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2012年4月15日 (日)

【ME3】幕引きの感覚、終わりなき繰り返し(2)

 実際には、「物語のエンディングは、なぜ議論を呼ぶのか」という問題は、核燃料発電事故とその後の脱原発・原発依存の果てしない議論と通低している。(あまりに長くなったので、その部分は次の記事にとばした)

 先に書いてしまえば、現代社会では「(特権者、権威者の)特権や権威が喪失されている」ことが鍵である。 

 幕引き・幕切れの感覚、物語の「終わり方」が、これほど騒がれる時代はかつてあったのだろうか。

 面倒になって、あるいは創造した主人公に嫉妬して、シャーロック・ホームズをモリアティと相討ちさせて葬り去ってしまったコナン・ドイルは当時読者から轟々たる批判を浴びたという。
 だが読者の声は、「面白いからもっと書け」というだけの話であって、幕切れの感覚がどうだとか、中身がどうだとか、そういう話ではなかったはずだ。
 ホームズの読者にはこれみよがしに喪章をつけていた者までいたそうだが、日本のボクシング漫画「あしたのジョー」では、主人公のライヴァルが作中で死亡したとき、(現実社会のほうで)実際に葬儀が執り行われた。ただし参列したのは確か作者側、編集側だけだったはずだ。

 かつては日本の漫画家も連載当初から「終わり方」を考えていたそうだ。「ゴルゴ13」も「ワイルド7」も、作者は短期間で連載を終わらせるつもりで、主人公の死に方を考えてから書きはじめたそうだが、人気が沸騰したため長期に連載を継続することになったという。

 つまり作者は特権者・権威者であった。読者の声は「もっと書け・描け」だけである。「登場人物を殺すな」という声はあったが、まさか投書や署名を行ってそれが実現するなどと思って声をあげていたわけではないだろう。
 もちろん商業作品の場合、不人気で打ち切りというケースはかつてもあったので、絶対的な権威者であったわけではない。とはいえ、読者・視聴者の声(すなわちフィードバック)を直接聴いて内容を変更するというケースが頻繁にあったわけではないはずだ。

 いまや、連載開始時に「終わり」など考えている作者はいまい。ラノベもコミックもアニメも人気がなくなったときが「終わり」だからだ。日本のテレビドラマも開始時には何回までやるか(送り手にも)不明なことが多い。つまり「何話完結」という表記がない。

 人気が続く限りやる点ではアメリカの洋ドラはさらにあからさまで、人気投票の結果がよろしくないキャラクター(役の俳優)はまるでベースボールの選手のように簡単に交代させられる。ハリウッド映画もかつては「シリーズ三部作」が当たり前であったが、今では人気がある限り(収益が上がる限り)いつまでもやるというスタイルが主流だ。
 ハリポタあるいはトイ・ストーリーのように、商業的にはまだ続けられるはずの作品であっても敢えて「幕引き」を行うケースもあるので一概には言えないし、契約上の縛りがきつくて監督・俳優がやめたくてもやめられないケースもあるだろう。

(そういえば、パロディ・コメディ映画「フライングハイ2」(Air Plane II: The sequel)は宇宙旅行が実現した時代の話だが、作中の空港には「ロッキーXIII(13)」のポスターが貼ってあった。
 それで思い出した。記憶が定かではないが、ヴィデオゲームDeus Ex Human Revolutionはスクエニがパブリッシャーだったこともあって、作中でファイナルファンタジーXXVII(27)の製作発表がされていたはず) 

 こうした流れを示す事例は他にもあるだろうし、変わった事例があればむしろ教えていただきたいくらいだが、そろそろ本題に移ろう。 

 大澤氏によれば、「終わり」とは偶有性の感覚(他でもありえたのではないかという感覚)を克服するために必要なものである。終わりの宣言とは偶有性を必然性に転換する魔法のようなものだそうだ。 

 だが大澤氏はオタクの二次創作(コミケ、コスプレ、パロディ、このブログも本質は実はそうだ)に注目し、「反復」という主題があまりにも蔓延していると指摘する。この反復過多な状況は、現代社会が「終わり」を確定すること、決着をつけることの困難さを示しているという。  

(大澤氏が、あるいは大澤氏がリファーしている東氏の「反復」は、iteration(イタレイション、反復代入)が一番しっくりくる、いや、それしかないのではないかということは以前書いた。リニア・プログラミングで用いられていた用語で、今ではIT開発の現場でごく普通に用いられる。単純な繰り返しではなく、ある回は前回と少しづつ違う。version(ヴァージョン、版)も類語になっており、versionそのものを指す場合もある。もちろんヴィデオゲームはその生い立ちからしてiterationの世界である) 

