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2012年4月14日 (土)

【ME3】幕引きの感覚、終わりなき繰り返し

 前から何度か書いていたが、Mass Effect 3のエンディング騒動があまりにドンピシャだったので、ぜひまとめておきたいと思っていたこのネタ。 

 以前書いたものの繰り返しになるかもしれない。

 また、こういうことに興味のない人(不幸だね)にとっては、意味不明で大変退屈な内容になるかもしれない。そういう向きはとっととお帰りください。お帰りはあちら。 

 元ネタは、社会学者・大沢真幸氏の「不可能性の時代」。特に「オタク」についての記述(多くは東浩紀氏の考察を参照している)が今回のテーマに気持ち悪いほどはまる。  

 Mass Effect 3のエンディング騒動について、読者諸氏に対しては改めて繰り返す必要もないでしょう。全うな論文を書こうとしているわけじゃないから、ここでくどくど書き記す必要もない。 

 私なりには、(これも大澤氏の受け売りの部分が多いのだが)ME3のエンディングそのものについて、どうしてあそこまでガイジン・オタクのヘイト、あるいは変更嘆願を集めたか考えてみた。 

 そのときの答えは、少なくとも物語として「英雄の登場によっても如何ともしがたい真の破局を見せてはいけない」というものであった。
 どのエンディングの場合であっても、地球は、そして銀河は目を背けたくなるような惨状で取り残される。それだけならまだしも、今まで関りあってきた者たちの運命、帰趨はほとんどがよくわからない。希望がなく、せつなく、やるせない。

 だが、リーパーズなる有機生命体皆殺し軍団が実際に到来しているわけであり、そもそもリーパーズが置き網として用意したシタデルとマス・リレー網なる絶大な力を(おそらくその意味も良くわからず)用いてきた生命体たちが、ただで済むわけはないのである。たとえ生命体の絶滅は免れたとはいえ、銀河文明は元通りになるまで一体どれだけかかるかまったく想像もつかない、いやシタデルとマス・リレーがリーパーズのテクノロジーであったのなら、そもそも残された有機生命体が元通りの文明を取り戻せるのかどうかすらわからない、途方に暮れるような状態のまま投げ出されてしまった。

 歴史上人類文明は一般の破局、自然災害である震災、津波、噴火、氾濫、旱魃などから何度も立ち直ってきた。必ず英雄が、英雄的行動(すなわち勇気、不屈、慈悲、相互扶助、犠牲などの美徳)を率先して実践する人たち、人類の叡智や尊厳を体現する人たちが少なからず出現した。簡単に言えば、破局の最中に希望があった。(もちろん、破局的状況が収束・終息した直後にはむき出しのエゴが発現するという説もある)

 ME3のエンディングが示したのは、こうした英雄的行動が無意味な世界であった。

 GameSpotのエディターたちが、彼ら自身のME3「思い出に残るシーン」を語るPodcastで、アンダーソンとシェパードがふたりで並んで座り込み、シタデルから地球を見下ろす、あのシーンを示して、あれで十分な「幕引きの感覚」は得られたのではないかと主張する者が多くいた。
 それはごく普通の、ある意味陳腐なエンディングではある。だが、(アンダーソンは息を引き取ってしまうのだが)、静寂の中でひとり地球を見つめるシェパードの姿で終わるというのは、ひとつの英雄譚の「幕引き」の形式として成立していたはずだし、過去の創作でもいくつもあっただろう。 

 だが、そのあり得たエンディングは選ばれなかった。

 進行中の話題をあまりしたくはないが、今回の震災自体は、多数の犠牲者を出した痛ましい事態であったとはいえ、上記の分類に含まれるのはお分かりいただけるだろう。政治・行政が混乱していようがなんだろうが、人間の尊厳が喪われたり、叡智が無意味であったわけではない。少なくとも不屈、相互扶助、そうした美徳が現に示されたことは間違いないし、それは世界中に発信された。元通りになるかどうかはともかく、コミュニティの生活はやがて取り戻される(そして、その過程でむき出しの資本や個人のエゴも散見されるのは想像に難くないが、それもまた人間らしい)。
 また今回の震災では日本人の不屈の精神が特に賞賛されたが、それは歴史上決して稀なことではないそうである。美徳の発露は過去破局に遭遇した世界中の人々の間で目撃されている。

 一方で核燃料発電事故の話は話題にすらしたくないのが私自身の率直な気持ちだ(自分自身が直接的に影響を受けていないという前提であるが、直接的な影響を受けた人たちの立場で真剣に考えることすらできない、不可能であるという意味だ)。
 なぜなら、そこでは英雄は「無意味」であり、美徳は「無意味」どころか大変「有害」なものに変容してしまう場合があるからだ。すでに生活圏を奪われ、いつ戻れるかもわからない者たちに対して、どうして、誰が、美徳を示せ、尊厳を保てといえるのだろうか。
 それ以上に希望がないことが重要である。いったい収束・終息するのかどうか、復旧・復興するのかどうか、できるとしていつなのかすら不明なことがその理由だ。 

 核燃料発電事故では「実は誰も死んでいない」という指摘があるが、ただ運がよかっただけだろう。そんな理屈に意味があるなら鉄道、飛行機、さらには自動車よりぜんぜん安全なことになる。そうではなく、もしかしたらあり得るべき真の破局を垣間見せたことが、今回の事故の最大の意義ではないか。

 もちろん今回の震災は、日本以外に「直接的な」影響を与えてはいない。だから、ME3の騒ぎが震災と直接的に関係しているはずはない。上ではあくまで、ふたつの破局を例示しているだけだ。
 「破局待望論」、「終末論」、「黙示録的世界観」はむしろ欧米の思想家が前世紀はじめ(第一次大戦直後)あたりから注目し始めたものだそうだ。人類文明が破局へと傾斜していくことに悲観し、警鐘を鳴らす言説は数多い。大澤氏に言わせれば破局的な現実への衝動は二十世紀の論者たちの通奏低音である。
 そして、テクノロジーに過度に依存した人類、テクノロジーに堕落した人類が、破局への道をひたすら転がり落ちていくという発想は、何も思想家の論をむさぼり読まなくても、(少なくとも)先進国の国民であれば漠然と抱いている感覚だろう。
 日本の核燃料発電事故はそうした発想をきれいになぞるひとつの事例である。

 そしてME3のエンディングが見せてしまった破局もそうである。

 「ME3のエンディングが、なぜ批判を呼んだのか」については、私なりの答えは上のとおりだ。そしてシェパードがひとりで静かに地球を見つめ、ひっそりと終わる「あり得た」エンディングの代わりに導入された三つのエンディングは、あまりに陳腐であった。

 具体的な話ならそうだ。

 だが、ガイジンのオタク連中が口々にいう、"closure"、幕引き・幕切れ、その感覚が不在であるという批判は、具体的なエンディングをさしているわけではない。

 もっと言えば、具体的な話だけで終わってしまうと、あの甚大な損害を日本に与えた、これからも与え続けるかもしれない核燃料発電事故のきっかけとなった震災を、私はくだらないただのヴィデオ・ゲームの与太話の「ネタ」に使ってしまったことになる。

 それでは誰がどうみても、血も涙もない非情な冷血漢である。 

 だからここで終わるわけにはいかない。幕引き・幕切れ騒ぎの本質を考えなければならないのだ。 

 上は、「ME3のエンディングが、なぜ批判を呼んだのか」という具体的な問いであった。

 今度の問いは、「物語のエンディングは、なぜ議論を呼ぶのか」だ。

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