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2012年5月

2012年5月28日 (月)

【DA2】「ドラゴンエイジ2」追加アイテムパック2

 忘れた頃にやってきました。映画「ドラゴンエイジ」のBD。日本語版。

 そしてPSNではゲーム「ドラゴンエイジ」のアイテムパック2の発売開始。たしか映画DVD/BDに同梱とか言っていたのでそのタイミング待ちだったのでしょう。

 アイテムパックの同梱については、すでに映画公開時に突っ込んでおきましたが、あまりに間延びしすぎです。 

 BD版英語版は予約購入をキャンセルしてしまいました。
 うまくいかなかったタイアップ(tie-in)企画の残滓を見るのは辛いものがある。

 昔に比べてヴィデオゲームの賞味期限はずっと短くなってしまったんでしょうね。

 

2012年5月27日 (日)

ドラゴンズドグマ温情仕様?

 ドラゴンズドグマ、はじめるにあたって大失敗がひとつ。

 ひとりめウォーリアー。

 システムに関するなんの予備知識もなく、わけもわからず自分のポーン(メインポーン、和製英語だなあ)は、何からなにまで思いっきりデフォルトでやってしまった。野郎メイジ。

 なにがすごいって名前(ニックネーム)もAdam(Ace)、デフォルト(笑)。

Dragons_dogma_screen_shot__4
 マネージャーかよ、ってくらい影が薄い。

Dragons_dogma_screen_shot__16
 宿屋の寝室に水差しでも届けにきた給仕ですか。

Dragons_dogma_screen_shot__17
 おっと、暗闇からいきなり戻ってきたから、NPCと間違えたよ。
 ってNPCに違いはないんだが。

Dragons_dogma_screen_shot__18
 よそ様からお借りするポーンは女子が圧倒的に多い。
 これは私の趣味というよりも(このレベル帯の)ポーンでは圧倒的に女子が優勢なのだ。
(ちなみに私の基本はファイター、メイジ、メイジ、ストライダー。結構シビアだけど、最初はこの編成がなかなか面白い)

 うちの子はそんなデフォルト仕様のレンタルポーンなので、きっとネットで使っていただけないのだろう。「その他大勢」、「そんなやつクラスにいたっけ?」になってしまうんだろう。

 けなげにも朝宿屋で起きると「異界で仕事してきました」とか言って帰ってくるが、どー考えても生身のプレイヤー様に雇われたとは思えない。

 スキルなんかはまじめに(オーソドックスに)つけて、レベルアップしたらこまめにアップロードしてはいるんですが。

 ところが、何かしらのお土産は毎回もらって来るのだ。
 友達少ない(いない)私のようなプレイヤーで、自分のレンタルポーンがたとえ誰からも雇われなくても、きっとシステムがお土産くれるんだな。

 さびしがり屋さんになんて優しい仕様なんだ。

 ところがそのAdam、先ほど大量のお土産とXPを抱えて戻ってきた。

 お、雇われたんかい! まじめに初仕事?

 お土産についてはオーナーさん(使っていただいたプレイヤー)がインヴェントリの回収忘れたのかな?

 いや・・・。違うな。
 きっとロストしたんだろうな(笑)。
 レンタルしたポーン、ロスト時のインヴェントリがどうなるかわからないんだけどね。 

2012年5月26日 (土)

ドラゴンズドグマ

 外出の用事などがあって、まだ数時間しかプレイしてませんが。

 不満はたったひとつだけ。

 プレイヤー・キャラクターは常時ひとりしか許されない?

 新しいキャラクターを作ろうとすると、セーヴデータは削除される。

 ファイターではじめたけれど、そりゃストライダーもメイジもやってみたいよね。

 一周終わったら枠が開放されたりするのか?
 DLCで売ったりするのか?
 それともそんな要求を持っているのが私だけなのか?

  セーヴファイルをUSBメモリに逃がしてやってみんだろうな。

 ネットに出張中のポーンなる従者がどうなるか、処理的に気になるのはそこだけ。
 ま、吹き飛んでも数時間がぱあになるだけだ。

 試した。

 んー、セーヴファイルの名前が一緒だから、うっかり上書きしちゃう危険があるな。 USBメモリ三本くらい用意すべきかも。

 一応、入れ替えは可能みたいですが、二人目主人公がまだポーンをネットに登録していないのに「お仕事して来ました」とか言っているな・・・。

 ネットワークに貸し出しているポーンのデータがどうなってるか、ちょいと心配ではある。

 ま、うっかりで事故もおきそうだし、あまり頻繁にやるべきじゃないですね。

 それ以外は本当に文句がない。

 DLCも100円なら気にならずに買える。

 しかしB'zか・・・。気合が違うなあ。

2012年5月23日 (水)

ルーター変更。

 DiabloIII、ちょこちょこやってます(まだ長女がレベル15あたり)が、サーバーからの強制射出がちょっと耐えられない頻度になった。

 私だけじゃなく、かなり広範囲で発生しているらしい。Blizzardも認識していて、「なんとかするつもりだが、お前たち側もなんとかしろ」といくつかのノウハウを示している。

 その一番目が「ルーターを最新式に変えましょう」であった。

 旧機種は何年前のルーターだっけなあ・・・。一回新機種に更新したのだが、そいつのほうがおしゃかになってしまい、結局古いものをまだ使い続けていた。おそらく10年選手?

 スピード的には私はあまり気にならないのだが、最新機種だと結構速くなるよ、みたいな話もあるので、思い切ってBuffaloの最新式有線ルーターを買った。

「企業向け拠点間通信も簡単に設定できる!
 外出先からも高速でリモートアクセスできる!
 iPhone/iPadからも自宅のPCにアクセスできる!
 USBポートつきでHDもプリンターも接続できる!」

 このうたい文句のどれひとつ、「あっしには係わり合いのねえこって」だったのですが。リモート・サービスは有料だしね。

 Buffaloの何がいいかというと、ほとんど設定がいらない。サルでもつながる。
 私の場合CATVのブロードバンドなので、プロバイダー側の設定も何もいらないはず。

 そのはずだったんだが・・・。

 つながらねえ。

 CATVのモデムはしばらく(30分?)電源切って放置しましょうね。

 そのとおりやって、風呂に入って、帰ってきてもつながらねえ。

 なんでかなあ、としばらく悩んだ。ゼッタイ、サルでもできるはずなんだ。

 このままでは私はサル以下になってしまう。

 あ!

 実はVitaちゃん用のWi-Fi通信のために、つい最近同じBuffaloの無線ルーターを導入していたのだ。

 PCには、この無線ルーター経由で有線でつないでいる(ちょっとした住宅事情があって、完全無線化は難しいんです)。

 そいつの認証がいるのか・・・。

 認証つうか、それすらワンクッション、超簡単な設定(はルーターが勝手にやるのでただの操作)が必要だったのです。 

 おお、さくさくつながりました(さくさくじゃねえだろ)。

 しかもちょっとだけ速くなった!

 と気がついたときには、もうDiablo IIIをやり倒す時間はほとんど残されていない。

 明日も早いしなあ。

 しょうがない、寝る前にVitaでペルソナ2罪でもちょこっとやるか(やるんかい! じゃなくて今までやったことないんかい!)。

 ペルソナ2罰を買って、最初の画面で「ペルソナ2罪のセーヴデータをインポートできます」という表示を見て、いてもたってもいられず買ってしまったのだ。A型だから。順序を踏んでやらないと気が済まないもんで。(ってもP3Pは先にやっているという矛盾)

 ってことでペルソナ4がVitaで出ても、しばらくやらないんだろうな・・・。

 Diablo IIIもいつになったら先に進めるやら。ドラゴンズ・ドグマもそろそろ到着するんだよな。

 遣り残しゲームだけがどんどん積み重なっていく。 

 

2012年5月22日 (火)

ノマド、エア会議

 SAPIOの深川峻太郎氏のコラムは、いつも「ふふっ」程度には受けていたが、今回(6月6日号)はバカ受けです。
 (残念ながらこのコラム全文はネットに載らないみたいだ。ぜひ本人が公開してほしいくらい秀逸)

 ノマドワーカー。サテン(喫茶店)のテーブルにPCやスマホなど並べ、たったひとりでヘッドカム(ハンズフリーというからそうだろう)に話しかける、その風情は「エア会議」(笑)。
 
 でも「サテン」と言ったら怒られるんだって。「カフェ」(笑)。

 ノマドとは、もちろんRPGファンには(歴史ファンには)おなじみ、ノーマッド(nomad)のこと。遊牧民の総称ですね。SEGA Nomadのことでも「ローゼンメイデン」のアニメ製作会社でもない。
 
 Wikipedia(en)によれば、学術的に正しいかどうかしらないが、ノーマッド文化は次の三種類に分類される。日本語の「遊牧民」はこのうち一部しか言っていない。

・hunter-gatheres、狩猟・採集民。約1万年前から続く、人類にとって原初的生産・生活形態。

・pastoral nomads、いわゆる遊牧民。牧畜用の牧草地(pasture)の再生手段を基本的に持たないので、主として季節ごとに数箇所を巡回する。

・peripatetic nomads、巡回遊歴民。peripateticの元の意味は「逍遥」、徒歩で移動(巡回)する人のことだが、定住者の集落間を巡回してそれらの集落に(または旅の同道者に)自らの工芸技能・技術を提供し、あるいは商取引を持ちかけることで生計を立てている民。
 
 なんでこんなことを書いているかというと、すでにゲームブログじゃなくなっているんだけど、ちょっとはそれらしくはしようかなあ、という悪あがきだったんですが、なんかいい感じじゃない?
 人によってどんなゲームを(ゲーム以外のメディアなどを)想起するか色々でしょうが、私はやっぱ「ロマサガ」。なんだか強烈なイメージがあったね。あるいは往年のAge of Empiresシリーズがちょこっと。Civilizationシリーズはそこまで(ノーマッドの)細かい表現はしていなかった気がする。 

 お気づきのようにDAシリーズのデーリッシュは遊牧民がモデル。MEシリーズのタリちゃんの種族であるクォリアンは巡回遊歴民がモデル(クォリアンは防疫上の理由で家畜を飼わない。それが理由で遊牧民じゃないというわけではないけど)。

 そしてどちらもscavengers、定住異種族の周辺部で、廃品回収(ゴミあさり)やサルヴェージなどをして交易の糧にしている。その行いが(定住異種族からの)差別・偏見の源でもある。

 でもこういう世界の話、たぶん私自身が一番鈍いほうだろう。個人的にThe Witcherシリーズ(の物語)にあまり強く惹かれないのは、ノーマッドや異民族の移民(あるいは難民)の背景設定がいまいち飲み込めてないんじゃないかと思うから。

 上の三つ目の類型peripatetic nomadsの代表がジプシー(Gypsies、単数Gypsy)。いまはそう呼んではいけないという動きがあるそうで、彼ら彼女らが自称しているロマニー(Romanies、単数Romany/Romani)あるいはロマ(Roma、単数Rom)へと読み替えが行われているそうです。

 ん、なに? ドラクエIVのマーニャ・ミネア姉妹を思い出す? 君ら同人読みすぎ。
 
 本題に戻ります。コラムで特に秀逸な観察・考察は、なぜそういう「エア会議」のように見える行為がこちら側から見て「いらつくか」の部分。
 筆者によれば「カフェ」(笑)における見た目「エア会議」の不快さは、車内化粧、車内通話と一緒だという。「誰にも迷惑かけてないじゃん」(車内通話は必ずしもそうではないかもしれない)という反論があるとしても、「あたかも周囲に他人がいないかのごとく振舞う(つまり迷惑を掛け合う関係性すら眼中にない)」その態度が不快なんだそうだ。
 つまり、周囲環境に対する圧倒的な無関心ということでしょう。
 
 「職業フリーランス」、「職業安藤なんとか」(その女性の本名)と自称している有名人?へのつっこみもいけてる。
 かつて「職業本名」で通用したのは、日本の場合は次の人しかいないはず。
 
 職業、長嶋茂雄。
 
 現役引退後、海外に渡航する際、空港または機内で作成する入国関係書類の職業欄にそう書き込んだそうな。
 ミスターと同格なんだって? んなわけないな。
 
 「フリーランスは名刺や住所が大事。クリエイティヴな仕事をしているのに名刺の住所は足立区ではイメージにそぐわない」
 
 長嶋茂雄に名刺は要らない。住所も関係ないからね。

(現役時代のフライチャンズが読売だったんだから「住所」関係あるやろ!という指摘あるかな。でも当時は「やっぱりあれはファール」村山擁する阪神だって、「自称月見草」野村克也の南海だって、稲尾様の西鉄だって人気球団だからねえ・・・。読売だから長嶋が長嶋になったという話は因果関係が逆な気がするけどね)
 
 「足立区」云々に関しては、足立区のハイテク・ハイスキル産業とかクリエイティヴじゃないのかなあと、筆者が的確に突っ込んでいるので省略。「名刺や住所が大事」と言っている時点でこの話はすでに終わっているのだが、筆者も1984年あたりに痛烈に揶揄されていた「横文字職業」の「周回遅れの悪い冗談」としか思えないという。
 「私はこんな勘違いをしています!」と宣言しているのと同じで、とっくの昔に「ダサい」に仕分けられたスタイルだそうだ。
 
 まじめに言えば、ノーマッドの三つの類型の中でノマドワーカーが当てはまりそうなのは、peripatetic nomads。であれば本来ジプシー、あるいはオフィス・レフュジー(難民)と呼ぶべきであったはずだが、しゃれたノーマッドなど使うから話がややこしくなる。
 
 ああ、今回はなんだか面白かった。  

 でも、周囲環境に対する圧倒的な無関心ということでは、車内シャカシャカ(音楽)、車内スマホ、車内ハンドヘルドゲーも一緒? 車内読書も、車内新聞も一緒?
 化粧や通話と何が違うの?
 そこらへんの線引きはじっくり考えないといけないんだろうが、今日は疲れてるのでここで思考停止します。宿題宿題。 

 

2012年5月21日 (月)

金環日蝕の日に。

 金環日蝕(サイエンス、天文学)とスカイツリー(テクノロジー、エンジニアリング)で盛り上がっているところに水を差すようですが(インテンショナル)、この科学展は見たいなあ。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120521/scn12052108000007-n1.htm

 「世界の終わりのものがたり」

 日本科学未来館

 視点が、「子供を持つ母親が核燃料発電事故で」どうしたこうしたとか、そんな話だけならあまりに陳腐で、それ以前に無意味で、興味が沸くわけなかったのだが。

 ”基調となるのは、文明も人類も地球も、いずれ終わってしまうという認識だ。「リスクをもたらす可能性のあるテクノロジーの研究を進めるべきでしょうか?」「人が生みだしたテクノロジーを、人は使いこなすことができるのでしょうか?」など、科学技術への信頼に疑問を投げかける質問文も多い。”

 これでもまだ正直物足りないが、事業仕分けの対象になった官製ハコモノの企画としては、精一杯のところを狙っていて、まあいい感じではないですか。

 そして、そういう問いに、未来館がどんなふうに勘違いした答えを出しているか(問いに答えていないか)観にいきたい。

 つまり「世界はどうせ終わるのに、どうして『科学の未来』を気にする必要がある?」という問いを自分で投げかけていながら、さくっとそれをはぐらかしてるんじゃないか、と期待されるのです。

 一言でいえば、そうした問いに答えるにあたって、リスク社会の論点をきちんと踏まえているんだろうか、ということですね。きっと踏まえてないでしょうねと想定しています。その期待が裏切られるならばいいんだが。

 そういえばようやくベックの「リスク社会論」を入手することができた。ところが1998年出版の日本語訳は「危険社会-新しい近代への道」という書名なのだった。原文ドイツ語なので私には何もつっこめませんが。

 いまや「リスク社会」のほうがとおりがいいらしい。

 二つの大戦からチェルノブイリ事故(1986年、「危険社会」の原書が発刊された年でもある)に至るまでの二十世紀におきた多くの破局的な事件を踏まえ、人類が自然を社会の一部に取り込む(支配する)ことによって、自然破壊を社会の一部としてしまい、さらには自然が社会にとっての脅威にまで変貌してしまう、ということがテーマであるようだ。

 読んでから観るか、観てから読むか。 

 その前にDiablo IIIをちょっとだけやろうかな(だめじゃん)。

 

2012年5月20日 (日)

Diablo IIIのリズム

 オリジナルのDiabloをプレイしたのは遥か昔の話。1996年大晦日発売だから、その次の年くらいかな。余談ですが、このブログ全体が余談ですが、大晦日リリースってのは異常に感じますよね。クリスマス・リリースにめっちゃ間に合わせたかったんだね。でもできなかった。

 一説によれば、その開発最後のラッシュのおかげでローカリゼーションが困難なつくりになってしまったそうな(当初は英語版以外が存在しなかった)。ツーバイトコード圏(日本語圏もそうだ)では間違いなくあきらめざるを得なかったのかもしれないが、アルファベット圏(欧州)でも英語版しか存在しないそうだ。
 とはいえ本邦の好事家たちは当時かなり盛り上がっていたような気がする。Windows95時代、若い子は知らんだろうが、インターネットが日本にようやく普及し始めた頃(ISDN?! テレホーダイ?!)。

 もっとも、1996年はポケモン誕生、バイオハザード誕生、任天堂はN64発売、プリクラ、コギャルブーム、翌年1997年はFFVIIが世に出た年であり、ヴィデオ・ゲームのミリオンセラーが続出した(主としてプレイステーション由来の)大ブーム時代、あとたまごっちとかハロキティ、マイメロとか、どんだけ天下泰平なんだよ!っていうこの島国で、わざわざロード・オヴ・デスと戦うため日夜ダンジョンに潜る勇気ある(暇な)輩は限られていた(だから「好事家」と言っている)。

