フォト
無料ブログはココログ

« 【ME3】エンディング議論 | トップページ | 【ME3】真の破局を見せてはいけない。 »

2012年3月22日 (木)

【ME3】任務は達成されたのではないのか?

 Mass Effect 3日本語版、見事に売れてませんな。

 PS3で初週8千本? X360はどうだろ、4Gamerの記事ではランク外(20位にはいっていない)。ME2のDLC日本語発売をターミネートしてしまったそうだから、それも影響あるんだろう。

 DA2もあれだけ宣伝して二週間で3万本くらいだったが、それを下回っちゃった。
 

 Skyrimも20万本くらいいくのかと思ったが、初週10万本。
 4Gamerのランキングを眺めていると、そもそもヴィデオゲームが売れていない。  
 由々しき事態になってきてますね。

 先の記事でMass Effect 3のエンディングに対して批判的なファンの声を類型化してみた。 

(1)エンディングがカタストロフィック(破局的)であることがせつなく、やるせない。

(2)約束と違う。varied、異なるエンディングが与えられるはずであったが実際には「ひとつ」だ。

(3)過去100時間以上に及ぶプレイで行ってきた「選択」が結局何も意味を持っていない。

(4)陳腐、おざなり、サイファイ(SF)として未完成、首尾一貫性の欠如、シナリオがスロッピー(お粗末、ぞんざい)

 それぞれ、(1)感傷的な陳情、(2)契約の不履行、(3)選択が無意味、(4)脚本が不完全、とラベルをはってみた。

 ざくっと言うと、(1)が感情的(エモーショナル)な反応で、(4)が論理的(ロジカル)な反応、(2)と(3)は、まあ一緒にしてしまってもいいくらいですが、その中間的な反応。

 そして、(1)のプレイヤーが前のめり、前ノリ、コミットメントが強く、「マイセルフ」の物語を指向していて、(4)のプレイヤーが引き気味、後ノリ、デタッチメントの傾向があって、「ワールド」の物語を指向している感じですかね。

 もちろんひとりで複数の、あるいは全部の類型に当てはまる人もいるだろう。人間は複雑ですから。 

 今回のお題としては、ある意味でMass Effect ユニヴァースの破局とも呼べるようなマス・リレー網の破壊、それから必然的に導き出される「その後の世界」をプレイヤーたちは果たして許容できるのか、ということ。 

 もし、まったく同じことをサイファイ(SF)小説や映画、ドラマ、コミックでやったとしても、それらはあくまで作者(監督、脚本家、画家)の物語。
 彼ら/彼女らが描いた、彼ら/彼女らなりの「もしかしたらあるかもしれない世界とその中の主人公の物語」。嫌いであれば、普通は立ち去ればいい。 

 ヴィデオゲームはそれらとはちょっと違う。
 

 Mass Effectの場合、シリーズ全部でだいたい100時間以上、多い人で200時間は物語につきあってきたわけだ。すべて脚本家が用意した範囲であるとはいえ、多くの「選択」をし、キャラクターを育て、クルーやNPCとの会話を通じて関係を築きあげてきた。第一作目から数えて5年間のインターバルで。たとえすべて「幻想」であっても、選び、育て、会話し、戦ってきた。 

 それが、結局なんだったんだろう、百時間以上もプレイして、5年間、待った結末がこれなんだろうか? エンディングへの不満や立腹を包括するとそういうことなんでしょう。

 もちろん長く連載の続いたラノベや、テレビドラマ・アニメの結末が許せない!という話題はどこにでも転がっていそうです。でもたいていは、肩をすくめて「ま、いっか」と忘れるか、頭にきたら違う結末を同人コミックでも小説でも自分で描くか(才能がいる)、才能がなければネットで大騒ぎするか、でしょう。 

