのだが、どうやら最後まで詰まることがないようだ。すーーっとシーフズ・ギルドの関係しかやってないけど、なにひとつ困らない。 

 シーフズ・ギルドのクエストだけでも、まだまだ続きそうなんですが、つうことは、たとえレベル50になってもチェリーのままってことですかね?

20120130_00288
 プレイした人だけにわかる。ここまで進んだのよ。

 たくらみとしてはこうなんすよ。

 手なりだったウォーリアー。メイン・クエストとシヴィル・ウォー同時並行で途中わやくちゃになってしまった。

 メイジ。上の反省を踏まえメイン・クエストを最初に終わらす。それからシヴィル・ウォー。

 ローグ。(ドラゴンボーンと認知される前に)シヴィル・ウォーを最初に終わらす。それから(ようやくドラゴンソウルを吸収して)メインスタート。

 はたしてこのローグ編のようなプレイは可能なのかしら。

 ホワイトランの鍛冶屋の奥様から、ヤールに贈るグレートソードを城にいるゲーハーの(実の)パパに届けるように頼まれて何の気なしに受け取っちゃったのが恨めしい。パパさんに届けに行ったらメイン・クエストのプロットがキックしちゃって、(無理やり放置すればできないこともないが)普通はプロットがなし崩し的に進んじゃう。グレソはこのままインヴェントリーからずっとはずせない。

 でも、思い返せば、このドラゴン・チェリー・ヘンタイ・プレイを思いついたのは、このグレソを受け取ったときなんだよね。これを永久に渡さんかったらどうなるんやろ、からはじまって、ドラゴンズリーチにいつまでも訪れんかったらどぎゃんともならん、永久にドラゴン出てこないのかな?とか、連想が続いたのだ。 

 シーフズ・ギルドがドラゴン退治? あっしらには係わりのねえこって、という反応だろう。辻褄もあうような気もするのですが・・・。 

 最近のローグクエストで気になったこと。  
 

20120129_00046
 シーフズ・ギルドに対抗する不埒なギルドのアジトを叩け。
 あ、隣のウォーリアーは、最近野外で行動をともにしている、カジートのカジ太郎さんです。どもです。

 名前がよく読めないからカジ太郎ということになっている。カジート・キャラバン出身なので、一度別れると再度見つけるのが死ぬほど面倒そうだ。そのため一度仲間になってからずっと付き合ってもらっている。スニーク優先のダンジョンでは入り口待機の場合が多い。しかもカジさんはマジメなキャラなようで、潜入ミッションだと「こんなところにきちゃだめだよ」とか諭すのだ。荷物も持ってくれないから結局入り口待機になる。

20120129_00049
 
 敵のアジトを殲滅し。

20120129_00051
 残されたバナーを、面白半分に焼いてみる。もちろん火の魔法の持ち合わせなどフレイムズくらい。

20120129_00052
 ちゃんと燃えますな。オブジェクト指向、このくらいできなきゃねー、と思って満足げに立ち去る。

 こんなことする奴そんなおらへん、おもてた。

20120129_00069
 なんで、デルヴィンのセリフに「バナーを燃やしたのはしゃれてたぜ」と反映されてんだと。 
 そんなクエスト目標あったのか?!

 これまじで驚いたんですけど。ゲーム中にバナーの話題、それを仄めかすような話か記述あったでしょうか?プレイしているのは英語版なので、見落とすことも確かに考えられるのだが・・・。

 そうか、敵の旗(バナー)を燃やすは普通の発想なのかー。日本人にはまずないなー。よく焼かれてるけどな。

 じゃあ、お前は指図もされずに燃やしたから日本人じゃないのか?

 何をおっしゃる、カジートですよ? んなものなりきってますよ。

 

2012年1月30日 (月)

まず詫びいれろや、こら。

 まったく関係ない話だが、ごめんゲーム関係書いている時間がない(時間がかかるのだ)。でもこれだけは腹が立った(怒るのに時間は関係ない)。

 「荒川静香さん 『クール』は氷上だけにして」が先日のこれで、

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120123/ent12012308150001-n1.htm

 「荒川静香さん、持ち前の冷静さ発揮 『戯言戯画』の後日談、が今日これか。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120130/ent12013007370002-n1.htm

 この山根とかいうの、産経新聞かどこのウンコか知らないし知りたくもないけど、ひとりの人間として、人として、まず、詫びいれるんじゃねえのか? 

 土下座しても済まないこともあるし、なんでも土下座したら終わると思ってるのも間違いだが、無駄でも土下座したらどうだ。でも無駄だけど。許さないけど。

 

 

2012年1月27日 (金)

【Skyrim】ネコに金貨

 キャラメイクだけは、できました。

 キャラクター・メイキング画面撮り忘れ・・・。

20120126_00008
 どうしても悪人顔にできないが、なんとかタイガーらしく。
 名前は初代タイガーをもじった。懲りすぎて自分でも読めないつづりになった。

 さあ、これでようやくシーフズ・ギルドのクエストやれるぞっ!

20120126_00009
 夜目は、こんなだったのか・・・。しょぼん。
 んまあ、スニーク時には有効だそうなんで、いいか。 

 最近巷ではネコを譲り受けながら虐待する輩がたくさんいるそうだ。その新聞記事を読んだが故に、極悪プレイにますます弾みがつきそうだ。人間なんて肉の袋詰めだ(お前もだ)、悪行三昧だ!

20120126_00014
 クエストに協力してくれたリヴァーウッドのカミラちゃんだって、ストーキング・・・、じゃなくピックポケットしちゃうぜ。お前ってほんと、さいてーな奴だな。(ただのスリだろう)

20120126_00010
 でもネコだから、大事な店の鍵よりもチーズに先に目がいってしまう・・・(それネズミではないのか?)

20120127_00001
 盗んだ鍵で忍び込み、せっかく盗賊から取り返してきたゴールド・クローを店先からまた盗み出すくぽ。お主、とことん悪よのー。(語尾モーグリだし、コソドロだし、クロー取ってももう意味ないし)

 週末が愉しみだぜ! 私に必要なものは時間のみ。

リスク社会、自由(というか私の懺悔)(2)

 先の記事のネタ元。読まなくても特にかまいませんが、適当なこと抜かしてると思われないようにアリバイづくり。自分なりの整理の意味もあります。

 「リスク社会」という場合のリスクの定義は、何事かを選択したときに、それに伴って生じると認知された、不確実な、損害。

 例えば大震災によって損害が発生することはリスクではない。だが大震災などの理由によって核燃料発電設備が損壊することはリスクである。
 民衆にとっては独裁君主の暴政に苛まれるとしてもリスクではない。一方で無差別テロ問題はリスクであるし、リーブラ・ショック、ギリシャ問題もそうである。

 大震災も暴政も、なにも民衆が選択したわけではないと認識されているからです。一方で、歴史上の植民地問題、民族・宗教紛争に由来する無差別テロ、エネルギー源確保のための核燃料発電へのシフト、自由主義市場経済への支持は、人間の選択の結果だ(と認識される)。

 リスク社会のリスクの特徴のひとつは、予想されるリスクが、計り知れないほどあまりに大きく破壊的な影響をもたらすこと(核燃料発電、ギリシャ問題などの事例でもわかりますし、地球温暖化問題もそう)。もうひとつは、実際にそれが起きる確率は極めて小さい(と考えるしかないこと)。

 さらに、核燃料発電自体が、石化燃料の枯渇のリスクに対応して導入されたのにもかかわらず新たなリスクになっている。無差別テロに対抗するために導入されたセキュリティ自体、今やリスクと化しているのもご承知のとおり。リスクそれ自体が自己準拠的にもたらされるとされます。

 リスク社会は、(アリストテレスの中庸の美徳も)民主主義の基本をも否定する。何が真理なのか、何が正義なのかたとえわからないとしても、それらがあるのであれば、理性的な多数の者がきっと合意するはずである。だから多数決の結果は正義や真理にきっと近いはずだ。そして多数が合意する意見は平均的なものであり、中庸にある。

 だが例えば地球温暖化問題を考えたとき、こうした中庸の策はまったく無意味です。問題が本当にあったのなら中間的な対策では間に合わない。だが問題が存在しなかった場合、中間的な対策はすべてムダになる。日本人であれば、核燃料発電問題でもううんざりするくらい聴かされているだろう。悲しいことに、あの話は決して中庸には収斂しない。

 同じことは科学、「知」にもいえる。科学者の間の見解の相違も、真理を探究する姿勢を欠かさず長い時間をかけて議論を続けていけば、やがてひとところに収斂していくにちがいない。それは「通説」となって、きっと真理に近いと確信できるはずだ。
 これも地球温暖化問題、核燃料発電問題を見ればあきらかなように、科学者たちの見解は収斂するどころか、議論は拡散し続けている。
 そうして、「知」を拠り所としていた「倫理的・政治的決定」が、「知」と切り離され、土台を喪う。 

 「リスク社会」でいうようなリスクが一般化されるためには、再帰性(reflexivity)を必要条件としているといいます。
 どのような行為もすべて規範を前提としているが、その規範への反省的・再帰的態度、(規範は変えることができるし、変えるべきだ)という自覚に基づいて不断にモニタリング・修正されている状況が近代社会である。だから「リスク」という言葉も近代になって出現したし、リスクの一般化は「近代であることが必要条件」である。

 だが、リスク社会の本格的な到来は20世紀末期であるとされる。それなら「近代」以外に別の要因がなければならない。
 個人の選択性(再帰性)が容認されている世界とは、例えば自由主義経済市場がそうです。市場全体の合理性を表現したアダム・スミスの「神の見えざる手」、それを歴史・社会にまで一般化したヘーゲルの「理性の狡知」などのアイデオロジー(イデオロギー)は、遡ればヴェーバーが資本主義の精神の由来とみたプロテスタンティズムの倫理(とりわけカルヴァン派予定説)に行き着く。

 こうした「見えざる手」、「理性」、「予定説の神」などが大澤氏のいう「第三者の審級」(普遍的な真理や正義を知っているはずの理念的な他者、超越者)である。
 これらは、本質に関しては不確実だが、実存に関しては確実である。いかなるものかわからないが、間違いなく存在するもの。リスク社会化とは、こうした存在が本質のみならず、実存に関しても不確か(空虚)となった状況を示す。20世紀末期に顕れたのもそのためであるといいます。
 
 リスク社会では、人は、真の自己選択・自己責任が強制される。「真の」とは、自分の行動に最終的に責任を取ってくれる他のいかなる存在もいないことを指します。

 イニシエーション(入会儀礼)、結婚式、裁判の証言台などでの宣誓では、形式的には宣誓しない自由はありますが、正しく選択する(つまり宣誓する)自由しか実際には与えられていません(大澤氏のいう「先験的選択」)。つまり「第三者の審級」(超越者)を受け入れるということは、一つの選択肢が強制されているということ。この場合に人が選択しているのは「第三者の審級」(超越者)そのものである。

(Skyrimの結婚式の宣誓の場面で、主人公に拒否する選択肢が出て思わず笑ってしまったのも、こういうことを薄々感じていたからであったのだ。イニシエーションでいえば、DA:Oのジョイニングの儀式がまさにそうだった。また古くは体育会や応援団などで一口一万円、二口以上などといってカンパを集める風習があったことを思い出す。カンパを出さない自由も一口だけ出す自由も、もちろん実際には行使できない)

 だがリスク社会における選択はまったく違う。私たち(の社会)は、開かれた選択肢を前にして実質的にも自由である。ところが何かを選択せざるを得ないので形式的には強制である。
 例えば日本人の私たちは、将来的にどんな結果を招くか想像もつかないが、核燃料発電に依存するのか、それともしないのか、一刻も早く選択しなければならないと急かされている。(先に書いたようにこの問題に関して、中庸という立場は本来存在しないはずです)

 リスク社会とは、「自由であること」、「好きなことをすること」、「快楽を追求すること」、そういったことが強制され、命令され、規範化された社会。
 自由は、かつては規範からの自由、禁止からの解放であった。つまり規範とは禁止のことであった。だから快楽は、規範を侵犯することによって得られるものであった。いかがわしい、不埒な、冒涜的なことが愉しかった。
 いまや、自由の行使そのものが規範となった。そしてそれが快楽そのものでなくてはならない。

 大澤氏が第三者の審級の「撤退」と呼ぶ事態がリスク社会である。例えばインフォームド・コンセントは、治療方法を患者に決定(同意)させる。超越者であったはずの医師ですらもはや「真理」を知らない。治療に確信がもてないから患者が意思決定の義務を負う。

 ネットでいえば、ウィキペディアの存在そのものがそうである。知の権威を帯びるべき超越者が不在だからあれが必要なのである。ツイッターも、フェイスブックも、全てその延長線上で説明できるでしょう。グーグルの検索エンジンもまた、超越者不在の申し子であることはいうまでもありません。

 ところが、大澤氏は、一旦撤退したはずの第三者の審級が裏口からまた舞い戻って来ているといいます。「自由であれ」と命令しているのは誰か。何かを選択したとき知らないうちに罪を犯しているかもしれないと感じる罪の意識の由来はなにか。誰に対する罪か。超越者である第三者の審級以外にはありえない。

 かつては、教師や裁判官が凡庸きわまりない人物であることは皆わかっていても彼らが「権威」の衣をまとって第三者の審級の代理人として振舞うことを容認していた。今、第三者の審級(の代理人)は(この本の出版当時や原稿発表時点では)、ビル・ゲイツやホリエモンなどの「カリスマ」の姿で現れている。本来苦行でしかない労働をまるで快楽であるかのように、遊んでいるかのようにこなしている姿。
 あるいはグーグルの検索エンジン。アルゴリズムは公開されていないが、それが故にもはや「権威」と言ってもいい。「ネットの意志」とまで呼ばれる存在になったのかもしれない。

(そういう意味で、ジョブズは古いカリスマだったのでしょうか。彼にとって労働は決して遊びなどではなく、苦行だったのでしょうから。
 また、裁判員制度に関して、「正義は上から振ってくるものじゃない」(から肯定する)とのたまった経験者がいたらしい。私がさっそくつっこみたくなったのは、じゃあどこにあるんだい?という問いだった。どこにいったのでしょうか?)

 最後に監視社会について、大澤氏は、監視は、リスク社会のリスクに対する免疫反応のひとつであるという普通の解釈に疑問を投げかけます。
 監視は個人のプライバシーを侵害しかねない必要悪などではなく、例えばリアリティ番組の登場人物たちが喜んで出演し、自分自身をさらけ出すように、私たちは超越的な他者から見つめられること、監視されることを望んでいるのではないか。そういうまなざしが存在しないことをこそ恐れているのではないかと指摘します。
 これはもちろん、こうした個人ブログ、ツイッター、フェイスブック、YouTubeなどへの個人の投稿を覗いてみればたちどころにわかります。大澤氏の言うように、ケータイ中毒・メール中毒もその一種でしょう。

 つまり、古臭いヘビメタの歌詞(ジュダース!)や、映画「イーグルアイ」ではないが、「監視=権力・抑圧」という図式はもはや通用せず、監視とは「自由であれ」と命じられた私たちが見つめられている(いたい)と期待しているまなざしであり、裏口から戻ってきた第三者の審級ではないのか。

 ただし快楽をどんどん追求せよ、という自由の奨励は、自由にとって制限よりも脅威である。親や教師、果ては政治家!から、少子化は困るから愉しくエッチしなさい、といわれたら、それは愉しくなく、快楽は喪われ、自由は萎えるのだ(そうである)。

 ***********

 んー、私の気がついた例示はもっと書きたいけど限界ですね。ここまでです。
 例えばなんとか48の「総選挙」が、このリスク社会に対するどれだけ痛烈なアイロニーであるか、皆薄々気がついてるんでしょう。

 フリーター問題、ホリエモン(!)とか、また社会学者たちがこだわりまくっていたオウム問題など、(発行から数年も経っていないのに)ちょっち時代的にどうなのという例示はありますが、むしろ、大震災・核燃料発電、ギリシャ/EU問題、そして貧困・格差、99%問題など、おそろしく「予言的」な部分も多いと思います。

 今ほんとにホットな話題となっている「監視カメラ」にすでに注目していたのも、どうなのでしょうか。かなり早いんじゃないだろうか。なにしろ、今のテレビに出演しているおばはん、おっさんたちは「街中の監視カメラが少なすぎる」ことに不平不満を述べているのだ。

 

リスク社会、自由(というか私の懺悔)

 ここまでくると、もう偶然ではないな。無意識下で認識していたはずだ。

 このブログは、一旦書いたことを前言撤回、懺悔するのが常ですが、無駄なプライドは持ち合わせていないんで、気にはしない。

 またしても浅はかなことを書いていた。だがそのこと自体が云々より、まったく誤りであるらしいことがわかったことがとても嬉しい。

 テーマは「自由」とはなんだろう。私の感覚はとっくにずれてしまっていたということ。
 「超越」も関係ある。

 そういう話題がひとつも嬉しくない人は、はい、お帰りはあちら。

 問題の文章は次。
 IGNのSkyrim批判記事(実際にはフリーランサーの記事)に突っ込んでいた際に、何の気なしに(だから、まさか間違っているなど思いもしないで)書いた。

**********

 ゲームが「善悪の基準を押しつけない」のが正しい方向であるのはうなづけますが、そこはプレイヤーが補完すればいいでしょう。できるから全部やる、じゃただのお子ちゃまだし。できるけど敢えてやらない自由だってあるんだから。

**********

 そして、自己弁護させていただくと、ブログのその記事の最後に、なんとかこの一行を付け足しておいた。おかげさまで全面敗北、完敗は免れた。

**********

 自由こそ、一番面倒なんだよなあ。

**********

 ネタ本は、大澤真幸氏の「不可能性の時代」(岩波新書)。2008年発行。大震災よりも、そしておそらくリーブラ問題よりも前であることに注意。だから中心は少年による殺人事件だったり、オウム問題だったりするので、普通なら読みません。そういう問題には私は興味がない、すなわち「必死に意識の外に追いやっている」から。ましてや岩波新書。よっぽどのことがなければ(必死に)忌避してきた。

 確かに大澤氏の著作はそれまでも何冊か読んでおりましたが、この本を手にとったきっかけはやはり大震災、それよりも核燃料問題であり、それから昨今のギリシャまじやばい問題でしょうか。直接的には、Amazon.comの「あなたへのおすすめっ」にあったせいもある。

 ネタ本というよりも、これから、その中の一章を丸ごとなぞることになる。ただし社会哲学者である著者の著作は、大抵は素人にも読みやすく書いてもらっているとはいえ、いきなり「第三者の審級」なる彼独自の造語が飛び出してきたりするので、「そのままさくっと理解しました」ってのはウソになるし、こんなところでそれを説明する愚を犯すほどまで私はバカでもない。はしょります。つまみ食いにだけはならないように注意する。

 なお、本記事には関係ありませんが、大澤流「オタク論」についても一章さいてある。そういう方面にご興味があれば面白いかも。立ち読みでもされたらいいかも。
 また、本書のテーマでもある、日本における「戦後」の「時代」区分の話も面白い。東京の繁華街(の中心)が変遷してきた話で、なぜ自分は新宿では何も気にせず遊べるが、渋谷には結界が張られているかのように感じるかの答えもありました。新宿は「理想」の時代を象徴しており、渋谷はその後の、第一次オイル・ショック以降にはじまる「虚構」の時代を象徴しているから。TDLもまさにその時代に生まれた。オタクについても、まずその虚構の時代との関連で語られる。

 余談が過ぎました。テーマとなるのは「リスク社会再論」なる章であり、虚構の時代がもうすでに終わったかもしれない今の時代。

 この後、長々と(なるだろうなあ、きっと)付き合っていただける人は稀だろうから、答え(さわり)から書いてしまおう。私がどこを間違えたか。

「できるから全部やる、じゃただのお子ちゃまだし。できるけど敢えてやらない自由だってあるんだから」

 そういう(できるけど敢えてやらない)自由は、実は、ないのであった。

 自由は、かつては規範からの自由、禁止からの解放であった。つまり規範とは禁止のことであった。だから快楽は、規範を侵犯することによって得られるものであった。いかがわしい、不埒な、冒涜的なことが愉しかったのだ。
 いまや、自由の行使そのものが規範となった。そしてそれが快楽そのものでなくてはならない。