 Diablo IIは2000年、欧州版もほぼ同時発売だった。日本語版も同年数ヶ月遅れてカプコンが販売した(そうだ、私は日本語版をプレイしたことがない)。

 さらに10年以上が経過してDiablo IIIがリリース。

 GameSpotなどのユーザーの書き込みを眺めていると、ゲーム本来とまったく関係なく、DRM、常時オンライン制に対するヘイトがダントツですね。それはBattle.net批判でもあるけど、DiabloIII固有の話じゃなくてどこにでもあるから省略。

 次に批判があるのがサーバー周り。ローンチ当初のサーバー・マネジメントがいまいちだったらしく、リワインドもなしの強制排便が多発したとか。現在では収まっているそうだが、私個人も含めレイテンシー問題がまだ残っているようだ。何時間かに一回くらい、結構排便されます。

 それ以外は、意外にもめぼしい批判がないんですよね・・・。

 まあ探せば「Diablo本来のおどろおどろしさが失われた、オカマ趣味のアートスタイルが許せない」ってのもあるけど、それに同意する人は少ないのではないか。確かに過去作の(あんまし絵柄がうまくないから逆にめっちゃ怖い)世界とは違いますが、十分雰囲気出てると思うけどね。
 最初の頃から登場するモブでは個人的には「グロテスク」なるモブがまじでグロテスク(笑)。DnDのオンラインゲーム、DDOに出てきたディーモンにもめちゃくちゃ気持ち悪いオーソンってのがいたんだが、それとタイ。

 あとは「温すぎ」批判。これも必ずあるねえ。「10時間でクリアしちまった、ぬるくてもうやってらない」。MMOでもなんでも必ず出てくる。最近は「映像で証明しろ」とか言われるからホラ・嘘ではないんだろうが。
 申し訳ないがNormal難易度は、おっさんにはちょうどいい湯加減です。いや、むしろ調整は絶妙じゃないのか。いやならNightmareでもHardcoreでも好きにすればいいじゃないか。

 今日のお題はこの調整に関するもの。今までは枕。

 10時間くらいのプレイの感想です。オリジナルは確かに猿のようにやった。長時間ぶっ続けでやった記憶がある。当然徹夜も何度もあった。

 いまやそんな気力も体力もなく、休みながらやっている。ひとつよい方法は、5つのクラスをロール(ってもキャラクター・ジェネレーションは性別・名前以外一切触れないが)して、代わりバンコに進めること。

 ディーモン・ハンターを長女にしてはじめたのですが、他のクラス専用アイテムでなんだか凄そうなのを拾うとやはり渡したくなる。専用スタッシュに放り込んでおけば別キャラ(妹たち)に簡単に切り替えて渡せるので、ポイポイ渡す。

 受け取ったほうは、お姉ちゃんの拾ったものはレベルが高すぎる。でも使いたいのでレベルアップにいそしむ。結果的に姉妹全員そこそこのレベルで進む。護送船団方式。ゆとり教育方式とかいうな。

 もちろんマンチにとって、それは阿呆のやることです。理屈上は一人目キャラをごんごんレベルアップさせて、結果としてルートの品質が格段に高まるから、それを二人目以降のキャラに配分するってのが鉄則、MMOでもなんでもマンチのおきて。
 マンチじゃないから関係ない。ソロプレイだし。

 で、5つのキャラをやっていると気がつくんですが、難易度調整だけじゃなく(二人目以降はもちろん理屈上多少温くなりますよね)、テンポ、もっというとリズムの調整が抜群なゲームであることがわかる。

 実は、Diablo IIIのシステムのコンセプトはDungeon Siege IIIと完璧に似ている。そこからDSIIIを開発したObsidianの連中がかなり賢いってことがわかる。つまり、デザインレベルではDiablo IIIが向かいそうな方向をドンピシャで当てているのだ。主流はここに行くだろう、と予測していたんですよ。

 でもやっぱり頭に手足がついていかないObsidianだった。実装が最悪。比べるとDiablo IIIの「強いところ」がわかる。DSIIIほどひどい実装ではないが、やはりDiablo IIIには足元にも及ばなかったTorchlightと比べてもいい。

 巷でよく言われている点もあげましょう。

・ルート・テーブルが絶妙。ランダムなはずの拾いゲームが神がかり的な営みになる。

・上にも書いたように(Normalの)難易度が適切。十分にテストされ、練られている。チート臭いくだらない関門でプレイヤーを足止めしたりしない。

・テンポがあまりによい。実はテンポだけではなく、重要なのはリズムなんです。

 ルート・システムについては、WoWのルート・マネジメントが「神がかり」だとのたまったのは私ではなくペニアケの彼。もちろんオリジナルの元型はDiabloのほう。Blizzardのノウハウはすべて共有されているだろうから、DiabloもWoWも「ランダムの魔法」を完璧にマスターしているということでしょう。残念ながらDSIIIもTorchlightも99%がゴミ拾い作業。

 難易度は本当に絶妙じゃないでしょうか。DSIIIは「開発者が実際にプレイしたとは思えない」ひどさ。温いところは極端に温く、関門地点ではチート臭いボスが邪魔をする。最後までNormalでがんばったが、苦痛以外の何ものでもなくなった。
 Torchlightも、最後のほうになるとただモブの数で押すだけで難易度を調節している。画面は入り乱れてわけわからん状態になって、致命的な一発を回避するには運に頼らざるを得ない局面もある。

 リズム。そう「クリック、クリック、クリック」のことを言っています。三つだから三拍子とか悲しいこというなよ。四拍子だろ。「クリック、クリック、クリック、(休符)」のことなんですよ。

 音楽レヴューの近田春夫氏がこんなことを書いていた。「昔はファンクとか凝ったリズムがよくて、そうじゃなきゃ物足りないって辛口で採点してたんだが、(年をとった)今はべたなフォービートでいいね。凝ったリズムは聴くのがめんどくさい」

 これだと思う。もちろん私個人がオリジナルDiabloの時代からえらい年をとったのもある。だから普遍化しようとは思わないが、きっと麻薬的な愉悦が得られる秘訣はこれ。
 DiabloIIIはベタなフォービートなんですよ。

 そういう演奏は普通「アマチュア」、「へたくそ」と言われる。そうならないためにアクセントをつけますよね。そうそう、そのアクセントもバッチリ(やっぱ白人が作ってるからちょっち過剰に)ついている。それがキャラクター・クラスごとのタレント、特殊技ですね。これはどのクラスでも意図的に映像も音響も「バスン」、「ドーン」とくるように仕組まれている。「クリック、クリック、クリック、バスン、クリック、クリック、クリック、ドーン」。これで気持ちよくならない人はあまりいない。(何も必ず四拍目にあるわけではない。何拍目だろうがお好きなように聴いてください)
 かたくなにベタな(スーパー・ジャストな)フォービートで、アクセントが過剰気味でついている。ヘビメタっすよね。メタリカだ。

 Torchlightもどちらかといえばベタなフォービート(エイトビートか16ビートかもしれん)といえるけど、アクセントが欠落している。そこはDiablo IIIと大きく違う。スラッシュメタルかな。

 DSIII(に求められるマウス・クリック、あるいはWASD方式を取っていればキーボード操作も)はある意味ファンクなんです。シンコペーションだらけで、もとのリズムがわからなくなるくらい凝っている。複雑。
 リズムが今どうなってるかわからなくなるってのは、ボスキャラ(モブ)の攻撃がリズムを管理してるってことだ。やらされ感爆発。逃げ回り感爆発。作業感爆発。そしてキャラが死ぬ。

 「スーマリは作業をアートにしてしまった」というアート専門家の評があると以前ご紹介しました。名言ですね。Diablo IIIもクリック作業を恍惚感を伴う一種の音楽にしてしまったんでしょう。

 (任天堂マシンを持っていないので)最近はわかりませんが、往年の「ゼルダ」の癖になり加減も、今思えばきっとこのプレイのリズムのおかげですね。ま、あっちは(BGMもそうだったけど)二拍子、マーチかもしれない。

 Diablo IIIは前作から十年の間テストばかりしてたとも思わないけど、シリーズの「売り」を再現してさらに上回ろうとすると、やっぱ大変だったんだろうと思います。

 最後に、Diablo IIIは「シリーズでも最高にストーリードリヴン」なんだそうだが、BioWare亡者としては、そこは鼻で「ふっ」とか笑っておきます。たしかにライティングは一流の水準だけど、ネタは見事に一本道。でもそんなところはDiabloの売りじゃない。

 この内容はさすがにプレイしない人には伝わらないので、ぜひ。デモでもあればお試しあれ。

 では、口開けてクリックの世界に戻ることにします(笑)。

 

2012年5月19日 (土)

Diablo III 中断中。

 Diablo IIIのサーバー(US)が緊急メンテナンスで、30分ほどダウンしていたので暇になりました。

 Diablo IIIはゲームストッピング・バグが見つかったり、リアルマネーのオークション・ハウスがまだ稼動していなかったり、プレイ・マニュアルがどこにもなかったり、結構どたばたですね。 

 私個人でいえば、理由がわからないのですが、プレイ中にサーバーから結構頻繁にはじかれる。

 もう再現しなくなったけど、プレイ開始直後に同じNPCが同時に二箇所に現れるドッペルゲンガー・バグも私の場合は発現した。まったく致命的じゃないし、なぜか二人目以降のキャラクターからは発現しなくなった。

 ゲームストッピング・バグは、ディーモン・ハンターの場合、フォロワー(テンプラー)にあるタイミングで盾を渡すと発現することがあるらしい。発現してしまうとサーバーに二度とログインできなくなるそうだ。

 実はルックスだけで選んだ私の一人目キャラクターがディーモン・ハンター女子なのです。 ちょうどテンプラーをリクルートした頃だったんで、フォーラムの記事を真剣に読んでしまった。触らぬ神には祟りなし、で対応しています。

 さらに二人目?のフォロワーも、スポーン予定地点に同時にモブがいると二度と出現しない、というバグ記事もあった。プレイヤーがモブをトレイン(カイティング)しなければまず発現しないような書き方だったが、まだ出くわしていないので場所がわからない。発現してしまったら、もうそのフォロワーをあきらめるか、ゲームを最初からやり直すしかないそうだ。 

 それって結構初歩的なやつですよね・・・。

 まったりやっているので、一番進んだディーモン・ハンターでもレベル10。
 集団を相手にするのが(今のところ)苦手な、プレイの難しいクラスぽい気がする。外見で選んじゃったからなあ。

 おっとサーバーが復帰したようだ。30分程度のダウンタイムだったから、バグフィックスのメインテナンスじゃないようだ。

 それではまた行ってまいります。  

 

世界史ブーム(2)

一般大衆に広まったときがブームの終わりのはじまり。

 もうひとつ指標がある。どちらもそのシグナルによって事前に何らかのアクションがとれる
「先行指標」ってわけじゃなくて実際は何をするにも手遅れになる「遅行指標」だけど。

 一般紙(新聞)に記事が載ったときがブームの終わりのはじまり。 

 ふたつとも連動しているのでしょう。

 というか、次が一番正しいのかもしれない。

 私(ブログ主)が気がついたときはもうブームの終わりのはじまり。

 早い遅いの差があるが、「世界史」ブームとやらに各紙ともアウェアしている。

 産経新聞はたぶん一番遅いほうで、本日記事が載っていたが、内容はどう流行しているかばかりでなぜ流行しているかの「理由」がほとんどなくがっかり。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120517/bks12051708090001-n2.htm

 せっかく山内昌之教授を登場させているのに、コメントは次のような内容。
もうちょっと踏み込んだ意見を引き出してほしかった。
(以下、下線はすべてブログ主)
 
"歴史を学ぶと、全く違う時代の出来事に現代と同じような構造があることを見いだせる。
時代の転換期に不安を感じ、世界の中の日本の行く末を考えるとき、歴史に教訓を求
めるのは当然
"

 「構造」はたしかにキーワードでしょうが、これではあまりに当たり障りがなく物足りないので、
ネットからそれらしい「理由」を拾えるだけ拾ってみる。

"先の見えない混沌とした時代に、人類の歴史を学び直したいという欲求が高まっている
のかもしれないが、これまでの「世界史」と何が違うのだろうか・・・"(asahi)

"購入の中心層は中高年で、今になって世界史の本を手にするのは、流行の
学び直し」に目覚めたのか。それとも日々変わる世界の政治情勢に対する関心からか――"(読売)
 
 「学び直し」という言い方は嫌いだが(だって英語も数学も歴史も、なんであっても今までまともに学んでこなかっただろうが!)、「人として世界史ぐらい知らなければお話にならない」(理想主義)、あるいは「世界史くらい知らなければ相手にされない」(功利主義)という態度は当然あってしかるべきだし、もしそういう発想から多くのさらりまんが買い求めて(本当に読むなら)それになんの異存もないというか、好ましい。

 歴史を学ぶなど西欧の上流階級、インテリ層では常識以前の話であり、他国の(世界の)歴史も知らずに「国際化」を語るなどチャンチャラおかしいわけで。それ以前に自国の歴史も知らなかったりすると眼も当てられないわけで。もしそれでいいなら一億国民総帰国子女化すればいいじゃん。あるいは、みんなローラかトリンドルみたいになればいいじゃん。それはそれで楽しそうだが、国富維持の面からどうかしら?

(ゲームブログちゃうやんという批判を回避するためネタをちりばめると)The Witcherシリーズはご承知のように波蘭のファンタジー作家の原作をベースにしており、物語は同国の12世紀からはじまる国土分裂の歴史(王室内の血で血を洗う抗争)を見事になぞっている。もちろん私も実際調べるまで知らなかった。今ではその時代のことならそこそこ語れるようになっているわけで、興味さえあればすんなり入ってくるものですよね。

 毎日には中西寛教授が登場していた。これは期待できるかな。

http://mainichi.jp/opinion/news/20120408ddm002070099000c.html

"最近、世界史の著作に関心が集まっているという。ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」(草思社)やウィリアム・H・マクニールの「世界史」(中公文庫)といった数百ページの大作が、意外なほど売れているらしい。良いことである。両方とも名著だから広く読まれることだけでも喜ばしいが、それ以上に、こうした著作が多くの読者を獲得している点に、日本人が真剣に国のあり方を考えている兆候を感じるからである"

"人類が地理的な制約を超えて一体感をもつ超近代的な世界と、西洋社会が台頭する以前の前近代的な多文明世界の共存、それが今日の世界の姿である。この世界がどこに向かうのかはまだ分からない。だからこそ、歴史にヒントを求めようという動きが出てきているのだと思う。
 こうした試みはとりわけ日本人にとって重要だろう。なぜなら、世界の中で自らの置かれている位置を理解し、めざすべき目標を共有した時に日本人は力を発揮するからである"

 上を噛み砕くと、「歴史に学ぶことは、とりわけ日本人には重要だろう。なぜなら、歴史に学べば日本人はこれこれの時代(歴史に学んだ時代?)に力を発揮してきたからである」
 
 トートロジー? 循環論法? 循環論法が悪いなどと一言も言っていない(実際それ自体悪くないし)が、でもそれではなぜ「歴史に学ぶことが有意義か」がわからないんですよね・・・。中西教授は「歴史に学ぶことが有意義だ」という前提を置いちゃってるわけだから。
 たぶん、「歴史」自体に再現性がない(不可逆性がある)ため、人類は不確実な未来を予測する際に過去に頼る以外になんの手段も持ち合わせていない、ってことなんでしょうね。過去に頼ることが有意義かどうかわからないけど、お手本、拠り所はそれしかないのだ。
 
 でも、各言説で共通していることはわかった。予想通りともいえる(それを確認する作業だったともいえる)が、まとめると。
 
 「めまぐるしく世界情勢が変化する混迷の時代、真剣に国のあり方を考えている(一部の?)日本人は、過去の歴史に学び、この国の向かうべき針路を選ぶヒントを求めているのだろう」
 
 思考停止の言説にしか読めないんですよ・・・。 
 正直、これ以上の何かを期待していたのですが。 
 ただし、上のまとめに書いたようなことが(潜在的)読者の共通認識にあるんでしょうね。
 思考停止的に思える理由は、次の文章が示してくれている。

「歴史学の目的の一つは、過去を知り、過去に学び、それを現在や未来に生かすことである」(asahi)
 
 さすが朝日。逃げ道をちゃんと確保してる。そのとおりであくまで「目的の一つ」。「歴史に学べ」という言説が無邪気に聞こえるのは、ここが抜け落ちちゃってるからかもしれない。
 しかも、意外と重大ではないほうの「一つ」のような気がする。
 
 他の目的にはたとえば「歴史は勝者の手によって書かれる」とよく言われるように「為政者(強者)の自己弁明、自己評価」があるが、(ここの読者に説明の必要がないくらい)あまりに陳腐だし、それも思考停止的だし、今大事でもないので省略。でも、「国際法」(世界集団幻想)などが拠り所にする過去の歴史も、軍艦を数多く持ってるほうが書き直すことは知っておいてほしいですね。
 
 少なくとも今はやりの世界史については、次のような目的が重要だと思います。
 お気づきのようにダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」という表題は西欧文明が世界を席巻した直接的・間接的な原動力を示す。西欧文明がなぜこれまで優位にたってきたかを説明するのがテーマ。
 クリスチャニティ(キリスト教)世界では必然的に「歴史」を学ばなければならない。神の意思(あるいはその不在)を確認しなければならないから。クリスチャニティ世界(だけに)優勢な文明が発達したのはなぜか、必然なのか偶然なのか解明しなければならないから。
 言い切ってしまえば「過去を現在や未来に役立てる」なんてしていない。「過去によって現在を説明・弁護している」、「現在を必然(あるいは偶然)とみなすため)過去から証拠らしきものをかき集めている」のかな。
 クリスチャンには「未来」なんてひとつしかないわけだから。

 真理(すなわち神の意思)の探求には、宗教上(信仰上)のやむにやまれない要請があるんでしょうね。これはなにも歴史などの社会科学に限りませんけど、宗教(信仰)自体が為政者と結びついた「制度」であるから、同じ為政者の「制度」の中でも重要なのはやはり「歴史」でしょう。

 そういった切迫した動機づけのない日本人が何ゆえに「世界史」ブームなのか。単なる嗜み、ファッションでもいいんですが、それ以外の何かがあると思うんですけどね・・・。

 でも世界史ブームというなら、いっそ「世界史の構造」(柄谷行人著)とか、「<世界史>の哲学」(大沢真幸著)とかに目を向けてほしいなあ。佐藤優氏は「世界史の哲学」(高山岩男著)を薦めていたが、入手できるのかな。
 マルクスとか、西欧優位説とか、グローバリゼーション論とか、あるいは国体(國體)論その他もろもろを(自国語で)自由に読み、語れるなんて日本人の特権ですよ?

