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2012年2月27日 (月)

【DA2】愛と無関心

 まずDA2現状報告。

 Act2完了。特に変わったことは何もしていない。イザベラはライヴァルリー満タンですから問題ないし、アリショクとの一対一の決闘を避けてもフェンリスも満タンだから問題ない。

 ただアリショク戦は、Normal難易度なのに久々に鼻水が出そうになった。ちょっと工夫しないとあれ、口開けてクリックじゃ勝てないな。メンツはメイジ主人公、フェンリス、アヴェリン、ヴァリック。

 例の超高級品の杖、「コールド・ブラッド」(Cold-Blooded)はすべての不要品を質に入れてAct2クライマックス直前に無理矢理入手した。お値段なんと113ソヴリン以上、持ち金ギリギリだった。それもあって、特殊なポーションやポイズン、ルーンなども落ちているもの以外何も入手できていない。これは辛かった。

 イザベラ本性(ほんしょう)暴露、アヴェリンに同行してのアリショクとの会談。日本語吹き替えはできがよかったなあ。やはり全部のパターンが聴きたくなった。これはまあアグレッシヴ・ホークの場合は、セーヴファイルからやり直せばできるが、ユーモラス、ディプロマティックも聴きたくなったなあ。

 その後のくだり、オリジナルから一箇所だけオミットされたシーンのお話。事情もわかるけど、あれじゃ意味通じんやん。ブツ(首)自体は見せなくてもいいけど、首のない胴体(英語版には確かにあったはずだが)もダメなのか? そんな首チョンパのシーンは例えばメレディスがハイタウンでクナリ・メイジを斬り捨てたシーンとかにもあったぞ?

 日本人は、たとえ17歳以上であっても欧米のマチュア(だいたい18歳以上)が引き受けられることを決して引き受けられないということか。ちょっと考えたら、それがどんだけ情けないことかわかろうというものだが。

 つまり有権者年齢を20歳から18歳にしても、それ自体にまったく意味がない。だって80歳でも100歳でも引き受けられないって言ってんだから。100歳でヴィデオゲームを遊ぶかどうかはともかく。

 映画や小説と異なり、ヴィデオゲームなどアートとして認められていない分野であって「理性派?」から攻撃されたら弱小業界がひとたまりもないという大人の情けない判断だろうから、それ以上は言わない(もう十分言ってるだろう!)。「理性派」が上の「17歳以上云々」の議論を理解してないということも情けないが。

 それとは一概に比べられないのが次のお話。

 Fallout 3のオミットされたメガトン市のシーンの問題は、当時「とりわけ日本では確かにコントラヴァーシャルだわ」と思った。それに比べたら今回はちょっとへたれている。
 (もちろんFallout 3でも対象が人間である場合に限り首チョンパはオミットされている。これ自体もコントラヴァーシャルな話だ)

 Falllout 3をご存知ない方のために簡単に触れると、まず世界は、米中間の全面核戦争が起きてほぼ壊滅している。生まれたときから地下核シェルター(ヴォールトと呼ぶ)で生活していた主人公は、あるきっかけにより生まれてはじめてやむを得ず地上に出る。大抵の場合最初に訪れる(私は違った)のがメガトンという街。街というか西部劇に出てくるような少人数の集落だが、そのど真ん中に原爆の不発弾がある。

 人々はあえてその現前の不発弾を取り囲むように集落を作った。だからメガトン。人々はそこに集落を作らざるを得なかったというところがシュール。シュールでもあり、紛れもないリアリズム。いつ爆発するかもわからない危険から逃げるって、この世界の一体どこに逃げるんだよ! なにしろ、とっくの昔に世界中で原爆は無数に爆発したのだ。

(ちゃんと読んでるよというアリバイ作りで触れれば、「ノーリスク社会」に関して皆が現状抱いている壮絶なまでの脱力感、正体はこれですよ。逃げるってどこへ逃げるのだ?
 "No better place to die." 「そこに優る死に場なし」。かつては第二次大戦の欧州戦線とある戦いで、撤退を具申する部下に対して、踏みとどまれと命じた米軍の将軍が言い放った「武勇」(valor)に関する名言だが、皮肉な形で引用しなければならない。つまり現状は間違いなく戦場である)