 今回のMass Effectのエンディングの騒ぎにも、そういう前のめりの人たちが「どの道、どんなエンディングでも大騒ぎする」要素はあると思います。 

 それだけじゃないんじゃないか、というのが話題。 

 以前も書きましたが、9/11NYや3/11震災などを例にあげた場合の「破局」、カタストロフィーはもちろん人類の歴史上、過去にも数多くあったわけです。でも、そういう事態はまた、ヒロイズムの現場でもある。英雄譚であったり、武勇伝であったり、犠牲的精神や相互扶助の発露を招く。

 近代以降、そうした「破局」を考える、もっというとそれを待ち望む考えが世界中の思想家の間に蔓延していたといいます。人類の叡智や勇気など美徳が本当に試されるのは、そうした絶望的破局の場面でしかないわけであり、平時になにをどうしようが無意味であるという考え方です。危機待望論。物騒ですが、確かにあったそうだ。 

 多くのヴィデオゲームは、とりわけRPGの多くは、こうした「破局」の危機と、そこで目撃されるヒロイズムをテーマに持っています。私のRPG勝手格付けで皮肉気味に「世界の破滅を救う以下のテーマは認められない」と言っているのも、実は真実(だから皮肉が言えるんだ)。

 「破局」が一度起きてしまった後を描くRPGもありますよね。メガテンがそうだったし、Falloutシリーズがそうだった。 

 でも、そうした世界観の中では、英雄、勇気など美徳の持ち主が当然のように活躍をするわけです。
 もちろん悪徳の限りを尽くす者もアンチ(アンタイ)ヒーローとして登場するでしょう。

 なぜなら、本来人類はそうした「破局」を迎えたとき、どーしようもない存在になってしまうのではないかという恐れが危機待望論の前提だからです。「破局」によって秩序が奪われ、混沌(ケイオス)のみが支配する世の中では、手がつけられなくなった悪が悪徳の限りを尽くす。それがデフォルトとみなされていたんです。
 でもきっと人類はそこまでバカじゃないのではないか、なぜなら「破局」の現場にこそ必ず英雄が現れるではないか、というのが英雄待望論なんでしょうね。人類の叡智は喪われないはずだ、という切実な期待。

 そしてどの英雄物語でも、ほぼ例外なく、破局自体を回避する、破局前の世界をどうにかして取り戻す、少なくともその足がかりを手に入れる、そうした「希望」をテーマに持っています。「英雄」ってのは「希望」のたいまつを握っている者のことです。世界の破滅の現場ですから、人類(あるいは地球生命、銀河)全体の希望ってことです。

(付け加えるなら、平時が回復したとき、復興の目安がたったとき、例えば最強の化け物を英雄がうちやぶったとき、人々が実際に「希望の灯り」を手に入れたとき、英雄は不必要な存在になります。たいていは死ぬか、誰かの嫉妬によって殺されるか、姿をくらましてしまいますね)

10917
 希望がなければ・・・、我々はプログラムされた命令を遂行するだけのマシーンと変わらないんじゃないのか。

 Mass Effect 3のエンディングが描いた世界は、そういう「希望」だったはずです。
 ところが、エンディングではそれが伝わらなかった、受け入れられなかった部分があったようです。
 上の(1)の批判にフォーカスして話を進めます。四つのうちで一番難しい、面倒な問題だからです。

 (1) エンディングがカタストロフィック(破局的)であることがせつなく、やるせない。
 

 これを裏返すと、カタストロフィックではない何かが必要なことになる。何か。
 例のペティションの主張のひとつには、「不可能に思えた任務に成功したという感覚を得られない」というものがある。

 まあ、あのエンディングが何もかもキライな人も、ちょっとだけお付き合いください。

 スターチャイルド(あの男の子)はリーパーズをコントロールしていた理由を「銀河を混沌(ケイオス)から守るための解決策である」と言います。

10900
「何に対する解決策だ?」
「混沌」 

 混沌(chaos)とは何か。創造主にとっての「破局」です。被創造物は創造主に必ず叛旗を翻す。銀河は混沌が支配してしまう。それが必然であった。
 
 それはおそらく悪が邪悪の限りを尽くす世界のことでしょう。スターチャイルドは、そうなってしまえば、やがてすべての生命体が滅亡すると主張します。それが正しいのなら創造主にとっての破局は銀河の破局と同じことになります。