**********
 おまけ。
  
 一般誌とはとても呼べないが「ダ・ヴィンチ」は、ちょっとは気が利いたことを言ってほしいですね、と期待。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120510-00000358-davinci-ent

 ブームの背景には、混迷する社会情勢がある。  
 世の中が不安定になると、人は確かな拠りどころを欲するようになる。それが古からの知恵──教養だ。自分の立ち位置を見つめなおし、これからの時代を生きるにはどうすればいいか。そのヒントを歴史や哲学、物理学などの英知に求めるのだろう。そこに、わかりやすい解答はないかもしれない。しかし、書物から得た教養は、未来を生き抜く確かな武器となる。  

 一緒か・・・。

2012年5月17日 (木)

Diablo III到着。

 Amazon.com早すぎるやろ。

 Diablo III(公式ガイドブックとセット)がすでに宅配ボックスに到着していたことに気がつかず、まったりテレビでローラちゃん見ながら、くだらないブログなど書いてしまった。

 二時間! 帰宅後二時間も過ぎてしまったっ!

 あわててPCにインストール。みるとスタンダードパッケージには、DVD、マニュアル、そしてDiablo IIIのインヴィテイション・カード(このコードをお友達に渡してね!)三枚。WoWのゲストアクセスコードつきカード一枚。そしてメモ帳・・・。

 メモ帳て。しかもしょっぼいの。

 インストールが終わり、Battle.netのアカウントもできたんで、アクティヴェイション・・・。

 アクティヴェイション・・・。

 メアドにヴェリフィケイションのためのメールきとらへんやろ。

 延々と待てど暮らせど到着せず。

 もうどうせ遊ぶ時間もないんだから、明日以降でいいかあ。

 まあ、こういうのは気になりますな。やっぱしフォーラムをのぞいてしまった。

 「アカウントのパスワードを変更して、リフレッッシュしてみてくれよ!」 

 そういうフォーラム・マネージャ-の書き込みにだまされたと思ってトライ。

 うまくいったみたいで、いきなりヴェリフィケイション・メールが到着。

 即座にヴェリフィケイション、アクティヴェイション、ゲーム・ローンチ!

 なんとか到着した日のうちにはちょっとだけいじることができました。

 まあ、いいゲームってのは最初の一瞬でわかりますなあ。

 見た目がもう随分いいもの。さらに操作性も。なんの調整もしていないのに、なにこのスムーズさ。 

 これは週末は・・・。はまることになるんだろうなあ。

 

 

  

 

2012年5月16日 (水)

帝国の逆襲

 故カーシュナー監督の大名作のことではない。

 ニューズウィーク日本語版にIT担当のいつものダニエル・ライオンズ氏の記事が載っていた。

 要点だけ書けば、かつて向かうところ敵なしだった悪の帝国MSは、いまやGoogle、Appleの後塵を拝し、舞台の端役どころか出番すら与えられていない。

 だが、Windows8の登場でひととおり出揃うことになるCloud時代のプラットフォーム群で捲土重来が狙えるのではないか。帝国の逆襲なるか?

 ポイントは三つ。

 ・AppleにCloudは無理。デヴァイス屋にはネットワークは無理。iTunesも破綻寸前。

 ・Googleはネットワーク屋だから素養はあるが、人の情報を平気で盗み見る癖がある(合法的に、だが)。不気味で、ちょっと絶えられない。 

 ・Xbox360とキネクトの威力は甚大。すでにXLiveは事実上Cloud化(SkyDrive)している。これがCloud化のコアとなって、家庭のリヴィングルームを占有してしまうかもしれない。

 ・とにかく金ならある。陳腐化したとはいえ、デスクトップ周りの収益はまだ十分にある。
  すでに散々失敗を繰り返してきているが、失敗を恐れる必要が一切ない。

 四つか。

 克服すべきポイントはふたつ。 

 ・デザイン、ユーザーインターフェイスに無頓着な姿勢。だがこれはWindows8にも搭載予定ですでにWindows Phone、X360に実装されている「メトロ」で克服しつつある。

 ・Xbox360とキネクトを、筋金入りの(たぶん原文はハードコア)ゲーマー以外にも売りつけないといけない。 

 最後の点はかなり難しそうではあるが、それも含めていちいち頷いてしまった。

 特に、AppleとGoogleに対する見方はそのとおりだろう。 

 私にとってiTunesはどうにも・・・。もうちょっとなんとかならんのかね? デヴァイスがPSP./VitaとiPodしかないからやむを得ず使っているが、音楽デヴァイスも別にPSPでよかったんだよな。音質は明らかに違う。Sonyが圧倒的。でも商売としては駄目でしたね・・・。 

 ライオンズ氏も指摘しているように、Googleと違ってMSはSkyDriveのユーザー・データーを覗き見たりしない。私もこれからもしないと思う。
 Steamのニューウェルも似たようなことをのたまっていた。そんなこと(盗み見)してまで儲けたくない、という倫理的な心構えもあるかもしれないが、それよりも、そんなこと自体に意味がない(ユーザーのことなどそこからは何もわからない)という立場だろう。 

 へそ曲がりとでもなんとでも呼んでもらっていいが、私はライオンズ氏の見方に同意する。
 X360がリヴィングを占拠する・・・、かどうかわからないが(いや、ないだろう)。
 もしやX720でそうなるかも?(少なくともPS4はそうならないだろう。残念ながら)

 そろそろ本格的に反撃の狼煙を上げる頃じゃねえんすか、バルマーさん?

P3P

 さて、すっかりゲームブログではなくなってきたと自他共に認めるこのブログ。今容量使用量が98.5%。最後まで絞りつくすつもりなので、巨大な画像は載せられない。 

 時間のお話。かなり好きなんすよね。つか、そういうことにかぶれなければ、普通のいたいけな少年少女はサイファイなんぞ読み始めないのだ。

 トリッキーなパズルのようなタイム・トラヴェルものはミステリーとして読めるので、ジュブナイルものでも人気があります。いまだ絶大な人気があるというハインラインの「夏への扉」とか、もちろん筒井先生なら、これ一作残したんだから後いいじゃんともいえる「時をかける少女」。

 筒井先生の「七瀬」シリーズでもそうだし、ペリー・ローダン、最近のサイファイ洋ドラであるHEROES。数あるエスパー能力の中でも時間旅行者、タイム・トラヴェラーがダントツのエリート。たいてい悲惨な運命に見舞われるか、カルマを背負っている点も共通。

 一方、いいところがまったくなくて一番悲惨なのは予知能力者、プレコグ。同じ時間系なのにとっても扱いが悪い。たいていは「自分の最期」が予知できないオチ。なあほな・・・。

 「絶チル」にタイム・トラヴェラーがいたかどうか忘れた(「絶チル」の物語自体が時間ネタだからいなかったかもしれない)。そうなると二番手エリートはたいてい瞬間移動能力者、テレポーター(これはいたな)。時空系っちゃ時空系です。ただし時間の因果律は無視できないことになっている。

 (以下、またしてもくどい話だが前から読んでくれている方許しておくれ。)

 テレポーターもその一種といえなくもないが、私は加速装置もち(エンハンスト・スピード)が二番手エリートだと信じている。代表はもちろんサイボーグ009(作品名じゃなくてキャラクター名)、そしてHEROESでもタイム・トラヴェラーに肉薄できるのは(同じ能力の持ち主でなければ)スピード持ちしかいない。「009をぱくったな」と思った。んまあ、真剣に考えると同じ結論に至るってことかな。
 ジョジョのスタンドにも昔のシリーズであったなあ。結局はタイム・ストップ対スピードの戦いになった。

 X-menにはタイム・トラヴェラーはいなくて、タイム・トラヴェルはテクノロジー扱いだったような気がする。

 安易にタイム・トラヴェラーを出すと、なんでもあり、たしかに身も蓋もない話になってしまう。だから(テクノロジーとして)使いどころを制限したり、能力を自由には引き出せなくしたり(七瀬シリーズ)、使用上の注意があったり、カルマを背負っていたり(HEROES)、結局あっさり時空の歪みに置き去りにされてしまったり(ペリー・ローダン)する。

 どんな能力(テクノロジー)が欲しいですかあ、とかお子ちゃま連中に聞けば、間違いなくタイム・トラヴェルがダントツではないかな。
 いやお子ちゃまは過去が貧弱だから(「深み」がないから(笑))、もうちょい思春期に差し掛かった子達にきいたほうがいいか。世の中のどろどろ具合がわかり始めた中二くらいがいいかも。
 二番目がやっぱテレポーター。どら(略)んのアイテムの人気投票だってそうだ。タケ(略)ターとか言う子は、まずいない。  

 私個人は無難なところで(意味不明)、テレパスの能力くらいあったらいいかな。いやいや、悪いことなんて考えてません。つか、どんなエスパー能力だってひとつあったら悪いことはできるっての。

 ゲームブログは放棄したのかって? 

 いや本題はP3P。今までは枕です(なげえよ)。 

 ペルソナ3はすみません、やってません。PS2時代は諸般の事情で私のゲーム暗黒時代だ。いろいろな作品のHD化を待っています。

 先の記事で、ふたつの、あたかも矛盾しているような時間の感覚について触れました。

 ・自然の現象はくりかえすものだ

 ・人生の変化はもとにもどらない(くりかえしはない)  

 ゲーム(の物語)に批評性があるなら、たとえばこうした概念がなんらかの形で織り込まれているはず。

 断っておきますが、批評性があるゲームが優れているなどとは言っていない。たとえばスーマリには批評性はない。いや本当はあるんだけど、面倒くさいから(今日の本題と違うから)省略。んー、だから結局批評性があるゲームが(ある意味では)優れている、ってことだよ!(開き直った) 

 なんだろう、完璧に敷衍できるほど詳しくないが、もとはやっぱ「ときメモ」(1994年、もちろんPCエンジン!)から紐解かなければならないのか。あるいは「卒業」あたりか(調査中)。

 「卒業」は1992年(PC、この場合PC98な)。おっと「プリンセスメーカー」が一足先の1991年(PC、この場合PC-98な(くどい))かい。「ベストプレープロ野球」(1988年、FC、この場合(わかってるって))。ま、原型はここら辺でしょうか。 

 誰にも明らかなように、P3P(ペルソナ3でもいい)にもこの世界が原型としてある。

 世に言う「育成ゲーム」。「育成(あるいは恋愛)シミュレーションゲーム」。

 お気づきのように「日常系」である。この系譜はとっても根強いですね。いまだに山ほどあるんではないか。健全な私が遊んだものでも「ぱすちゃ」がそうだし、つい先日も遊んでいた「王と魔王と(略)」にも反映されているし。

 繰り返される平穏な日常。必ずやってくる明日。でも今日は昨日とちょっとづつ、気がつかないくらい違う(恋愛なら進展が少しづつある)のでこの繰り返しはiteration。 

 ヴィデオ・ゲームは(もっと言ってしまうとレジャーとしてのゲーム一般は)、本来的・根源的に繰り返しゲーム、iterationである。ゲーム理論はレジャーとしてのゲームだけを扱うわけではないが、術語としての「繰り返しゲーム」は原語ではrepeated game、あるいはsupergame、iterated gameと呼ばれるそうだ。iterationは私だけが言っているわけではない、ということを強調しているだけですが。

 繰り返しゲーム、シミュレーション(根源的に繰り返しモデルでもある)ともコンピューターにとっても親和的。だから流行るのもとてもよくわかる。実装も(複雑なシナリオ・ツリーの管理は別としても)へっちゃらでしょう。 

 卒業(別離)、恋愛成就(失恋)、優勝(敗北)、そうした結末には不可逆性があるっちゃあるが、やはりある意味で「日常」。まあ、彼女にしたい子となんにもないのに卒業しちゃたり、失恋しちゃったりしたら、死にたくなるのかもしれないが、それも常。勝敗(成敗)は兵家の常です。 

 P3Pの場合、そうした学園生活の部分だけが「日常」というわけじゃない。実は裏の時間帯、シャドウと戦う魔時間ですら主人公たちにとっては「日常」。戦いと探索が(ペルソナ持ちである彼ら彼女らの)日常の任務なのだ。

 ここまでなら、似たような趣の物語は他のゲームだっていくらでもある。ぶっちゃければMMOで遊ぶ人たちだって、やってることはみな似たようなもんだ。つまり、MMOサーバーの中にいるときが、君たちの魔時間だっ!(いろいろな意味でね)

 ところがP3Pの物語が進展していくと(ネタばれにならないようにぼかすが)、 ある時点で帰無性が、「虚無化してゆく不可逆性」が露骨な形で呈示される。

 まさに前回触れたように、主人公たちが暮らし(学園)、戦い(魔時間)、結束を固めてきたこれまでの過去の生活(日常)が、すべてが無に帰して「なんの意味ももたない」という事態を突きつけられる。

 そうした事態が迫っていることを知りつつ、日常の終焉が、すべてが喪失される締め切りが迫っていることを知りつつ、主人公たちは引き続きやっぱり「日常」を送る。なぜなら、それ以外になんの手段も持ち合わせていないわけだから。 

 この部分が、不可避な帰無、虚無化が訪れることを知りつつ、今までどおりの日常生活を送るという展開が、このゲームが他に抜きん出てしまった理由なんじゃないだろうか。

 結末がどうかは触れないでおく。 

 失敗例と思われるものにも触れよう。P3Pと似たような味わいがありながら、きっと同じ効果を狙っていながら、なんだかよくわからないまま終わってしまう物語がある。「ファイナルファンタジー零式」がそうだ。ゲームとして失敗作などと言っていない。だが物語としてはちょっといただけないという意味だ。

 国土全体が焦土と化すことが避けられない戦乱の中で、学園生活を送る。そこで描かれているのは戦時下における奇妙な日常であるはずだが、どうにも説明できない形で、その感覚がうまく描かれていない。戦死者の思い出は生き残った者の記憶から消えてしまうなどという仕掛けも、そして現に昨日まで一緒に生活していた仲間が次の日には消えている(ことすら誰も覚えていない)という事態も、おそらく虚無感を表現しようとしているのだろうが、正直ほとんど共感できない。 

 ひとつには「零式」の複雑怪奇な世界設定のせいがあるかもしれない。個人的にはいまだになにがなんだか理解できていない(するつもりもあまりない)。
 P3Pのように誰でもなじみの、至ってシンプルな世界であるから、あそこでは非現実的な虚無感が鮮明に表現できたのかもしれない。

 また「零式」の仕組みとして、二周以上しなければ、物語自体の意味をわからないようにしているつくりも感動を阻害しているのかもしれない。
 P3Pも普通は二周以上しなければ物語を隅々まで経験することはできないのだが、本筋は一度きりのプレイでわかる。二周目以降は枝葉の部分を回収することになる。「零式」は本筋(があるとして)自体周回を重ねなければわからない(みたい)。 

 どちらのデザイナーも、狙いはおそらく似たようなところにあったんだと思う。ふたつの時間感覚を表現しようとしたのではないか。そういう意味で共時性はあるのではないかと思う。

 巧拙が出たのは、だからテーマとは違う部分だ。 

 そういえば、散々に批判されたFFXIIIの続編、FFXIII-2には私はかなり好感を持っている。やはり「時間」をテーマにしたその物語は、本編よりずっとシンプルだが、FFには欠かせない「チャーミング」な物語は、シリーズの正統な系譜に乗ってしかるべきものだと思う。
 ここでも、日常と虚無の両面をP3Pや「零式」とは違った形で表現しようとしている。手法はP3Pよりずっと陳腐ではあるが、決して物足りないわけじゃない。いや、ある種の王道かもしれない。
 「時間」テーマ特有のトリッキーな仕掛けもかなりうまくいっているのではないか。

 エンディング(がないこと)と、しょーもないDLCを出し続けようとしていること以外は文句なし(笑)。

2012年5月14日 (月)

世界史ブーム

 なんだそうです。

 文藝春秋を買って橋下市長がどうしたこうしたの部分だけ読んで、あとは(じじ臭い内容がほとんどなんで)ぶん投げようとしたら、ふと佐藤優氏のエッセイ(というか書評?)が目についた。

 学生にマクニールの「世界史」が売れている。 

 佐藤氏の本題は「世界史の哲学」のほうを紹介することであったが、書き出しはそうであった。あれ? 「世界史の哲学」なら読んでるぞ、大澤真幸氏のやつでしょ、古代編と中世編まで出てるけどまだ連載中だよね、と思ったがそっちはよくよく調べると「<世界史>の哲学」と、社会学でよく使うらしい"< >"がついていた。

 「世界史の哲学」のほうは高山岩男著であって、大澤氏の著作の表題はそのオマージュの意味だったのかどうか、それは知らない。 

 こちらのブログの本題は、マクニール博士のほう。今更なぜ?