 終わり、決着をつけることが難しいのはなぜか。幕引きの感覚を覚えることが困難なのはなぜか。
 オリジナル(のエンディング)がもはや「正典」(canon)とみなされていないからである。
 オリジナルが、「これ以外にない」という「決定版」とみなされていないからである。(くしくも、ここで「版」(version)が登場して書いている自分でも驚いている)
 なぜ、権威者、特権者であるはずの作者(送り手)の作品(エンディング)が「正典」、「決定版」と認められないのか。
 すでに書いたように、もはや彼ら彼女らの権威・特権が喪われたからである。
 なぜ、喪われたのか。

 逆になぜかつては権威・特権 が認められていたのか。

 大澤氏の術語で言えば、「作者」が権威・特権を享受するためには、「第三者の審級」としての働きを担っていなければならない。
 「第三者の審級」をここで説明するような愚は犯さないが、超乱暴に言えば(だから不正確だが)価値規範を定めているかのようにみなされる特権的な他者。超越者、神、父親、アメリカ、大きな物語など。

(「作者」author、の元となったラテン語は年少者の後見人の意味。つまり超越的な他者、第三者の審級を示すのだそうだ)   

 簡単に言えば(だから不正確ではあるが)、その特権的・超越的な他者が後退していく、磨耗していく(相対化されていく)過程で、権威も磨耗し相対化されていく。なぜ後退・磨耗していくか(大澤氏は「撤退」と言う)には色々な説明があるだろうが、社会システムが根本的に贈与(上下関係)から交換(水平関係)に変質して来た時代に呼応していることを考えれば、自由市場資本主義経済の発展が大きく関与しているはずだ。

 Mass Effect 3のエンディング騒ぎの本質はこれだ。「権威」であるはずの「作者・開発者」の決定は「正典」とも「決定版」ともみなされない。まだ他にもっと違う結末があるはずだ、という偶有性の感覚は一般人でも抱くし、二次創作(くどいが、こういうブログもその一種だ)に手を染めるくらいのオタクであれば誰もが強く抱くのであるが、一部のファンの側には相当に強く残ったのだ。
 その感覚が人によって強弱ある理由は色々あるだろうが、少なくとも作品自体の問題ではない。もっぱら受け手側の問題なのだ。

 いや、できるだけもっと正確に言おうとすれば、ケーシーたち開発側が「どんな結末を用意しても」そうした開発側の権威を認めていない一番尖鋭的な一部のファンは必ず騒いだであろう。夏に出るという無料エンディングDLCで収束する可能性も低い。

 気がついているかどうかは知らないが、彼らは自分たちはもはや権威を認めない、という主張のために騒いでいるのだ。そしてそういう者たちは、ヴィデオゲームの世界だけじゃなく、どんな種類の権威も認めないだろう。社会が背中を後押ししているというか、彼らはもうあらゆる権威に反抗するしかない立場におかれているのだ。そしてその抵抗活動は実はそんなに難しいことではない。なぜなら、今やあらゆる権威が後退・磨耗しているからだ。

 BioWareが作品の高度な芸術性(アーティスティック・インティグリティ)をいくら主張したところで、それは送り手の芸術家に特権が認められているから言えるわけであり、エンディングに批判的なファンは最初からそれを認めていないからまったく無意味である。それだけではなく、ヴィデオゲームがエンターテイメントであり、工業(工芸)製品と考えれば、「芸術性」を主張してもたちの悪い冗談としか受け取られない(現に多数のファンからそう受け取られている)。

 Dragon Age 2のリード・デザイナーやライターが個人的な誹謗中傷を受けた重大な理由のひとつも、この権威の問題だ。
 先に記事にしたとおりDragon Ageの開発チームはDA2の反省を踏まえ、Dragon Age 3の開発にあたっては、できるだけ「アイデアを形にして見せてファンのフィードバックを受ける」手法を取り入れるそうだ。
 何をしようが、送り手に権威を認めていない一部のファンが満足するわけはないので、それらファンが暴動を起こそうとする問題の解決策には決してならないだろう。(もちろんBioWare側もそんなことを狙ってもいないだろうが) 

 あの手法がうまくいく秘訣は「権威をファンに分配したようにうまく見せかける」ことだが、そんなことが可能かどうかも私にはわからない。なにしろ開発側が「権威」を分配する「特権」すら認められないおそれがあるから。