 主人公は、後にこの不発弾を起爆させるか、無力化するか、あるいは現状のまま放置するか(Null値、またしても今忘れそうになった)を選択することができる。

 起爆させることができる、ということはメガトンの集落が住民ごと霧散するという意味だから大変悪趣味である。なぜならば「悪」、イーヴィルとまでいわなくても、愛憎の軸でいうと、「愛情」の対極にある「憎悪」、そのひとつの形態である「無関心」というレベルを選択することができるのだ。

 今日か昨日の産経新聞のコラムにあったが、柳田国男の研究によれば、東北弁では「むごい(むごしい)」(惨たらしい)と「めごい(めんごえ)」(愛らしい)はオリジンが一緒だそうだ。さもありなん。
 両者とも「とても対象から目を離すことができない」からでしょう、きっと。「気になって気になってしょうがないから」でしょう。

 余談だがDragon Ageに登場するディーモン。「貪欲」、「憤怒」、「欲望」、「傲慢」あたりは説明なしでも悪徳であることは、すっと腑に落ちることだろう。

 では「怠惰」(スロス、Sloth)のディーモンがなぜディーモンか。「無関心」、「無差別」は立派な悪徳だからだ。DA2に登場するスロス・ディーモンのトーパー(Torpor)は日本語版では「無気力」と訳されていた。私は「倦怠」がいいと思うがまあ意味は同じ。

 「無気力」は「無関心」とはちょっと違うのだが意外と遠くもない。「無関心」とは世界の一部に対する無反応だ。「無差別」とは世界のある範囲に対して同じ反応をするということで、つまりその範囲において無関心だ。
 
 だから「無差別」(indifference、中立、公正、無関心、冷淡)は「差別」(discrimination、この場合は一般に人種をいう)でもある。完全に一致はしないが近い。indifferenceとは「どうでもいいこと」だからだ。エイリアネイジのエルフはヒューマンにとって「どうでもいい相手」だ。奴隷制の国では、マスターの女性はスレイヴの目の前で全裸になる。「どうでもいいから」だ。それが差別の根源にあるのはおわかりであろう。

 DA2の「全てのメイジはブラッドメイジになる可能性がある、いやもうなっているかもしれない」という一部テンプラーの発想も同じ。メイジという範囲の対象について「無差別」。「でもうちの子は違うんです!」という母親の叫びに関して「無関心」。"Nothing personal."、「いやお前に恨みはないんだけどな」。恨みを持つのと持たずにやるのと。違うはあるんでしょうか。

 「無気力」とは、なんと自分自身に対する無反応だ。自分が世界とかかわりあうことに「無関心」と言ってもいい。自分の立場がどうなろうがそれに対して「無差別」でもいい。

 「愛」もまた美徳ではないがそれは特定の対象(フェティシズムの対象である物、例えば貨幣がある。それからペット、恋人、家族、社会、国家、神などなど)にだけ向けられるからだ。それ以外の対象への態度は、対象が恋人の場合「嫉妬」、国家・宗教の場合は「憎悪」であることもあるが大抵は「無関心」、「無差別」である。
 それらは残念ながら「正義」ではない。「正義」とは遍く汎く(あまねくひろく)、つまり普遍的に例外なく、前提条件なく履行されなければならないからだ。

 「愛」は正義でないばかりか、悪徳になりうる。極端な例が「傲慢」、「欲望」であり、それらが示すのは自己愛である。

 (Fallout 3の首チョンパのオミットについて、実はミューターントやグールなど異形の者たち(元人間)には適用されないのだ。つまり、首チョンパがカット(わかりにくいな!)削除された対象は人間だけであり、ミュータントやグールなどについては「無関心」だった。相手がミュータントやグールならどんな存在でも「無差別」に取り扱う。原典のデザイナー・ライターたちが「いや、ミュータントやグールだって知性があり悪もあれば善もあり、あまり人間と変わらないよ」という物語を紡いでいるのに、自主検閲者は、まるで裁判官のように「いや、人間と違う」とバッサリやった。形式的にはやったことは悪そのものだ)

 (どうしても書きたくなかったが、それはどうしても書きたいという意味だからこの際書いてしまおう。先日あった最高裁死刑判決(支持)の話は、この愛と正義の話だからムゴイのだ。目が離せなくて気になってしょうがないのだ。誰も自分自身の問題だったら答えが出せないのだ。

 現に日本では、弁護士協会の偉い人が自身は死刑反対論者でもあったのに、自分の家族が惨殺された事件について犯人の死刑を容認した。もっというと死刑判決・処刑を国家権力に強要したという疑惑まである。それを誰が責められる?