 東京の有名国立大、私立大の学生がこぞって読んでいるそうだ。ほんまかいな。だがその宣伝文句に惹かれたさらりまんたちがこぞって読んでいるらしく、ばか売れしてるみたい。 

 実は、佐藤氏のエッセイを読んだ日の帰宅途中に、とある副都心の駅構内にある書店で探してみたのだが、中公文庫のはずなのにマクニールの著作は文庫の棚には一冊しかなかった。

 やっぱ、Amazonで買うべきだったか、と後悔した。

 目的の書籍を探そうとして、めったに近づかないリアルのリテール書店に立ち寄るとまず見つからない。ろくな目にあったことはない。だからAmazonが重宝するわけなんですが。 

 失意とともに書店を去ろうとしてのけぞった。

 入ったときには気がつかなかったが、入り口付近の特設スペースに「世界史」上下二巻が百部以上、それこそはいて捨てるほど山積み・平積みになっていた。垂れ幕というかど派手なバナーまで飾ってあった。 

 それって、むしろ買うのが恥ずかしいじゃん!

 はいはい、世の中に思いっきり迎合してますよ、人の言説に流されて思考停止、判断停止してますよ、居酒屋で吹聴するネタ探しに来たさらりまんですよ、みたいに見られるのを覚悟で購入。行きがかり上ってやつ。

 ああ、恥ずかしい。やっぱAmazonで買うべきだった・・・。

 日本に関係ありそうなところを中心に、パラパラ斜め読みしたけど、いったいこのどこが受けてるんだろう? 

 1.大学の試験に出るから。読まないと担当教授が単位よこさないから。

 2.中身が優れているから。 

 3.世界史の「教科書」としては薄くて読みやすいから。 

 1.はともかく、2.と3.が理由だとしたら、それ以前に「世界史を読む」という動機づけが必要なわけですよね。

 なんだろう、「世界史」が若者のファッションになってるのか? 

 この「世界史」(A World History)自体はオックスフォード大の教科書として執筆されたそうだ。英語版初版は1967年刊行というからもうすぐ半世紀になる(日本語版は1971年)。

 半世紀前ではあまりに古い。歴史の本だからそれでもいい、ってことになるわけじゃないだろう。歴史の本だからこそかなり見直しがいるはずだ。この「世界史」もすでに改訂を重ね、1999年に第四版が刊行されたそうである。(つまり2001年のあのイヴェントは反映されていない)

 訳者によれば、ウィリアム・H・マクニール博士はカナダ生まれ。シカゴ大学教授を勤めた歴史学者で、珍しく人類学的アプローチを取り入れた、リベラルなコスモポリタン的歴史観の持ち主だという。

 だが、主著が「西欧の興隆」(Rise of the West)というのであるから、先日ここに(ひとつ前のブログに)ちょっと書いた、現代の人気歴史学者、ハーヴァード大学のニーアル(ニール)・ファーガソン博士の"Civilization: The West and The Rest"という強烈な題名の書籍とお題は一緒である。(マクニール博士もファーガソン博士も西暦1500年をひとつの区切りとして)どうして西欧文明が、地球のほかの地域の文明から抜きん出て興隆したのかというテーマ。比較文明論の形をとっていても、一歩間違えれば西欧優位論にならざるをえないテーマ。

 学生たちがどういう態度で読んでいるのか(それとも本当に読んでいるのかどうか)わからないが、少なくとも、そういう(バイアスがかかる危険の)前提をおいて読んでいることは期待したいものです。

 マクニール博士も自著「西欧の興隆」については、「この一冊の本を人間の文化史の中で意味のあるものにするため、どんどん誤解してほしい」という趣旨の序文をつけているそうだ。リベラルだからね。

 ま、そういうバイアスを意識する、しないかにかかわらず、この手の包括的世界史を読むときは、(世界四大文明にまったく数えられていない)日本文明の今日に至るまでのサヴァイヴァビリティって、きちんと学者として説明できてるのかね、という意地の悪い興味を持って読むと非常に面白い(はずな)んですけどね。

********** 

 以下、本当の本題。 

 マクニールの「世界史」を眺めていたら、「時間的深度」なる言葉が出てきた。

 ちょうど真木悠介著「時間の比較社会学」を読んでいたところなんで、ここは反応した。(真木悠介氏は、大澤真幸氏が師と仰ぐ社会学者の見田宗介氏と同一人物です)

 「時間の深み」、「歴史の重み」。

 誰もが普通に用いているこうした「時間」とか「歴史」にかかわる言葉の意味を(比較社会学的に)真剣に考え始めると、人類が有している時間感覚、時間意識が解明されてくるという。 

 その著作の序章に、「くりかえし」についての記述がある。個人的にこれがクリティカル・ヒット。

 真木悠介氏は、人類学者エドマンド・リーチのあるエッセイの一節を引いて、次のように述べている。

 "リーチははじめにわれわれ自身の時間の観念に、「それぞれ論理的に異なり、矛盾し合いさえする二つの異なった種類の経験がふくまれている」ことを述べている。"

 その二つとはすなわち、

 ・自然の現象はくりかえすものだ

 ・人生の変化はもとにもどらない(くりかえしはない) 

 前者はもちろん、脈搏、呼吸がそうだし、日、月、季節のめぐりなどの「反復」(repetition)。後者は、生まれ、育ち、老いて死ぬ人生の「不可逆性」(irreversibleness)などを指し示す。

(インド神話の三柱の最高神は、それぞれ「創造」(ブラーマン)、「維持」(ヴィシュヌ)、「破壊」(シヴァ)に対応するという。この三つは同時に「時間」の三側面でもあり、上述の生誕、成育、老化・死去という人生の三局面とも対応している) 

 つまり、時間は「サイクリカル」(cyclical)でもあり「リニア」(linear)でもあるという見方だが、実はそのどちらも「連続性」という先入観を持ち込んでいる。「サイクリカル」をさらに原初的にさかのぼれば「振動」(繰り返す逆転の反復)であるという。「振動」の原語がわからないが、引用された論文をざっと検索すると、swing(スウィング)あたりかな?

 その「振動」にまで至れば、もはやそこには時間の(過去の)「深さ」はなく、すべての過去は等しく過去である。それは単に現在の対立物にしか過ぎない。 

 どんどん難しくなっていく(でもどんどん面白くなっていく)ので、ここら辺にしますが、長いあいだ答えも出ずに私がうんうん唸ってきたことについて、少し道が開けそうな気がします。 

 そう、あのCRPGや、ラノベや、そうした世界で必ず見られる二つの事象のことです。

・結末の拒絶、「正典」の拒絶、果てしない「繰り返し」(repetition、あるいは少しづつ異なる繰り返しならiteration)、「日常」系ラノベ。二次創作。

・ローラーコースター的、ライド的一本道の物語、プレイヤー=傍観者・目撃者、「幕引き」(closure)の感覚。(アニメなどの)最終回メドレー。  

 これらはそれぞれ、次のような意識と関係しているという。

・その結末はたまたまである。もしかしたら違ったかもしれない、いや本当は違ったはずだ(遇有性) 

・これしかなりようがなかった、たしかにそういう形で終わるべきだった(必然性)  

 つまり、物語は終わってはならず、かつ、必ず終わらなければならない。 

 「ゲーム」内では、ありとあらゆる選択の自由を求め、物語の結末ですら自分の選択の結果に完璧に整合していなければ認めない、許さないという態度。
 実はそんなことは実現できない、ありえないわけで(自由な選択といってもすべて幻想)、どんな結末であっても、結末がつけられること自体を拒否しているともいえる。物語の終わりを拒絶しているのかもしれない。
 Mass Effect 3のエンディング騒動は、一部デマゴーグ(煽動家)がこういう意識をうまいこと利用したといってもいい。

 一方で、「ゲーム」とは名ばかりの、なんの選択の機会も与えられない「ヴィジュアル・ノヴェル」的「ゲーム」も一部では大変人気があるそうだ。(これは私などより読者諸氏のほうが詳しいかもしれない。例としては過去コメントいただいた「うみねこのなく頃に」などがよくあげられている)。
 それらは(一般に)不遇な境遇の登場人物(一般にヒロイン)がただ悲惨な運命に翻弄され続けるのを、プレイヤーが目撃者・傍観者として見つめるだけの物語。ただ涙するだけ。もっとも最終的には、プレイヤーにもなんらかの関与する権利が与えられるのだろうが(ゲームだから?)、本来的な立場は、無力な第三者であるという。

(さらに、そういう物語だったはずの「うみねこ」すら、エンディングではディスピュートが巻き起こったそうだが、それはME3とはきっと違う理由によるものだと思う。あるいは、本来そういう楽しみ方をしていた人たちに引きづられて参入してきた余所者(失礼)がただ騒いだだけとか?) 

 
 果てしない繰り返しの物語も、一本道ストーリーも、だから、どちらもあるっちゃある。
 

 まだよくまとまっていないが、「ある」ってことがわかった。

 ということで、この記事も結末がついたかどうか、さっぱりわからないところで終了・・・。

2012年5月12日 (土)

Diablo IIIはどこで買えばいいのか。

 遊ぶ暇はまずない。

 Diabloシリーズには見事に思い入れがないのですが、とはいえBlizzardがあれだけ長い時間をかけて作ったDiablo IIIを少しは覗いてみたい。

 コレクターズ版もちょっと考えていたが、箱があまりにかさばりそう。SWTORとSkyrimでもう懲りたし、Starcraft IIもWoWも興味はないので、スタンダード版にする。

 よく使っていた輸入屋さんをみてみたが一時的に品切れ(さすがに人気やね)だそうなんで、Amazon.comから買うことにしました。

 公式ガイドブック(BradyGamesのシグニチャー版)とあわせてお買い求めで、かつ特急便(プライオリティ・シッピング)で、日本円で7800円也・・・。為替は83円/USDくらい。

 いつもの輸入屋さんで買うとするとゲーム単品で約7000円也。Amazon.co.jp(のマーケットプレイス)では単体でおおむね8000円台(US版)で、公式ガイドブックは約1800円、あわせて約9800円也。  

 円高還元はどこでも全部適用されるからそこは関係ないとして、直接USから太平洋越えてくるほうが格安とはどういうことよ? 

 入荷も輸送もバルクだからなんですね・・・。でもこんな大きな差(本体とガイドブックあわせて2000円?)はちょっと過去に例がないのではないかと思います。過去はだいたいAmazon.comのほうが高かったから、ヴィデオゲームを注文して得したことはほとんどない。

 そういえば、Steamでも売らないんですね。Activisionは(CoDなど)ちょくちょく売っているが、BlizzardはBattle.netがあるからか。

 以前仲間内で、Amazonで売れないものは、試着がいるアパレルと靴かな、とか言っていたのですが、その予想はもろくも崩れ去った。今ではむしろ稼ぎ頭みたいな様相を呈している。

 合法なもので買えないものってなにかあるんだろうか。話をブツ(経済学で言う「財」)に限って「サービス」は除くとして、高額商品の自動車、ジェット機、お船、家とか? その連想で燃料類。でもそれらはサプライヤーに力がまだあって、販売チャネルを抑えているからってことでしょうけど。それぞれAmazon以外でネット販売・オークションは行われているでしょうしね。それから取引自体は合法でも対面販売を義務付けているものはあるでしょう。一部の医薬品、薬品類。

 USでも銃器類はさすがに売ってないだろうと思ったら、スポーツ・アウトドア部門でエアガンなら売っている。ナイフは日本でも買える(包丁を売っているわけだから)。さすがにポントウは模造刀とかちゃちなものしか売っていない。

 あとは、刺身・野菜など生鮮食品そのものかな(実はそれすら一部ありますが)。   

 Amazonのスタート時点の商品であった書籍について言えば、USの書店チェーンはすでに軒並み崩壊しました。日本の書店チェーンも最大手ですらだいぶ苦戦している。書籍は(品質を気にする必要がない)購入前に現物を見る必要のない商品のひとつだからネット販売の影響は甚大。音楽CDもそうだったし、映画DVD/BDもいずれそうなる。

 最近でいえば、スマホとネット販売はデッドリー・コンビネーションですしね。主婦たちの行動パターンも、以前はアパレルなんかはリアル店舗で試着しといて、家に帰ってパソコンでネット注文する、って手続きだったそうだが、いまやその場ですべてできてしまう。そしてリテール店舗はなにも儲からない。ただの試着室。

 もろ、リーテル殺しになる危険をはらんでいますよね。

(それから、重い荷物をもって帰る必要がないという宅配業者の効用を、主婦たちがどう考えているかはわからないけど、自動車をあまり用いない都会でならそのメリットもあるっちゃあるんでしょうね)

 ヴィデオゲームのSteamでも同じ議論があって、インディ(独立系開発業者)の作品を安価に大勢の潜在プレイヤーの眼に触れさせる効果は甚大です。ゲームの「アート」の側面を強調すると、これは善なる一面。

 一方で「ビジネス」の側面を強調すると、あまり笑ってもいられない。ゲームはデジタル商品であり、現物である必要がまったくないこと、上にも書いたように大都市以外ではろくなブツが手に入らないUS事情もあって、教科書どおりのミドルマン(仲介業者・問屋)殺し、リテール殺しになる。

 Amazon(などのネット販売)も構図は一緒で、こじゃれた「アーティスティックな」小物・アパレルやら、産地直産を売りにするパッケージ食料品やら、数量限定の地酒・地ワインなどは、もともと全国販売に必要な広告宣伝費を負担できないわけです。
 その広告宣伝を肩代わりしてくれるネット販売業者に(規模の経済と範囲の経済のおかげですごく薄まって、零細業者あるいは個人でもアフォーダブルになった)上納金を納めているわけですね。 

 その一方では、地元商店街がシャッター街になる状況を加速している面ももちろんある。

 デジタル・コンテンツと一点大きく違うところは、Amazonなどの「ブツ」のネット販売はミドルマン殺しでありながら、同時にそうではないということ。Amazonが巨大なミドルマンのひとつになったわけです。他のミドルマン(市中の問屋、販売業者)を駆逐しながら自らは唯一単独のミドルマンを目指して大きくなっていく。

 ITの効用で地域の雇用なんて増えたりしていない。ワン・ターマー(US大統領一期のみで落選)の恥を避けたいオバマちゃんもそれにはとっくに気がついてる。

 議場ですらツイッターいじって遊んでいるどこかの国の政治家連中は気がついてないだろうけどね。

2012年5月10日 (木)

ビジネスモデル(笑)。

 いただいたコメントにお返事を書くとき、「スマホゲーもモバゲーももう一般大衆に行き渡っちゃったからおわりのはじまりかもね」みたいなことを書いた。

 その数時間後、例のガチャ規制の話題がネットのニュースサイトに一斉に載った。

 正直ちょっと驚いたが、予想が当たったみたいでうれしい(自己満足)。 

 別に一般大衆を上から目線で蔑(さげす)んでいるのではない。世の中にはいろんな連中がいるんです。

 課金ゲームなら前からあった。そういうものを嗜んでいた好事家やコアゲーカーはわりと均質な連中だし、遊ぶときには「所詮ゲーム、されどゲーム」と納得していたはずだ。(別にいい意味ではないけど)ディシプリンがあると期待されていた。
 RMTなんてざらだったし、ガチャで数十万使っちゃいましたなんてのも、もちろんいただろうが、あくまでご利用は自己責任だ。クレームつけたり泣き叫んだり、あまり無様なことにはならなかったはずだし、所詮好事家の泣き言、誰も聞いちゃくれなかった。

 ところがそこらへんのいたいけな坊ちゃん、嬢ちゃんまで参加するようになると、歯止めが利かない。しかも親の金を無断で使ってるとなると(どこがいたいけなのかわからんが)、文脈はモバゲーに限った話ではなく、似たような騒ぎは昔からたくさんあった。

 別にすべての坊ちゃん、嬢ちゃんが月に数十万使っているなんて言っていない。母数が増えれば当然ピーキーな連中も増える。分布図でいえば悪いほうの裾野も広がって、頭の悪さマイナス3シグマ(標準偏差)くらいの連中が(数は当然少ないが)現れるのだ。ただそれだけの話。

 だから、ブームが一般大衆に広まったときが終わりのはじまり、という話が成り立つ。

 もちろん規制当局(かつては公取、最近は消費者庁なるものができたらしく、そこ)が恣意的に規制をやっていることなんて、わざわざ書くのが憚られるくらい自明だ。先日のレストラン勝手格付けサイトのステマ問題もそうだが、他省庁の掣肘を受けずに消費者庁が単独で立ち回れる部分(調べてみると実は驚くほど少ない)で存在意義を示そうとしているのでしょう。

 モバゲーやステマに関しては、ネット関連のネタなのでマスコミが受け狙いで大々的に記事にしていることもありますね。

 そっちはまあ、さもありなんでいいんですが、個人的に唖然としたのは、送り手のゲーム会社(6社)が、突然自分たちは「社会弱者」であると見せかけることにしたのか、一斉にガチャの自主規制を宣言したこと。 

 最初から一切戦う気がないのか。6社共同でIPOで儲けたあぶく銭で高い金出して優秀な弁護士を群れで雇えるんじゃないのか。
 「景品表示法が制限する『不当な景品』にあたる可能性がある」(産経新聞)なんていう規制はあきらかにコントラバーシャルなものでしょう。(善悪はともかく)戦えるでしょう。

 しかもまだ観測気球があがっただけなのに。

 これもまた日本的風景なんでしょうかねえ。

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 BethesdaのThe Elder Scrolls Online(MMO)は、当初は(アーリー・アダプターにはなじみのある)定額課金制ではじめても、いずれF2P(フリー・トゥ・プレイ、すなわちアイテム等課金制)に移行するであろうとゲーミング・アナリストが予測しているという記事。

 http://www.gamespot.com/news/elder-scrolls-online-will-eventually-be-free-to-play-analyst-6375882

 (英語圏の)MMOの世界では、EAのみがSWTOR(Star Wars: The Old Republic)で定額課金制にこだわっているが、他はアイテム等課金制への移行を進めているという。

 あのWoWですら、2010年当時から2百万の定額課金サブスクライバーを減らした(最新の情報では10.2百万)。SWTORはローンチから三ヶ月で40万人減らした(最新の情報では1.3百万)。
 サブスクライバーは桁ひとつ違うが、このふたつが今の二強。あとはどんぐり。

 ここでも何度も言い続けてきて、もうくどくど説明を繰り返すことはしないが、「どうせ金ならあるし」というファン層が大勢いない限り(つまりプレイヤーのお財布の予算が人それぞれ限られている限り)、アイテム等課金制がビジネス上圧倒的に有利であるのは紛れもない事実。「払えるだけ払え」、「払うつもりがあるだけ払え」システムですからね・・・。

 定額課金制が「友達月額レンタルシステム」(byペニアケ)であったとしたら、ガチャ、アイテム等課金制はなんて呼ぶのだろう。「貧富の格差実感システム」? 「金のないやつは汗をかけ」システム?