 リスク社会は、「自由であること」、「好きなことをすること」、「快楽を追求すること」、そういったことが強制され、命令され、規範化された社会である。

 なぜ、ゲーマーは、望むことはなんでもできないと無力感に苛まれ、激怒するのか。なぜ、ストーリーを「勝手に」決めるシナリオ・ライターは、邪教の神のように振舞う世紀の極悪人扱いなのか。なぜ、一本道の物語は唾棄すべきものなのか。なぜ、シネマティックなカットシーンが差し挟まれると憤り、最初から最後まで完全一人称でなければクソゲーなのか。なぜ、Skyrimのような圧倒的な分量のゲームに「やりこみ要素が足りない」などという批判が可能なのか。

 上に述べたような命令が遂行できないからである。規範が守れないからである。

 ウィキペディアやグーグルがネットの自由を守るふりをして、自己の利益(欲求)を満たそうとするのはわかる。だが、なぜ、(コンテンツの著作権者などではない)直接利害関係なんかない一般ネット大衆が大騒ぎするのか。なぜ、たかだか数時間、通信障害でスマホやモバゲーができないと大問題なのか。もっといえばウィキペディアの管理者やグーグルの経営者は、一体何がしたいのだ。地球上のありとあらゆる全ての情報をその手に入れないと気が済まないのはなぜだ。

 なぜ、私は、Dragon Age、Mass Effect、Skyrimの物語の全ての展開を、最終的には全部見ないと気が済まないと感じるのか。なぜ、いくつかの展開を見逃しているかもしれないという「罪の意識」に襲われるのか。
 なぜ、アニメ(録画)オタクは、放映される全てのアニメ(などの番組)を録画しないと気が済まないのか。全部観る時間なぞ、一生かかってもあるかどうかわからないのに。

 なぜ、一昔前(理想の時代か)には、猟奇的で隠避な嗜好として扱われていた、例えばサドマゾなどの趣向が、主として中高生が読むと言われるラノベに当たり前のように登場するのか。しかもそれら自体が「お約束」になってしまって、もはや(この作品にもちゃんと登場するというメッセージ以外)なんの効果も生み出さないほど陳腐化してしまったのに、例外なく必ず登場するのはなぜか。

 皆自由であること、好きなことをすること、快楽を追求することに苛まれているからだ。皆必死に、そうしなければならないのだ。

 何億人もが自分自身をさらけ出しているフェイスブックのユーザーは、セキュリティー意識の希薄な無邪気なバカなのか。違う。そうせざるを得ないのだ。

 本来(例えば防犯上の)「安全」を確保するために導入された「監視」カメラは、不特定多数のプライバシーを侵害する可能性を明らかに有していたにもかかわらず、もう誰も気にすることもない。「監視」されること、他者のまなざしに曝されることこそが、もはや快楽なのだ。ロンドンの監視カメラの数の多さは有名だろうが、もう必要悪とすら考えられていない。

 なぜ、このように、人類の発展にも地球の平和にも何の関係もない戯言しかないブログを、私は書き続けるのだろうか。答えは言うまでもありません。

 さわりのつもりだったのにこんなに長くなっちゃいました。ネタ本をなぞるのは次回だ。

2012年1月26日 (木)

【Skyrim】たまにしか出ませんから。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルーは「続きを読む」の下。

 Skyrimをプレイできない日が続くと、中毒症状で気が立ってくる(半分本当)。

 Skyrimは「お遣いRPG」だそうだ。へー(は一回も押してない)。つっこんでおく。

 親兄弟、家族・恋人などから「帰りにあれ買ってきて」、「コンビニであれ買ってきて」といわれる。これを「お遣い」という。RPGの世界では、どこそこであれとって来いはfetch(フェッチ)クエストと呼ばれる。お遣いクエストでいいだろう。

 日本中で、あるいはドイツ中心に世界中で月間一億個以上の荷物を「これ取りに来て、あそこに届けて」をする。アメリカ全土及び世界中で数百機の貨物機を保有して同じことをする。

 なんと呼ぶか。

 ヤマト運輸、DHL、フェデラル・エキスプレスと呼ぶ。

 証明終わり。

 

続きを読む "【Skyrim】たまにしか出ませんから。" »

【Skyrim】感情移入できない?

 おっと、すっかり忘れていた。さっきの記事には続きがあった。

 IGNに掲載されたSkyrim批判、ふたつめ。こちら、まじめに翻訳はしてません。

**********

 困惑させられるレヴェリング

 批判の中心は、例えば平和主義者の鍛冶屋を気取っていても、鍛冶屋のスキル(スミシング)があがればキャラクター・レベルもどんどんあがり、周りは高レベルの敵だらけになってしまうということらしい。ドラゴンを倒せることはあるかもしれないけど、山道で人食いネコちゃんに出会ったらおしまい。ちっともエピックじゃないよなあ、ということらしい。

**********

 んー。ま、いっか(笑)。ごめん、こういうの批判しても意味ないというか、私の場合は、これはデザイナーに任せましょうよ、という分野だと思っているので。物語とかプロットについては素人でもつっこめるし、つっこんでいいと思うけどねえ。スキルアップもレヴェリングもよっぽど理不尽でもないし、死ぬほど苦痛でもないんで、いいんじゃないかなあ。モブのスケーリングは確かにOblivionで痛い目にあったけど、今回は結構ましじゃないかな。

 Skyrimで鍛冶屋のスキルだけを上げる自由。いいでしょう。目指せデイドラ装備! 追求しましょうよ。で、鍛冶屋が世界を救う? 問題はそこだろ。だいたい君はどうやって皮や素材を入手するの?
 あれか、そこらの安全な洞窟で拾ったコインを元手にして、放浪のハンターと売買する? やつら金も毛皮も大して持ってへんぞ? 最低でもヤギさんとか、キツネさんとか歯向かってきそうにないどうぶつを狩って手に入れてるんだろ? でもそういうところにはクマさんとか、オオカミさんたちがふつうにいるわけだろ? 
 スカイリムに生きる以上、最低限の武術はどうしても必要じゃないか?

 じゃあ毛皮は諦めて鉱石を掘る? ほとんどの鉱山は次の二種類のどっちかだろ。(1)大資本傘下にあって鉱夫たちがすでに働いている。(2)怖いものが住み着いているので放棄されている。(1)の場合、たとえゲーム内で犯罪ではないとしても立派な盗掘だし、(2)の場合、やっぱ武芸の腕が必要だろう。

 誰も所有権をクレームしてない(ほんとはヤールのもの)森で、木こりでもやるか。それこそエピックでもなんでもない。

 そのMMOのクラフティング一筋的発想をソロゲームに持ち込むから困惑するんだよ。そういう人確かに多そうなんだけどね。こっちが困惑するわ。

 確かに、山道ではクマに注意! 標識くらいはあってもいいかもね(笑)。

**********

 コンバットがしょぼい。

 ハック・アンド・スラッシュ風でDark Soulsなどのように(いい意味で)古典的であるが、ゲーム業界全体で見たら、それは依然として10年前の仕様のまま。

 ステルスも90年代のMGS風情で、裏でサイコロを振っている仕様のままだから、プレイヤーの技術で切り抜ける興を殺ぐ。せっかくの上質なハイ・ファンタジーの風景の後ろに冷たいコンピューターの計算が見え隠れして幻滅する。 

 オリジナルのDeus Exや、Deus Ex: Human Revolutionのような昼夜の違いによるコンバットやステルスの変化を見ればわかるように、業界はだいぶ先に進んでしまった。
 BethesdaはMorrowindからFallout: New Vegasまで、自分の小さな成功に閉じ篭っている。スペル・アイテムの便利なUIが欠落していることもそう、ステルスモードでいちいち、君は見られていると教えてくれなくたっていい。

**********

 ふうむ。Betherdaを弁護する義理はないが(BioWareなら必死に弁護しただろうが)、次のようなことだと思う。正しい姿勢かどうかは別にして。
 うまくいっているところはそのままにする。そういうことでしょう。まさにDA2が「うまく行っていたものを何故わざわざ変更(改悪)する?」と批判されたことの裏返し。

 アイテムUIに辟易することは確かにある。もうMorrowindからずーっと付き合ってきた。New Vegasでようやく一定の改善があった(それだって導入したのはBethesdaじゃなく、Obsidianだ)気がするが、延々とインヴェントリー・リストを眺める作業はBethesdaのゲームにはつきもの。諦め半分、マニアックな愉しみ半分かな。

 新たに導入されたクイック・スロット(favoriteシステム)もバッチリうまく行ってるかといわれれば、どうかなあ。

 でも、より「タクティカルな」コンバット仕様、「直感的で」コンヴィニエントなUI、「自然な」(現実的な)視線、光量、光源などの複雑な計算を踏まえたステルス設計、それらがないからSkyrimはSkyrimではないかというと、ぜーんぜん関係ないんだよね。

 つまり、そういうキーワード、「タクティカル」、「直感的」、「自然な」というものを目指したレイドロウ氏のDA2がああなった(決して悪いゲームではないですが、残念ながら90点はないでしょう)わけで、実はRPGの「本質に関係ない」のです。味付け、飾りです。
 RPGの本質は、myselfの物語。the worldの物語。それに尽きる。その部分、Skyrimはほぼ満点でいいんじゃないか。

 だからこそ、批判されているような分野は後回しにしたのだと思う。DA2でホークの家族が死んでしまうようなストーリーは、レイドロウ氏がそう決めたら泣いても叫んでも、もうプレイヤーにはどうしようもない。でもコンバット? インヴェントリー? ステルス? バグだらけじゃなきゃプレイヤー・サイドの工夫でなんとかなるんじゃないの? 

 例えば、(記憶違いだったら指摘して欲しいが)MorrwindからNew Vegasまでは、チェストから拾ったアイテムは、自分で地面にぶんなげるまでどんな大きさでどんな形状をしているかわからなかった。単なるテキスト情報だったんですよ。どでかい火炎放射器だろうが、22口径ピストルだろうがテキスト一行。9番アイアンも、アイロンもironだ(笑)。
 Skyrimではインヴェントリー画面にアイテムの絵が出ます。現状維持のまま放置して決していいとは思ってないんでしょう。
 コンバットだって、Oblivionで批判された部分、だいぶ改良されていると聞いている。

 上で指摘されたポイントは、手直しするといかにも不具合出そうな分野だ。今となってはマルチ・プラットフォームの呪縛もある。そこには今回は力点を置かない。フォーカスしないポリシーだったのではないかな。
 大きくなったとはいえ、Bethesdaはまだ事実上ワンタイトルで喰っている開発会社。トッドがいなければMorrowindはなく、Morrowindがなければとーっくの昔につぶれていました。そういう地獄を経験してるから開発ポリシーはとても保守的になっている、と思う。
 上に書いたようにそれが正しい姿勢かどうか、部外者の私にわかるわけがない。

 もちろん、本質ではなく飾りですといいながら、味付けや飾りが豪勢じゃなきゃ誰もゲームに6千円も出さない。物語ならラノベで十分。

 次回作がどうなるかわかりませんが、これまでの流れを見ても、そしてSkyrimの大成功もあったので、今後どんどん手を加えていくのも間違いないでしょう。

 なんだか最初のテーマはよかったけど、あとはKotakuのしょーもない記事とレベル変わらない気もしてきたなあ。もうやめようかなあ。乗りかかった船かなあ。船長は最後まで船に残らなきゃなあ。

**********

 プレイヤーが無力

 これ最初のテーマと一緒だわ。プレイヤーの行動がワールドに影響を与えることができない。それを「無力」(impotent)と言っているようだ。
 筆者の批判はもうひとつあって、裏返しでワールドがプレイヤーをこづき回すこともない(...(the)world can't really push us around either.)。

**********

 一つ前のブログ記事でもう書きましたね。DA2やME2はワールドがプレイヤーを小突き回すモデルのRPG。FFXIIIもそうかな。Skyrimは比較的静的なワールドが主人公を待ち受けているモデル。

 せっかくのネタなのに、例があまりにも適当じゃないね。盗賊に瀕死の重症を負わせると、とたんに命乞いをする。しますね。ところが時間が経つと(リジェネすると)立ち上がってまた抵抗してくるので殺すしかない。殺すしかないね。 

 無辜の市民を亡き者にするとする。きっと家族がいますね。敵討ちのため命を付け狙ってきてもいいんじゃないのか? ゲームには、ドラゴンの空襲がいつやってくるか判らない恐怖がすでに持ち込まれているのだから、復讐の一撃が突然闇から襲ってきたって何がおかしい?

 感情移入といった場合、こういうネタを論じるテーマじゃないよな。これらもよく言えば優先順位の問題、悪く言えば手を入れる時間がなかったんだと思うな。
 たしかに盗賊たちの命乞いは奇異ですよね。逃げるなり、その場でじっとするなりすればいいのに。
 "Yield !"、参った、降参ですけど、殴りあいではこれ必要ですね。それから主人公が悪事をして衛兵に叩かれたら、降参するチャンスが与えられる。フォロワーなんてこれがなかったら、おんまさんみたいに皆あっけなく死んでいくはずだ。どうぶつさんたちだって良く見ていれば瀕死になると逃げる算段を考えている(ヘルスが復活するとすぐ襲ってくる。どうぶつだからいい?)。

 結局それらが必要な場面と、そうではない場面(盗賊がそうでしょうか)の仕分けをしなかったんだね。不自然ではあるが、絶対に割り切れない話でもないな。私は割り切ってます。
 
 家族の復讐譚はまあ味付けとしては面白そうですが、私の経験では、密かにカニバリズムの趣味に興じていた兄弟を主人公に殺された店番の男からは、いちおうセリフで悪態はつかれます。でも売買はできる。
 あったら面白いかもしれないけど、それをわざわざ入れたら(基本的にほとんどの市民を殺めることができるこのゲームで)、ただでさえ複雑な世界がますます手に負えなくなる。そういうことでしょう。しかも一般市民がドラゴンボーンに歯向かう? それもまた結構不自然だぞ。

 一つのゲームで、DA2/ME2モデルも、Skyrimモデルも、あるいはMMORPGのいいとこどり(クラフティングなど)など、おいしいところ全部いただけるなら、それは嬉しいに決まってますけど、その場合はお値段6千円じゃないよな。

 プレイヤーの唯一最大の権利は、自分で作らなくていいこと。世の中に出回っているものから、自分に必要だと思うものをつまみ食いすればいいんじゃないだろうか。

 Skyrimは、つまみ食いするにはあまりに巨大なスウィートロールという気もしますけど。 

【Skyrim】悪の報いを受けることがない?

 また「ぼくの考えたさいきょーのだいあくにん」とかいう中ニ病ネタじゃねえだろうな、とシカトしようかと思ったが、最初の文章が目にはいって興味が湧いた。

 http://pc.ign.com/articles/121/1217140p1.html

 IGNの記事。Skyrim Failsとかいう、いかにも耳目を引きそうな表題だが、わりかし真っ当なことを述べているようだ。GameSpotだけ読んで、こちらを読まないのもどうかと思うので、ちょっとなぞってみよう。Kotakuのくだらない記事まで読まされたしな。

 素晴らしい作品だが、まだまだカンペキには程遠い。ま、そう書かないとゲーム批評にはならないわけだから。Uncharted 3に10点満点を与えていながら、Skyrimには9.5点しかあげなかったと批判されているIGNのアリバイ証明と考えてもいいかもしれない。

 他のRPGやアクションなども含めたゲームから学ぶべきところは多々ある。ここでは四つ。悪行の報い(consequences)の欠如、判りにくいレべりング、しょぼいコンバット、そして感情移入(emotional pull)のやはり欠如。

 気になったのが(そして多分この中で面白いのは)、一番最初の「悪の報い」問題なので、そこは丁寧に。あとはさらっと流します。

**********

 悪の報いを受けることがない。

 Skyrimで悪のキャラクターを演じても、罪の意識を感じることは難しい(訳:ほんまに?)。他のゲームにおけるメチャクチャな殺戮劇(wanton murder)や一般的な恐怖体験の後では、プレイヤーが鏡で自分の顔を覗き込むことができないくらいの良心の呵責に苛まれることは避けられない。ところがSkyrimでは、山野でうかれたバカ騒ぎをやらかしても、立ち向かってくるモフモフのウサギを残らず蹴りまくっても、まったくなにも感じない。

 無辜のアルゴニアン(訳:トカゲさんか)の皮を剥いでハンドバックにしようが、盲目の男(a blind man)から、えーっと、闇雲に(blind)カツアゲしようが、罪の意識は生まれない。Skyrimにはプレイヤーのやらかした悪行に対する報いがどうしようもないくらい、決定的に欠けているからだ。

 もちろん、そこらじゅう血の海にする気満々でプレイすれば、バウンティ・システムによって、衛兵たちが阻止しようと介入してくる。だが賄賂や罰金はあまりにも安く済み、手かせ足かせから逃れて立ち去るのは、口笛まじりなくらい容易い。

 他のあまりに多くのゲームで導入されている、強制的な善悪メーターを取り除いていること自体は、正しい一歩ではあるが、その代わりがなにもないのだ。プレイヤーがRPGの主人公として、じっくりと紆余曲折を繰り返すことができるようにするため、Skyrimは静的で、因果応報の存在しない、しかも「プレイヤーを中心にして回っている」世界を創出したのだ。だからこそ、プレイヤーが、いみじくも声帯を有するどんな存在(訳:つまりクモとかムカデを除く全てってことかな?)に出会ったときであれ、お定まりのワンフレーズをわめき散らしながら飛び掛る前に、ちょっとは躊躇してみるという行動をとらせることはないのだ。

 この種のやり方は、例えば、細々としたことまで全て気にかけて書かれた一本道のスクリプトがプレイを支配するModern Warfareにおいてはうまくいくだろう。だがオープン・ワールドのSkyrimでそうか? あまりうまくはいかない。しかも、これでもまだ話は入り口に過ぎない。

 例えば、君がダーク・ブラザーフッドのリーダーになったとしよう。君の両手にはすでに、農家が林立している街ひとつ分の壁を全部赤く塗り替え、さらにたくさんの消防車を用意することができるくらい、十分な量の血糊がべったり着いているはずだ。だが、そんな君ですら、比較的正しい道を進んでいるはずのコンパニオン(訳:同胞団でしたっけ?)にあっさり乗り換えることも、あるいは究極の権力を手に入れる立場に就くことも、まるでコウモリのように瞬き一つしないでできるのだ。

 それはまるで(訳:アメコミの正義の軍団)ジャスティス・リーグが、レックス・ルーサー(訳:スーパーマンの大悪党だったかな)のために赤絨毯を敷いてあげるのを眺めているようなもんじゃないか。

 もっと言えば、君はリーダーの立場であるにもかかわらず、突然旅に出て、二度と帰らないことだってできる。そしてもちろん、そのことを誰も気にもしない。ここでも、世界はポーズボタンを押されたように止ったままなのだ。

**********

 なるほどね。
 ポイントは原文でも強調されていますが、「プレイヤーを中心にして回っている世界」に対する批判ですね。

 これは本気で重要なテーマなんだよね・・・。私のブログなんてこのネタだけで食ってる(一銭も儲けてはいない)ようなもの。

 先ほどの記事の表題にも書いたように「この世界はメチャクチャである」という真実を、どれだけゲーム内で実現できるかどうか、最近のRPGの評価はそういうポイントに絞られて来ている傾向があって、そういう意味では「成熟」して来ているのかもしれない。、「プレイヤーを中心にして回っている世界」ってのは「何もかも自分の思い通りにならない、理(ことわり)がどうなっているか想像もつかない、不条理で残酷でメチャクチャな世界」の対極にあるわけです。

 もちろんRPGだって「物語」の一種であるわけだから、GameSpotのケヴィンが言うような記憶に残る名場面、「メモラブル・モーメント」が大事ってのもあります。
 だがオープン・ワールドRPGに流れが傾いて来ているとしたら、それだけではもう、みな物足りなくなってきているのかもしれない。
 まさに上でメンションされているCoD:MWのようなFPSであれ、パズルゲームであるPortal 2であれ、数限りなく出続けるアクションゲームであれ、ましてやスーマリのようなプラットフォーマーであっても「物語」は導入可能だし、もうすでに導入されている。Portal 2のように一部は大成功している。