 先日の判決の場合の愛も家族愛だ。愛は正義ではない。だが正義は愛を否定する、守れない。では家族愛すら守れない正義は果たして正義か? この世の中に答えは、今のところない) 
 
 例によってオフトラックが長すぎる。戻すと、メガトンの選択は大変悪趣味である。あの選択は憎悪の発露ではなく、吹き飛ばされる住民とその生活に関して無関心を決め込むことができるからだ。もっと言えばゲームの冒頭に訪れることによってあの世界の中でもひとしお「愛着」を抱いてもおかしくない街の住民たちを、灰と水蒸気に戻してしまう選択だからだ。

 日本版では別(でもないが)の事情によってさすがにその「起爆」という選択をオミットした。当然私はオミットしたことに対して静かな憤りを覚えたが、まあ、しょうがねえかな、とも思う。日本ではあの問題に「無関心」、「無差別」ではいられない人が多いからだ。

 自分自身はそう信じていないようにうそぶいて見せかけて(日本人てば原爆の話なんていつまで気にしてんだよ)、周りがそう信じているからしょうがねえか(やっぱ無関心ではいられないようだ)という、この私の態度。これも倒錯的で興味深い態度なのだが説明は長くなるのでやめておこう。「アイロニカルな没入」というそうだ。

 では、こういう強烈な問いはどうか。
 現状で、Fallout 3は新規に販売できたであろうか? もちろん日本での日本語版での話だ。

 現実から逃避するためのヴィデオゲームの中の世界、Fallout 3の世界は核で壊滅している。それは(当時もしかしたら起きるかもしれないと思われていたが)あくまで虚構、物語の中だった。
 今、虚構や物語ではない現実が発現し、しかも目の前に延々と居座っているとき、どうであろうか。特に日本人はどうであろうか。

 たかがヴィデオゲームで世界は救えない。地球平和に一切関係ない。
 だが救えない世界がどれだけダメ(メチャクチャ、デタラメでその意味でムゴイ、不条理で残酷)かを見せることは、どんなメディアにも可能だし、ヴィデオゲームにももちろん可能だ。ヴィデオゲーム固有の手法で見せる事が可能だ。

 だからこの問いへの答えはわかりません。  

 さて憂鬱な話題はそのくらいにして(お前がしている)、超マンチなお話。は長くなったので次回。

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コメント

アリショク戦は、Normal難易度なのに久々に鼻水が出そうになった<
うんうん、あるある。アリショクは自分で回復しちゃいますしね。
私、2キャラ目メイジで、成り行きタイマン勝負となって焦りましたよ。
フォース・メイジのでんでん虫魔法とか状態異常を引き起こすものを駆使してなんとかなりました。
フォース・メイジの魔法は地味ですが、かなり良いですね。

首チョンパのシーン<
この処理のしかたも、けっこう大事な場面だし、何だかなぁ。
DA2のローカライズが総じて良い出来なので残念。
最近、都合の悪いもの・汚いもの・残忍なものを過剰に回避する傾向があるかもですね。

今、向き合う勇気とか冷静な判断力とか想像力とかを養う場が少ないし、人も敢えてそんな面倒なことしたくない、ってことなのかなぁ。
でも、それも情けない…。
無関心を装うことが最大の防御と思ってる人も結構いそうですねぇ。

 アリショク戦、PC版ではウォーリアーとローグでタイマンやりました。Normal。
 ウォーリアーはまさに成り行きで。一番最初の時代なので、アイテムセットもなにもなく、特殊なポーションも用意していなかったので大苦戦。 
 犬(盾代わり)のおかげでようやく勝った感じ。
 ローグはアイテムセットもあって、かつポーションを大量に用意していたのでど楽勝。
 メイジはフォースメイジの手がありましたか・・・。ふたりやりましたが、どちらもへたれて全員戦闘に逃げちゃいました。
 
 首ちょんぱ、「ヴィデオゲームのせいで悪質な青少年犯罪が」というのは真っ赤なウソなのに、業界が認めちゃってどうするって思いますね。
 首切られちゃった人の「事なかれ主義」を地で行っている感じ。今回の震災後もそうですが、重大なことがおきると事なかれ主義がたくさん隠されていたことが明るみにでます。


 

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