 FPSマルチプレイでアイテム課金制なんていったら、もう南北問題そのものだよね? 金持ちプレイヤーを米軍に集めて、貧乏プレイヤーをタリ・・・、うっぷっぷ、バッド・ガイのほうに集めてしまえばいいんだ。

 もちろん私個人は、レンタルシステムでよかったんだけどね。MMOの定額課金払うくらいの金ならあったし。

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 Vitaあまり売れてませんな、とガイジンも心配している。

 http://www.ign.com/articles/2012/05/09/kojima-cage-levine-and-mikami-talk-ps-vita

 クリエーター諸氏によれば、システムとしては文句なしにいいものだが、問題はお値段とソフトの種類というところ。

 だが、ハードの数が出る見込みがなければ、ソフトは増えず、理屈上はハードの価格も下がらない。

 クリスタル・ホワイト(6月)とか初音ミクバンドル(8月)とか、ハードの発売予定が出ているわけで、(後者はソフト・メモリーバンドルだから実質値下げだけど)当面あからさまにプライスカットはしないはず。

 売れていないって言っているのに、プロモーションのノリが完全にしょーもないDLC販売のレベル。FFXIII-2の衣装DLCと一緒。オタクから稼げるだけむしりとる。それでだいじょぶかね。
 クリスタル・ホワイトは当初からの規定路線だったんでしょうけど。

 大型ソフト連発の夏が勝負ですかね。Soul Sacrificeは冬だそうだ。 

2012年5月 9日 (水)

All your base are belong to us.

 日本人として苦笑するしかない、英語ネタ。

http://www.gamespot.com/zero-wing-1991/videos/gaming-meme-history-all-your-base-6375858/

Allyourbase
 英語圏で伝説化してしまった、超有名なフレーズ。この記事の表題がそれ。

 このネタ以前紹介したと思います。たしかそのときはIGNの記事だったか・・・。ああ、この諸国ローカリゼーション事情のときですね。

http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/httpwwwgamesp-2.html

 関連部分コピペしてみます。

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 "All your base are belong to us."は、あちらでは有名な「ダメ英語」ネタ。

 もちろん、あえて断る必要もないくらいですが、やらかしたのは間違いなく日本人です。

 こんな短文に文法的誤りがわけわからんくらい多数あり、かつ、元の本当の意味(それはWikiればすぐわかる)がまったく通じていないという、見事な和製英語?

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 この英文だけから、元の意味がわかってしまうのが、悲しいかな日本人である証拠。

 「君たちの基地はすべていただいた!」とかそんなでしょうね。

 Wikipedia(jp)で調べると、「君達の基地は、全てCATSがいただいた」の翻訳だったらしい。

(ちなみにこのヴィデオに嫌日のニュアンスはほとんどありませんが、むしろそこがちょっと不気味)

 日本人のダメ英語ネタというのは、結構いろいろあって、特にある洋物MMOでメチャクチャすぎる英語チャットのせいで完全に嫌われ、固有名詞が伝説化してしまった人物もいたそうだ。アーバン・ディクショナリーなどで見つけると同胞として赤面してしまいそうなものもある。

 英語がダメだからダメなどと、「英語はゲームで覚えるもの」というテーマではじまったこのブログで私がいうわけがない。元日本マイクロソフト社長が最近同じことを言っていて癪に障るが、日本人ならたかだか10%が外国語を(きちんと)使えれば事足ります。そしてその域には間違いなくいっている(だからまわっている)。

 残念ながら半島国はそうはいかない。自国経済の半分以上が輸出で成り立っている国はそうはいきません(日本はせいぜい15%だったかな)。やはりかなりの人が外国語を使いこなせないと国家の存亡にかかわる。北欧しかり。はんぱなく必死です。もちろん(英語圏に出てきている人たちは)皆母国語じゃない英語がそれなりに上手だ。

 アメリカ人も国際オンチという面ではきっと日本を凌駕する。一般に外国語は喋れません。だって必要ないから!
 また、フォーリン、海外もの(すなわち日本や欧州もの)は映画もドラマもほとんど受けない。(日本と同じで一部好事家はもちろん存在しますよ) 

 アニメやヴィデオゲームをきっかけにして、そこから「クール・ジャパン」が一時期世界を席巻したのはたぶん偶然なんでしょうが、結果的に非常に幸運だったんでしょうね(ほんとはいつの時代もそうであるようにブームはシモネタからはじまったんだけどね・・・)。

 ダメ英語の場合、わかってないことをわかったつもりになっているって感覚が、相当すごいなあ、と思うわけです。

 それから自動翻訳をやたら頼りにしている人がいるのか、どこぞの自治体のホームページを自動翻訳を用いて英語版としてアップして、(日本人もガイジンも)誰が読んでも意味がまったく通じない状態のまましばらく放置してあった、などという記事を読んだことがある。すごすぎる。

 私は、英国人ができなかったならば、行われた日本語のテキストの不気味な恐ろしさが一層よくまた理解されなかったと聞いています。

(もちろん、上の文章は次の文章をエキサイト翻訳で日→英、英→日と二回変換したものですよ)

 英語ができないならまだしも、できあがった日本語の文章の不気味さもわからなかったということだ。

 ダメ英語までいかなくても、例えば「マイルドセブン」なんて完璧な和製英語ですが、堂々と海外で売ろうとしているわけで。しかも最近ではそれが「和製英語だな」と認知されているそうで。いいことなのか悪いことなのかわからないけど。

 ヴィデオ・ゲームに限らず、ミステリー・サイファイ・ファンタジーなどのジャンル系小説や、ボードゲーム系、テーブルトップ系、そこらへんみな一まとめにして、英語から日本語への翻訳はひどく稚拙なものがたくさんありました。映画、テレビドラマ、テレビアニメに比較すると如実にわかる。

 以前、ヴィデオゲームの翻訳がひどいという話には二つの理由があると書きました。

(1)まず翻訳者がそのジャンルを知らない、コンテンツを知らない、興味がない、好きじゃない、ただの仕事だと思ってる。

 つまり、その世界(ジャンル)に少しは詳しい者であれば説明がなくてもわかること、ある特定の言葉がコノートする(含意する)ことがわからない。例えばその物語世界の「ドラゴン」とはどういう位置づけにあるか、とか。そういう「空気」がわからない。わかろうとしない。軍隊の話であれば階級(の上下)を平気で間違える、とか。

(先日観た映画「バトルシップ」では、主人公がUS海軍大尉(lieutenant)。US陸軍なら大尉はcaptainだが、海軍のcaptainは古くから「艦長」を示す慣わしがあることから「大佐」である。だが、主人公は途中で駆逐艦「艦長」を代行することになる。つまりcaptainになる。字幕の和訳は混乱することなく、きちんと使い分けていたと思う。

 以前もどこかに書いたが、陸軍や海兵隊の大尉(captain)が海軍の艦船に乗船するときは、艦長(captain)との混同を避けるため、一時的に呼称が海軍大尉扱い、すなわちlieutenantとなる。

 ちなみにMass Effect 3のジョーカーの階級はフライト・ルテナント(flight lieutenant)、US空軍の階級を流用しているようで、これは海軍のlieutenantと同格で「大尉」だ)

(2)予算がないから、ろくな翻訳者を数多く雇うことができない。

 RPGなどのように複雑に入り組んだシナリオの場合、直接の翻訳者以外に少なくとも整合性を担保する役割の監修者が必要であるが、そんな人を雇う余裕がない。

 簡単にいうと、映画、テレビドラマなどの翻訳ではこの両方を満たしているから、それなりの水準が確保されるということ。とはいっても映画「指輪物語」の一作目当初翻訳のようにオタクには不満きわまりない出来栄えのこともあったから、(1)の問題はやっぱ難しい。

 Dragon Age 2の日本語版は、少なくとも(1)の問題については完璧に十二分にクリアしていました。(2)については、セリフ以外で一部「?」な部分が残っちゃったのかもしれないが、それでも十分な水準でした。

 やればできるということを立派に証明してくれたのだと思う。 

 できればもうちょっと売れて、追随者がどんどん増えればよかったんだけど・・・。 

 

2012年5月 6日 (日)

Valve従業員マニュアル

 いかん、大型連休最後の日、他にもやることいっぱいあるのに、Valve従業員マニュアルにはまってしまった(笑)。 

 ひとつ面白いところがあるので、これを紹介して終わりにしよう。そうじゃないと私の気がすまない。この話題が「決着」した感覚が得られない。

 感じとしては、私が昔読んでいた「一分間マネージャー」(The One Minute Manager)シリーズのノリによく似ていますね(1990年代)。
 個人的なシリーズ最高傑作は「一分間マネージャー、サルに出会う」(The One Minute Manager Meets the Monkey)。人生観というか就業観が変わりました。大名作。邦題はなんだかださかったので省略。

 最近(つっても2000年か)では「チーズはどこへ消えた」(Who Moved My Cheese ?)のノリがちょっと似ているが、ああいう「自分探し」ものは、あまり好きではなかった。 

 言いたいことは、これってプロのライター雇ってお金かけて作ってますね、ということです。

 ええっと、お手元のValve従業員マニュアルの19ページをごらんください。そそ、右側にロケット打ち上げのイラストがあるページですね。 

 Risks

 What if I screw up?

 もしヘマをやらかしたら? 

 過ちを犯したことを理由にValveをクビになった者はいまだかつてひとりもおりません。私たちにはそんなことでクビにする意味がわからないのです。失敗する自由はこの会社にとって大切な特質のひとつです。失策によって人々を罰していながら、人々から何かを期待することなどできないのです。たとえ高価についた過ちであっても、あるいは会社の体面を毀損するようなことになっても、それらも純粋に学びの機会だと考えているのです。過ちはいつでも、修復することも、埋め合わせることもできるのです。

 ヘマをすることは、あなたの前提が誤っていたことを、あるいはあなたが世界を見つめるときに用いるモデルがちょっと間違っていたことを知る重要な方法です。そのモデルを常に更新していき、世界をよりよく見つめることができるようになっていく限り、何も問題ありません。自分の信念を確かめる方法を見つけてください。実験をすることや、より多くのデーターを収集することを決して恐れてはなりません。

 そうすることは予測をたてる助けになりますし、まずい結果が出ることを予め知ることにも役立ちます。「もし自分が正しかったらどうなるんだろう?」と自問してください。「もし自分が間違っていたらどうなるんだろう?」と自問してください。そして「なにがわかるんだろう?」と自問してください。もしまったく予想外のことが起きたのなら、なぜそうなったか理由を考えるように心がけてください。

 もちろん、だめな失敗の仕方というものは存在します。同じ過ちを何度も何度も繰り返すことがひとつ。失敗の前後で、お客様や同僚の意見を聞こうとしないことがひとつ。証拠を決して無視しないでください。それがあなたの間違いを証明している場合には特に。

 But what if we ALL screw up?

 でも、もしみんながヘマをやらかしたら?

 すべての従業員が自律的にそれぞれの決断を行っているのであれば、どうして混沌が訪れないのでしょうか? Valveは正しい方向に進んでいるとどうしてわかるのでしょうか? 皆で自動車のハンドルを握っていたら、そのうちひとりがValveという自動車を道路の外にはみ出させててしまうかもしれないと恐れるのは自然なことです。 

 長い時間をかけて私たちは、チャレンジングなことを手がける、チャンスを逃さない、あるいは脅威に対応する集団としての能力は、その責任をできるだけ広く分け与えることでとても大きく向上することを学んできました。つまり、この会社にいる全員ひとりひとりに分け与える場合のことです。

 私たちは皆、私たち自身とお客様との間の長期にわたる関係を司る給仕役なのです。お客様は私たちが犯した過ちを、ときには社会の名の下に見ています。ときには私たちに腹を立てることもあります。しかし、私たちがお客様たちのことを心から常に一番に考えているからこそ、今よりより良くできると信じてもらえることができるのですし、仮に私たちが今日ヘマをやらかしたとしても、それは誰かを裏切ろうとした結果ではないと信じてもらえることができるのです。

***********

 ああ、くそっ、最後のページも面白いわ。 

 What is Valve not good at?

 Valveが得意ではないことは?

 この会社の設計上、いくつかの欠点があります。私たちは通常、それらのコストに見合うだけ他に良いところがあると考えていますが、コストが見合わない、もう少し上手にできればいいと考えているいくつかの事柄もあるのです。

・新しい仲間に進むべき道を教えること。この本はそのために作られましたが、上にも述べたとおり、今のところこの本一冊だけです。

・人々を指導すること。新しい仲間に教えるだけが不得意なのではなく、手助けが必要な分野について人々の成長を積極的に手助けすることも組織のあり方からして苦手です。同僚を手本にするのは手助けになるかもしれませんが、今のところそれだけです。

・組織の内部に情報を広めること。

・まったく新しい規範を有する人々を発掘し採用すること。(例えば、エコノミスト!産業デザイナー!

・数ヶ月以上先の予測をたてること。

・より伝統的な組織構造で働く方を選ぶ才能ある人々を採用できないこと。これもまた、組織構造上仕方がないことであり、私たちが変えるべきではないことだが、それでも自ら課した制約であることを銘記しておくことは大事である。

 

Valve組織論(3)

 今度は、ほんとうのスモール・オーガニゼーション、独立系ゲーム開発会社からはValveの発想はどう見えるか、というお題でしょうか。

 Brenda Garno-Brathwaite 氏は、業界で30年以上活躍している女性で、現在ではLootDropというソーシャル、モバイルのゲーム会社を共同設立者John Romeroとともに立ち上げている。

 スモール・オーガニゼーションでは、本当に必要な狭い範囲の資質を有する人材を必要なだけ雇う余裕しかない。 Valveの発想はユートピア的に思われるが、彼女は実はきわめて真剣な決意表明に裏打ちされたものではないかと考えている。

「多くの人たちがValve組織のユートピア的な部分だけ読んで、『こいつはすごい、これならやりたいことはなんでもできるんじゃないか。気に入らないことがあったら机と一緒に別のところに逃げればいい(roll my desk away)んだから』と考えているんじゃないかしら。きっとページ39(注)の『プログラムするか、されるか』まで読んでないんでしょうね(訳:本当のマニュアルにあるわけではなく、彼女のしゃれだと思います)。この会社は『そう、われわれは君を信じている』と言うときには文字通りの意味だけじゃなく、多くの優秀な者たちに囲まれている限り、あなたも日々より優秀になっていかなければならないという企業文化があることを表明しているのでしょう。Valveのゲームを見ていたら、あそこで働くことには他にはない意義があることは疑いようもない。でも、従業員は継続的にベストを尽くしていなければならないわけだし、自分を継続的に改良していくってことは、実は容易なことではないのだからね」

(注) コンファーム。マニュアルの実物をPDFで入手したが、ページ37までしかない。さらに原文の"roll my desk away"は、Valveのデスクが本当に簡単に移動可能なように設計されていて、その方法までマニュアルにきちんと記載されていることを示していました。笑える。入手場所は次。ご利用は自己責任で。

http://www.flamehaus.com/bbs/viewtopic.php?f=13&t=163319&p=3637282#p3637282

 彼女はフラットな組織より、協業を促進する小さなグループが重要であると考えている。

 かつてゲーム業界のある大企業に勤めていたとき、彼女は七人のシニア・デザイナーのひとりであったが、まるで豪華ヨットを一本の櫂をこいで前に進めているような感覚がしたそうだ。すぐに呼び集められる小さなチームなら、メンバー間の親密な付き合い(feeling of intimacy) もできるようになる。大プロジェクトで喪われているものがそれだ。

 最後は、Robert Bowling氏、Infinity Wardのcreative strategist(意味不明(笑))で、Call of DutyシリーズのPRの顔であったが、最近退社してRobotokiという会社を立ち上げた。 

「クリエイティヴな才能の持ち主は一般の就業者とは違うんだ。クリエイティヴな分野における作品との向き合い方、自分の仕事との向き合い方、それ自体がただの仕事じゃないんだ。とてもフレキシブルでなければならず、デザイン上の思いつきを試す行動の自由も必要だし、それらがなければよどんだままになってしまう。もし飽きてきたら、自分の携わっているプロジェクト自体に嫌悪感を抱くことになってしまう」 

 ゲーム開発者の最良のアイデアを解放する方法を見つけたのはValveだけじゃないという。
「ゲーム・ジャムというモデルを試している会社は多い。そこでは『自分の作りたいゲーム、やりたいことをなんでも言える』時間が与えられる。今手にしている期限の限られた『やることリスト』から思考を切り離すことができるんだ。そこから以前は計画すらしていなかったイノヴェーションが生まれる。開発リソース上の制約を自分で勝手に持ち込んで、できないと思っていたことができるようになる」

 Valveの従業員マニュアルには感銘を受けたそうで、一度彼らとじっくり語り合いたいという。いいものを自分の新しい会社に持ち込むことにも躊躇はしないだろう。新しい会社では特定のプロジェクトの方向性は明確に示す主導的役割を発揮したいそうだが、個々人が情熱を持てるアイデアを見つけたらそれを追求する自由は与えるべきだと考えているそうだ。

「大組織の運営がおそまつなのは、個々人がひとつの巨大なマシーンを動かす歯車でしかないからだ。それぞれにマシーンを動かし続ける役割がある。でもそれぞれの歯車は相互に取替え可能にしなければならないんだ。誰かは誰かと交代することができて、また別なことをすることができて、それでもマシーンは動き続けるようになっているべきだ。人々は歯車ではなく個々人の力として見なければならない」 

 ニューウェルの賢者の言葉ではじまった記事の最後をしめくくるにしては、しょーもないあんちゃんの青臭い陳腐な言葉なのだが、まあ、CoDなどのFPSを作ってた人だから仕方がないだろう。最初から発言に期待はしていない。

 ユーザー・コメントでも「CoDは、ロボットのやつらのためにロボットが作っていたのか」と辛らつなやつがあって受けた(笑)。

 まあ、CoDでも出さないとIGNもページヴュー稼げないからかねえ・・・。

 この組織論の話題なら他に聞くべき相手がいたんじゃないのか。
 EAのCOO、悪の公爵ムーアとか。
 Infinity Wardにこだわるのであれば、それこそActivisionBlizzardの皇帝陛下コティック(社長兼CEO)とか。

 でも、まあまあ面白かったですね?(強要)

 私としては、最初期待していなかったEpicの人の「できているかどうかが重要じゃない、そこを目指しているかどうかが重要なんだ」ってのがいいですねえ。そしてLootDropの人がいう「チームメンバーの親密な間柄」というのも、当たり前すぎるけど実はとても大事なのでしょう。 

 ヒトは所詮サルのなれの果てでしかないんだけど、サルは明日はよい日にしようとは思わないわけだからね。ん、もしかして思ってるんだろうか?