 以上が、「物語のエンディングは、なぜ議論を呼ぶのか」という問題の本質の、少なくとも重要な一部である。
 まとめると、

 かつては作者という権威が、よかれ悪しかれ物語(のたとえば結末)とその価値規範を規定していた(だからこそ権威であった)。作者より大きな権威(超越的な他者、不正確だがざくっといえば広く共有可能な価値観の拠り所)が存在していたから、その存在の代行者として作者にはそれができた。より大きな権威とは、たとえば神に象徴される宗教観。たとえば自由と平等に象徴されるアメリカ的な価値観。たとえば父親に象徴される・家父長制。
 

 いまやそうした広く共有可能な価値観が喪われ(後退・磨耗し)、よって作者の権威も喪われた(後退・磨耗した)。作者は物語(のたとえば結末)とその価値規範を規定することはできず、物語(のたとえば結末)は受け手にとって正典でも決定版でもない、あり得た可能性のひとつとしか見なされないようになった。作者と受け手の相対的な位置関係は、かつての上下(贈与)から、水平(交換)へと変容してきたのである。

 受け手の中には、思い思いに自分だったらこうあればよいと望む物語(の結末)を口にする者たちもいるが、すでに彼ら彼女らの間でも広く共有可能な価値観が喪失されているので、そこに妥協可能な共通意見は存在しない。よって単に作者の物語(の結末)が気に食わないと不平不満を述べる者たちとの間でも見分けがつかない。
 これらがまとまって、単なる嫌悪や批判の怒号として鳴り響く。

(何かに似ていませんか? そう、権威を認めないという点ではティー・パーティーであり、それに加えて不平不満がみなてんでばらばらまで当てはまるのがオキュパイ・ザ・ウォール・ストリートである。詳しくは次回に書くつもりだが、日本におけるゲンパツ、核燃料発電問題も、消費税に関する議論もこれととても似てきている)
 

 最後に、この権威の問題は他のインタラクティヴなヴィデオゲームでも、あるいはアングラカルチャーの創作でも多かれ少なかれあるはずなのに、どうしてBioWare作品で強烈な騒動となって浮かび上がったのか。

 それはMass Effectが、そしてDragon Ageが、(先のDA@PAX EASTの記事で説明してあるように)キャラクター・エージェンシーとプレイヤー・エージェンシーという二つのエージェンシー(注)を重視する作品だからである。少なくともファンはそうであると期待していた作品であったからである。

 ゲーム世界を創造する開発側の「権威」や「特権」の一部を、すでにプレイヤーに分配している(ふりを巧妙にしている、そういう幻想を強く与えている)作品であったからだ。

(注)キャラクター・エージェンシーとは、自分のキャラクターが、自分の選択によって、ゲーム世界に積極的な影響をもたらす(と感じられる)こと。
 プレイヤー・エージェンシーとは、プレイヤーが自分のゲームプレイ体験をコントロールできる(と感じられる)こと。

 Call of Duty: Modern Warfare 3やBattlefield 3ではまず問題にはならない点だ。あちらへの批判はたとえば「前作の焼き直しなのに高い」、「リアリティがない」など、下等でどうでもいい(失礼)問題だ。

 そういう意味ではこれらのBioWare作品には(現代社会や時代に対する)批評性があるのだろう。それが広く愛されている理由でもあり、同時に憎悪を集める理由でもあるのだと思う。 愛と憎悪は同じものだから。

(一部書き残した点は次におまけとして書きます)

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コメント

 ME3の騒動に似ているものとして思い出したのは、同人作品である「うみねこのなく頃に」の幕引きですね。
 選択肢の無いサウンドノベルですが、夏冬のコミケ毎に販売されていて、読者はその間に推理したり謎の考察をしたりして楽しむ作りになってました。その最終章のエピソード8が、多くの謎を曖昧にしたまま幕を閉じてしまったので、明確な答え合わせを望んでいた一部の読者が失望して騒いだという顛末です。
 それでも「うみねこのなく頃に」は結構面白いんでお薦めですが、長いんで一気にやるのは大変です。エピソード1は無料で配布されてますよ。

 毎度のことですが、その手の最近(でもないけど)の情報には疎いのでほんとうにありがたいのです。
 さらっと触れていただくと調べるとっかかりができて、ネットで関連がぞろぞろ出てきますしね。

 それから「選択肢の無い」物語という点。実はここも「終わり」、「反復」、「エージェンシー」の関連ですごい重要な部分なはずなので、次回触れてみたいと思います(今はどう重要なのかよくわかっていませんが)。

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