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2012年1月 1日 (日)

勁健

 あけ(略)。

 「なんだよ、FFXIII-2も中二病かよ」。

 新年早々というよりも、このネタから新環境移行するってのはちょっといくらなんでもないので旧ブログの最後に書こうかと思いましたが、もう暦も変わって面倒くさいのであちらは閉めました。
 FFXIII-2(のあまりに中二病なシナリオ)についてはいずれ何か書きたいと思います。一言だけ言っておくと、あんまり頭が悪くてビックリしました。

 正月早々、産経新聞の巻頭特集、リーダー待望論を読まされて泣きそうになりました。断っておきますが有料購読者です。だから何を言ってもいいというわけでもありませんが、購読料分(月2950円、夕刊廃止)、年始からぼやかせていただく。
 記事の冒頭が「『リーダー』という言葉を聞いてあなたは何を、誰を思い浮かべるだろうか」って、まずそこを定義しろよ!

 別の記事(オピニオン欄)では、「国のリーダーから小さな組織のリーダーまで、リーダーはどうあるべきか。どのように育つのか、ほんとうに必要なのか。様々な角度から切り込み、真のリーダー像を見つけたい」とあるが、どうして国のリーダーと小さな組織のそれを同列に論じられるのか、私にはとても不思議でしょうがない。

 まず総理大臣とか知事とイオンとかヨ-カドーの社長はぜんぜん違うし、イオンの社長や店長(一部系列を除くとほとんどが大規模店舗)と、街角の魚屋、八百屋ともぜんぜん違う。それらが皆「マネージャー」であるのは間違いないが、さらに「リーダー」である必要があるかどうかは置いておいても。

 こういう話はすぐに優劣の話と誤解する馬鹿がいるから書いておくが、これらの間は無関係、irrelevantなのだ。イオンの社長が街角の魚屋をうまく切り盛りできるかどうか、街角の八百屋の店主がヨーカドーの社長をうまくやっていけるかどうか、それは「やってみないとわからない」。 

 国のリーダーと小さな組織のそれを同列に論じるのは、中小あるいは零細の経営者・管理者である一部の読者に阿(おもね)っているだけなのか。そうとしか思えない。話題を国のリーダーに絞れば済む話だ。身近にひきつけないとリーダーシップ論がわからない人には、そもそもリーダーシップ論は必要ない。それこそ、とっても気楽で安穏で幸福な立場じゃないか。

 だがここで一番大事なのは、リーダーは「ほんとうに必要なのか」でしょう。「どのように育つのか」については私は答えがハッキリしています。育ちません。「生まれてくる」のです。逆に言えば「生まれてくる」、"born to be a leader"でなければ、リーダーではない。
 あたしゃ、自分の人生とか命とか、たかが「訓練された」リーダーなんかに決して委ねたくないよ。
 「どうあるべきか」については、既に上に書いたとおり、まずリーダー、リーダーシップを定義してくれ。その意味する範囲がどんだけ広いかをきちんと示してから話をはじめて欲しい。

 結局産経新聞の言いたいことは昨年の3月11日以降、日本(の政治)にはリーダーがいないことはハッキリした、ということらしいが、別に大震災前からいなかったわけで、今にはじまったことでもない。

 有識者のランキング(産経新聞のネット調査)では上位三人は坂本竜馬、織田信長、徳川家康。この結果自体がリーダーという意味の広さを表しているだけなんですね(産経新聞の選んだ有識者というところですでに結果に相当のバイアスがかかっているのは言うまでもない)。

 今これを書いている間にもガンガン地震で揺れましたが、年末には「絆」とか「なでしこ」とかいう言葉自体がもうダメ、と誰かが書いていた。まったく同感。そうやって手垢をつけて台無しにするのもいつもの話だ。「絆」と口にすれば、それで済んだことになるという自己欺瞞、思考停止用語になってしまったんだよなあ、と嘆いたところに新党「きずな」。

 リーダー不在? もう何をかいわんやでしょう。
 記事は総理大臣のことを言っている、そこに誘導しようとしているのでしょうけど、だいたい総理大臣なんて「不在」でいいんですよ。神様だってずっと「不在」なんだから。6年間で6人も総理が変わっていいのかって、いいに決まっているじゃないですか。総理大臣を辞めさせるのがあんなにも大変なことをもう忘れたのでしょうか。16年で16人でも20年で20人でもなんの問題もありません。
 戦争でもするなら別だが、そうでもなければ日替わり弁当で十分です。
 ひとりで何十年も居座る悪夢を考えればいい。