 Skyrimは、確かに受身で待っている「世界」、あるいは「社会」の中で主人公ドラゴンボーンがどう振舞うか、あくまで一人称の物語。一度流してプレイしてみて、大変残念なことに、ただ一箇所だけ意図的に一人称をはずしちゃってる場面があった(ホワイトランのドラゴンズリーチの大テラスから、ほら、あれするときね。あれは一人称はずさず描写可能なんで、デザイナーの不注意だと思うなあ・・・)。もちろん、出会い頭に熊さんのラリアットなどくらって昇天するシーンは除く。もう死んでるから一人称もへったくれもない。(考え直したらもう一箇所あった。おんまさんにされちゃうところか)
 でもSkyrimの基本はmyselfの物語ですね。

 例えばDragon AgeやMass Effectなどは、予測できそうにもないレベルで途方もなく揺れ動く(だからメチャクチャな)「世界」に投げ出され、その急流に翻弄される主人公(たち)が、その運命にどう立ち向かうか。物語の形は「神の視点の三人称」ですよね。DA2はそもそも枠物語、起きてしまった事柄を振り返る形式であるわけだし。シェパードは何しろいっぺん死んだわけだし(一人称がなりたたん)。FFXIIIのようにわらわら主役を切り替えるのもそっち。FFXIII-2となると、ぐっと(セラの)一人称の物語に寄ってはいる(厳密には言えませんが、The Witcher 2のような限定三人称に近い)んですが、「お姉ちゃんを探す」というテーマからしてもそのほうがだいぶ心地よい、気持ちがいい。

 私なりの立場でいえば、このIGNの批判は言えているし、そこは確かに重要なんだけど、ゲームの仕組み上の不足分を補完するのはプレイヤーじゃないかなー、ってとこですね。
 下世話な商売上の話をすれば、なぜそういう造りにしたかもわかりそう。

 New Vegasでは、戦争状態にある二つの陣営のどちらにつくか、あるいはつかないか、最後は決定しないといけない。その二つ以外にサード・パーティーも存在するし、どこにもつかない自由もあるとはいえ、少なくともエンディングを迎えたいなら(「どこにもつかない」も含め)どれかひとつ決断はしないといけない。
 
 すると見逃したほうを見たいと思ったら、もう一辺プレイをやり直さないといけない。決断直前のセーヴ・ファイルから分岐させるという荒業でもいいですが、少なくとも手間はかかるし、私が「荒業」と感じるように、RPGでそれはちょっと・・・、と感じる人は多そう。

 New VegasもSkyrimも優に100時間かかるゲーム、メイン・ストーリーだけでもふつうにやれば20から30時間ですか。何周もやり直す人なんて、もう世の中にはあまりいないんですね。一度もメイン・ストーリーをクリアしないで中座する人だって大勢いるようだし。

 Skyrimの造りは、そこを配慮してると解釈しています。コア・ゲーマー諸氏が物足りないというのはわかる。得意な魔法がキャンドルライトのアーチメイジ(私のことだ)、スニーク能力ほぼゼロのギルド・マスター、世界の平和を願うブラザーフッドの総帥。やっぱ、ちょっとねえ・・・。全部ラノベ・ネタとして成立するもんね。
 お菓子のスウィートロール(Sweetroll)を見ると、盗まずにはいられないローグ(笑)。夢はスカイリム全土のスウィートロールを集めること!(その場で食べなさいよ・・・)

 さらにウェアウルフになってもなんの副作用もない、ヴァンパイアリズムはただの伝染病で治そうと思ったらすぐ治っちゃうし、カニバリズムはバレなきゃOKか。
 MorrowindでもOblivionでもそんなビョーキになったら涙目でしたよ。何をやっていてもとりあえず全部投げ出して、そこからいきなり治癒探しのクエストがはじまっちゃう。少なくとも私はそうだった。

 一度きりのプレイスルーでも大事な場面はほとんど見逃すことがないように造っているのでしょう。全部がそうではあまりに甘すぎるからか、シヴィル・ウォーの両陣営と、そしてブレイズとグレイベアーズの間には排他が成立する。でも、それすら手掛けなくたっていいわけですね。

 そういう匙加減がだいぶカジュアル側に寄ってきているので不満、ということでしょうか。システムが悪いわけでもなく、Radiant A.I.でやろうと思ったら、シビアな因果応報システムできますよね。できるのにしなかったわけですから理由がある。私の予想は上に書いたとおり。

 「直後に鏡で自分の顔を覗き込めなくなるような」プレイ体験がどれかは、プレイヤー自身の感じ方による。ゲームが「善悪の基準を押しつけない」のが正しい方向であるのはうなづけますが、そこはプレイヤーが補完すればいいでしょう。できるから全部やる、じゃただのお子ちゃまだし。できるけど敢えてやらない自由だってあるんだから。
 私はやっぱ主人公まで変えてしまって(鏡で見ても表情すらわからない)カジートくらいでやらないと悪行三昧は無理だ。
 
 もし、(現実寄りの)強烈な因果応報、懲罰システムを組むんだったら、街の人を理由なく何人も殺したら、もうそれで終わりでしょう。あとはブラザーフッドに入るしかない。そんなゲーム、きっともう売れないんでしょう。
 ウルティマのロード・ブリティッシュに逆らったら残りの一生牢屋で過ごしました、で笑って済ませていたのは古き善き時代。うろ覚えだが、Curse of the Azure BondsなるDnD準拠のゲームでは、冒険スタートの瞬間から、主人公(パーティー全員)にはいきなりきつい呪いがかかってる! 全編これ、解呪探しの旅なり!
 今はこういうの出してもきっと受けない。面倒になったんですよ。
 自由こそ、一番面倒なんだよなあ。

Curse_of_the_azure_bonds_coverart
 あ、やだ、なつかしー。そうそう、このパッケのねーちゃんに惚れて手を出したんだろうな。おかげで手ひどい目に会いました・・・。

2012年1月25日 (水)

【Skyrim】世界はメチャクチャ

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルーは「続きを読む」の下。

 RPGの主人公へのコミットメント(のめりこみ)レベルがはんぱじゃないことがある。自分の場合は逆にいうとのめりこめるほど良いRPG。

 DA2の場合は、自分でもわかるくらいちょっち引いてたきらいがあったかもね。声優つき、名前つきが理由じゃない。同じく声優つき、名前つき主人公であるME2のシェパードにはのめりこむ場面が多々あったのだから。
 
 ホークにとってカークウォールの出来事は、あっしには係わりのねえこった、「木枯し紋次郎」モデルであったはずだ。ところが紋次郎の場合は、自分ではどうしようもない形で大騒動に巻き込まれていく。DA2はそこらがうまく行ってない部分(巻き込まれ方が不自然)が気になったのかもしれない。よく言われるように、物語の省略が多すぎたのかも。

 Skyrimの良いところのひとつは、コンテンツがあまりに膨大なので、クエストのひとつひとつについては結構内容を忘れていること。同じ中身を繰り返したとしてもまだまだ新鮮ですし、NPCのことなどが「なるほど、こいつこういう関係だったのか」と後付けでわかる趣向も愉しい。

 男子フォロワー募集中のメイジ主人公、とあるところで男性メイジに出会いました。メイジだし、いい年のおっさんなのでフォロワー候補としてはちょっと残念だが、頼みごとがあるというのでお付き合いした。
 歩き出してようやくわかった。これすでにプレイしてるデイドリック・クエストだわ。しかも、最後におっさんをとるかデイドラをとるか迫られる場面があったはずだ。ひとりめ主人公はさくっとデイドラの命令を無視した。

 イーヴィルなビッチでプレイすると心に決めていたはずだが、逡巡してしまった。やっぱ私には無理だ。ロール・プレイヤーとして、メイジがデスマスク集めはまだいいが、デイドリック・アーティファクト集めはどうしてもピンとこないんだよなあ・・・。
 それと、いずれはカニバリズムに付き合うことになるんだろ?
 やばいお仕事はカジートのローグ・キャラにお任せすることにしよう。ネコなら何食ってもへっちゃらだろう。ネコマンマとかいうし。
 こうなったらメイジとローグで同時並行プレイだ。きゃー、やることいっぱい。

 そしてカジート主人公をつくり直すつもりで、オープニングをやり直してみた。
 あの冒頭のシーンに、(初回ではなんだかわからなかった)大量の情報が詰め込まれていることが再認識できた。
 でも、キャラメイクの際に、「カジートのイケメンってどんなの?」と悩んでしまって、そこでやめて寝てしまいましたけど。ネコのことは、よくわからないなー。
 そのくらい突き放せるキャラじゃないと、自分、イーヴィル・プレイは無理だなあ。

・   

続きを読む "【Skyrim】世界はメチャクチャ" »

【Skyrim】クモぎらい

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルーは「続きを読む」の下。 

 二周目ハイエルフ・メイジ主人公でレベル20あたりにきました。アカデミー(魔法大学)のクエスト・ラインは一人目主人公で(やる気もなかったのに知らずにはじめてしまって)最後まで終わってしまったらしい。
 もうあまりやることないかな、と思っていたのですが、結構まだまだありそうです。仮面(デスマスク?)集めも一人目ではちゃんとしてなかったし、愉しみだ。

 ただしメイジの育て方がイマイチらしく、進行はとっても難儀です。一人目(ツーハン・ウォーリアーとリディアのコンビ)があまりに楽すぎた。出会い頭の交通事故死なんて滅多になかった。

 フォロワーは補完の関係で選べ、という公式ガイドブックの教えを敢えて無視して、最初はメイジ・フォロワーを連れていた。メイジ主人公なのにメイジ・フォロワー?と思うかもしれないが、だって現実にはそうだろ。アカデミーの同級生とつるむだろ、ふつう。

 最初のころは同級生ダークエルフ嬢とふたり、文句なしのイケイケ・コンビだった(フレイム・アトロナーク常時二体召喚でさらに豪華)。でもフォロワーは男子じゃなくちゃね、と思い、レベルも結構上がってきた頃にノードのあんちゃんメイジと組み始めた。カジートの同級生は発言がいちいちうるさいので、ちょっとだけつき合ってあとはシカトした(あいつ男子なのかな?)。

 あんちゃんだからダメなのかどうかしらないが、ブラッド・ドラゴンにちっともかてましぇん。魔法もそれなりに用意してるんですが、毎回こんなに苦労するのかよ・・・。
 しかもあんちゃんは戦闘中行方不明(Missing in Action)がやたら多い。リディアなどのフロント・ラインメンをフォロワーにすると、主人公のファイアーボールなどに簡単に巻き込まれるので、できればレンジド(弓)がいいと公式ガイドブックには書いてあった。そこだけは守ったつもりだが、いなくなる率高すぎる。戦闘が終わった頃ようやく駆けつけてくることがしばしば。アネッケさんの戦闘中行方不明なんて一度もなかったぞ。

 で、つい先日解雇・・・、じゃなく別れました。メイジ以外のフォロワーなんてまだそんなに見つけてないんで、次の相棒はワンパターンでリディア・・・。

 別な男子フォロワーみつけなきゃなー。メイジはスペルブックとトレーナーでお金がメチャクチャかかるので、傭兵は除外です。

 

 

続きを読む "【Skyrim】クモぎらい" »

2012年1月24日 (火)

【Skyrim】Skyrimをさらによくする10の方法。(2)

 前回の続き。

 

 Shopkeeper's Guild

 商店ギルド。

 スカイリムの各商店の買い取り価格は、GameStop(あちらの悪名高いゲーム・ショップ・チェーン)並みに激安である。ん、まあねえ。でもあんましお金溜めたってしょうがないゲームだしね。
 店頭に冒険者の集めたアイテムを売買できるスペースを用意しろ。そんなの半島系MMOでやろうぜ。なに「ルセッティア・アイテム屋さんのはじめ方」ならできる? あれは元々そういうゲームでしょ! 

 Crossover Armor Sets 

 (別タイトルとの)クロスオーヴァー・アーマーセット

 個人的にほとんど文句のないSkyrimに、トッドから一個だけ文句を言ってもいいよ、といわれたら、アーマー・デザインのヴァリエーションが少ないことを言うつもり。もうちょっち変わったのが欲しい。
 

 だが次の書き出しは笑った。ゲームタイトル間でコラボしたアーマーデザインを用意せよと。
"Mass Effect 2 and Dragon Age: Origins did it. Dead Space 2 and Dragon Age II did it. And soon, Mass Effect 3 and Kingdoms of Amalur: Reckoning will be doing it. "

 Saints Row: The Third とのコラボはどうかと思うけど、Falloutシリーズとはあってもよかったかもね。ブラザーフッド・パワードスーツ仕様! ブラザーフッドの意味が混同されちゃうな。

 Night Vision Goggles 

 ナイト・ヴィジョン・ゴーグル

 いやいや。そこまでいくともう、内輪受けの域を超えてるって。あの本物同然のゴーグルをコレクターズ・エディッションにつけたCoDネタでしょう。RPGしか遊ばない、いたいけなお友だちは誰もついてこれんだろ! 

 たいまつ持つのも面倒だし、キャンドルライトの魔法はEL仕様じゃなくて蛍光灯仕様らしく、切れるの早すぎる。
 あ、カジートって、夜目が利くのか! しまった、三人目主人公ローグはダークエルフをこさえちゃったよ。運よくプレイはほとんど進んでないのでカジートでやり直すか。

 Seasonal Content

 WoW並みの四季折々の催し物。笑。 

 おいちゃん、スカイリムでそれをいっちゃあ、おしめえよ。ずーーーっと、雪景色じゃん。

 Vertically Challenged Valet 

 身長面で難のある(つまりチビの)しもべ 

 なるほど。皆さんアルケミーでポーションを作る際には、全ての装備を脱ぎ去った上で、ポーションの性能向上機能のついた装備で身をかためてからやられているわけね。そして忘れた素材を買いに外出する際には、もう一回スピーチ能力向上の装備に全部着替える・・・の?

 そんな面倒なことしたことないわ。せいぜいネックレスと指輪変えるくらい(それも失念してなければ)で、気にしたのは最後のデイドラ装備のスミシングとエンチャントメントくらいだ(しかもエンチャントメント能力増強ポーションしかなかったし)。

 そこでこのちっちゃな従者が、一切のそういう面倒な着替えを手伝ってくれるって寸法か。んー、そうかアーマースタンドをもうちょっち改良して数を用意してくれればできるかもな。それは実はFable IIIで実現しています。でもあちらの装備は、装飾としての意味以外一切価値ありませんよ。あーと、ニワトリの着ぐるみで裁判の判決を下すともらえるアチーヴメントはあった(くだらねえ)。

 でもFable IIIをプレイした方ならご存知のとおり、家に戻るたびおんなじフレーズを何度も何度も話しかけるあの従者(執事)のうるささに、皆そいつを黙らせることのできるModを欲したくらいだから。Skyrimのリディアくらいで怒ってる人は、あの心底辟易させられる慇懃さを経験してないんだろう。

 さすがGameSpot。ネタは面白かったです。カジートは夜目が利くという知見も得られたし(お前が知らないのが問題)。

 自分のプレイしたところしか知らんからね。一度クリアして、ようやく公式ガイドブックを普通に参照するようになったよ。 

 

 

 

 

 

【Skyrim】Skyrimをさらによくする10の方法。

 SteamのSkyrim関連ニュースにしばらく居座っていた、Kotukuの頭の悪い記者が書いていたやつとか、4Gamerにどこかの誰かが垂れ流した不平不満集みたいなもんだろ、と頭からバカにして読むのをやめようとも思ったが、GameSpotなら少しはマシかと思った。

 Skyrimをさらによくする10の方法。

 http://www.gamespot.com/special_feature/improve-skyrim/image-feature/index.html

 Dragon Mount

 ドラゴン・マウント。笑。
 馬に乗っている間、戦えないし、素材集めもできない。確かにTwo Worlds IIではできるけど・・・。戦闘はともかく、疾走する馬上から地上の草花を正確に摘むとか、どんだけ馬術にたけてるんだよと思う。Mount and Bladeですら、そんなの超上級技ではないのか。
 この際ドラゴンに乗せろ。移動能力つき火炎放射器を手に入れたようなもんだぜ!
 火炎放射器とか好きならFalloutで思う存分にやってくれよ。
 しかも(サイトのひとコマコラージュにあるように)、空飛んでたら草花摘めねえ。

 Mudcrab Merchant Companion

 マッドクラヴ商人コンパニオン。笑。Torchlight やSWTORのフォロワーみたいに、インヴェントリーから特定のブツだけ選んで、売りに行ってくれよ。例えばマッドクラブ(かにさん)の身。 
 かにの身だからきっと高く売れそうだね。これはいいかも。

 Pet Prairie Dog

 プレイリー・ドッグちゃんのペット。
 これ、とくに笑えねえと思ったが、あ、言えてるかも。プレイリー・ドックちゃんの類稀なる索敵能力を言っているのか。セーヴを忘れて45分のプレイが水の泡なんて事態を避けることができる。
 さすがに45分無駄になったことはないが、うちの(うちのって言うな)華奢なメイジ主人公は、風景に溶け込んじゃったケイヴ・ベアーに出会い頭で遭遇すると、ラリアット一発くらってお陀仏なのだ。あと、フォロワーがジャイアントの四番バッターの一振りくらって、物理法則を無視してんじゃないかと思うくらい物凄い上空まで飛んでしまうこともある。あれ、なかなか落ちてこないんだよな。

20120118_00247
 自分の場合、こういう面白い画像は決まって夜なんだよな。わかりにくくて残念。
 

 中日・巨人戦。ナイトゲーム。ほんとは近くにサーベル・キャットちゃんもいた(ドラゴンに一瞬で焼き殺された)ので、タイガーズ(なのかライオンズかしらんけど)も参加している、とってもおいしい絵だったのに。

20120118_00253_4
 Skyrimはいつもニコニコ顔でプレイしている私の顔が引きつるのが、このジャイアントのバカが登場する場面。ドラゴンがいるってのに、主人公とか先に攻撃しようとする。優先順位わからんのか!

 Magic Pockets

 ドラえもんの無限ポケットですか。たしかに私の一周目プレイ時間185時間の大半はインヴェントリー管理に費やされたのであった。でも何が大事かわかった二周目は相当スピードアップできている。ドラゴンの鱗も骨も、即店売りだ。でっかいチーズ丸ごと一個も、マンモスの牙も鼻も、もう拾わない。しばらくおうちを買わなくても済んじゃったよ。

 Horse Armor

 ホース・アーマー。笑。
 これ、Oblivionの悪名高き初有料DLC。いつまでもネタにされちゃうんだね。
 単に見栄えがするようになるだけじゃなくて、山賊のアジトに(飼い主の意向も自らの安全をも完全に無視して)単騎(文字通り!)突撃するときにもおんまさんを危険から守ってくれるとか。いいかも!