Valve組織論(2)

 前記事からの続き。IGNのつけた表題は、"The Future of Game Development"だが、ほとんど組織論だけを語っている。

http://games.ign.com/articles/122/1224290p1.html

 全部は訳さない。要点だけピックアップしよう。

「ハイエラルキー(ヒエラルキー、階層型組織)は、マネージャーの専制権(managerial dictatorships)を担保するためにデザインされている。マネージャーはその定義上、生産活動を行わない。組織の他の者たちが組織の要請に応じて生産活動を行うように仕向けるのが役割である。多くの組織では、そうしたマネージャーの役割は必要であり望ましい。 

 だがValveの理念によればマネージャーは不要である。Valveは、マネージャーによって統制される必要のないほど、極めて優れた人々を雇うことを追求しているからだ」

 IGNによれば、Valveはこの記事の取材自体に協力することを拒んだという。まず前記事で触れたように、ことの発端が門外不出のValveの従業員マニュアルの流出であることもそういう態度の理由としてあろうだろう。だが、こういった(門外漢が上っ面だけをなぞりかねず、結果として自分が超越的に見えてしまう)議論に参加しないこと自体、実はValve、ニューウェルの賢さを示しているのだと思う。 

 仕方がないのでIGNはBloomberg BusinessWeekにおけるニューウェルのインタヴュー記事の発言を引用している。

http://www.businessweek.com/articles/2012-04-27/why-there-are-no-bosses-at-valve

「マネージャーは組織化された手続きの遂行には向いているが、われわれのような仕事にとっては必ずしも向いているとはいえない。ある製品世代を創作するために求められるスキル群が、他の製品世代の創作では無意味になることがしばしばある。われわれの業界はそうしたテクノロジカルな、デザイン面の、アーティスティックなことがらの絶え間ない変化(flux)に曝されており、われわれが求めているのはそういう事態を把握できる者たちなんだ。ひとりの者が連続したふたつのプロジェクトのリーダーを続けて行うケースは極めて稀だ」

 Valveの各担当チームのリーダーたちは志願制のマネージャーであるが、引き受けてみたら大変な苦行であることに気がつくこともしばしばだ。

「他の者たちをより生産的にしようと手助けすると・・・、自分の生産性を損なってしまう。マネージャーはより高度のストレスを伴う仕事であるし、自分の仕事はますます中断されるようになる。あるひとつのプロジェクトならそれに耐えられるだろう。誰かが『このゲームは本気で作りたい』と志願すると、周りの皆が『ははは、もはや逃げられんぞ」と笑うんだ。その志願した者もプロジェクトが終わった頃には、『ああ、これは本当に面白かったが、次は個人でやる仕事に戻りたいね』と言うだろう。われわれの会社でもっとも報酬の高い者たちは、どちらかというと純粋に個人の作業で貢献している者たちなんだよ」

「正しい資質の持ち主が必要なんだ(You need the right people.)。一番賃金の安い者たちを探すんじゃなくて、よく内輪の冗談で言っているんだが、われわれは一番賃金の高い者たちを求めている。(採用された者がValveという会社に慣れるまで)だいたい6ヶ月はかかる。一番適応に時間がかかるのが映画産業からきた者たちだ。あそこは組織構造が驚くほど専門化(細分化)されている業界だからね。例えばアニメーターとして仕事をはじめたとしたら、映画に登場する喋る動物の唇の動きのアニメーションだけを何ヶ月も作り続けることで名をはせるようになる。そういう人をここに連れてきたら、事態が変わったことに気がつかせるまでしばらくかかるんだよ。『なんだよ、もう唇の動きだけ描き続けなくてもいいのか』ってね」 

 次はIGNの記者の所見である。記事のテーマに即しているので訳するが、言っているのはわりと普通のことです。

「今日の就業者たち(workers)は、とりわけ若い世代は、マネージャーたちの設定した評価基準ではなく、その仕事で受ける得失(merits)と、同僚たちの意見によって(自分の仕事の良し悪しを)判断することを好む。今は困難な経済状況の時代にあるので、就業競争は厳しい。だがもっとも貴重な類の就業者を獲得するための企業間の競争は常にあり、クリエイティヴな仕事に就く者にとって、行動の自由は給料、肩書き、あるいは余禄(benefits)などと同様に、重要な誘引材料になってきている」

 次はUnreal EngineのEpicの社長であるMike Cappsが登場。私はとたんに興味が減衰したので「あとは読んでみたら」と言いたいけど、それも冷たいので発言はなぞることにして、あとは要点だけ。

「人々のクリエイティヴな衝動を解放すること(の重要性)についてはいろいろ言われているよね。われわれもできるだけそうしようとしている。そこがほとんどのクールなアイデアの出所だからね。ここの者たちはゲームをつくり、それをユーザーに届けることに情熱を賭けているから、その助けになる限りにおいて、誰がピザ屋に注文の電話をするかなんて、ぜんぜん気にしないよ。ピザを注文しろと誰かに言われるからどうのこうのではなく、誰かが注文しなければならないなら自分でやるべきだと気がつくかどうかが大事という意味だけどね」

 Epicでは、一時期流行って今でも実践する会社の多い「自律型(自治型)作業チーム」を本格的に導入しているようです。

「われわれは小さなグループで編成されたチームの自治性をとても重んじている。チームには日々のスケジュールなど必要ない。今日なにをする必要があるか皆わかっているから。スタジオ・レベルの上層部でどういうゲームを作るか方針を決めたら、あとは個々人がどうすればうまくいくか日々考えるんだ。Valveに比べたら、われわれは(旧来のハイエラルキーとValue型の)ハイブリッド組織だろうね」 

 Cobbsにとって、Valveのようなマネージャーの欠如した組織は、ちょっと無茶かもしれないと感じるそうだ。
 Epicも大企業になってしまったから、昔に比べれば新しい従業員が彼(社長)のオフィスにずかずか入ってきて文句を言うことは減ってきた。だからその(社長に文句を言える)手順は用意するべきだろうという。
 Valveの組織では、(組織内の)問題の発見とその解決が苦手であることはニューウェルも認めている。

「(完璧な組織なんてないから)Valveの組織が看板どおりに運用されているかどうか疑う向きは常にあるが、そこは重要ではない。どこに向かおうとしているかがわかっていればいい。Epicでも毎日われわれの企業理念を全部実現してるなんて思っていないよ。だがそれに向けて努力していることがわかっていればいい」

 たぶん、皆さんもEpicの社長の話のほうに共感するんではないか。わりと穏健な発想ですし、繰り返しますが、組織の形成はそのおかれた環境、製品・サービスなどにもよると教科書には書いてあるが、トップ個人(の発想やもっと言えば人柄)によって大きく変わる。これは教科書には書いていない。

 もし変わらないのであれば、実はそれは死んだ組織、腐敗した組織である。官僚制組織の行き着くところだ。それではまわらないので、非公式なチャネルや個人的な人脈の活用、あるいは権限の捏造、賄賂・バーターとか、掟破りなことがらが日常茶飯事になっていってますます腐敗していく。まあ・・・、実例をあげるのはやめておきましょうね。

 まだ続きます。

 

 

 

Valve組織論

 またしても、ニューウェルを褒めんのかよ。

 だが、前の記事、その前の記事と妙に通じ合っている話題であるため、どうしても書かなければならない。

 Valveの本来門外不出であるはずの「従業員マニュアル」がネットに流出したというネタ。そしてそれが非常に面白いと評判になっているそうだ。

 伝統的(一般的)日本企業では、いまだ終身雇用・年功序列慣行(制度ではない)が生き残っている場合が多いので、こうしたマニュアルと同種のものはあまり見かけないかもしれない。つまり日本においては、企業文化や社内の掟は一般にOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)と称される徒弟制度で伝承されるのが建前である。もちろんあくまで建前である。
 日本におけるOJTとは、たいていの場合は夕方に飲み屋で酔っ払った上司が延々と部下に説教することを意味する。オン・ザ・ジョッキ・トレーニング?

 そして「バブル崩壊」のおかげか「ゆとり教育」のおかげかどうかしらないが、最近では誰も退勤後上司につきあわないのが普通だそうだ。徒弟制度崩壊。やっと日本企業も近代化してきた。

 http://games.ign.com/articles/122/1224290p1.html

 ゲーム開発の現場には、従来型の工場組織のようなヒエラルキー(ハイエラルキー)とは異なる組織形態が必要である。Valveのような賢い開発会社はそれを実践している。

 こういう議論は、ずっと前からあるとても陳腐なものなのだ。私もかつてBioWareゲームに見る組織論をブログで書いた。ヘンりー・ミンツバーグ教授(カナダ・マギル大)のパクリでしかないけど。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/da2bioware-c1db.html 

 IGN記事の要点は、ゲーム開発のような「クリエイティヴな」仕事を行ううえでは、フラットな(階層の少ない、あるいはない)組織、ボスのいない組織が望ましい、というものだ。Valveでは(本来的な意味ではボスであるはずの)ゲイヴ・ニューウェルは(本来的な意味での)ボスの役割を意図的に果たしていない。それこそがValveの成功のひとつの理由ではないか。 

 階層のないフラットな組織。いかにも理想的で夢のような組織と感じるだろうか。若者が好きそうっすね。いいっすね、それ、とか言いそう。(記事の後のほうでは、ユートピアン、ユートピア的組織と呼ばれている)
 なんのこたない。欧米、特にヨーロッパの企業に比較すると一般の日本企業の階層は非常に少なく、すでに組織は十分薄いのだ。もしあなたの会社がそうでなければ、それは「一般の日本企業」ではないからだ。それではろくなことになりません。転職をお勧めします。トラスト・ミー。

(もちろん系列会社、関係会社、下請け孫請けの関係まで包含すれば、東京なんとか電力に代表される「一部の」日本企業の階層は限りなく多いのではないか、という指摘はある。残念ながら私もそこまでの範囲に拡大して欧米企業と比較できる材料を持ち合わせていない)

 IGNの論旨に対する反論ではないが、別の視点を一発ぶちこんでおこう。

 それは、他でもないゲイブ・ニューウェルだからこそ成立するのではないか。 

 彼が単にものすごく賢い男であるというだけではなく、巨漢である、百貫でぶであることと関係している。

 どこで読んだか忘れてしまったが(思い出した。内田樹氏の本であった)、かつてアメリカ開拓時代を主導していた伝説の偉人たちの多くは、巨漢、百貫でぶであったそうだ。もちろん、「貫禄」はカリスマを具現化するひとつの形だからもあるだろうし、巨体こそ成功の証であった時代だったのかもしれない。

 だが驚くべきことに、彼らがでかいのはその肉体だけではないという説がある。 
 ある開拓時代の英雄(ダニエル・ブーン)は、自分が住むケンタッキーの居場所から百マイルも離れたところに移住してきたよそ者開拓者たちの「ヤンキーの臭い」がとても耐えられないといって、さらに奥地に引っ越したのだそうだ。

 つまりこの西部開拓時代の英雄のパーソナル・スペース、個人の感知する領域、一般には好ましくないと感じる相手にそれ以上接近されると不快と感じる範囲が半径百マイル以上と、少なくとも今日に生きる者たちのそれとは比較できないくらい、信じられないくらい広かったのではないか、という説である。 

 もちろん私のような凡人には容易には呑み込めない。まるで野生の動物たちの縄張りのような話であるし、パーソナル・スペースは縄張りとの類比で語られることも多い(正しいかどうかは知らない)。
 私にとってはむしろヱヴァでいうATフィールドなんかのほうが観念的に似ていてわかりやすいかもしれない。あちらは距離よりは強度(厚み?)で定義されていたようだが。あるいはオリジナル・ガンダムでいうところのニュータイプの感知する「気」の範囲とか。

 でも通常のパーソナル・スペース論ではたかだか25フィート(7.6メートル)くらいまでを定義している程度である。百マイルというのはちょっと法外な距離だ。

 たとえば現代のストーカー裁判で、処罰される者はハラスメントを受けた者から半径百マイル(約160キロメートル)に近づいてはならないという判決は出ない。いくらアメリカでも出ないんじゃないかなあ(自信はない)。隣町に住んではいけない、くらいはあるのかな。

 IGNの記事にはValveの従業員が思い描いた組織図がいくつかおもしろおかしく書いてあるページの画像がある。そのどれにもゲイブ・ニューウェルはいるはずだが、どこにいてもおかしくないし、あるいはいなくてもおかしくない。 

 私は、ニューウェルのパーソナル・スペースが、Valveの従業員数百名全員の存在を包括して個別に詳細に把握しているのではないかと考える。その領域内に入った不快な相手、あるいは潜在的敵対者の存在を掌握することができるのであれば、領域内の味方、同僚仲間の動静をすべて把握するのも可能なはずだ。 

 そして私はもちろん、そういう才能の持ち主は稀だろう、という前提を置いている。

 Valveにはニューウェルに限らずボス(いわゆる中間管理職)は誰もいない。少なくともそういうヴィジョンがあるという。上のパーソナル・スペースの話が正しければ、Valveに中間管理職はもちろん必要ない。ニューウェルひとりがいればいいわけだ。 

 逆に言えば、ほかのゲーム開発会社がValveの(ニューウェルの)真似をしても効果がないどころか、ただ破綻するだけなのではないか。 

 それでこの話は終わってしまってもいいのだが、記事の中身は結構面白いので、要点だけ訳して読んでみよう。記事を稼ぐために、いったんここまで。

2012年5月 5日 (土)

パナソニシャープ

 いただいたコメントの話題でひとつ書き忘れた。

 この話題って、実はどっちかってと広い意味では自分の専門分野なんで、あまり迂闊なことは書けないんですが。ま、自分の矜持として、という意味だけですけど。

 それと、世の中に数多ある、わけわからんアマチュア投資マニアのブログみたいになると悲しいけど、まあ企業ネタなんて誰が書いても似たようなものになっちゃう。ちょっと風変わりなことを書いてみよう。

 ちょうど連休中なので、ふだんはよっぽどのことがないと買わない週刊誌、「週刊文春」のゴールデン・ウィーク特集号を買っていた。活字中毒者です。

 「家電大崩壊」という、いつものセンセーショナルなタグをつけた記事が載っていた。書き手は電機メーカー出身のフリー・ジャーナリスト、元朝日記者、井上久男氏。

 パナソニック、シャープ、ソニーとも五十歳代の社長に若返りました。さて、彼らは(全員男性だが)沈没船の総員脱出を指揮するだけなのでしょうか、それとも復活はするのでしょうか、という話題。  

 こういうブログの読者はテレビなんか興味ないのかもしれないし、私も基本興味ないが、「地デジ」などといういまだになぜ必要なのか意味がよくわからない代物とか、「エコポイント」なる奇怪な補助制度とか、「家電大崩壊」なんていってみたところで、単にそういう化けの皮が剥がれただけだよね。

 記事では業績がどうの、事業展開がどうのはあまり触れられていない。新社長三人と、更迭された前任の社長の人柄などが中心の記事だ。

 きっとビジネスをちょっとかじった人たちは「ハードデーター」のないくだらない記事だと切って捨てるんだろうな。甘い。
 ハードデーターなど公開されているものはいまどき小学生でも入手可能。非公開情報など手に入らないのだから(手に入れたら大変)、論じたって意味がない。 

 敢えて誤解を招くように一言でいってしまえば、業績回復など社長(責任者)で決まる。そう前提を置いてみましょう。奇異に聞こえるかもしれないが、実はこの記事で更迭された前任者たちのことを読んでいると、何が問題かなんとなくわかってくるから不思議なのだ。もちろんジャーナリストがそう読むように誘導しているかもしれないという注意は怠らないようにしておきましょう。淡々と事実だけ記載すると。 

・シャープの前社長(交代時期は四月)は、四十歳代で抜擢された社内では稀なブランド大学卒、研究所出身のエースであった。新社長は総会前のいまは取締役ですらない。家電メーカーでは最重要部門なはずだが目立たない購買出身技術者で、社内でも目立たず堅実さが取り柄だという。