 産経新聞の大好きらしい二人の人気知事についても触れられている。オピニオン欄の記事から予想するに「強い」から好きなんだろう。言動が高圧的で「強い」し、敵が多いのに(むしろそれだから)鉄面皮なので「強い」。

 つまり産経新聞のこの記者(編集局長だそうだが)は、リーダーは「強い」もの、強くあるべきと、もう先に置いちゃっているのだ。確かに一面真理である。そうでないものは気楽で安穏としていていいわけだがリーダーはそうではいけないわけだから。だがそれが「強い」という表現でいいのかどうか、「強い」とはどういうことなのか、それは必要条件なのか、そこを説明してもらわないと、とても真に受ける気が起きない。

(個人的にはふたりとも嫌いではないし、「強い」かどうか知らないが、エキセントリックでなければ東京とか大阪で知事にはなれない時代なんでしょう。問題は「大都市の知事がエキセントリックでいいのか」でしょうけどね。ご本人たちは少なくとも今はそうでなくてはならないと言っている)

 もちろん、ただぼやくだけなら最初からこんなことは書きません。袖の中に別のものを隠しているから書きはじめているわけです。

 その新聞にドナルド・キーン氏の全集(新潮社)の広告も載っていました。ご本人の今の日本人へのエールが添えてある、
 キーン氏は90歳、卒寿であるが、震災を契機として日本人に帰化する決意をしたことをご存知の方も多いだろう。

 彼の文章の冒頭、川端康成氏がノーベル文学賞を受賞した際に、多くの日本人が「あまりに日本的過ぎてわかってないんじゃないの? ほんとに君ら(ガイジンたちは)わかって賞をくれてんの? お情けじゃないの?」みたいなことをのたまったとあって笑ってしまった。年末に書いた大澤真幸氏の論説、日本語の話者は西洋から輸入した抽象概念を決して理解しないように必死になっている、という話に、主客転倒はしているもののあまりに似ていたからだ。

(ノーベル文学賞については、英語に翻訳されていなければ審査の対象にすらならないという批判はあります。それは文学賞に限らないか。あと、大陸間での持ち回り批判もありますね。それから、文学賞と、実は経済学賞もそうだが厳密にはノーベル賞ではないんですね。それらを含めたノーベル賞と呼ばれている一群の賞の選考過程の不透明さへの批判はずっとあります)

 キーン氏は「日本的だからいい」という立場だ。

 彼がいう日本人のつよさは、彼自身が昭和20年に目撃した「日本的な勁(つよ)さ」だそうだ。そして「勁健(けいけん)なるみなさん」と、日本人へ訴えかける。

 「勁健」とはそのまま「強くすこやかであること。また、そのさま」です。音読み熟語ですが、別に西洋の外来語の翻訳ではないようだ。

 この表現はかつては武士(今では剣道でも)、あるいは日本の近代軍隊の兵士の様子、彼等を訓練する際などに用いられていたこともあるようですが、書の筆力を示すことにも用いられていたようです。軍事では勁弓、書では簡勁、雄勁などと用いられるとか。

 後漢書には「疾風に勁草を知る」とあって、はやい風が吹いて初めて強い草が見分けられるように、厳しい試練にあって初めて意志や節操の堅固な人間であることがわかる意味だそうです。(元は、逆境に追いつめられた殿様が、自分の周囲から人がどんどん離散していくことを嘆く、いわば負け惜しみなんでしょうけど)

 なぜこれに敏感に反応したかというと、(古いブログで)先に書いた、robustの日本語訳にあてはまるんじゃないか、と色めきたったわけです。

 Merriam-Websterの"robust"。いくつか意味はありますが関連する一項目だけ。

 a) having or exhibiting strength or vigorous health
  b) having or showing vigor, strengh, or firmness
  c) strongly formed or constructed: sturdy
  d) capable of performing without failiure under a wide range of conditions

 IT用語でいうロバスト、「堅牢」とはd)を言っています。
 c)は、sturdyに近い。なつかしの「ますらおのよろい」はたしかSturdy Plateだったかな。なんのゲームかは教えてあげない。ヒントは「カシナートの剣」が出るやつ。でも「ますらおの」はなんつうか誤訳というか超訳だなこれ・・・。「ますらお」はあくまで男(丈夫、じょうぶ、屈強な大男)だもんな。調べるとSturdy Staffはただの「かたいつえ」。