 時間がないので、次回に続く。

ダルビッシュ問題、クロダ問題

 さっきの記事は前振りにしようとしたが、あまりに関連しないので別にした。

 あー、お前ついに読者が激減したから、あれか、ヴィデオ・ゲームの話はやめて、耳目を引きそうな話題にシフトしたか。
 ちげえよ、だったらずーっと前から読者の方の数なんて変わってねえよ。

 トリンドル問題とあまりに似た話題だったので、面白かったから書いてみるだけです。
 しかも心配なさるな、ちゃんとRPGに関係ある(ところもある)。

 gooニュースだが、元は産経新聞のコラムを読んで驚いた。有料購読者です。ネットにほぼ全部載っているのもブログ上都合がいい。だったら有料で購読する意味がない? 月3000円弱の「お布施」だよ。

 http://news.goo.ne.jp/article/sankei/sports/snk20120124110.html

 日本人大リーガーの、特に内野手が「ダメ」という評価が定着しつつあるのは聴いていた。さすがにベースボールの第二のメッカともいえる中南米出身選手と伍すのは辛いよなと納得していたが、今度は投手にも三年目の壁があってダメだそうだ。

 読んでいただければわかるが、ボストンの野球アナリストが調べたところ、日本人投手では黒田投手(ドジャーズ)以外、皆その罠におちているという。日本人野手では外野手のイチローと松井秀喜だけが例外であり、だから投手に限らないそうだ。

 記者がいうようにそれって「あと出しジャンケン」の結果論じゃん、ということもできるし、だいたいサンプリングが悪すぎる。「そもそも大リーガー全員に三年目の壁がある」という仮説との有意差検定とかちゃんとやってんのかぼけ、と思うが、原文を読んでいない私に突っ込む資格はないし、ボストンの野球オタクの記事とか原文であんまし読む気もしない。ごめん。

 でも面白かったのは、日本人大リーガーのさきがけ(正しくは中興の祖)、野茂投手にも同じく三年目の壁があったそうで、防御率が急激に落ちて(えーと、増えて)ドジャーズから放出された後の彼のことを、ときたま好シーズンを送った「ジャーニーマン」(journeyman)であると呼んでいること。産経の記者の翻訳は「さすらいの仕事師」。悪くないけど、それって超訳過ぎない? ほんとかしら?

 journeymanは、もちろんSkyrimにも登場するし、洋物RPGには当たり前のように登場する主にクラフティングに係わる単語なので、だからこそわかったつもりになっていて、マジメに調べないかもしれない(私は少なくともそうだ)。

 敢えてマジメにしらべてみた。アルク。

 journeyman 

 徒弟制度で年季奉公を終え、給金をもらって働けるようになった職人。年季奉公とは別の職場に移ることが多い。

 そうだよな。RPGではまさにその意味だ。丁稚(でっち)明け。ようやく職人芸のなんたるかがわかった若い職人のことだ。

 そこから転じたのだろうが、別の意味として「熟達の職人」。「さすらいの仕事師」とはこちらのイメージを言っているのだろう。

 merriam-websterでは。

1. a worker who has learned a trade and works for another person usually by the day

2. an experienced reliable worker, athlete, or performer especially as distinguished from one who is brilliant or colorful

1の意味は、丁稚明けの職人でいいっすね。
2の意味がとてもわかりやすい。頼りになる熟練者ではあるが、天才的でもなければ華々しくもない。そして用例として、ご丁寧に"a journeyman outfielder "(ジャーニーマンの外野手)とまである。

 ボストンの野球アナリストが野茂についてジャーニーマンと言う場合は後半を強調しているのでしょう。

 「さすらいの仕事師」をどう感じるかだが、日本人は「仕事人」というと、良い意味にとっちゃう。「家政婦のなんとか」に通じる。「いぶし銀」なんか見たこともないくせに「いぶし銀の名人芸」とか呼んじゃう。見たら判るけど、こ汚いよ。不人気すぎてもう宝飾品としても出回らない。

 私なりに解釈すると、「そこそこ使える」、「足しにはなる」、「誰かが抜けた穴埋めはできる」くらいの意味。大リーグでは、brilliant か colorfulでなければお金は儲からないんだろうな。それはアメリカ人の感じ方の根底にもあるんだろう。一般ファンには、内野安打で安打を稼ぐイチローよりも、一発逆転のホームラン・バッターのほうが、とうしてももてはやされる。

 ベースボールはなぜ日本でこれまで定着したかわからないくらい「個人芸」のスポーツだ。
 映画「アンタッチャブル」(The Untouchables、1987)でデ・ニーロが演じたアル・カポネに言わせれば、ベースボールに大事なのはもちろん"teamwork"だが、"indivisual achievement"の側面にも触れている。(適当なこと抜かしてると思われると癪なんで、ちゃんとimdbの引用を記事最後に)

 一方、アメフトの場合は、数多くのプレイのアサイメントが記載されたプレイブックに従う必要があるので、チームプレイの側面がずっと強い。個人芸オンリーの極端な例外としてプレース・キッカーはいるけど。
 プロの(NFLの)クォーターバックの場合、チーム・カラーに即した選手が長くエースをつとめる場合が多く、逆にいうと長くチームを支えるクォーターバックがいるチームが一般に強い。モンタナしかり、エルウェイしかり、ファーヴしかり、ワーナーしかり。
 こういう選手たちのことを、フランチャイズ・クォーターバック(franchise quarterbacks)と呼ぶ。日本語では・・・。なんつうんだろ? 「フランチャイズ」なんて訳せないよ。「生え抜き」である必要はないんだが、日本のプロ野球の「ミスター・(チーム名)」なんてのが近いか。

 「フランチャイズ・クォーターバック」が街(フランチャイズ)の保安官であるとしたら、一方で「雇われガンマン」、「流れ者」クォーターバックが活躍する例も稀にある。悲しいくらい稀だ。
 こちらにはだからレッテルが貼られていない。その選手のキャラによって、maverick(マーヴェリック、根無し草、一匹オオカミ)とか、desperado(デスペラード、ならず者、無頼)などと呼ばれるが、ぜんぜんいい意味じゃない。まるで西部劇のバッド・ガイ扱いだ。
 だが、少なくとも彼らがjourneyman なとど呼ばれることはない。なぜなら、天才的才能も華もないのに、雇われガンマンとしてプロのチームをスーパーボールまで率いていくのは、まず無理だからだ。

 もちろん、ベースボールにもアメフトにもケガがつきものだ。登録選手票(ロースター、ロスター、roster)には必ず予備選手を確保する。ロースター維持は日本と違ってアメリカではGM(ジェネラル・マネージャー)の仕事なのは、最近では日本でも皆知っているはずだ。
 NFLの場合、控え、セカンド・クォーターバックがjourneymanの感じである。あちらでは「保険」(an insurance policy)などと呼ばれることもある。まさにエースが負傷した場合の「保険」だ。

 この控えが実力をつけてきて、エースとスターターの座を争うようになると、これはクォーターバック・コントラヴァーシー(a quarterback controversy)、クォーターバック問題といって、アメリカでは大統領選挙の次に重要なイシューだ(むしろ自分の街のチームのクォーターバック問題のほうがずっと重要と考えるアメリカ人もいる。トラスト・ミー!)。

 大リーグもNFLも日本と違って、サラリー・キャップ制にうるさいので、Skyrimに例えて、メンツを全部"Legendary"とか"Epic"で集めて「おれつえー」をやることは許されない。(サラリーレベルが)"Legendary"とか"Epic"な選手をひとり雇ったら、その分、"Fine"、"Superior"、"Exquisite"、あるいは"Flawless"なレベルの選手もまんべんなく雇わないと、そもそもチーム編成ができない。

 なお、ベースボールの場合、日本のどこぞのように"Legendary"とか"Epic"な選手だけかき集めても勝てないことは、すでに歴史が証明してしまった。なのに歴史に抗ってまた同じことをやろうとしているなんてのは、もう話題にもしたくないですね。

 おっと、本題を完全に忘れていた。それだけJourneymanの話題が面白かったのだ。

 黒田投手だけが成功した理由は、ドジャーズの幹部に言わせると「幼い子供を英語の学校に入学させるなど、家族ぐるみでアメリカに溶け込もうとした」からだそうだ。アナリストはそれを引いて日本選手の成功のカギは野球技術だけではなく、生活、文化すべてが日本と違う新しい環境への適応の努力ではないかと指摘している。

 一読すると、ほんまかいなー。精神論かよ!と感じるだろう。ここでうなづいてたら、思考停止の危険があるから注意したほうがいい。

 と言い切れない説もある。日本に来たガイジン選手について詳しく触れた著書のあるホワイティング氏によれば「日本のこと(文化とかなんでも)を理解しようとしたガイジン選手ほど、結果的に長続きし、日本での稼ぎが良い」。

 サントリー(か、キリンだったっけ)のTVCFで、今は亡き原田芳雄さん(合掌)がマーヴェリックな日本人プロ投手を演じており、チームのロッカールームで「貴様、和を尊べ!」と(英語でかな?)怒ってるガイジン選手と殴り合いになるというシーンがあった。そのガイジン選手に対して原田投手は(日本語で)「ニホンゴ、ワッカリマッセーン!」と言い返すんだが。

 ホワイティング氏の著書を下敷きにしていて「このCFの作者は、ほんとうめえなあ」と感激したものだ。YouTubeにも残ってるかもね。探してみて。あたしゃだめだ。今見たら色んな意味で涙目になっちゃう。

 そして誰もまだ答えてくれていない個人的な謎がある。

 どうして、日本にやってきたガイジン選手は、その後多くが大リーグの監督になり、かつ、(少なくとも)リーグ優勝の経験が多いのか? 
 いや、ほんとに統計的有意差があるかどうかはしらないけど、とっても多い気がするんだよね。ホワイティング氏でも誰でもいいから説明してくれねえかな。

**********

A man becomes preeminent, he's expected to have enthusiasms. Enthusiasms, enthusiasms... What are mine? What draws my admiration? What is that which gives me joy? Baseball! A man stands alone at the plate. This is the time for what? For individual achievement. There he stands alone. But in the field, what? Part of a team. Teamwork... Looks, throws, catches, hustles. Part of one big team. Bats himself the live-long day, Babe Ruth, Ty Cobb, and so on. If his team don't field... what is he? You follow me? No one. Sunny day, the stands are full of fans. What does he have to say? I'm goin' out there for myself. But... I get nowhere unless the team wins.

「超越」と「自由」

 「平清盛」はご多分に漏れずもちろん観ておりませんが、身の回りの、そんなところに食いつくとは決して思えなかった知り合いが非常に熱心に語っているので、少し興味は湧いてきている。

 産経新聞の記事は「皇族」をお呼びするのに「王家」とは何事か、と揉めている話。
 え、だって「皇族」なんて言葉が当時なかったからじゃないの?と思って読んでみたら、これも産経新聞にいつも面白いコラムを書いている歴史学者の本郷和人准教授がこのドラマの時代考証を担当されたそうで、ご本人の弁が載っている。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/topics/entertainments-14839-t1.htm

 なお本郷氏のコラムは、例えば「田楽挟間(桶狭間)は実は少数による奇襲じゃなかった」とか、結構刺激的で面白いので注目しています。日本の歴史は「全部ウソ」という主張になると、これは思想的企みがありそうなので身構えるが、そうではなくて「過去の学者の定説はだいたいウソ」というのは逆に信用がおけそうな気がする。だって「だいたいウソ」なんだもん。

 で、彼の主張はそのとおりで、その時代は天皇の血族をファミリーとして捉える概念がなかった、鎌倉時代、南北朝も状況は変わらず、「王家」が使われ始めたという。
 もちろんこの話題、NHKとか、産経新聞とか、思想的絡みがあるのは否定できませんし、NHKは「前科もち」だから今回また揉めたそうだ。そんなこともここでは本題じゃない。

 私の興味はむしろこっちで、本郷氏の説明のなかに、貴族が彼我の上下関係に極めて敏感であったことを示す例として、席次の上下を争う「座次争論」というものと、下位の者が先に昇進する「超越」なるものに触れている。

 そう、前の記事で触れた「超越」(ちょうえつ)なる漢字二文字の熟語は、なんと昔からあった。まずい、これはまたしても知ったかぶりしたあげくの懺悔か!とビビったが、それは「ちょうおつ」と読んで、あくまで立身出世で下位の者が先を越す、上位の者が超されたことを意味するのだそうだ。だから、そちらの意味は「超える」と「越える」を重ねて強調していることになるんでしょう。「とてもありえないことが起きた」みたいな意味なのかな。
 英語のtranscendenceとか、supremacyの和訳の「超越」(ちょうえつ)とはまったく関係ない。

 同じく、本郷氏によれば「自由」というのも今や良い言葉(freedom、libertyの和訳で、美徳の意味でしょうか)だがかつては「自由の振る舞い」の如く、わがまま勝手を意味する悪い言葉であったそうだ。こっちは「無頼」、rogueってのがパッと浮かんだ。今の関西語だと「やんちゃ」かな。

 それ以外の部分については、席次にしろ出世にしろ、貴族社会と官僚・さらりまん社会は、なーんも変わってないのね、という感想だけね。

2012年1月22日 (日)

トリンドル問題、ローラ問題

 忘れないように身近な色々な人に話している話題ですが、表題の説明はいらないでしょうか。あんましテレビ観ない? 「若者のテレビ離れ」という嘘をマスメディアが喧伝しているが、「日本人のテレビ離れ」は間違いないらしいので、それはあるかも。

 まあ、大丈夫。登場する個々人は話題とは関係ない。

 コメントでゲーム翻訳の話などいただいたので、ゲームとは直接は関係ないがここは書いてしまおう。

 トリンドル問題とは、「知らないことに自信をもつこと」。有吉とマツコ命名。これ、すごい重要なテーマですね。「彼女の自分に対する揺るぎ無い自信」、「知らないことは強く拒否して、それ以上の話題をシャットアウトすること」に対する、主に有吉の嫌悪に由来する。有吉は単純に帰国子女が嫌い、という話でとまってしまうと面白くはならない。

 ローラ問題とは、「日本語をほぼ最低限必要な語数でしか話さないこと」。誰も命名してないけど、これもすごい重要な話題だと思う。これも「敬語を知らないし、タメ口が失礼」という話に矮小化して思考停止すると、せっかくのテーマが埋もれる。

 社会学者とか言語学者とか、「そういうの、ちゃんと分析しろよ!」と思うが、いまや不人気学問なんだそうで、期待できない。結構な鉱脈が埋まってると思うんだけど。

 もう、私なりの(受け売りを含めた)ひとつの答えはどこかに書いた気がする。「知らないことに自信をもつこと」は、「そんなことは知らない、私には係わりないと、なにがなんでも、必死に、いかなる手段を使っても意識から遮断すること」だ。内田樹氏によれば「親や教師から説教されている子供、生徒の顔」を思い浮かべればたちどころにわかるという。「全身全霊を傾けて、歯を喰いしばって人の話を聴かない」姿勢ですね。

 何事も「喰わず嫌い」は常に悪であるという話で書いたかな。んまあ、一生やらなくていい本当の「悪事」は除く。 

 「興味がない」というのは、「必死に興味の対象から除外している」こと。今また占いが大ブームだそうだが、こう考えると占いになんて頼らなくたって、自分のことがすごく良くわかるようになるよ。あー、むしろ占い師ってのは、そこをうまくついてくるのかもしれない。だって、あなたが最も知らないし、最も知りたくないことはなに?  それは「自分自身のこと」だ。

 そして、例えば英語などの外国語から日本語への(あるいはその逆の)翻訳の場合の意味消失、歪曲、Lost in Translationの問題にも密接に関係すると思う。大澤真幸氏によれば、漢字かな混じり文を用いる日本人(正確には日本語の話者)は、ほおっておくと決して中華あるいは西洋発祥の形而上的概念を理解できないという。むしろ、漢字かな混じり文を用いることによって、敢えてそういう概念の本質は「決して理解しないように必死に努力してきた」。これもどっかに書いた。

 私は同じ話をくどく繰り返すことに何の抵抗もないが、早く先を進めたいのではしょると、例えば「超越」、英語ではtranscendenceとかsupremacyかな。なぜ訳語を創出するときに、「超える」と「越える」とふたつ重ねたのか。強調したからと思いたいでしょうが、違う。わざとわけわからなくしたのだ。だって、元の意味なんて本当のところは結局わけわからないわけだから。「社会」もそう。「存在」もそう。

 そこで詳しく書かなかったことは、実は日本語には、決して語られない(発語されない)が、必ずどの文にも存在する「場」のようなものがある、という説だ。もちろん、これは決して翻訳されない。これは英語でも「構造上はすべての文は必ず誰かに応える形式を隠し持っている」という説に通じる。隠し持っているというのだから、発語はされない。最初から省略されている。 

 ローラ問題はこれだ。敬語がないのがどうのとか、タメ口がどうとか、そんな陳腐なところには、もうコメディアンですら突っ込まない(奴らは賢いのだ)。突っ込んでいたら三流だ。  

 決して日本語が稚拙なのではない。彼女は「意地でも日本人の望むようには話さない」のだろう。なぜなら、それで自分から何かが失われると思っているからではないのか。 

 彼女たちはなにも自ら望んで、そういう立場にあるわけじゃない。あの洋ドラ"HEROES"の日本人役で有名になった彼の日本語は、敬語だって文法だって、そこらの日本人より随分立派だが、やはり「奇妙」だった。半島のタレントが必死に日本語を勉強して喋っているのと一緒だ。裏返せば、私の英語もそうだろう。

 HEROESの彼の場合は、母親と、あるいはごく少数の日本語の話者としか、日本語を用いて話をする機会は長い間なかった。

 上に書いたような「場」を体験していない、知らないのだ。きっと「場」とは「会話の場」であるだけじゃなく、「井戸端」、「共同体」、ひいては「社会」そのものだ。 

 同じように敬語を話さない(そちらは日本語の敬語を本当にわかっていないかもしれない)日本人タレントが喋る場合とは明らかに違うわけだ。日本で長く暮らしているくせにタメ口をきいているとしたら、それは何の効果を求めているかは知らないが意図的に「タメ口」なわけだから。

 DA2の日本語版のパーティー・メンバーの叫び声が耳障りであった。単純に音量の問題なのかもしれない。でも私は、「英語版のあの叫び声は、最初は何を言っているか興味を持ちながら聴いていたが、そのうち雑音として聴いていた」と考えたらどうだろう。日本語版の場合、私にはそうする自信はない。いつまでも、全部意味を持った叫びとして聴いてしまうだろう。

 同じパーティーというなら、洋画・洋ドラに参加者大勢が口々に他愛もない話をするシーンがある。日本語版ではもちろん、全員分の翻訳・吹き替えなんてやらない。いいとこ、そのシーンで出番のない声優たちのもっともらしいアドリブだ。吹き替え版の場合は、原語版にはあった、いかにもありそうな感じの雰囲気はズッポリ抜け落ちる。 

 「知らないことに自信を持つ」ということは、その「ズッポリ抜け落ちる」、「場から完全に取り残される」恐怖に対する一種の防御行動なのかもしれない。つまりATフィールドだ。そういえばアスカ・ラングレーもトリンドルやローラと同じ境遇だった。

 「意地でも必要最小限の言葉でしか話さない」も、同種の恐れからくるものだろう。(敬語表現のような、「です」のような単なる語尾のような)何かを付け加えることによって、とてつもないものが失われるということなんだろうか。

 ゲーム翻訳でいかにも英訳風の会話はどうなんだ、と思うのは、そこから英語の場も日本語の場もどちらもすっかり失われているからだ。なにしろこの地上でそんな会話をしている人間は決して存在しないんだから。MSの取扱説明書を朗読しているようになるのは決まっている(そんな人間も普通はいないが、類似の試みを敢えて舞台でやった俳優がいた記憶はある)。

 残念ながら、日本の声優業事情を考えると、「そんなバカな日本語はねえよ」といえる立場の人は数少ないんだろう。言っていいと思うんだけど、スケジュールおしてるだろうし、録音監督と揉めたくないから唯々諾々と従うだけだろうね。

 映画「Jエドガー」(J. Edgar)に出演しているシュディ・デンチさん(やっぱ呼び捨ては抵抗があるのだ、日本人だから)が、クリント・イーストウッド監督について話をしていた。監督の撮影開始の掛け声は"Action !"ではなく、"In your own time."なのだそうだ。まるで相撲の仕切りの間合いのような感じがする。若い子が何かをはじめるとき、「自分の間合い(タイミング)でいいすか?」と言うのに似た感じもあるが、そっちは自分勝手だよな(笑)。

 産経新聞に載っていた記者の訳は「そろそろ始めるかい」。随分見事な訳だな、と(いつものだらしない水準と違うので)感心して驚いた。かほどさように人によるし、難しいってことだ。でも、はまると素晴らしい。 実は私などには、会った事もないクリント・イーストウッド監督の人となりに(スクリーンなどを通して)とても馴染んでるつもりがあるから、間違いなくきっとそう言っているんだ、そう感じるのかもしれない。これもOKな訳だと思うが、例えば「いきますか」とは言わないよな、とか。

 まとまらない話? そう簡単にまとまるかよ。だからきっと大事な話なんだよ。

 

2012年1月21日 (土)

【Skyrim】一回目、ようやく、ほんとにようやくクリア。

 ノード・ウォーリアー。野郎。レベル53。妻はリディア。
 プレイ時間は185時間。やったなあ。一週目でここまでやったゲームってのは、さすがにないかな。

 Morrowind、Oblivion、Fallout 3も New Vegasも、別にメイン・クエスト自体がどうのこうのってことはないし、今回も、「まあねぇ」って感じですね。

 ようやくメイジ主人公でプレイができる。ゴールド(ハイ)エルフ女性なので、超イーヴィルに振舞ってみる。当然インペリアル(ハイエルフだから)。ひとり目でほとんど言うことを聴かなかったデイドラ・プリンスの命令には諾々と従う。悪いなあ。まだ見つけていないデイドラもいるはずだし。
 三人目ローグ主人公なんてしばらく行き着くわけないだろうから、大事に取っておいたシーフズ・ギルド関係も、ブラザーフッドもやっちゃうか。悪すぎるなあ。

 獲得していないアチーヴメントをみると、やっぱ「悪い系」が全然取れていないようなので、しこしこ埋めていく。 

 結婚相手は決めてもいない。プロットによっては死んじゃう人相手には結婚できないんだろうか。未亡人(男やもめ)はあり? それも含めて試してみよう。

20111208_00023
 そう考えると、だいぶ前にメイクしたこの主人公の造型もスノッブなビッチぽくていい感じかもしれない。ま、Skyrimの主人公はどうやっても「カワイイ」には決してならないでしょう。いやならプレイするな。

 気になったこととしては、プレイ時間150時間を過ぎたあたりから、やたらクエスト・ジャーナル関係のバグが目につきはじめた。なんでだろう。それまではジャーナルまわりの不具合なんてひとつもなかったのに。

  それでも、全体的に見て(Morrowind、Oblivionのときにはあったような)ぼやきとか文句がほとんどないことには驚く。まだまだプレイできるなんて、ほんと極楽だよなあ。トッド万歳。

DA2をPS3で遊ぶ!