・パナソニック(交代時期は六月総会)の現社長は(そして現会長も)社内で「ご本尊」と陰口をたたかれるテレビなどAVを担当する主流事業部出身であった。新社長も直前にはその事業部を担当しているが、赤字垂れ流しの部門を立て直すため、会長肝いりの不採算工場を対象に大リストラを断行している。

・ソニーの前CEO(交代時期は四月)は触れる必要もないかもしれないが、あのストリンガー氏である(現取締役会議長)。新社長はその通訳であったため抜擢された。理由はストリンガー氏の意図がきちんと伝わる英語力だそうだ。エンタメ部門は収支均衡を果たせなかったが、ずっとストちゃん肝いりだったので社長就任は既定路線。 

 競馬風に簡単に予想すれば、再起の可能性は、パナソニック◎、シャープ△、ソニー×でしょうね。

 パナソニックの新社長はもうその手腕の片鱗を示す結果を実現している。しかも最大の障害ともいえる現会長の逆鱗に触れることなく、会長のペット・プロジェクト(ふたつのテレビ工場)を大削減するなど社内政治をとりあえず乗り越えている。

 シャープの場合は国内液晶工場の過剰投資の失敗が直撃したわけで、実は銀行団の支援なくしては立ち行かない状態となっていた。ただしドメスティックな会社なので海外進出で立ち直る可能性はまだ大きい。一番大きいのは、あれだけ頼りにしていた液晶事業と訣別すると新社長が決断したこと。

 ソニーの場合はあまりに好材料に乏しい。たかだかゲーム・エンタメでどうにもならないのは誰が考えてもわかる。ソニーのゲームの復活を祈る気持ちはわかるけど、そのためにはまずソニーそのものが復活しないといけない。

 その材料は意外と乏しい。収益部門であるはずのケミカル(ソニケミ)売却は、結構待ったなしの状況に追い込まれていることの表れだと思う。「集中と選択」とか「ものづくり回帰」などという思考停止の発想で済むような事態ではとっくになくなっているのは間違いないでしょうが、結局技術力しか頼るものがないのが辛いところ。逆転満塁ホームランが必要。一本で済むかどうかしらないけど。 

 記事でも触れられているとおり、日本企業の最大の問題ともいえる過去の経営者が居座る「院政」をなんとかしないと、日本家電全部沈没は意外と遠くないかもしれません。
 そのとき日本に残るのは東芝一社かな? (日立はもはや家電メーカーじゃないと思ってるので)

 言いたかったことは、所詮人間なんてサルの仲間です、ということでした。組織(共同体)の命運はアルファ(昔でいうボス猿、今はオスかメスかでアルファ・メイル、アルファ・フィーメイルと呼ぶそうだ)で決まる。 

 そんな予想を立てて、これからの趨勢を見ていくことにします。

**********

 おまけ。

 ソニーの場合は、あの出井の時代にすでに終わったと考えてよろしいんじゃないでしょうか。もう死んでいるんです。ストちゃんはゾンビの親分なんです。

 出井はBusinessWeekが選ぶ2004年世界最悪の経営者七人のひとりに選ばれ、翌年にはそのお追従みたいに日経ビジネスが選んだ日本最悪の経営者一位(2005年)にも堂々選ばれている。 

 出井が何をやらかしたか、ご興味のある向きはいくらでも調べるよろしね。信じるかどうかは別にしてその手のネタはどこにでも書いてあるから。たとえば、今の半島国のサムソン大攻勢も出井が後押ししたようなものという話まである。 

 実業界のダメカン、バカハトですねえ。そういう社長の選び方をする会社だから、今回も期待できません。

 平井氏はちょうど任天堂の社長、岩田さんと年も近いから、ニンテンソニーとかどうすかね。と一瞬思ったけど、ないね。ないわ。

いくつかの「軸」に関する記事。

 実は連休中、ヴィデオゲームはほとんどしていません。 ちょこっとなでるくらい。

 とはいえ連休なにそれな欧米さんたちは、夏に集中する業界大イヴェントに向けて、いろいろな花火やのろしをあげはじめている。

 ここのところのふたつの重大な事件を、メモ代わりに書いておきます。きっと将来思い返すことになるだろう。

 いくつかの軸で考えるとわかりやすいかもしれない。ただし、わかりやすい、整理しやすいと、「正しい」は違う。雇われコンサルタントがビジネスの「三つのポイント」、「七つの提言」などと言う場合と一緒で、そこからなにが抜け落ちたのか、意図的に脱落させられたのか、常に注意しなければならないんですけどね。だいたい、三つのポイントで簡単に割り切れるなら、とっくにみんながやってるだろうって。

 もちろんたくさんの軸がある。

 一番最初に、ヴィデオゲームに対する態度として、「限りある人生の貴重(稀少)な時間の浪費である」というものと「人生における至高の愉しみのひとつである」というものがある。
 母親が子供に「もー、この子はゲームばっかりして!」という場合、前者の態度に立脚している。さらに、容易に信じられないことだが、「浪費どころか有害である」と言い切る、それ自体有害な言説を吐く者もある。
 私の態度はいうまでもない。

 冗談(でもないが)はさておき、例をあげるなら、私も日本人ですから、まず欧米と日本という軸が思いつく。対立軸ではなく、現状の相互無理解、共存の可能性、将来的な融合の可能性が論点かもしれない。個人的には一番興味の沸く話題だが、巷で頭の悪いメディアがやっているように「戦争」のアナロジーで説く限り、最後までなにも見えないおそれもある。

 関連して彼我のハードウェア売り上げの差異という現象面では据え置き型マシンとハンドヘルド・マシンの軸もある。遊ぶ時間が有限であれば、これは対立の関係、ゼロサムの関係であるが、たぶんに文化的な要因があることは容易に推測できる。
 スマホゲーやモバゲーをゲームと認めるなら(ここでも私の態度はいうまでもないが)カジュアルとコアという軸も当然ある。私はこれは排他的であると思っている。

 任天堂の宮本さんが、Vitaにはソフトが足りないとのたまっていた。3DSもそうだったし、もっといえばハードウェアのローンチではいつでも話題になる問題。テクノロジーの問題、ハードウェアとソフトウェアの軸である。これは世に言う「補完財」の関係であるから「軸」という呼び方がピンとこないかもしれないが、そんなこたない。相互に依存して進展するという意味では議論は立派に成立する。
 もちろん双方の送り手が異なる場合には、これは対立軸となりうるし、実はSonyやMSのようにインハウスで両方やったって、結局対立する部分は残る。 

 対立をよく示す例をあげると、Valve/Steamのニューウェルが、独自にパーツ取替え式進化型のPCを開発して出したいと考えていること。

 この記事の本題のひとつめは、ソロゲームとマルチプレイという軸。RPGジャンルに限れば、今一番議論を呼ぶところかもしれない。

1.The Elder Scrolls Onlineは好感をもって迎えられるのだろうか。

 http://www.gamespot.com/news/elder-scrolls-online-confirmed-for-2013-6374918 

 http://www.gamespot.com/the-elder-scrolls-online/

 上は、GameSpotのTES Online第一報。もちろん、元が最新作Skyrimが圧倒的熱狂によって受け入れられたTESシリーズですから、それこそどこを覗いても大々的に喧伝されている。

 しかし今のところTamriel大陸全土が舞台という以外にめぼしい内容はなにもありません。開発を「すでにやってるよん」と宣言しただけである。
 WoW以前には御三家のひとつといわれた名作MMO、Dark Age of Camelotを開発運用していたMythicの共同経営者がTES Onlineの開発元Zenimax Online Studiosにかねてから招かれていたという事実は(業界大ヴェテランの存在が成功に寄与すると考えれば)大事かもしれない。

 
 2013年ローンチの予定というが、MMOのローンチと、そば屋の出前ほど当てにならないものはない。いや、そば屋の出前(ラーメン屋でもすし屋でもなんでもいいが)というものは日本ではもう絶滅危惧種でしょうか。 

 (脱線開始)

 少なくとも都会では、そば屋の出前というものはもうあまり残っていないだろうと容易に予想できる。なぜなら、街のそば屋のおっさん・おばさんの多くが超高齢化してしまっていることを目撃しているからです。
 その隙間を今では多くの大規模宅配チェーン店が埋めている。決して大規模チェーン店が市井のそば屋を駆逐したのではないと思う。そば屋の出前が成り立たないわけでもない。だってもし選べるなら、誰が好き好んで冷凍・レトルト・缶詰・工場製品でしかない調理品・料理を注文しますか。
 単純に高齢化と後継者不足の問題だと思う。

 しかも大規模チェーン店は規模の経済をあまり獲得できていないらしく(あるいはあれでも十分獲得しきっているのかもしれないが)ヘッドクォーターズやコールセンターのコストを含めたオーヴァーヘッド・コストと逸失利益コスト(食材が使い切れずに余る、廃棄することを含む)が乗っかっているのか、実に高いのだ。いや、実は街のそば屋と一番違うのは、名も知れぬ不特定多数を相手に販売する上でどうしても必要になってしまう損害保険コストかもしれないね?

 多くの大規模チェーンは、これも多くの業種・業態が融合してしまった、沖縄なのかどこにあるのかわからないが超巨大コールセンターなるもので、あるいはこれもどこにあるのかわからないが受注サーバー群、インターネット経由で注文を受けつける。
 後者を用いた場合は、自動返信メールなどが「あと何十分でお届けします!」と宣言してくれる。もちろん、あまり誰もそれをあてにはしないだろうが。

 事件の背景を知るにつけ、心底嫌気が差してきて、見るのも聞くのもお断りしたいくらいの(だから、ついつい必死に探して読んでしまう) あの重大な観光バス事故。

 多くの乗客の方が事故で亡くなったその翌日、亡くなった方々を含めた乗客の電子メール・アドレスに一本のメールが届いたという。その内容とは。 

 「ご乗車はいかがでございましたか?」 

 毎日新聞。

 http://mainichi.jp/select/news/20120504k0000m040062000c.html

 真偽のほどはわからない。毎日新聞は(ほかの多くの新聞社と同様)前科もちだから。

 でも事実だとしたら、あまりにシェイクリー的な、スタージョン的な、あのヴォネガット・ジュニアでも思いつかなかったであろう、あまりにSF的な、とてもたちの悪い冗談ではないか。 

 これに代表されるような、実に上滑りしたネット・ビジネス、インターネット・マーケティングなるものへの批判が最近よく話題になっているらしい。レストラン勝手格付けサイトのステマの事件もあった。

 (脱線終了)  

 ふたつめの主題にも関連するのだが、上の話にはもうひとつ隠された軸がある。WoWとそれ以外のMMO、ひとりの強者と多数の弱者というものである。WoWキラーとして一部から期待されていたSWTORの攻勢は、今のところはWoWの硬い鎧にちょこっとくぼみをつけるだけで終わってしまっている。 

2.EAへのヘイトはとどまるところを知らないのだろうか?

 二つ目の話題は、大手パブリッシャーとインディ(独立系開発者)という軸である。ヴィデオ・ゲームだけ考えたらどーってことない話かもしれないが、現代社会全体を見渡すなら、ここに書いたものの中でおそらくもっとも重要な軸だ。カジュアルとコアとはちょっと、いやぜんぜん違う。

 そしてMass Effect 3のエンディング騒ぎ、Dragon Age 2に対するオールドスクール派の罵声、BF3やCoDMW3に対する轟々たるヘイトの嵐、それらの裏返しとしてのSteam、ニューウェルに対する信奉、それらすべて関連している。 

 この軸の命名は、今のところちょっとよいものが思いつかないが、権威の行使と権威の拒絶とでもしておきます。 

 なんのこたない、今の世の中で起きているたくさんのことが、たったこれだけで解けてしまうんですけど。

 EAのOriginについて、先日Valve/Steamのニューウェルが、ライヴァルへ皮肉たっぷりのエールを送ったというか、感想を述べていた。

「(訳:Originについてどう思うかという)その質問からは逃げないよ。あちらもまだまだ完璧とはいかないようだね。頭のいい連中をたくさん雇ってやっているようだが、大勢の先駆者たち(訳:つまりSteamを含む)が今まで長い間辿ってきた道をなぞっているところなんだろうね」

"I don't want to dodge the question - I don't think they're doing anything super-well yet. They have a bunch of smart people working on it but I think they're still playing catch up to a lot of people who have been working in the space for a while."

 http://games.ign.com/articles/122/1223913p1.html 

 Minecraftの共同創業者Markus Persson、またの名をNotch、もEA批判。

 EAが、Originで独立系開発者(インディ)のソフトウェアをSteamでまとめ売りしていることにご立腹のようだ。ツイッター。

「インディ・バンドル? そいつはやっちゃいかんぞ、EA。なんでもかんでもぶち壊しにするのをやめないか、この、上から目線のばかどもが」
「ゲーミングを救っているのはインディだ。ゲーミングを片っ端から着々とぶち壊しているのがEAだ」

"EA releases an "indie bundle"? That's not how that works, EA. Stop attempting to ruin everything, you bunch of cynical bastards."
"Indies are saving gaming. EA is methodically destroying it(.)"

 Notchは、後に以下のように発言の意味を補足した。「バンドルの中身のゲームにけちをつけているのではない、EAにけちをつけているのだ」

"I got into trouble on the interwebs again! The games in the bundle are good, I'm not questioning them. I'm questioning EA."

http://www.gamespot.com/news/ea-destroying-gaming-says-minecraft-creator-6374907

 つまり、EAというメガ・パブリッシャーが、(定義上メガ・パブリッシャーから自由であるはずの)インディのゲームをまとめ売りするという、見方によってはきわめて醜悪な形容矛盾、自家(自己)撞着をきたしている、という批判でしょう。

 さらに根底には、EAがヴィデオ・ゲームのよいところを、なにもかもぶち壊して回っているという、拭い去れない不信感があるのでしょう。

 原文"methodically destroying" は辛らつです。私はナチスのガス室や中共の文革、クメール・ルージュの大殺戮などを想起してしまう。体系づけて、組織的に破壊(殺戮)を繰り広げるというのだから。

 面白いのは、次のちょっと前の記事では、Notchが自分の会社であるMojangはもう以前のような会社ではないと宣言していること。

 http://www.gamespot.com/news/minecraft-creator-says-hes-no-longer-indie-6349139 

 理由は、従業員の雇用継続の義務に代表される会社存続の義務が生まれたから。
 「私はゲームづくりばかりやっているわけにはいかんのだよ!」ってことですかね。池田さんの声でお願いします。

"I don't think [Mojang] are indie in the sense of how I used to work any more because we have a payroll to worry about and we need to do stuff to ensure the company lasts. We have other stuff, which influences what we do other than trying to focus on the games."

 だが「Mojangはもうインディではない」というのはGameSpotの拡大解釈。Notchの発言は下のとおり。

「会社(Mojang)は自分が以前用いていた言葉の意味では『インディ』ではなくなった・・・。だが、外部に依存することなく自分たちの遊びたいゲームを作る会社であるという意味なら、我々は今だって立派に『インディ』だ」

"As a company, I don't think we are indie in the sense that I used to mean it…but in the other sense of indie, as in we make games we want to play without having any external dependencies, then, yeah, we're indie," he said.

 当のEAは、Origin(のゲーム認証)に致命的な欠陥・不具合があることを公式に認めたようだ。  

http://www.gamespot.com/news/ea-admits-origin-communication-falling-short-6374910

http://www.ea.com/news/the-origin-conversation

 そして、EAはファンの声を聴く態度が足りなかったと反省している(ふりをしている)。これからは心を入れ替えてファンのフィードバックを広く求める(ふりをする)そうだ。

 そうじゃないんだよな、EA。それじゃBioWareとやり方が一緒だ。それじゃ何一つ解決しない。
 なぜなら、Mass Effect 3の騒ぎでBioWareが一部過激なファンから糾弾されたことと同じ陥穽に落ちるから。つまり、結局ファンの話なんて全部は聴けないから!

 そして、万が一全部の意見を聞けたとしても、もはや「権威」を拒絶している者たちが、その権化たるEAの話を真に受けるとは思えないから。

 ここでもまったく逆の発想からプレイヤーと付き合っていこうとしている(そしてそうしてきた)Steam、ニューウェルの賢さが際立ってしまって、それはそれで腹が立つ。

 最後に、過去にも紹介したニューウェルのせりふ、何度でも引用しよう。なぜなら、これこそが普遍的な知恵だから。

"Q: How do you sit down and try to extract the data about which players are going to bring value into the game without almost embedding people into vent servers to listen to how they interact?

"A: Well, we all play games all the time. It’s not Valve who will be saying that somebody’s more or less valuable, right?

Q:不平不満はけ口サーヴァーなんて用いていないのに、カスタマーの声を聴く、実際のデータ解析方法は?

A:俺たちも四六時中ゲームで遊んでるよ。(訳:フォーラムで騒いでいる)どこかの誰かが他の誰かより重要だなんて、Valveの俺たちが言うと思う?