 それを食い止め、次の収穫サイクルで秩序(order)を回復するための手段がリーパーズ。高度な文明を持つにいたったオーガニック種族を刈り取り(harvest)、まだその域に達していない種族を残すことで強制的な淘汰の循環を促進する。刈り取られた種族はリーパーズに組み込まれ、その姿で後世(after life)を過ごす。
(スターチャイルドがコントロールしなければ、リーパーズはすべてのオーガニックを収奪して滅ぼしてしまう)

10938
 すべてのシンセティックを破壊すれば、リーパースを倒すという当初の目的を果たすことができる。だがシェパード(オーガニック)の子らはいずれまたシンセティックを生み出してしまうため、平穏は長くは続かない。

10948
 リーパーズをコントロールすれば、シェパードは死ぬ。リーパーズはシェパードの命令に従う。

10953
 シンセシス。シェパードのエナジーのすべてをクルーシブルに与える。シェパードは当然死ぬ。だが銀河世界のオーガニックとシンセティックが合体する。シンセシスが進化の最終形態、世界に平和が訪れる。

 どの方法であってもクルーシブルのエナジーを解放すれば、収穫サイクルは終わり、マス・リレー網は破壊される。

 エンディングの出来不出来はおいておいて、シナリオが推奨する「ベスト」エンディングは、当然ながらシンセシス、「緑色」なわけです。「銀河世界に平和が訪れる」って言ってるんだからそうです。しかもこれを選択することが出来るようになる必要ストレングス・ポイントは他のふたつより高い。 
 だがシェパードは必ず死ぬ。

 他のふたつの展望は、スターチャイルドの説明が不十分なせいで、シンセティックの範囲の解釈で違ってしまいます。

 a)シェパードがコントロールできるのがリーパーズだけであれば、「青色」(コントロール)と「赤色」(破壊)はあまり変わらない。オーガニックは生き残るがいずれの場合もやがてシンセティックが生み出され、また抗争がはじまる。

 b)シェパードがリーパーズのみならず、ゲスあるいは今後誕生するシンセティックも含めコントロールできるのであれば「青色」はオーガニックが今後シンセティックと抗争を繰り広げる必要がないとも解釈できる。「赤色」は依然として上と一緒。

 ただし、「青色」の場合、EDIはエンディングに登場しない。シンセティックすべてのコントロールができたと考えられるので、上述のb)のシナリオが有力かな。

 つまり、どのエンディングでも、オーガニックは(シンセシスの形かもしれないが)とりあえず生き残る。

 リーパーズによって銀河のオーガニックが滅ぼされる事態は回避された。
 正確に言えば、リーパーズが勝った場合に比べ、「高度な文明を築いた種族も含め」生き残った。
 不可能と思われた任務は達成されていますよね。

 なぜ、「成功した感覚が得られない」のでしょう?

 シタデルもマス・リレーももう使うことができなくなるから? 
 そんな程度? だって、それらは元々リーパーズが仕掛けた罠、寄せ網じゃないですか?
 もし、そんな主張であるなら、ペティションもなにもかも「いい加減にしとけよ」で終わっていいと思う。ムジカ博士は本当にオーヴァーリアクションをやってしまったことになる。

 こじつけかもしれないが、私はこのエンディングが、英雄がどうにかして克服できるような類の「破局」ではない、真の「破局」をプレイヤーに覗き見させてしまったからではないか、と考えている。

 長くなったので次回。  

« 【ME3】エンディング議論 | トップページ | 【ME3】真の破局を見せてはいけない。 »

Mass Effect 3」カテゴリの記事

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

次回が楽しみです!!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1586985/44592577

この記事へのトラックバック一覧です: 【ME3】任務は達成されたのではないのか?:

« 【ME3】エンディング議論 | トップページ | 【ME3】真の破局を見せてはいけない。 »

2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31