 すっごい、いかがわしいことをしてる気がするのはなぜだろう(笑)。

 この記事を書くのもすっごい恥ずかしいのはなぜ?  

 PSNのダウンはテンポラリーだったらしく、DA2の日本語版デモが入手できました。

 今から遊ぶのだ。なんか、こう、FFXIII-2を遊ぶときのとはまったくちがう、Uncharted とか、Dark Soulsのディスクをぶちこむときとも全然違う、例えるなら、顔も知らずに長い間ペンパル(死語か、じゃあメルとも)であった海外の女性とはじめて日本で会うみたいな?

 そんな経験ないでしょ、あなた。

 んー、正直に言ってしまおう! これからAVを観ようとしているのと同種の、ぞくぞく感、わけわからんのものが体内に分泌されてくる感じはなんなんだ? 

 人生初体験だぜ!(意味がわかんない)

 感想は後ほど(笑)。いや、実際は知らん振りするかもね。

********** 

 おお、同じ音楽だ(当たり前だ)。

 ちょ、イージーでプレイさせろや! オープニングとか、もうやり飽きとんねん。

 アクションメニュー動作、ホールド? オープン・クローズ? 
 んー、意味がぜんぜんわかんないよ。L2ボタン? ああ、そゆことね。

 出た噂の「自動攻撃」。オン!

 わーいローディング画面のTipsも日本語だー。訳が(笑)。なぜ必ず女性口調? 

 もちろん言いっこなしだ。 

 戦士、女性。ま、とりあえず声優興味で選ぶ。

 ああ、こうやって見ると、キャラクター・モデルはDark Soulsと大して変わらん感じに見えるのね。

 きゃーっ、少佐っ! じゃなくてカッサンドラ。探求騎士・・・。 

 やっぱすっげえ、ハズかしい。

 お、ベサニー!(すっかり忘れている)
 それも含め声優さん、さすがにええ感じじゃないかい。やるなマウス。 

 なにこれ、戦えない(笑)。コンソール・プレイヤーって、こんな大変な操作やってたの?!

 ええと、アイテム、アイテム、んーどこだ?

 ロックされている。あ、そうだっけ?

 アヴェリン。テンプル騎士団? あー、そうか。
 すごい、会話の日本語を英語に直して考えてる自分がいる。

 オーガ、弱い。イージーにする必要なんてなかったな。こんな違うのか。 

 フレメス。言えてます。はまりすぎ(笑)。

 

 ありゃ?

 

 終わり?

 

 イザベラ編は?

 感想としては、こんなにも会話のテンポが違うものかと驚いた。
 でも会話部分、さすがに声優さんを使うだけあって、翻訳は気合いはいってますね。
 地のほうと明らかに違うもの。 

 気になるのは、戦いの間の各人の叫び声の頻度がかなり多いってことくらい。英語でもそうだったのかな。ちょっと煩雑? まあ瑣末な問題ですね。

 でも全編こんな感じなら文句ないんじゃないの?

SWTOR 噂どおりの開発費であった。

 概ね色々なサイトで噂されていたレベルでした。

http://www.gamespot.com/news/star-wars-the-old-republic-cost-200-million-to-develop-6348959

 SWTOR開発費は、2億ドル(200百万USD)。 

 ロサンゼルス・タイムズにEA/BioWareがこたえている。先日あるアナリストがEAについてSWTORのローンチが思わしくなく、「忍び寄る懸念」があるとのレポートを出して株価が落ちたんで、話題性が生まれたかな。ちなみに別のアナリストは開発費を80百万USDとかなり安く見積もっていた。個別のアナリストの予想なんてそんなものだ。 
 

(参考)キャメロンの映画「アバター(アヴァター)」が公称制作費2.4億ドル、映画「ハリポタ」最終章がパート1と2あわせて公称制作費2.5億ドル。映画はもちろん俳優のギャラがものすごい比率を占めているし、ヴィデオ・ゲームとは広告宣伝費の額と取り扱いに大きな違いがあるはずなので、一概に比べちゃいかんけど、(お金を出すほうの資本側から見て、このプロジェクトはどのくらいの代物かという)規模はわかるかも。

 映画撮影の制作費だって、たった一人か二人の俳優のギャラで大半がもっていかれる場合はあっても言ってしまえば人件費。ゲーム開発だって基本は人件費でしょう。

 記事によれば6年間、4つの大陸にわたって800人が開発に従事していた。BioWareの創業者のひとりゼスチャク博士に言わせると、このプロジェクトのコーディネーションは「ゾウの群れにバレエを教えるようなもの」。ゾウ一頭じゃないところが味噌か・・・。

 SWTORのコンテンツに関してルーカスは、EA/BioWareに対して「行動の自由」"free rein"を与えたとの嘘が書いてある。嘘だろう。だってそのすぐ下に、「でもルーカスの配下の者がセックス・スレイヴなどの一部のコンテンツを検閲した」ことが書いてあるじゃないか。

 先に開発費80百万USDと予測した同じアナリストは、SWTORのパッケージ購入者が2百万人を超えたとみており、そのうち75から90%が課金プレイヤーとして残留するのではないかと予測している。 

 ごく簡単な算数。

 パッケージ購入者が2百万人、一個60USDとして売上高1.2億ドル。

 ルーカスへのライセンス料なんて全く出ないとか言うレベル以前に、このままじゃ大赤字ですな。
 

 EAのえらい人は、ローンチ後は課金ユーザー50万人で元が取れると語っていたがこれはあくまで「運営費」の話。サーバー管理代がその半分である。SWTORの場合は、ユーザー課金収入からルーカスへのライセンス料を払わないといけないので、ほかのMMOが20から25万人で運営できるのに対して倍近いユーザーが必要になっているという。

 仮に上のアナリストの予想どおり、200万人の90%、180万人が課金ユーザーとして(とりあえず一年間は)残るとしよう。このうち25万人分が「サーバー運営費」を賄うわけだから、(180万人-25万人)*15USD*12でざくっと3億ドルかな。この半分程度(35%だと予想するアナリストもいる)がルーカスへの上納金、その他もろもろ経費が出て行くとしても、ほっと一息つける収益になる。

 色々な見方がある。まず上の私のようにプロジェクトワイズで見たら、とてもじゃないが失敗プロジェクトではないかという見方。これは「ローンチ後に開発費を稼ぐモデル」がそもそもいかがわしい、という見方だ。
 「開発費はパッケージ販売でちゃらぽんでなければ不健全」というなら、2百万本の販売を予測したなら、1億ドル程度で仕上げなければならない。上の開発費80百万USDと予想していたアナリストは私と同じ発想にたっていたのかもしれない。そのレベルでなければ、普通はプロジェクトとして成立したことにならないからね。

 フルヴォイスであることが開発負荷のどれだけの部分を占めているかわからないが、WoWクローンであることが間違いないSWTORがほかのWoWクローンと異なるのは、ヴォイスオーヴァーの部分でしかないとする。
 そう考えていくと、では削れるのはどこだったのか、MMOにヴォイスオーヴァーを大々的に持ち込む(そこに大々的に経費をつぎ込む)というそもそもの発想が成立しなかったのではないか、という懸念が生まれます。
 もちろん、今となっては後の祭りだ。 

 対して、アナリスト連中は(そして、そのうしろにいる投資家たちは)「株価」にしか興味がない。「株価」は非常に簡単に言ってしまえば、「これからの業績予想」だ。
 

 EAはすでにSWTORの開発費を費用として計上している。だから株価にはもう織り込まれてしまった「済んでしまったコスト」だ。すっかり忘れてしまってかまいません。
 問題となるのは、ローンチ後の運営でどれだけ収入が確保できる(と予想される)か。そうであれば上の計算のように、そこそこ儲かることになるから、実は問題がないことになる。

 あるアナリストが「忍び寄る懸念」があると言う場合は、上の運営後の収益計算が成り立たない恐れをいう。つまり75%から90%も課金ユーザーとして残ったりしないし、母数も2百万人から増えたりしない(これからパッケージを買う人などまずいない)という発想だ。 

 少なくともWoWがデ・ファクト・スタンダードとなった以降、MMOの会員数が、運営後にイニシャルより大きく増えたなんて事例は私が知る限りない。SWTORだけがその例外である、というのは論拠に乏しい気がするのだがどうなんだろう。

 スター・ウォーズの名前を使って、これだけWoWを徹底的に模倣して、でも蓋を開けてみたら、MMOってやっぱこんな程度なんだね、と呆然とするばかりだ。

 100万人以上が遊ぶMMO(定額課金制)なんて、この地上にはほかにもうひとつしか存在しないのに、なんだろうこの迫力のなさ、物足りなさ? 

 Blizzardのボスは、ルーカスへの上納金なんて払ったら商売なりたたねえだろ、とのたまっていたが、本質はそんなところにはなかった。

 世の中には、MMOはWoWがあればそれでいい。結局そうだったのかね。

 何度も書いているが、賢い人の話は何度でも引用する。ペニアケのお兄ちゃん(もう彼も若くないけど)が、数年前(DDOを批判する文脈だったのが腹立つのだけど)、「MMOは月額友だちレンタルシステムである」と書いていた。
 ゲーム批評で、これほどの真実を書いたものを私はほかに知らない。
 

 そうであれば、WoWの天下は(事後的には)とってもわかりやすい。遊ぶ人数が多ければ、一般にそれだけ多くの友だちを(同一金額で!)レンタルできる可能性も高い。これをネットワーク効果と言ってもいい。
 世の中は、やはりごく普通に、常識的に動いているのかもしれない。

 ま、(SWTORのパッケージも買って6ヶ月課金もしたが、払った金はすべて埋没コストとみなす)あたしにはなんの関係もない話なんだが、Dragon Age 3の開発がわけのわからないとばっちりを受けたりすると、とても黙っていられないのは事実です。

**********

 下の記事で紹介されているStar Wars Uncutの開発費? いくらだろう?

http://movies.ign.com/articles/121/1216973p1.html

 

 「スター・ウォーズの名前」の意味のわからない方に。

2012年1月20日 (金)

【Skyrim】大昔の話

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 PSNがダウンしてDA2デモが見れなかろうが、EA/OriginのボケのせいでAmalurデモができなかろうが、あたしにはなーんも関係ござんせん。
 ほんとうに2012年は、SkyrimとMass Effect 3で済んじゃうかもしれない。

 む、そういえばドラゴンエイジのアニメ映画があったな。ほっとくと忘れそうだ(笑)。2月11日から。丸の内ピカデリー1。東京じゃ単館かよ! 打ち切りになる前に観ておかないとね。

  「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】大昔の話" »

DDO、今更どうして・・・。

 何度も書いてますが、年明けてからヴィデオゲームなるものは、Skyrimしかしておりませんっ。SWTOR、もう何日覗いていないだろう。

 DDOが!

http://www.gamespot.com/features/ddo-menace-of-the-underdark-and-turbines-incredible-staying-power-6348801/

 舞台がフォーガトン・レルムにっ!

 最初からそうしろって言ってたんだよっ! ずーーーっと前から、わしゃわかっとたんじゃよっ!

 アンダーダークだよ。しかもロルス。ドラウだよ。ドラウの首都シンディルリンだよっ!

 残念ながらMMOの世界には、今更復帰など考えられないが、でもターバインてばF2P(フリー・トゥー・プレイ)に移行してから儲かってたんだね。F2Pなのに儲かるのはなぜとか、いいっこなしだ。
 卒業生としても、めでたい。よかったね。
 そういえばNeverwinterはどうなったのかな?(少しも興味ないけど)

 一方で、SWTOR(を擁するEA)には、あるアナリストから「忍び寄る懸念」 ("creeping concerns") というレポート?

http://www.gamespot.com/news/ea-stock-tanks-on-star-wars-the-old-republic-fears-6348864

 困るんだよな。ほんと困る。このあおりを受けてBioWareがまたラッシュでDragon Age 3を開発させられるとか、やめて欲しい。
 SWTORについては当初課金ユーザーが百万人までは報じられたが、その後なんの音沙汰もない。
 MMOの課金メンバーについては、そもそもイニシャル・ユーザーから増えることはありえないという説もあるけどね。どうなるんでしょうかね。

 あとは、Skyrimの次のパッチが出るとか?

 Kingdom of Amalurのデモは日本では遊べない? まあいいけど。どうせ本体予約しちゃったし。Mass Effect 3との相互アイテムとか別にいらんし。
 だけど本体までOriginのせいで遊べなかったりして(笑)。あっはっは。

 Mass Effect 3の英語版が遊べなかったらちょっと笑えないけどな。Originでも買えるからそれはないか。

 またむしょうに腹が立ってくるから、やめよう。

  

【Skyrim】くどい話(2)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルーではございません、今回は。 

 東京は雪模様。
 スカイリムで見飽きたし(笑)。

 今回の「くどい話」は、サイラスがエルダー・スクロールについて書いたものではなく、「私の」くどい話だ。

 でもエルダー・スクロール関係だ。それから祝日本語版化でDragon Age 2も絡めちゃう。えーと、あとFFXIII-2もついでにいっとこ。

 入り口はいくつかありそうだが、丁度雪がらみなんで、ウェルズのSF小説「タイムマシン」から入ってみよう。

 ガイ・ピアース主演の映画"The Time Machine"(2002)をご覧になった方は大雑把な筋はおわかりになっているはずだが、実は(監督はウェルズのひ孫にあたるせいもあって)プロットは原作とかなり異なる。なにしろ舞台がいきなりロンドンからニュー・ヨーク・シティに置き換わっているし。
 1960年の最初の映画のほうは原作の筋を踏襲していたかどうか(おそらくそうだろうが)忘れてしまった。

 なので、ここでは小説(1895年)をリファーします。

 タイムマシンを発明した主人公(時間旅行者)は80万年後の未来へ旅立つ。おそらく最も有名なのはそこのくだりだろう。人類はまったく異なる二つの種族に分かれており、そこでは明らかに(優雅だが退廃的な)上流階級と(野蛮で暴力的な)労働者階級の分断という比喩が用いられている(詳しくは読んでみてください)。

 だが、私が(もちろん最初に日本語翻訳版で読んだとき)鮮明に覚えているのは、その野蛮な種族に一度は奪われたタイムマシンを奪還した主人公が、さらに未来へと旅をするごく短いくだりだ(この記事末尾に原文を掲載)。最終的に時間旅行者は30百万年の未来に到着する。そこでは地球の自転は緩やかとなり、太陽はおぼろげに霞み、闇と極寒が支配する土地では地球最後の生命が息絶えようとしている。

 一般的な解釈としては、ウェルズが生きた時代に対する「社会批判」の部分しか取り上げていない場合が多いので陳腐で物足りない。もちろん社会主義に傾倒していたと言われる作者にとって、(今日の格差・貧困問題にも通じる)階級問題は重要なテーマではあっただろうが、ではなぜ、さらに未来への旅を書き加えているのか。
 本質的には、人類社会滅亡、あるいは地球破滅への、真の闇への恐怖だったんではないだろうか。
 わざわざ原文を長々と掲載したのも、その中にある次の一文こそ、核心ではないかと思われたからだ。

"A horror of this great darkness came on me. "

 ようやくエルダー・スクロールの物語に触れることができる。

 エルダー・スクロールとは何か。The Elder Scrollsシリーズと呼ばれながら、実際に登場するのは、(スクロール自体はあまり重要ではない)Oblivionに続いてSkyrimが二回目のようだ。

20120107_00097
 エルダー・スクロールとは、この時の流れとは別の時からやってきたもの。この世界に決して存在しないもの、そして同時に常に存在するもの。創造のカケラ。

 だが、過去と未来の事柄が全て書き記されているという代物、ドラゴンに本当に理解できるわけでもないのです。

 別の時、とはこのタムリエルが存在する宇宙の創造者の時間。エルダー・スクロールはその創造者らが造り上げたという説もある。

 さて、「創造のカケラ」は本当は"fragments of creation"と複数形だ。The Elder Scrollsは複数存在する扱いなのだが、実は「全部でいくつなのか」は決してわからない。敢えて数え始めればその場所も数も変わるという。

 だがこのセリフは、Dragon Age 2のある登場人物の発言を想起させる。そう、フレメスそのお方である。

Screenshot20110327202622105
 こちらでは、自らのことを"a fragment cast adrifted from the whole"と言っていますね。「全体から遊離してただ流れに身を任せる欠片」だ。

 「全体」とはなんのことか、まだ我々にはわかりません。でも奇妙な符合はもうひとつある。

Screenshot20110327202614704
 "Must I be in only one place? "
 「ひとところにしか存在してはいけないのか?」
 
 んー、日本語版の訳がどうなっているのか見ていただきたいが、これ難しいな(笑)。
 つまり"be"がちゃんと訳せてない気がするからだろうけど。

 でも言いたいことは、エルダー・スクロールについてのパーサーナクスの理解(がその部分は正しいとして)と非常によく似ていること。
 "It does not exist, but it has always existed"、「存在はしていないが、これまで常に存在し続けてきた」、うひゃひゃ、これも真剣にやると難しい。

 まとめると、ふたつの類似点がありますね。まずフラグメント、「欠片」であること。それから、ユビキタス、時空を超えて「遍在」しているような話になっていること。厳密にはフレメスは時間までは超えていないのかな。非常に長生きではありそうだけど。

 「遍在」は説明するまでもないですね。ユビキタス(ubiquitous)自体がクリスチャニティーにおける神、あるいはジーザスのありようを意味する。一般には「世界は全知全能の神で満たされている」という遍在論、あるいは「世界そのものが神である」という汎神論。

 ところが、「多神教の神々は、一神教の神々の片鱗に過ぎない」という解釈(それ自体についてはここでは云々しない)までになると、ここで「片鱗」、なんと「欠片」が出てきます!