 ちなみに「カシナートの」(Blade Cusinart)はあちらの台所用品(すなわち家庭用の包丁)をもじっているのはあまりに有名な話かな?
 謎解き。お料理をアメリカ人はキュージーンとかクイジーン(cuisine、仏語)いうでしょ。綴りをcuisinartで調べるとほんとにあるお料理用品メーカーだ(今でもあるぞ)。英語読みはどうやら「クイジナート」なんだけど。
 日本でもじると「三徳のつるぎ」とか(三徳はブランド名ではなく種類だけど、私は包丁の有名ブランドを知らない。松居○代のつるぎ? 迫力ねえな)。

 robustの語源は「オークの木のつよさ、かたさ」

 いいんでないかい? RPGのブログ的にも着地点バッチリじゃないかい? 

 私のあてずっぽうの運試しも年始から「吉」ということですな(笑)。

 そしてもちろん、野の草花も、オークの木も、リーダーなんか指し示していないことはお気づきのとおりである。

**********

 同じ新聞で、曽野綾子がヴィデオゲームばっかりしている日本人、テレビの画面の中だけが現実と勘違いしていた日本人が震災で現実に引き戻された、贈り物だと考えたい、とか書いていたが、ヴィデオ・ゲームもしたことないばあさんが偉そうにいちいちうるさい。
 「絆」が思考停止用語になったと嘆いているところには共感したのだが、知らんことまで口出さないでよろしい。ヴィデオ・ゲームで遊んでいるガキどもはほんとうにそこまでバカなのか? 

(おばさんの理屈は、「日本人は孤立している、なぜならヴィデオ・ゲームでひとりで遊ぶ社会的合意ができててしまったからだ」なんだが、それは逆だろ。日本人は孤立している。それはすでに社会全体がそうなってしまったからだ(その説明は長いからここでは省くけど、やれっちゅうならいくらでもやるぜ)。もうヴィデオ・ゲームでもやってないと、とても正気が保てません(笑)。冗談はともかく、「ヴィデオ・ゲーム」云々、曲がりなりにも小説家がいうことじゃないと思う) 

 日本人のばあさんの(少なくとも一部は)ただ書き捨てているような言葉がヴィデオ・ゲームのヴァーチャル画像以上に空虚である(このばあさんはキリスト教徒だけどな)。極端に日本びいきだとはいえ、ガイジンのじいさんの言葉が日本人の心を打つ。

 だから世の中は面白い。

 

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コメント

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
(ATOK凄い。あけ、まで書いたら上の文章が出る)

> ちなみに「カシナートの」(Blade Cusinart)はあちらの台所用品(すなわち家庭用の
>包丁)をもじっているのはあまりに有名な話かな?
ははは。なんか弱そう?逆に恐い?

 (ブランド名の)クイジナートはクックパッドを見る様な人なら大体知ってるかも。ブレンダーが有名ですね。逆にアメリカの女性にはブレンダーのことを「クイジナート」と呼ぶ人がいる、ホントです。こういう商標をもじった名前は、知らないと翻訳の時に苦労するでしょうね。
 今はGoogleという便利な物がありますが、昔の人は大変だったでしょう。1970年代に翻訳されたSF小説を読んでいると苦心惨憺の跡が伺えます。"sage"がニガヨモギになってたりね。ニガヨモギ茶なんて飲んだら死ぬって。

 こちらこそー。わざわざすみません。

 昔のジャンル系の翻訳って、競争がなくて(だからまともな仕事にもならなくて)「好きな人がやる」だから、幅がすごいですね。浅倉久志さんのような(それこそSagaのような)人がいる一方で、日本語が不自由じゃないのかと思う人までいる。

 クイジナートはこちらもこの記事のため改めて調べるまで、現在まで脈々と続いているブランドとは知らなかったんですよね。創業1971年、40年以上前から続いているのかって驚いたら案の定1989年に破産している。20年もたずに潰れるのってパターンだなあ。
 ブランドは別会社に引き取られたんすね。 

 WikipediaによればジョブズがApple IIのデザインをインスピったのはクイジナートのフードプロセッサーからだとか。私は話半分です。

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