(この応答の中身が知りたければ、拙訳は次のリンクで)

http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-af05.html

 

2012年5月 4日 (金)

ジョン・カーター・オヴ・ディズニー

 下調べなし映画鑑賞が快感になりつつあるのですが、この「ジョン・カーター」(John Carter, 1012)はトレイラーすら観ずに映画館に直行してしまい・・・。

 いきなりディズニーのロゴが出て、アイ・ハヴァ・バッド・フィーリング、いやーな予感がした。そしてやっぱり的中してしまった。 

 もちろん原作はライス・バロウズのデビュー作にして古今東西もっとも有名なサイファイ・ファンタジーのひとつである「火星のプリンセス」(A Princess of Mars、1912)。

 日本語版だけでも今まで20回近く翻訳出版されているみたい。そして、この物語のモチーフをパクった物語はそれこそ数知れず。ヴィデオ・ゲームで一番有名なのは「ウルティマ」のロード・ブリティッシュ、そして主人公アヴァターでしょうね。

 この作品から始まる「火星シリーズ」、あるいは「ジョン・カーター・シリーズ」は、個人的にどうしても好きでしょうがないというわけではないが、創元の新装版(合本版、1999-2002)が出るたびに集めて改めて読み直したくらいは好きでした。

Apom
 創元社がまたしても途中でくじけちゃったのではないか、と思われるくらい長い時間がかかった新装版シリーズ。

 これは、できればディズニーが手がけないでほしかったよ・・・。 

 結構隠秘でかつ、妖艶とまでいえそうな物語。武部本一郎画伯の日本語版表紙絵(上の合本版の表紙絵もそうである)につられて言っているのではなく、実際中身がそうだから。 

 ディズニーが原作無視のでたらめやっちゃったから不満なのではなく、そういうやらしい部分が全部削ぎ落とされてしまうだろうという諦観があたってしまったから。 

 むしろ(シリーズのいくつかのエピソードが混ざっているとはいえ)原作を比較的忠実になぞっている部分は多い。
 確かに、後に腐れ縁からカーターの大親友となるカントス・カンはさっぱり活躍しないし、ディズニーが追加した余計なメタ・プロット(なんでしょう、きっと、続編以降で使いまわす気でしょう)はあまりに陳腐ぽいのでうひゃひゃと思ったけど、そんな不満はマイナーだ。

 そうなると、デジャー・ソリス、姫おひとりで支えていただくしかないのだが。

 ・・・。 

 この女優さんはシェイクスピア系の人だそうだ。イメージとは違う・・・。
 どうしても「ハムナプトラ」(The Mummy、1999)あたりの印象になってしまう。ハムナプトラ・オン・マーズ。ジョン・カーペンターかっつの(Ghosts of Mars、2001)。

 相当な努力を強いられたが、私は映画の最後までには彼女のデジャーを無理やり好きになりました。きれいな人だし、でかくて豊満な体つきのようだし、それ自体は私の好みのストライクゾーンだし、陰秘なトーンの映画だったらぴったりなんだろうけどねー。 

 やっぱ原作のように、陰秘、陰惨、妖艶にして奇怪醜悪なイメージだからこそ、ジョンとデジャーのヴィクトリアン・ロマンスが逆に映えるわけなんで、ディズニーによって毒抜き、消毒された世界では、それじゃあ当たり前すぎてさっぱりです。

 ところで、映画ではどうして地球人である(あるいは、こっちのほうが重要なのかもしれないが地球で育った)ジョン・カーターが大跳躍力をはじめ、火星の生き物から見たら類まれなる身体能力を有しているか、特に説明がなされなかった気がするが、それだけ世界中の観客のサイファイ・リテラシーが向上してるということなのだろうか?(説明のシーンが実はあったことを見落としていたらごめん)
 

 原作でも、その身体能力がデジャーとのあっち関係ではどう反映されたのかは特に触れられていなかったし、っておいおい。まあ、彼の帰還を何年でも待っていたってことで表現されてるのかなあ。 

 CGもスタントも、ディズニーの大資金力を存分に活用した現在の最高水準の域なんだろうけど、もうそういう世界はみんなとっくに見飽きたので、大向こうをうならせることはできないだろう。
 3D化はあまりにおざなり、おそまつで必要ないくらい。 

 きっとシリーズ化するんだろうなあ。まずカーターは大元帥閣下にならんといかんし(「火星の大元帥カーター」(The Warlord of Mars、1913)、ディズニーのことだから「火星のチェス人間」(The Chessmen of Mars、1922)とかいかにもやりそう。「アリス・イン・ワンダーランド」(Alice in Wonderland、2010)あたりから連想。  

※ imdbによれば、すでに次回作"John Carter: Gods of Mars"が予定されているとのこと。原作では二冊目「火星の女神イサス」(Gods of Mars、1913)に相当する。

 映画本編とはまったく関係がないが、エンドロール前のクレジットで「ジョブズに捧げる」みたいなことが書いてあって、怒りがこみあげてきました。もちろんジョブズ(のピクサー)を窮地から救い上げたのがディズニーであるということ(そしてその流れでジョブズはディズニーの役員であったこと)は知っているが、「彼こそ創造力(あるいはイマジネーションだったかな)の権化」みたいなことが書いてあったことに腹を立て。

 ディズニーにしろジョブズにしろ、連中のコンテンツ管理の発想がある種のファシズムであることは、別に私が指摘しなくても誰でも言っている。

 ウォルト・ディズニーはなにしろ(アンタイ・セミティズムの関係から)第二次大戦開戦まではナチス・シンパであったし、死ぬまで性差別主義者、人種(黒人)差別主義者であった。
 それとはもちろん話のレベルがだいぶ違う(本当はあまり違わないのかもしれない)が、ジョブズがあらゆる面で「独裁者」であることはアップルの社員誰でもが口にする事実であった。

 んまあ、火星シリーズ自体が「君も独裁者になろう!」というお話であるのは間違いないんだけど。
 濁りの一切ない澄んだ清らかな水には生き物は住めないといいます。コンテンツ管理された、消毒済みの「クリーンな」火星のジョン・カーターてのは、どうなんだろうね。

 もし「イマジネーションの権化」というのであれば、エドガー・ライス・バロウズを言うべきでしょう。それであれば、もちろん文句なしです。

 

2012年5月 2日 (水)

【DA2】The Silent Grove #6

 ゲイダーさん原作のDragon Ageのコミック、The Silent Grove #6。

 これで完結・・・。 

 完結はとりあえずしたものの、やっぱり、謎は最後まで解けなかったのね。

Sg6

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Battleshipとはレーダー作戦ゲームのことだったのか。知らんかった。

 「バトルシップ」。

 おちゃらけムーヴィーもここまでおちゃらけると愛おしい、という好例かも。

 まさかあの、「レーダー作戦ゲーム」(タカラ)、オリジナルは映画の製作者でもあるハスブロのボードゲーム"Battleship"が映画の原作だとは、まったく知らずに見始めてしまった。
 オープニング・タイトルで原作として出てきたと思うのですが、ようやくそこで「あれっ?」っとか気づいた。

 映画の感想は最後にちょこっと。表題のテーマを膨らませるのがゲームブログらしくていいかも。

 なお「レーダー作戦ゲーム」は「魚雷戦ゲーム」(エポック社)とは違います。

 なぬ? どっちもわからんと。ぐぐれ。いや私はやさしいから教えて進ぜよう。

 

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 「レーダー作戦ゲーム」の、これは比較的新しいタイプ。「スター・ウォーズ」ヴァージョンですね。ボードが後述するスタンダードの10×10ではなく14×10に拡張されている。

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 私が友達の家で遊んでいた「レーダー作戦ゲーム」は、おそらくこっちのシンプルなもの。スタンダードな10×10.

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 混同されやすいが「魚雷戦ゲーム」はまったく別ものです。

 こちらは頭を使うというより、オハジキとか、野球盤(エポック社)とかそっち系の、指先の器用さを競うアクションゲーム。 

 「レーダー作戦ゲーム」(タカラ)、見かけはどうであれ、なんのこたあない。友達がひとりいて、紙とエンピツさえあればどこでもできるとってもシンプルなゲッシング・ゲーム。

 ノリはマスターマインド(Mastermind、相手の考えている四桁の数字をあてるゲッシング・ゲーム。「ワン・ヒット、ワン・エラー」とかいうあれ)に近い。頭は使います。

500pxbattleship_game_board_svg
 いろいろなヴァリエーションが存在するが、10×10の方眼紙が基本形だと思う。

 グレーの部分が艦船を示す。登場する艦船の種類もヴァリエーションがあるはずだが、基本は升目の数の大きなものから空母(5)、戦艦(battleship)(4)、巡洋艦(3)、潜水艦(3)、駆逐艦(2)かな。Wikipedia(en)によれば、潜水艦(3)の代わりに駆逐艦(3)で、ほかに魚雷艇(2)がはいるというヴァージョンもあるそうだ。  

 遊び方は、ゲームボードの画像をご覧いただくだけでわかってしまって説明の必要もないと思うが、こんな感じ。

**********

1.ふたりとも相手に見えないように上述の艦船を10×10方眼紙に適当に(あるいは、同じ相手と何度もプレイしているなら、繰り返しゲーム独特の深い戦術思考をもとに)配置する。ゲームボード画像では水平に設置されているボードに相当します。

 一旦配置した艦船は以後ゲーム終了まで動かすことはできない。

(タカラのボードゲームでは最初からさまざまな升目の数に対応したプラスチックのミニチュア艦船が用意されているわけです。10×10のプラスチック・ボードに100個の穴(凹)が開いていて、艦船の底についているリベット(凸をひっくり返したようなもの)がうまく刺さるようになっている。でも、やってることは紙とエンピツとまったく一緒です)

2.何も書かれていない10×10の方眼紙を用意しておく。こいつが敵さんの位置を探っていく「レーダー画面」になる。ゲームボードでは垂直に設置されているボードのほう。

3.先攻後攻を決める。自分が先攻だとする。

4.最初は相手の艦船がどこにいるかわからないので、まず適当に(あるいは、相手と何度もプレイしているなら、繰り返しゲーム独特の深い戦術思考をもとに)一箇所指定する。たとえば「E-5」とか座標を宣言することになる。 

 (これがボンバードメント、艦砲射撃に相当する。現代戦なら対艦ミサイルかな)

5.相手側は、宣言された枡目に自分の艦船が存在するときは「ヒット!」、そうでないときは「ミス!」と通告してくる。戦況はすべて記録されるので正直に言わないと後でばれる。

 こちら側はその結果を、2.で用意した何も書かれていない方眼紙に、ヒットまたはミスの記号をつけることで記録する。(タカラのボードゲームでは凸をひっくり返したような形状のペグ(リベット)を対応する座標の凹に刺すことでマーキングしていく。ヒットには赤、ミスには白のペグ(リベット)が必要数だけ用意されている)

6.今度は相手側が4.の手順を行う。

7.自分は5.の裏返しで、「ヒット!」または「ミス!」を正しく通告する。

 その結果を1.で用意した自分の艦船配置図に記録しておく。上の画像では×印がそれにあたる。(タカラのボードゲームでは艦船の上にも升目に対応する部分に凹があいているので、ヒットの場合はそこにペグ(リベット)を刺す。ミスの場合は海上の凹に刺す)

8.後は交互に攻撃を繰り返す。 

(自分側のあるひとつの艦船のすべての升目にヒットされた場合、「撃沈!」とか叫ぶ。ここはヴァリエーションがあると思うが、私の場合は「戦艦撃沈!」とか艦種まで言うルールだったと思う。艦船が密集して配置されている場合、撃沈した艦種を明言しないとかなり回りくどい戦いになることがあるのでそうしたのかな)

 どちらかの手持ちのすべての艦船が撃沈したとき、ゲーム終了。すべての艦船を喪ったほうが敗者となる。

**********

 超単純なゲームで、その実オリジナルも第一次大戦中に無名の誰かが紙とエンピツで遊ぶように考案したものだそうだ。ハスブロは早い者勝ちでそれを商品化したわけで、勝手に著作権を主張している(笑)。 

 最近ではiOSなどスマホゲーもあるそうだ。でもきっと遊ぶためには友達ひとりは必要。

 超単純だが、マスターマインドと同じようにいつまでも遊べる。むしろ繰り返しゲームのほうが戦術の味わいが深くなる。マスターマインドにはそれはないですね。

 このゲームが映画の原作であると、映画を見始めてから気がついたわけです。映画内での表現はオリジナルからかなり変形されているが、確かに似ている。 

 さて、映画。

 ハワイ周辺海域で行われるリムパック演習を舞台にして本編物語がはじまる。USはじめ、日、豪、半島国などUSと同盟関係にある太平洋沿岸諸国の海軍が集結するところにエイリアンの宇宙船が飛来して着水。エイリアンの展開したエナジー(エネルギー)・フィールド内に取り残されたミサイル(イージス)駆逐艦三隻が地球侵略を阻止するために死闘を演じるというお題。

 取り残された三隻とは、US海軍のサンプソン、ジョン・ポール・ジョーンズ(JPJ)に加え、海自のみょうこう(いずれも実在するミサイル(イージス)駆逐艦)。

 海自もイージス艦持っておいてよかったー(笑)。って今や豪州も半島国もイージスを複数稼動させているそうですが。US以外では日本のほかはスペイン、ノルウェー、半島国も一隻のみと思っていたが、今は随分増えている。 

 でも、サンプソンとみょうこうは、戦闘開始数分後に無残にも撃沈される・・・。 

 正直、そこでさっさと帰ろうかと思ったぜ・・・。ワイルドだ(略)。 

(ちなみにエイリアン宇宙船が打ち込んでくる砲弾状のプロジェクタイル(放射物)の形状が、上述したように「レーダー作戦ゲーム」で戦闘記録に用いる凸をひっくり返した形のペグ(リベット)そっくりである。映画を観ている最中には気がつかなかった、今書いていてようやく意味がわかった)

 あんだよー、みょうこうまでやられ役かよー、とガッカリしたが、これは登場人物を生き残ったJPJ一隻に集結させるという、物語上の要請もあるのであった。

 みょうこう艦長ナガタ役の浅野さんは、結構せりふも多いし、大事な役目もあるし、作中でなんだかいっぱい使われてるなあ、とちょっと驚いた。英語はまあ、しょせん日本人の英語だけどね(笑)。がんばってはいるね。

 「レーダー作戦ゲーム」のモチーフが登場するきっかけは、ハワイ周辺に配置された潮位監視ブイのグリッド。こちら側の位置を曝すことなく、海上をジャンプしながら移動する宇宙船の位置を特定するためには、宇宙船の排水量によってもたらされる潮位変化データを分析すればいい、というナガタの助言に基づくものである。

 このグリッドを構成するブイ群は、名づけて「ツナミ警告ブイ」(英語もTsunami Warning Buoys)。もちろん映画内であの震災のことなど一切触れられないが、それをさらっと流すところがいいのかもしれない。 

 地球侵略ものとしてはベタベタな定番ネタ。なんも考えず、エヘラエヘラ、ニヤニヤしながら最後まで見ることができる。「トランスフォーマー」はイマイチと感じちゃう私でも、この映画については時間の経つのが超早かった。やっぱハワイと大洋の風景がいいからかな。

 もちろん後にはほとんど何も残りはしない映画だが、観終わってからむしょうにトロピカル・カクテルが飲みたくなって、連れとハワイアン・レストランに突入するくらい感化されてしまった(笑)。 

 ご覧になる場合、エンドロールの最後まで観るようにしたらいい。最後の最後に超くだらないオマケがついてます。発売されるヴィデオゲームのBattleshipにつなげるってことなのかな?

 ちなみに英語メディアのレヴューで受けたのは、次。 

 この映画は次のたった一言で表現すべきでしょう。「ミス!」(笑)

2012年5月 1日 (火)

うわさの超凡作

 「バトルシップ」なるものをこれから観にいきます。トランスフォーマー・オン・ザ・ウォーター。(マイケル・ベイ同様)激辛な評価を浴びまくっていますが、海自が出てくるってんだから、こいつは観なきゃならんだろう。 

 マイケル・ベイといえば、あの「パールハーバー」はない。ほぼゼロ点。いいところは冒頭のバトル・オヴ・ブリテン、メッサー・シュミットとの戦いの迫力(でも架空の戦いだよねえ)、それとパールハーバー・レイドでのゼロ戦の凶暴そうなエンジン音の再現だけ。

 私が何度も言ってる自己満足ギャグだが、あれこそ「リメンバー、『パールハーバー』!」だよ。

 映画の日だけにちゃんと入れるかどうかわからんけど・・・。一緒に行く連れの都合なんで仕方がない。メイデイだけは1日を避けてくれないかなあ。

 このブログでもちょこっと触れた火星の大元帥閣下「ジョン・カーター」は、じっくりゆっくり見たいので連休中にひとりで観るつもりです。

 ここのところ、すでにゲームブログでなくなっていきてますが。ちょこっと感想。

 王と魔王とどうしたこうした(Vita)。 面白かったんだけど、コンテンツがちょっと足りなさすぎかな。最後のほうはなにもかもが繰り返しばかりになる。DLCもアリーナ的なものだけなら物足りない感じ。

 Legend of Grimrock。行きがかり上、もちろん積極的にほめませんが、難易度調整に難ありでしょう。

 キー操作を速攻で繰り返さなければならないアクション・パズル的な趣向は確かに面白く、よろしいと思います。どっちかてと、ダンジョン・クロウルよかゼルダ的(ほめ言葉)。

 ところが、バカづよな敵三連荘とかを相手に、同じようにずっとスウェイ(横滑り移動など)を繰り返さなければならないと勝てないのは飽き飽きした。ガチで打ち合っても勝てるのは一匹かせいぜい二匹。三匹おでましだともう逃亡モード。

 それからルート拾いがさっぱり楽しくない。初期のゴミ拾いをいつ卒業できるのかと思っていたが、ずっとゴミ拾いの様相を呈している。

 オールドスクール派がなだれを打って絶賛しているかもしれないが、申し訳ないがWizardyは言うに及ばず、ディープ・ダンジョンのほうがまだ面白かった記憶があります。いやメガテンだってずっと面白かった。 

 Wizardry、M&Mのように多彩な敵と多彩な攻撃、プレイヤー側の多彩な攻撃・魔法・装備の両方をバンバン出すのか、それともDark Soulsのように敵も装備も種類のヴァラエティはどうってことないが、理不尽な結果は決して発生せず、失敗したら全部プレイヤーのせいと割り切れるものか、どっちかにしてほしいって感じですかね。 

 つうか、そのどっちかしか解がない気がする(ゼルダは後者よりか)。

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