 本来一神教では、創造神がこの世界に存在するわけがない。創造者が創造物の中にいるなんて、そんなアホな。だから汎神論は無神論と同義だと批判された。
 Dragon Age の神(メイカー)は創造した世界に愛想をつかしてどこかに行っちゃった「不在の神」だ。The Elder Scrollsの神々(ディヴァインズ)は、世界創造の際にそこから「逃げそびれた」、「閉じ込めれてしまった」、「自発的に残った」創造者たち(Aedra)であるという解釈があるそうだ。これはとっても面白い。でもやっぱり創造主は創造物の中には本来いないという発想でしょう。

 この「欠片」って一体なんだろう、ふたつのRPG(の書き手が)もし何か根底に通じる共通意識があるなら、それはクリスチャニティー特有のものであろうか。とても興味をそそられるのです。エルダー・スクロールだけであれば、いかなる意味を持つものか、なんとか説明しようとすればできるんだが・・・。フレメスについて何もはっきりしていないし、まだ生煮えの説なんでやめとこう。

 さて、ウェルズの話と繋がんないな・・・。あ、そうだFFXIII-2。

 あれもまた「未来」についてのお話であった。必然的にタイム・トラベルものでもある。そして色々な時代に登場するパドラなる巫女の娘がいる。それぞれのパドラの人格は別々なので、厳密には「遍在」してはいないようだが、逆に言えば、それぞれがパドラの「片鱗」、「欠片」とみなすことができる。おっと、うまくはまったな。

 ところが、そういう類似点がありながら、FFXIII-2で描かれているあの破滅的な未来は残念なことにひとつも恐ろしくない。またその未来からやってきた人類最後の生き残りという少年は、あくまでそこらのあんちゃんであって、さっぱり切実さが感じられない。

 ここまで来るともはや書き手の筆力、と言い切って思考停止する向きもあるかもしれないが、私は違った見方をしている。

 この2011年に登場した和洋RPGにみられる物語背景の奇妙な符合は、とても偶然の一致とは思えないのだ。つまり、みな否応なしに同じ世界を見せつけられているのだろう。どんだけ「嫌な」世界か、こんなところでもういちいち言わなくていいよね。

 あくまでRPGであるから、物語はこの世の破滅と、その破滅の危機から救う英雄譚であるのは当然だし、どの時代でも同じなのではないか。

 そうかもしれないが、そうではないかもしれない。ひとつひとつ説明すると長くなるのでやめとくが、例えばウルティマなど過去の時代を彩ってきたRPGと、これらの作品は明らかに違う。少なくともThe Elder ScrollsやDragon Ageには、ウェルズが書いたような本当の闇の恐怖と似た、エルダー・スクロールがもたらす狂気、フレメスの諦観、つまりは「どうしようもない、避けられない、永久に理解できない世界」というテーマがあるように感じられるのだ。

 そして残念ながら、また当然ながら、そのような真の恐怖などは、FFXIII-2にはまったく感じられない。 
 書き手個々の話などではなく(FFXIII-2の物語の細部はとてもいいところがあるよ)、日本人、日本文化からは決して出てこない種類の物語ではないか、というのがとりあえずのまとめです。なにしろ「くどい話」だから。

**********

So I travelled, stopping ever and again, in great strides of a thousand years or more, drawn on by the mystery of the earth's fate, watching with a strange fascination the sun grow larger and duller in the westward sky, and the life of the old earth ebb away. At last, more than thirty million years hence, the huge red-hot dome of the sun had come to obscure nearly a tenth part of the darkling heavens. Then I stopped once more, for the crawling multitude of crabs had disappeared, and the red beach, save for its livid green liverworts and lichens, seemed lifeless. And now it was flecked with white. A bitter cold assailed me. Rare white flakes ever and again came eddying down. To the north-eastward, the glare of snow lay under the starlight of the sable sky and I could see an undulating crest of hillocks pinkish white. There were fringes of ice along the sea margin, with drifting masses further out; but the main expanse of that salt ocean, all bloody under the eternal sunset, was still unfrozen.

I looked about me to see if any traces of animal life remained. A certain indefinable apprehension still kept me in the saddle of the machine. But I saw nothing moving, in earth or sky or sea. The green slime on the rocks alone testified that life was not extinct. A shallow sandbank had appeared in the sea and the water had receded from the beach. I fancied I saw some black object flopping about upon this bank, but it became motionless as I looked at it, and I judged that my eye had been deceived, and that the black object was merely a rock. The stars in the sky were intensely bright and seemed to me to twinkle very little.

Suddenly I noticed that the circular westward outline of the sun had changed; that a concavity, a bay, had appeared in the curve. I saw this grow larger. For a minute perhaps I stared aghast at this blackness that was creeping over the day, and then I realized that an eclipse was beginning. Either the moon or the planet Mercury was passing across the sun's disk. Naturally, at first I took it to be the moon, but there is much to incline me to believe that what I really saw was the transit of an inner planet passing very near to the earth.

The darkness grew apace; a cold wind began to blow in freshening gusts from the east, and the showering white flakes in the air increased in number. From the edge of the sea came a ripple and whisper. Beyond these lifeless sounds the world was silent. Silent? It would be hard to convey the stillness of it. All the sounds of man, the bleating of sheep, the cries of birds, the hum of insects, the stir that makes the background of our lives - all that was over. As the darkness thickened, the eddying flakes grew more abundant, dancing before my eyes; and the cold of the air more intense. At last, one by one, swiftly, one after the other, the white peaks of the distant hills vanished into blackness. The breeze rose to a moaning wind. I saw the black central shadow of the eclipse sweeping towards me. In another moment the pale stars alone were visible. All else was rayless obscurity. The sky was absolutely black.

A horror of this great darkness came on me. The cold, that smote to my marrow, and the pain I felt in breathing, overcame me. I shivered, and a deadly nausea seized me. Then like a red-hot bow in the sky appeared the edge of the sun. I got off the machine to recover myself. I felt giddy and incapable of facing the return journey. As I stood sick and confused I saw again the moving thing upon the shoal - there was no mistake now that it was a moving thing - against the red water of the sea. It was a round thing, the size of a football perhaps, or, it may be, bigger, and tentacles trailed down from it; it seemed black against the weltering blood-red water, and it was hopping fitfully about. Then I felt I was fainting. But a terrible dread of lying helpless in that remote and awful twilight sustained me while I clambered upon the saddle.

2012年1月19日 (木)

【Skyrim】くどい話

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 ついにレベル50。そしてメインクエストもどうやらエンディングまで一直線のポイントに差し掛かったみたいだ。

 エンチャントメント100点達成が苦行と化している。90点まではトレーナーでなんとかなるがその先。もちろんソウルジェムなど数え切れないくらい在庫があるので、大量に装備や素材を用意して一日中やっていればいつか達成できるだろう。問題は「それやるの?」だけど・・・。スカイリムの通貨量を考えると、できあがった代物の山は誰も買い取ってくれそうにないんだよね。

  「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】くどい話" »

【Skyrim】戦いはいつの世も変わらない(2)。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 Skyrimにまったく触れることができない日が増えてくると、自分が中毒状態であることがわかる。 
 こういう記事を書いていると、「そういえば、あれ(あの人)はその後どうなったんだろう」とか疑問がいくつも出てくる。例えばあのヤールのその後とか。

 とある女性と話をしていたら、「正月はドラクエを延々とプレイした、それしかしていなかった」と告白された。「こっちだってSkyrimしかやってなかったよ」と言っても悲しいかな通じない。世の中ではその程度の認知度である。通じないんでFFXIII-2をプレイしていたことにした。魂を売り渡した瞬間かもしれない。
 なんで「ドラクエIII」だけは他のマシンに移植されないのかと怒っていたが、事実そうなのかな。なんでなんだろうね。つか申し訳ないが、そんな話題もカンペキ上の空であった。
 「ドラクエ」をやり直すなんてことは、これからもたぶん一生ないだろう。もう違う世界を知ってしまった私。あの頃には帰れない。ノードではないが人生は短い。明日どうなるか誰にもわからない。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】戦いはいつの世も変わらない(2)。" »

2012年1月17日 (火)

【Skyrim】戦いはいつの世も変わらない。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 ようやく手に入る全て(のはず)のおうちを入手した。
 ソリチュードの邸宅のあまりの価額の高さにびびって、しこしこ貯金を進めていたが、他はぜんぜん安いんだね。
 それも自由だし(全部入手する必要があるかといわれると、あんましないかも)、セインになるかどうかも自由だ。ハウスカールが漏れなくついてきてしまうが、基本みな能力は一緒なはずなんでとっかえひっかえ連れ歩く必要もあんましないかもしれない。例の面倒くさいインヴェントリーのバグもあるしね。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】戦いはいつの世も変わらない。" »

【Skyrim】シヴィル・ウォー(2)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 このドラゴンボーンはウォーリアーですから、スミシング、ツーハンデド、へヴィーアーマーくらいはスキル100点になりましたが、他のはやたらきつい。個人的には、後はエンチャントメント100点が欲しいのだが、途中まで何の計画も持たずに進んでしまったので75点くらい。これからかなり大変かも。
 100点になってしまったのでグレートソードは一旦置いて、ドラゴンベインとブレイドの鎧を中心に使ってワンハンデド、ブロックなどを鍛えようとしている。今気がついたが、良く考えたらライトアーマーも使えばよかったのか。

「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】シヴィル・ウォー(2)" »

2012年1月16日 (月)

【Skyrim】シヴィル・ウォー

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 もはやゲームといえば年明けからSkyrimしかやってませんので、他の話題はありませんっ。
 150時間経過、レベル45あたり。そろそろ手仕舞いを考えないといけないと思いつつ、何の気なしに受けてしまったアカデミーの依頼から長大なプロットが始まってしまった。
 長らく付き合ってきた二頭目の愛馬もなし崩し的に巻き込まれ、そこで喪った。弔い合戦としてもその戦いをやめるわけにはいかない。

 ほんとは、自分なりにあるポイントに達したら強制的にエンディングを迎えるべきキャップをはめていたのです(Skyrimのキャラクターレベル自体に人工的なキャップはないと思っていたが、調べるとあるそうだ)。プレイ時間150時間、あるいはレベル50がその線かなあと思っていた。
 ちなみにFallout: New Vegasの一人目主人公のプレイ時に決めていたキャップは100時間であった(キャラクターレベルは人工的なキャップに達していた)。そちらはなんとか実現できた。
 Skyrimの場合、「150時間で一旦エンディング」はすでに不可能命題となりました。

「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】シヴィル・ウォー" »

2012年1月15日 (日)

【ME3】もう腹を立てるのにも疲れた。

  PC版Mass Effect 3をプレイするにはOriginが必要だそうです。デジタル版に限らず。

 http://pc.ign.com/articles/121/1216562p1.html

 オリジナルと間をあけずに日本語版が出る(それ自体はめでたい)おかげで、英語版PC版がまともにプレイできなくなる危機が。

 私はAmazon.comでコレクターズ版を予約してしまっている。

 あの日本語版Originのことだから、きっとわけわからん事態を引き起こしてくれるだろう。いまから怒っておこうとしても、もう脱力してしまってその気力もない。

 洋ゲーの商業日本語化が進むのは大賛成だし、それ自体は万々歳だ。誰も知らないものを褒めちぎったり知ったかぶりしたって面白くない。
 

 洋ドラや洋画と比較すると、ローカライゼーション・コストの面で絶望的に不利なのは承知のうえで、翻訳レベルはせめて洋ドラ並みにはなってほしいと思っているからだ。そんなものは言い出した次の日からできるわけじゃないし、コストを考えればこそメジャーなタイトルが率先してやってほしい。

 意味不明どころか、意味性が壊滅している「日本語マニュアル付英語版」なる表現が死滅したら私は祝杯をあげるつもりだ。ただしPC版ゲームが死滅するのは勘弁。

 だが、わがままだと言われても、英語版PC版は「聖域」としてほおっておいてほしい。コンソール版とかいくらでも何でも好き勝手にやっていいから。

 もちろん私は、EAと同じくらい、Steamが嫌いだ。Steamのおかげで、ほかの海外デジタルサイトでは除外されている日本での購入が認められているソフトがあるとしても、嫌いだ。そもそも自分で作ったものでもないゲームを「管理」している姿勢自体が傲慢だからだ。自分で作ったゲームだから「どう取り扱ってもいい」と考えるEAと同じくらい傲慢だ。
 Steamのニューウェルが言うように、ソニーやMSが管理していないPCゲームの世界では、誰かが声をあげなければこれからの(例えば技術的標準を定めることなどによる)進歩はない、というのも一理あるとは思うが、実際にはそんな「善意」とか「全体善」に衝き動かされているだけでもないはずだ。
 しかもその先導役をやるのがなぜニューウェルなのか、と問われた場合にどうやって正統性を証明できるのかについてもかなり怪しい。

 IGNが「ファイナルファンタジーのビギナー」に贈るガイドなるものを掲載していた。

 http://games.ign.com/articles/121/1216483p1.html 

 内容自体は、簡単すぎてちょっとガイドとして成立していないかもしれない。ただ、日本特有の異質な文化、西洋とのカルチャラル・ギャップにふれているところが面白い。その部分の原文は本記事末尾に引用したとおりだが、サトルティーズ(subtleties)は、subtleties of feelingというように「感情の機微」のことだ。もちろんこうしてたった一語でも翻訳している時点で原語の意味性から何かが失われ、余計な何かが付着していることに注意して欲しいけど。

「(ファイナル・ファンタジー・シリーズに登場する)キャラクターの固有のしぐさ、癖やセリフなどに見られる感情の機微(の表現)には、(西洋から見た場合の日本との)文化的違いが反映されている」
 (なお、マンネリズム(mannerisms)の本来の意味は、上でいうような固有のしぐさとか癖のことだ)  

 そんなこと言ったって、大方のアメリカ人ゲーマーが日本人の固有のしぐさとか癖に触れるのなんて「ファイナル・ファンタジー」くらいでしかないだろう。一方こっちは欧米のそうしたゼスチャーなんか、洋画、洋ドラを見て死ぬほど付き合ってきてるんだ。一緒にするな。 

 洋風に死ぬほどつきあってきたはずのFFの作り手たちだって(概ね日本人だが)欧米の発想をこれでもかというくらい導入しているつもりで、欧米人の目から見たら完璧にエキゾチックな「異質な」ものを作り出している。エキゾチック(exotic)とはもちろん、異国の、外来のものという意味がはじまりだった。
 

 そもそもFFはキャラの名前がみんな和製英語風。Dragon Age 2の主人公はホーク(Hawke)である、と発表された時点で「FFみたいな名前つけんな!」と怒っていたガイジンがいた。そんくらい和製ゲームの和製英語風表現は(良くも悪くも)定着してしまっている。 

 一方でMass Effectなどに登場する日本風の表現はやはり「不気味」だ。Skyrimなどでサムライ風の鎧、カタナが洋ゲーに登場した瞬間に、見慣れているはずの日本人の目から見ても「エキゾチックな」ものに見える。
 さすがに最近では中華風と和風が混同されるようなことは少なくなったので、それはいいんだけど。

 そんな誰でもわかるような目に見える違いではなく、感情の機微というのだから、例えばパーティー・メンバーやフォロワーに対する見方の違いを言うべきかも知れない。
 FFXIIIのヴァニラは、「ヴァニラ」どころか日本人から見たって少し落ち着きがなくて面倒くさい子に見える。それがガイジンには「うるさくてかなわない、どうしようもないやつ」に見えるらしい。声優の違いもあるだろうが、あちらの声優の演技ではとても伝わらないことを伝えようとしていたと考えたらどうだろう。あんな立ち居振る舞いをする人は欧米にはいない・・・、んー、レディ・ガガくらい? (だいたいあんな子って日本にだって本当にいるのか?)。
 FFXIII-2の主人公ふたりの振る舞いは「いかにも日本人風」(つまり良くも悪くも控えめ、受動的、抑制的)な面が強いので、彼女らがどう受け取られるのか、今から楽しみである。もちろんあのエンディングには非難ごうごうになるだろうけど。

 Skyrimのフォロワーであるリディアがどうしたこうした、などと私も騒いでいるが、あれは要するにただのボディーガードであるから、本当は影のような存在で、ことさらなぞる対象とは考えられていないのかもしれない。ついに三人めの女性ハウスカールも同じキャラクター・モデルの流用だったのでそう思い初めている(性格づけはほんの少しずつ違う)。

 Mass Effectのジョーカーは日本人には受けが悪いらしいが、本場では大人気だし、ノルマンディ号のヨーマン・ケリーだってそうだ。「機微に触れる」部分はかなり違う。Dragon Age 2に登場する主人公の兄弟姉妹の扱いも明らかに違いがある気がするがどうだろう。

 違いを悟るということは、異質なものを無害化して取り込もうとすることであるともいえる。ゲームがアートとは言わないが、少なくともそこに進歩があるとすれば、それは「管理」から生まれるんじゃなくて、「感化」から生まれるはずだ。 

 「アニメチックな表現が許せない、ニンジャ・ガイデン風なバトルなぞくそくらえ」(ガイジン)
 「Dragon AgeやSkyrimでは主人公が私の気に入る顔にならないからダメ」 (日本人)

 私は、そんなレベルでゲームを語る連中が死滅することを祈っている。そういう発想は無理解というだけじゃなく、排除の発想、危険だからだ。無理解というのは違うのではないか。排除は実は対象への理解から生まれたというフーコーの説もあるが、底は通じています。 

 FFは25周年だそうだ。RPG自体だって生まれてから40年くらいたってるんではないか。

 そろそろまた違う展開があってもいいと思う。日本と欧米で足を引っ張り合いつつ、感化しあえばそうなるんじゃないかな。そのためにも、せめてあちらで著名なゲームの日本語ローカライゼーションはぜひとも必要だと思います。 

 英語できる日本人なんて(腐るほどいるんで)もうこれ以上ぜんぜんいらんけど、すごいゲームを作れる日本人(ほとんどいない)が生まれることを切に待望しているから。   

********** 

East vs. West

If you know western RPGs like Fallout, Mass Effect, and Elder Scrolls, you might be surprised at how different Final Fantasy feels compared to its western counterparts. Most of this comes from the obvious cultural gap between Japanese developers creating a product that reaches a non-Japanese audience. Subtleties, such as character mannerisms and dialogue, reflect actual cultural differences. A hero, for example, might gesture and emote in ways that feel unusual for a gamer outside of Japan.

あれ? Kingdoms of AmalurってBioWare関係あったの?

 Kingdoms of Amalur: Reckoning のデモ。これ自体はめでたい。現地1月17日にリリースされる。Skyrimどうすんだよ!っていう個人的な問題はあるが。

 MMOとして開発されていたワールドを流用したのが吉と出るか凶と出るか。でも箸にも棒にもかからんのではないかと思われていた初期版に比べて最近の映像を見ると格段によくなっているみたい。ただ、あまりにもMMOテイストなのがどうかなあ。

 しかもデジタル版だと、これOriginから買わないといけないのか。ちゃんとしてんのか、Origin。少なくとも日本語のOriginには影も形もない。

 EAがパブリッシャーてのは知っているけど、でもこれがどうしてBioWareの公式ホームで報じられているの? 

 ははあん、Mass Effect 3とのタイアップなのだ。KoARのデモをプレイすればME3の、ME3のデモをプレイすればKoARの、それぞれゲーム内アイテムがアンロックされるってことかあ。

 http://www.gamespot.com/showcases/reckoning?sid=6348533

 言われなくてもどっちもやるけど。なんか小ざかしいなあ。(ただしME3のデモはまだリリース日が公表されていない)

 まあ、コスチュームのDLCで商売してるFFXIII-2よか、ましかな。

**********

Kingdoms of Amalur: Reckoning demo

The massive world of Amalur will finally break open when Electronic Arts Inc. and 38 Studios, LLC release a demo for Kingdoms of Amalur: Reckoning™ on January 17, 2012. Available for Xbox 360®, and PC, the demo will give players a taste of the rich, diverse, action-packed world of Amalur, and will also unlock special Mass Effect 3 items in the final game.

38 Studios want to reward fans of both Reckoning and Mass Effect 3. By playing the upcoming demos for both Reckoning and Mass Effect 3, gamers will receive special in-game items, including Mass Effect inspired, Omni-blade daggers in Reckoning and special Reckoning-themed armor and assault rifle in Mass Effect 3 designed by award-winning artist Todd McFarlane.

2012年1月14日 (土)

【Skyrim】勘定に入れません。(7)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 読んだ本314冊(その後335冊まで増えた)。多いのか少ないのか。公式ガイドブックによると、スペルブックを除いて、リストにはざっくり300冊くらいある。すると本当にレアなものを除いて世の中にあるものはあらかた読んでしまったのかもしれない。
 

 読んだといっても、もちろんほとんどはクリックしただけ。でも中身によってはじっくり読んでしまうものもある。Dragon AgeとかMass Effectなどをプレイしていると一刻も早く先を見たいので、面白そうなCodexはとりあえず画像に撮っちゃって後から読むことにするとか、そのうち奇特な人たちがスクリプトをWikiにそのまま掲載するのでそっちを読むとかしていた。
 

 Skyrimのプレイでは先を急ぐこと自体に意味がない。よって内容によっては読みふけっちゃうことがある。プレイ時間が異様にかかっている理由の一部にはそれもある。もちろん一番の要因はインヴェントリ・マネジメント問題だと思う。

 そこで気になること。日本語版は知らないけど、英語版の字体があんましよろしくない。

20111210_00008
 好みの問題というよりは、これとっても読みにくい。小さな画面でプレイしてもちゃんと読めるようにでかい字になってんでしょうから、そこはつっこまないけど。

20120107_00017
 筆記体(厳密にはもちろんそうではありませんが)は逆に読みやすい。つまり上の印字体だと、一行が短すぎんのよ。単語四つとかで終わる行とかあるし。読みにくいのは多分そのせいだ。
 Skyrimのメモや手紙が全部同じ筆跡であるとか、そういうつっこみもしない。ただし昔のCRPGにはそんなところまで凝って書体を細かく違えていたものもありましたね。 

 そして、今取り組んでいるのは、ウルフ・クイーンやダンス・イン・ファイアなど何巻かあるものを全巻集める作業。ソリチュードの立派な書棚に飾りたいね。ホワイトランの書棚はなんだかもう一杯になっちゃったよ。

 そこら中でよく見かけるから簡単に集まるかと思ったが、実はSkyrimの世界にたった一冊しか存在しないらしい巻がある。あんましまじめに調べると興を殺ぐので、そのことだけを確認し、あとは成り行きに任せようと思っている。出てきたらめっけもの。

 そんなことばかりしてるから、なかなか先には進まない。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(7)" »

【Skyrim】勘定に入れません。(6)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。 

 発売前のドラゴン登場のトレーラーなどを見たときに、Skyrimのドラゴン戦ってきっとクライマックス・バトルなんだろうなーと思っていました。
 まさかまさか、プレイスルーで「とりあえず出会ったドラゴンを倒して・・・」などと書くことになるとは思いもしていなかった。
 
 骨と鱗はそれぞれ最大100個近く集まりました。スミシング100点になった時点でドラゴンの鎧を作り始めたので今は在庫は減ってはいる。でもやろうと思えば目ぼしいフォロワー全員にドラゴンの鎧が行き渡っちゃうんじゃないのかな・・・。
 それもなんだかつまらんねぇ。始終主人公たちのケツばかり見ざるを得ないこのゲーム、後ろから見るとあんまし粋なデザインともいえないしね。

 個人的にはエボニーの鎧がデザインとしてはお気に入り。でもヘルメットがフルフェイスなんだよな。できれば目だけでも見せて欲しかったかな。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(6)" »

2012年1月13日 (金)

【Skyrim】勘定に入れません。(5)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 本文にも書いてましたが、デイドリック・クエストばかりやっている感じがする。
 メイン・クエスト、シヴィル・ウォー、あるいはコンパニオンとかアカデミーなどのファクション・クエストをなかなか進めないから結果的に残りを掴んでいるのだろう。

 おかげさまで、The Elder Scrollsに登場するデイドラの神々(ディーアティーズ、the dieties、あるいはパンテオン、the Pantheonとも)には妙に詳しくなってしまった。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(5)" »

【Skyrim】勘定に入れません。(4)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 レベル40あたりからレベルアップが急激に遅くなる感じがします。そろそろメイン・クエストやファクション・クエストをやらんとダメかなと思ったけど、ためしにコンパニオン・クエストを進めてみたがあまり効果はなかったようだ。
 経験値入手がサチュった(saturateした)かな?
 プレイ時間は140時間・・・。 

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(4)" »

2012年1月12日 (木)

【Skyrim】勘定に入れません。(3)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 やっと初のスキル100到達。スミシーでした。ツー・ハンデドももうすぐ到達。さっそくドラゴンの鎧をへヴィーとライト、それぞれ一着ずつ作って最高水準まで鍛えてみましたが、骨と鱗めっちゃ余った。フォロワー用にさらに大量生産するってことか?
 あんなに必死に集める必要は、もしかして最初からなかったのか?
 

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(3)" »

2012年1月11日 (水)

【Skyrim】このバグは辛い・・・(二件)。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 プレイのほうはレベル40到達。どうやら第二章が終わったようだ。
 実際あせったんですけど。流れに任せていたら、知らないうちにメインクエストをクリアしちゃったのかなあとか。

 まだまだ続くらしい。
 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】このバグは辛い・・・(二件)。" »

2012年1月 9日 (月)

【Skyrim】勘定に入れません。(2)

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 ゲーム内経過時間175日、睡眠及び待機時間370時間。

 一日二時間しか寝ていない。ゲーム開始すぐくらいにコンパニオンになってしまったので、ベッドでぐっすり寝るモチベーションがずっとなくなってしまったのだ・・・。

 よせばいいのに(おそらく意味はないのに)ドラゴンの骨や鱗をひとつ残らずホワイトランに集めることを自分に課しているので、その分もかなり時間がかかる。
 それから荷物整理の手間隙はそんじょそこらのMMOなど比較にならないくらいかかる。だがIGNのレヴュアーも書いていたが、誰に見せるわけでもないのに、なぜかきちんと整理整頓したくなるんですよね。リアルではそんな心がけは欠片もないのに。
 
 

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。(2)" »

【Skyrim】勘定に入れません。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 クイックセーヴじゃない、正規のセーヴ回数は200回を越えました。これでも自分のペースとしてはいつもより少ないないほうだと思うのだが。
 
 

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】勘定に入れません。" »

2012年1月 8日 (日)

【Skyrim】入れない。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 レベル35、プレイ時間はついに100時間を越えました。
 いつ終わるのか皆目見当もつきません。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】入れない。" »

2012年1月 7日 (土)

【Skyrim】住宅情報

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 どうしてデイドリック・クエストばかりひくのか、ようやくその理由がわかりました。

 「続きを読む」の下。

・ 

続きを読む "【Skyrim】住宅情報" »

2012年1月 6日 (金)

【Skyrim】Radiant A.I.

 自分でもかなり気になっていたネタであり、コメントもいただいたので、Skyrimにも用いられているRadiant A.I.に関するWikiaを直訳してみよう。

http://elderscrolls.wikia.com/wiki/Radiant_A.I

 んー、英語自体がなんだかイマイチなんで超訳しますね。

 Radiant A.I. は、プレイヤーのアクションに対して、SkyrimのNPCとゲーム・ワールドが動的なリアクションを実行する仕組みである。

 Radiant A.I. は、プレイヤーがより個人的で予期せぬ経験をできるようにするため、プレイヤーの過去のアクションと経験に対応する形でワールドを形成する。例えば、Radiant A.I.はプレイヤーがまだ発見していない場所にクエスト目標を設定することに用いられたりするが、そうした場所に敵を配置する際には、プレイヤーの能力、プレイヤーの過去にとったアクションに基づくNPCの詳細なリアクションや行動様式などに基づいて決定されるようになっている。

 Radiant A.I. テクノロジーについては、前作Oblivionでも限定的にではあるが用いられており、Fallout 3やFallout: New Vegasにも拡張して用いられている。Bethesdaの開発者らはそれらの経験に基づいてSkyrimに最大限に拡張して用いることにした。
 だが制約はある。プレイヤーが、プレイヤーキャラクターの種族やクラス(Skyrimの場合はストロング・スキル)、あるいはバースサインによって実行できない事柄については、依然として実行できない。

 なんだか、元の文章があんましうまい説明じゃなかったですね。 

 上で言っている説明は、このブログでもプレイスルーを書いたクエスト"A Night to Remember"などの場合では、基本登場人物のステータス(居場所、主人公との関係、生死など)が原型パターンと変わってしまっている場合など、別な人物で代替したり、居場所を変えたり、プロットをバイパスしたり、色々な変化を行うことで破綻せずにクエストを進める、みたいな意味でしょう。これはRadiant Story Systemのことで、ここで触れたいテクノロジーのごく一部ですね。まあ、それもそれでなかなかおつなものなのでしょうけど。

 専門用語で言うのは難しいですが、Radiant A.I.の本質は、言い換えるならSkyrimのワールドの本質は、それぞれのNPC(犬も馬も、あるいはモブの動物も)のキャラクターづけ(自己の行動の目的や目標に基づくアクション、人間であれば自然に食べる、寝る、作業をする、職場まで行き来する、他のNPCと挨拶するなどのルーチン、身近な環境変化に対する特殊な反応などもちろん多岐にわたります)を細かく設定しておいて、あとは全部ただそのままワールドにぶんなげる。そこにあります。
 Skyrimにも当然不具合やバグがあって、不運にもそれらにぶちあたってお嘆きの方もいるでしょうが、実はこれが一番不具合フリーにしやすい手法なんでしょうね。

 私がまずSkyrim冒頭のドラゴン来襲で、「こいつは、はんぱねえなあ」と感じたのもそこです。もちろんひとりひとり動作をこと細かく書いてあるキャラクターもいる。プレイヤー・キャラクターにそこからの出口を指示する重要なNPCもそうですし、逃げ惑う子供と親なんかそうでしたね。

 でももう一回見てください。衛兵は皆対空戦の準備を始める、メイジは魔法を用意する、庶民はただ逃げ惑う、それが全部一斉に起きる。主人公(あなた)がどれだけ回り道するか、もたもたするか、何をやりだすのか、いつやるかはわからないのです(手首を縛ってあまり自由にさせないようにはなっている)。つまり主人公(あなた)の行動と彼等の行動はまったく関係ない。実際にもまったく関係ないですよね。各人各様に動く。もちろんあなたが誰かに体当たりすれば「おおい!」とか怒ってくるけど。

 それらを、あの場面用としてオーダーメイドで書いてしまったら、Skyrim全部でどんだけの作業になるかわからない。しかもつくりとしてドラゴンは(ある程度のルールはあるとはいえ)どこでもいつでも来襲する。NPCは来襲がどこで起きても同じように行動する。しなければ不自然です。
 「状況:ドラゴン」でNPCたち(くどいですが動物も全部)のアクションが指定されており、「平時」のアクションをオーヴァーライドする。なにもしないのは、主人公ドラゴーンボーンだけ。彼(彼女)だけはあなたが動かさなければ一切何もしない。(「状況」という表現は不適切かもしれない。「ドラゴン」というオブジェクトが主体となるNPCオブジェクトからみてある範囲内に存在する、それを「状況」と言っています。「平時」とは、「ドラゴン」に代表されるような、ルーチンをやめて別な行動を取れと命じるようななんのオブジェクトも周りにない状態)

 この世界に詳しい方は、すげえふつうのことを何を気張って書いているのだ、とお思いでしょうが、CRPGでは「すげえふつう」でもないんだけどね。例えアイデアは「すげえふつう」でも、少なくともSkyrimまでまともに実現した例はない。

 ドラゴンが倒されると、衛兵は近くまであまり寄ってこないことのほうが多い(平時のルーチンに戻る場合が多い)が、庶民はざわざわ集まってくる(とてもうっとうしい)。「近くに死んだドラゴンがいる(そういうオブジェクトがある)」でまた環境が変わったわけです(状況:ドラゴンの状況終了ですね)。それがどの時点で解消されるか付き合うほど暇じゃないのでわかりませんが。

 ちょっと興ざめなのは、野原などで遭遇したドラゴンとさっきまで一緒に闘っていたはずの野盗連中が、ドラゴンが倒された瞬間に(彼らにとって平時のルーチンに戻って)ドラゴンボーン(主人公)にいきなり歯向かってくることです・・・。あれは不自然かなあ。ドラゴンの鱗を取り合うためだから自然かなあ? 動物とかクモは馬鹿だからともかく、人間にはちょっとタメが欲しかったかな。

 
 PCに書簡を届けるだけがこのワールドでのお役目のはずのクーリエNPC(どこか見えないところで湧く、スポーンするんでしょうかね)が、ドラゴンボーンの殴り合いに歓声を送る、もそうですね。「近くで殴り合いが起きている」という環境変化(状況:ブロウル)が、「プレイヤー・キャラクターに書簡を届ける」アクションをオーヴァーライドして、「まず殴り合いの現場(そんなものは定義できないのでブロウルしているPCまたはNPC)の近くに集まってきて」、「野次馬として歓声を上げる」リアクションが与えられる(元々ほとんどの人間キャラクターに与えられているのでしょう)。

 もちろんやろうと思えば、「そういうリアクションを与えない」という芸当もできますね。酒場中みんなで大乱闘していても、気にせずずっと飯を食っているとか。 
 (Wikipediaによれば主人公が捨てたルートをNPCたちが奪いあうこともあるとか)

 犬のしぐさがかわいい、とか、知らないうちに熊とか狼とかが山の中で弱肉強食の戦いをしていたらしいとか、夕食どきにはメンバーは皆食卓についているとか、そういうのもそうでしょうけど、褒めるべきはとてもそんなレベルじゃないね。それらはあくまでルーチン。そういう食卓の場で誰かがダンスでも踊り始めたら、喝采するのか、犬は喜んじゃってまとわりつくのか、誰かうるさいと怒り出すのか、あるいはもうひとり出て来て二人で踊り出すとか、やろうと思えばなんでもできちゃう。

 
 もちろん、マルチ・プラットフォームとしての制約はあるのかもしれません。私はPCエリート主義者じゃありませんが、色々制約の緩いPCなら「事実上なんでもできてしまう」と思います。コンソール機では、さすがになんでもかんでもぶちこむわけにはいかないのでしょう。

 ごく自然なことをごく自然に見せるのが一番難しい。他のCRPGと比べればよくわかるかもしれません。残念ながらBioWareのCRPGも、見かけとつくりはTESシリーズに似せているThe Two Worldsも、The Witcherも、Fable IIIなどダイナミックさを標榜する他のCRPGも、Skyrimの域には全然達していません。もちろん私はCRPG全部が全部そこまでの必要があるわけじゃないという立場ですが、オープン・ワールドRPGを追求する競争に限れば、これはとりあえず勝負あったと言っていいのかな。

(FFXIII-2ではモーグリが特殊能力で隠されたルートを発見すると、周りのNPCが「すげー」とか言って一斉に駆け寄ってくるクポ。でもそれだけクポ。最初はおもしろがっていたけど何度も見せ付けられると興ざめクポー)

 でも個人的には犬はFable IIIのほうがかわいいと思うけどな。Skyrimの犬は吼えすぎだよ。Fable IIIの犬は必要あるときしか吼えないから。

 

【Skyrim】おんま追分

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 ようやくソリチュードに帰ってまいりました。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】おんま追分" »

【Skyrim】一度入ったら。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
 現在、レベル30到達。プレイ記事中の時点ではレベル20あたり。といってもこのゲームではどこまで進んだかを示すには何の足しにもならない。仕組み上ほとんど何を書いてもネタバレでしょう。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】一度入ったら。" »

【Skyrim】二転三転。

 The Elder Scrolls V: Skyrimの手なりプレイスルー。
  現在、レベル30到達。プレイ記事中の時点ではレベル20あたり。といってもこのゲームではどこまで進んだかを示すには何の足しにもならない。仕組み上ほとんど何を書いてもネタバレでしょう。

 「続きを読む」の下。

続きを読む "【Skyrim】二転三転。" »

2012年1月 3日 (火)

【Skyrim】予定は未定。

 FFXIII-2にもふんぎりがついて、ようやくSkyrimに復帰。

 どういう理由か知りませんが、ぜんぜん落ちなくなっている。画像撮影しても問題なくなった。以前はなんか余計なプログラムが走っていたせいなのかな。容疑者はWi-Fi通信ソフト。

 もう何週目かの人もいるんだろうな。こちら二人目以降のキャラもちょこっとやっているけど、ひとり目ノード・ウォーリアーはゲーム内タイマーで50時間。レベルなんて、まだようやく20そこそこのぺーぺーです。
 それなのにもうドラゴンを10匹も始末したとカウントされている。この先どんだけ出るんだ。

 だから、なーんも展望が開けていません。

 まず主要な拠点(Holds)にまだ全部行ってもいないし、おそらく旗幟鮮明にもしていないせいもあって、なかなか主要なお話が進展しないこともあるのでしょう。 

 でも一番の理由は、このシリーズ独特の「あれ、知らないうちにまた依頼が増えちまったよ!」というクエストの連鎖にはまってしまっているからでしょう。

 たいしたネタバレなどあるはずもありませんが、「続きを読む」の下。

 

続きを読む "【Skyrim】予定は未定。" »

2012年1月 2日 (月)

主語のない日本語のあいまいな私の日本

 ま、表題のネタは知ってる人だけ笑うなり、怒るなり、無視するなりすればいいっしょ。

 かくいう私も、このブログで「私」っていう言葉があまりに多いなと感じている。理由はネタが英語ゲームや記事の翻訳メインなので、「誰がそんなこと言ってんだよ!」と自分でつっこみながら書いているから。注意しないと話者が混乱してしまう。4Gamerとか読んでいるとイライラするのは、記者の意見が主題となっている話者の意見と区別がつかない書き方をすることが多いから。
「そんなことはモリニュー兄貴(でもニューウェルでもシド・マイヤー先生でもLBでもトッドでもムジカ博士でも誰でもいいが)は一言も言ってねえんだよ!」とかね。

 またしても奇妙な一致についてのお話。ここまで来ると気味が悪いというか、いや同時代性を考えればむしろ当然の話と思うべきなのか。

 「は」と「が」の話については、この記事とそれに続くいくつかの記事で書きました。あそこではハッキリ書かなかったかもしれません。「は」は主格を示すのではない、「が」が示すのだ、とは書いたけれども、「日本語には主語が無い」説が既に定説であることは書きそびれたかもしれない。

 Wired(主としてITに関連した分野を扱う雑誌及びサイト。ワイアードと読む)が誤訳かなんかして、任天堂の宮本茂氏がリタイヤ(引退)もしくはリザイン(辞任)するという「デマ」が飛び交ったという話はどっかで読んだ。IGNかな。これか。 

 http://wii.ign.com/articles/121/1214393p1.html

 日本人が「矢でも鉄砲でも持ってこい」とか「こっちからいつでも辞めてやる」とか「煮るなり焼くなりどうにでもしやがれ」とか言うのは、聞いてるほうが日本人なら、啖呵(たんか)を切ってるんだなあ、とわかる、笑うわけですが、ガイジンには通じないんですね。

 いみじくも名にし負う京都の日本を代表するマルタイ・ナショナル・カンパニー、大企業の任天堂の役員が「辞める」と口にしたら、それは「辞めてもいいと開き直ってる」とか「辞める覚悟でやっている」とかは普通のガイジンには受け取られませんよね。責任ある立場の者がそれを口にするってことは、ほんとうに辞めるときしかない、という発想だから。

 もちろん宮本氏は「地位や過去の名声などに恋々とするわけがない」という日本人特有の美徳、「無欲」、「潔さ」を表明しているだけなんですけどね。(下に出て来る記事で、さらにご自分の「老い」、そして「後継者育成」を言っていることもわかります)

 余談になるかもしれないが(この記事全部が余談ですが)、あちらには「捨て台詞」ってのが(まずほとんど)ない。喧嘩に負けたほうが「っきしょう、おぼえてやがれっ!」とか、「今日は勘弁しておくが、今度会ったらただじゃおかねえ!」とか喚きながら逃げるやつ。ではどうするか。大抵いつも「尻尾を巻いてすごすごと無言で立ち去る」です。DA2の酒場でイザベラにのされた子達のように。
 映画とか洋ドラ、ヴィデオ・ゲームで違う例があったらほんま教えて欲しい。 

 そして年が開けてから読んだ、この年末の産経新聞の記事。ここでひどい違和感に襲われたのだ。

 http://sankei.jp.msn.com/wired/news/111228/wir11122811160000-n1.htm

 この記事がその「誤報」をやらかしたWiredの元ネタらしい。インタヴューの当時(12月7日現地)、宮本氏はカリフォルニアにおられた。
 だが、その「誤報」の元となった部分がどうとは思わない。上に書いたようになぜ混乱したかは簡単に予想がつくから。

 そこじゃない。関連するところを引用してみよう。皆さんも「うひゃ」となるかもしれない。

********** 

 新しくて面白いことができるなら、そしてそれが社会的な話題になり、多くの人に広がるなら、私としてはどんなものでもいい。それが私の姿勢だ。もちろん、現在の状況はかなり違っている。多くの会社では、いまのトレンドは何か、人気があるのは何かを探しているだけだ。そうした体制では、マネージャーが開発者に、同じようなゲームに取り組むように要求している。 

**********

 まずゼッタイこんなことは話していないだろうと確信を持って言える部分が上だ。私なりに宮本氏がどんな感じで話したか書き直してみよう。

**********

 新しくて面白いことができるなら、そしてそれが社会的な話題になり、多くの人に広がるなら、どんなものでもいい。もちろん、現在の状況はかなり違っている。(以下は直すところが無いので略)

********** 

 こう話をしたはずだ。元の文章で「私の姿勢」とかあると、まるで「宮本氏が主張」しているみたいだが、NHKに出て来る高校生じゃないんだから「主張」なんかしているはずがない(あの高校生たちも「主張」なんか何ひとつしていないが)。

 最初の文章は「この世の中のあるべき姿、真実」を述べている。それは宮本氏が話そうが、誰が話そうが、たとえ誰も話さなくても一切変わらない、真(まこと)、理(ことわり)、宇宙を取り巻くフォースである。
 それに対して後半の文章は「ところが世の中は真理をなーんもわかっていない」だ。
 だから「主張」は、後半にあるのだ。「(あんたたちは)なんかてわかってへん」と。
 ここは任天堂にちなんで京都弁変換ソフトでやってみたが、合っているかどうか保証はない。仙台弁だどわがんだけどな。

 こういうのはやっかいだね。誤訳なんですよね。でもそう書きたい(訳したい)気持ちはわかる。
 いい加減、日本人はこういう話し方をするとガイジンには気がついて欲しいんだが、それ自体(そこをなんとかわかって欲しい)が日本人特有の態度だし、無理だよなあ・・・。
 日本人は「ベスト・キッド」(The Karate Kid)のミヤギのように話すんだけどな。

**********

 私にとっては、自分が何をしたいのかを正確に言うのは難しい。というのも、アイデアを完全に固めることができないと、どのメディアが適切なのか、どの規模が開発にふさわしいものになるのかを判断できないからだ。しかし、実はこれが選ぶべき正しい道なのだと私は思う。つまり、開発者がまず新しいアイデアを思いつく。その後、アイデアが固まったら、その新しいアイデアの観点から、このメディアが最適だとか、開発チームの規模はこれくらいだとかいうことを判断するべきなのだと思う。

**********

 上の部分は日本語としてはメチャクチャ(だから宮本氏がこんな話し方をするはずがない)ですけど、まあ意味は取り違えようがないかな。でも微妙に違うところがある。

**********

 自分が何をしたいのかを正確に言うことなんて難しくてできない。アイデアを完全に固めることができないと、どのメディアが適切なのか、どの規模が開発にふさわしいものになるのかを判断できないからだ。しかし、実はこれが選ぶべき正しい道だと思う。(後は省略)

**********

 またしても主語「私」を消すと良くわかる。最初の文章は「私にはできない」ではなく「誰にもできない」という一般的な話をしているはずだ。宮本氏はここまでずーっと、「主張」なんかじゃなく「真理」、それが言いすぎなら「ゲーム開発の現場のあり様、姿」について話をしている。日本人ならすごくナットクできるんじゃないですか?
 できない? 外国かぶれですか?

**********

 それと、私は今、年をとってきている。私は、開発チームの最前線から離れて、より広い視野から物事を見ることができる立場にある。以前よりも選択肢が多く、もっと自由にやれる立場にある。しかし実をいうと、アイデアはあるものの、このネットワーク・ゲームにはどれがうまくいくだろうとか、ソーシャルゲームにはどんな最終フォーマットが適しているといったことを具体的に話せる段階にはない。『うごくメモ帳』といったものについても、アイデアはあるが、それについて固まった考えはない。よし、これならそれぞれのアイデアが組み合わさって形になるぞという判断ができるまで、デジタルにいいとか、ダウンロードにふさわしいといったことは話さない。

**********

 ここでようやく、宮本氏はご自分の、自分自身のお話をはじめている。「年をとってきている」のはもちろん、宮本茂氏だ。ここの部分は「主張」とか「姿勢」といっていいでしょう。ここで大事なことは、「わからないことは喋らない」という部分でしょうか。

**********

 その後で、「年をとってきている」を掘り下げて来たWiredの記者に対して「私は以前から社内で、自分は引退するぞ、引退するぞと言ってきた。ただし、そう言い続けてきたのは、そう言わないと若い開発者を育てられないからだ」と述べている(らしい)。ここらへんが誤解されてしまったポイントです。Wiredの予告記事で変な風にサマられた(概説された)からでしょう。

 ここまでで、「日本人が日本語で話した内容をガイジンが記事にして、それをまた日本人(少なくとも日本語の話者)が日本語に翻訳して日本人(日本語の話者)が読んだときの違和感」についてはわかっていただけたのではないか。

 だいたいは「主語」を消せばわかる。でも上のように「主語」を消すと意味がぜんぜん違ってしまうこともあるので注意しなければならない。
 そんな誤解だけでは戦争にはならないと思うが、ガイジンたちの発想と極端に差があって、それが積み重なっていくと・・・。意外と戦争の本質はそんなことにあったりしたのかもしれない。

 それだけなら「なんだ普通の話じゃねえか」とか、おい待て帰るな。まだ続きがある。

 なんと、Wiredの別の翻訳記事の表題がこんなだ。

 「主語の無い」宮本茂氏の「ソクラテス的指導」

 みんな私を褒めるのよ!

 誓って、今までこの記事は読んでません。トラスト・ミー! 
 いやね、ネタをばらすと、最近ダウンタウン松本とテレビで宮本氏が対談していたのを観ていて、宮本氏は日本人としても「変わった話し方」をする人なんだなあ、と感じていたんです。その理由が、上に書いたように日本人としても極端に「主語がほとんどない、はっきりさせない」話し方だったんですね。一方の松本氏の話の大部分が「僕」、自分自身の話だったのでまたそれが際立ったんだ。だから対談はまったくかみ合っていなかったんですけど。

 英語も苦手なのに、さらにわけわからん翻訳記事はもっとイヤという人も多いでしょう。大丈夫。この記事は次の一文で要約できる。小泉氏という、宮本氏と共に仕事をしてきたチームの一員(スーマリ・ギャラクシーのディレクター)のご発言。

**********

 「宮本氏が書く文には主語がない」と小泉氏は一例を挙げる。「だから、文脈に頼るしかない。宮本氏から返事が来ても、その内容を理解できるのは私だけであり、CCでメッセージを受け取ったほかのみんなには、何の話をしているのかさっぱり分からないという事態になるほどだ」

**********

 小泉氏は、宮本氏が「デザイナーの創造性をかき立てるため、わざとあいまいな言葉を使っている」と推測している。

 このお話はこう考えるともっと面白いかもしれない。「わざとしてるんじゃなくて、もう止むに止まれずそうなってしまう」、「(真理を)必死に伝えようとすればするほど、わけわからない言葉になる」

 以前古いブログで内田樹氏のとても興味深い説をご紹介しました。、「私の持論」のほとんとが「他人の持論」であるというお話。人が断言的によどみなく力強く話すときは大抵は人様の話をそのままなぞっているだけ。自分の思っていることを人様からの借り物の言葉ではなく、自分の言葉ではじめて話すとき、大抵はわけのわからないどうしようもない文章になる、というもの。 

「純正オリジナル、出来立てほやほやの無垢の『私の意見』は、たいていの場合同じ話がぐるぐる循環し、前後は矛盾し、主語が途中から変わるような、『話している本人も自分が何を言っているのかよくわかっていない』ような困った文章になる」

 ま、このブログが長いだけで、支離滅裂なことの自己弁護でもあるんだけどね。

 立て板に水のように澱みなく、力強く美麗で流暢な言説
   =陳腐で中身なし。あるいは嘘八百の食わせ物。詐欺師や政治家の口上。

 支離滅裂、とっちらかってしっちゃかめっちゃか
   =なかなか面白い(こともたまにある)

 宮本茂氏が伝えたいことは、この世の中にはまだ存在していないんでしょう。言葉になんてできっこないんでしょう。そう考えると、上の話ともすべて繋がっていく。

2012年1月 1日 (日)

FFXIII-2も中二病。

 ネタバレは、ありっちゃありかな。ま、プレイする気もないから、読んじゃえって人も、読んで脱力したってこっちは責任取りません。

 「続きを読む」の下です。

 

続きを読む "FFXIII-2も中二病。" »

勁健

 あけ(略)。

 「なんだよ、FFXIII-2も中二病かよ」。

 新年早々というよりも、このネタから新環境移行するってのはちょっといくらなんでもないので旧ブログの最後に書こうかと思いましたが、もう暦も変わって面倒くさいのであちらは閉めました。
 FFXIII-2(のあまりに中二病なシナリオ)についてはいずれ何か書きたいと思います。一言だけ言っておくと、あんまり頭が悪くてビックリしました。

 正月早々、産経新聞の巻頭特集、リーダー待望論を読まされて泣きそうになりました。断っておきますが有料購読者です。だから何を言ってもいいというわけでもありませんが、購読料分(月2950円、夕刊廃止)、年始からぼやかせていただく。
 記事の冒頭が「『リーダー』という言葉を聞いてあなたは何を、誰を思い浮かべるだろうか」って、まずそこを定義しろよ!

 別の記事(オピニオン欄)では、「国のリーダーから小さな組織のリーダーまで、リーダーはどうあるべきか。どのように育つのか、ほんとうに必要なのか。様々な角度から切り込み、真のリーダー像を見つけたい」とあるが、どうして国のリーダーと小さな組織のそれを同列に論じられるのか、私にはとても不思議でしょうがない。

 まず総理大臣とか知事とイオンとかヨ-カドーの社長はぜんぜん違うし、イオンの社長や店長(一部系列を除くとほとんどが大規模店舗)と、街角の魚屋、八百屋ともぜんぜん違う。それらが皆「マネージャー」であるのは間違いないが、さらに「リーダー」である必要があるかどうかは置いておいても。

 こういう話はすぐに優劣の話と誤解する馬鹿がいるから書いておくが、これらの間は無関係、irrelevantなのだ。イオンの社長が街角の魚屋をうまく切り盛りできるかどうか、街角の八百屋の店主がヨーカドーの社長をうまくやっていけるかどうか、それは「やってみないとわからない」。 

 国のリーダーと小さな組織のそれを同列に論じるのは、中小あるいは零細の経営者・管理者である一部の読者に阿(おもね)っているだけなのか。そうとしか思えない。話題を国のリーダーに絞れば済む話だ。身近にひきつけないとリーダーシップ論がわからない人には、そもそもリーダーシップ論は必要ない。それこそ、とっても気楽で安穏で幸福な立場じゃないか。

 だがここで一番大事なのは、リーダーは「ほんとうに必要なのか」でしょう。「どのように育つのか」については私は答えがハッキリしています。育ちません。「生まれてくる」のです。逆に言えば「生まれてくる」、"born to be a leader"でなければ、リーダーではない。
 あたしゃ、自分の人生とか命とか、たかが「訓練された」リーダーなんかに決して委ねたくないよ。
 「どうあるべきか」については、既に上に書いたとおり、まずリーダー、リーダーシップを定義してくれ。その意味する範囲がどんだけ広いかをきちんと示してから話をはじめて欲しい。

 結局産経新聞の言いたいことは昨年の3月11日以降、日本(の政治)にはリーダーがいないことはハッキリした、ということらしいが、別に大震災前からいなかったわけで、今にはじまったことでもない。

 有識者のランキング(産経新聞のネット調査)では上位三人は坂本竜馬、織田信長、徳川家康。この結果自体がリーダーという意味の広さを表しているだけなんですね(産経新聞の選んだ有識者というところですでに結果に相当のバイアスがかかっているのは言うまでもない)。

 今これを書いている間にもガンガン地震で揺れましたが、年末には「絆」とか「なでしこ」とかいう言葉自体がもうダメ、と誰かが書いていた。まったく同感。そうやって手垢をつけて台無しにするのもいつもの話だ。「絆」と口にすれば、それで済んだことになるという自己欺瞞、思考停止用語になってしまったんだよなあ、と嘆いたところに新党「きずな」。

 リーダー不在? もう何をかいわんやでしょう。
 記事は総理大臣のことを言っている、そこに誘導しようとしているのでしょうけど、だいたい総理大臣なんて「不在」でいいんですよ。神様だってずっと「不在」なんだから。6年間で6人も総理が変わっていいのかって、いいに決まっているじゃないですか。総理大臣を辞めさせるのがあんなにも大変なことをもう忘れたのでしょうか。16年で16人でも20年で20人でもなんの問題もありません。
 戦争でもするなら別だが、そうでもなければ日替わり弁当で十分です。
 ひとりで何十年も居座る悪夢を考えればいい。

 産経新聞の大好きらしい二人の人気知事についても触れられている。オピニオン欄の記事から予想するに「強い」から好きなんだろう。言動が高圧的で「強い」し、敵が多いのに(むしろそれだから)鉄面皮なので「強い」。

 つまり産経新聞のこの記者(編集局長だそうだが)は、リーダーは「強い」もの、強くあるべきと、もう先に置いちゃっているのだ。確かに一面真理である。そうでないものは気楽で安穏としていていいわけだがリーダーはそうではいけないわけだから。だがそれが「強い」という表現でいいのかどうか、「強い」とはどういうことなのか、それは必要条件なのか、そこを説明してもらわないと、とても真に受ける気が起きない。

(個人的にはふたりとも嫌いではないし、「強い」かどうか知らないが、エキセントリックでなければ東京とか大阪で知事にはなれない時代なんでしょう。問題は「大都市の知事がエキセントリックでいいのか」でしょうけどね。ご本人たちは少なくとも今はそうでなくてはならないと言っている)

 もちろん、ただぼやくだけなら最初からこんなことは書きません。袖の中に別のものを隠しているから書きはじめているわけです。

 その新聞にドナルド・キーン氏の全集(新潮社)の広告も載っていました。ご本人の今の日本人へのエールが添えてある、
 キーン氏は90歳、卒寿であるが、震災を契機として日本人に帰化する決意をしたことをご存知の方も多いだろう。

 彼の文章の冒頭、川端康成氏がノーベル文学賞を受賞した際に、多くの日本人が「あまりに日本的過ぎてわかってないんじゃないの? ほんとに君ら(ガイジンたちは)わかって賞をくれてんの? お情けじゃないの?」みたいなことをのたまったとあって笑ってしまった。年末に書いた大澤真幸氏の論説、日本語の話者は西洋から輸入した抽象概念を決して理解しないように必死になっている、という話に、主客転倒はしているもののあまりに似ていたからだ。

(ノーベル文学賞については、英語に翻訳されていなければ審査の対象にすらならないという批判はあります。それは文学賞に限らないか。あと、大陸間での持ち回り批判もありますね。それから、文学賞と、実は経済学賞もそうだが厳密にはノーベル賞ではないんですね。それらを含めたノーベル賞と呼ばれている一群の賞の選考過程の不透明さへの批判はずっとあります)

 キーン氏は「日本的だからいい」という立場だ。

 彼がいう日本人のつよさは、彼自身が昭和20年に目撃した「日本的な勁(つよ)さ」だそうだ。そして「勁健(けいけん)なるみなさん」と、日本人へ訴えかける。

 「勁健」とはそのまま「強くすこやかであること。また、そのさま」です。音読み熟語ですが、別に西洋の外来語の翻訳ではないようだ。

 この表現はかつては武士(今では剣道でも)、あるいは日本の近代軍隊の兵士の様子、彼等を訓練する際などに用いられていたこともあるようですが、書の筆力を示すことにも用いられていたようです。軍事では勁弓、書では簡勁、雄勁などと用いられるとか。

 後漢書には「疾風に勁草を知る」とあって、はやい風が吹いて初めて強い草が見分けられるように、厳しい試練にあって初めて意志や節操の堅固な人間であることがわかる意味だそうです。(元は、逆境に追いつめられた殿様が、自分の周囲から人がどんどん離散していくことを嘆く、いわば負け惜しみなんでしょうけど)

 なぜこれに敏感に反応したかというと、(古いブログで)先に書いた、robustの日本語訳にあてはまるんじゃないか、と色めきたったわけです。

 Merriam-Websterの"robust"。いくつか意味はありますが関連する一項目だけ。

 a) having or exhibiting strength or vigorous health
  b) having or showing vigor, strengh, or firmness
  c) strongly formed or constructed: sturdy
  d) capable of performing without failiure under a wide range of conditions

 IT用語でいうロバスト、「堅牢」とはd)を言っています。
 c)は、sturdyに近い。なつかしの「ますらおのよろい」はたしかSturdy Plateだったかな。なんのゲームかは教えてあげない。ヒントは「カシナートの剣」が出るやつ。でも「ますらおの」はなんつうか誤訳というか超訳だなこれ・・・。「ますらお」はあくまで男(丈夫、じょうぶ、屈強な大男)だもんな。調べるとSturdy Staffはただの「かたいつえ」。

 ちなみに「カシナートの」(Blade Cusinart)はあちらの台所用品(すなわち家庭用の包丁)をもじっているのはあまりに有名な話かな?
 謎解き。お料理をアメリカ人はキュージーンとかクイジーン(cuisine、仏語)いうでしょ。綴りをcuisinartで調べるとほんとにあるお料理用品メーカーだ(今でもあるぞ)。英語読みはどうやら「クイジナート」なんだけど。
 日本でもじると「三徳のつるぎ」とか(三徳はブランド名ではなく種類だけど、私は包丁の有名ブランドを知らない。松居○代のつるぎ? 迫力ねえな)。

 robustの語源は「オークの木のつよさ、かたさ」

 いいんでないかい? RPGのブログ的にも着地点バッチリじゃないかい? 

 私のあてずっぽうの運試しも年始から「吉」ということですな(笑)。

 そしてもちろん、野の草花も、オークの木も、リーダーなんか指し示していないことはお気づきのとおりである。

**********

 同じ新聞で、曽野綾子がヴィデオゲームばっかりしている日本人、テレビの画面の中だけが現実と勘違いしていた日本人が震災で現実に引き戻された、贈り物だと考えたい、とか書いていたが、ヴィデオ・ゲームもしたことないばあさんが偉そうにいちいちうるさい。
 「絆」が思考停止用語になったと嘆いているところには共感したのだが、知らんことまで口出さないでよろしい。ヴィデオ・ゲームで遊んでいるガキどもはほんとうにそこまでバカなのか? 

(おばさんの理屈は、「日本人は孤立している、なぜならヴィデオ・ゲームでひとりで遊ぶ社会的合意ができててしまったからだ」なんだが、それは逆だろ。日本人は孤立している。それはすでに社会全体がそうなってしまったからだ(その説明は長いからここでは省くけど、やれっちゅうならいくらでもやるぜ)。もうヴィデオ・ゲームでもやってないと、とても正気が保てません(笑)。冗談はともかく、「ヴィデオ・ゲーム」云々、曲がりなりにも小説家がいうことじゃないと思う) 

 日本人のばあさんの(少なくとも一部は)ただ書き捨てているような言葉がヴィデオ・ゲームのヴァーチャル画像以上に空虚である(このばあさんはキリスト教徒だけどな)。極端に日本びいきだとはいえ、ガイジンのじいさんの言葉が日本人の心を打つ。

 だから世の中は面白い。

 

« 2011年11月 | トップページ | 2012年2月 »

2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31