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2012年5月16日 (水)

P3P

 さて、すっかりゲームブログではなくなってきたと自他共に認めるこのブログ。今容量使用量が98.5%。最後まで絞りつくすつもりなので、巨大な画像は載せられない。 

 時間のお話。かなり好きなんすよね。つか、そういうことにかぶれなければ、普通のいたいけな少年少女はサイファイなんぞ読み始めないのだ。

 トリッキーなパズルのようなタイム・トラヴェルものはミステリーとして読めるので、ジュブナイルものでも人気があります。いまだ絶大な人気があるというハインラインの「夏への扉」とか、もちろん筒井先生なら、これ一作残したんだから後いいじゃんともいえる「時をかける少女」。

 筒井先生の「七瀬」シリーズでもそうだし、ペリー・ローダン、最近のサイファイ洋ドラであるHEROES。数あるエスパー能力の中でも時間旅行者、タイム・トラヴェラーがダントツのエリート。たいてい悲惨な運命に見舞われるか、カルマを背負っている点も共通。

 一方、いいところがまったくなくて一番悲惨なのは予知能力者、プレコグ。同じ時間系なのにとっても扱いが悪い。たいていは「自分の最期」が予知できないオチ。なあほな・・・。

 「絶チル」にタイム・トラヴェラーがいたかどうか忘れた(「絶チル」の物語自体が時間ネタだからいなかったかもしれない)。そうなると二番手エリートはたいてい瞬間移動能力者、テレポーター(これはいたな)。時空系っちゃ時空系です。ただし時間の因果律は無視できないことになっている。

 (以下、またしてもくどい話だが前から読んでくれている方許しておくれ。)

 テレポーターもその一種といえなくもないが、私は加速装置もち(エンハンスト・スピード)が二番手エリートだと信じている。代表はもちろんサイボーグ009(作品名じゃなくてキャラクター名)、そしてHEROESでもタイム・トラヴェラーに肉薄できるのは(同じ能力の持ち主でなければ)スピード持ちしかいない。「009をぱくったな」と思った。んまあ、真剣に考えると同じ結論に至るってことかな。
 ジョジョのスタンドにも昔のシリーズであったなあ。結局はタイム・ストップ対スピードの戦いになった。

 X-menにはタイム・トラヴェラーはいなくて、タイム・トラヴェルはテクノロジー扱いだったような気がする。

 安易にタイム・トラヴェラーを出すと、なんでもあり、たしかに身も蓋もない話になってしまう。だから(テクノロジーとして)使いどころを制限したり、能力を自由には引き出せなくしたり(七瀬シリーズ)、使用上の注意があったり、カルマを背負っていたり(HEROES)、結局あっさり時空の歪みに置き去りにされてしまったり(ペリー・ローダン)する。

 どんな能力(テクノロジー)が欲しいですかあ、とかお子ちゃま連中に聞けば、間違いなくタイム・トラヴェルがダントツではないかな。
 いやお子ちゃまは過去が貧弱だから(「深み」がないから(笑))、もうちょい思春期に差し掛かった子達にきいたほうがいいか。世の中のどろどろ具合がわかり始めた中二くらいがいいかも。
 二番目がやっぱテレポーター。どら(略)んのアイテムの人気投票だってそうだ。タケ(略)ターとか言う子は、まずいない。  

 私個人は無難なところで(意味不明)、テレパスの能力くらいあったらいいかな。いやいや、悪いことなんて考えてません。つか、どんなエスパー能力だってひとつあったら悪いことはできるっての。

 ゲームブログは放棄したのかって? 

 いや本題はP3P。今までは枕です(なげえよ)。 

 ペルソナ3はすみません、やってません。PS2時代は諸般の事情で私のゲーム暗黒時代だ。いろいろな作品のHD化を待っています。

 先の記事で、ふたつの、あたかも矛盾しているような時間の感覚について触れました。

 ・自然の現象はくりかえすものだ

 ・人生の変化はもとにもどらない(くりかえしはない)  

 ゲーム(の物語)に批評性があるなら、たとえばこうした概念がなんらかの形で織り込まれているはず。

 断っておきますが、批評性があるゲームが優れているなどとは言っていない。たとえばスーマリには批評性はない。いや本当はあるんだけど、面倒くさいから(今日の本題と違うから)省略。んー、だから結局批評性があるゲームが(ある意味では)優れている、ってことだよ!(開き直った) 

 なんだろう、完璧に敷衍できるほど詳しくないが、もとはやっぱ「ときメモ」(1994年、もちろんPCエンジン!)から紐解かなければならないのか。あるいは「卒業」あたりか(調査中)。

 「卒業」は1992年(PC、この場合PC98な)。おっと「プリンセスメーカー」が一足先の1991年(PC、この場合PC-98な(くどい))かい。「ベストプレープロ野球」(1988年、FC、この場合(わかってるって))。ま、原型はここら辺でしょうか。 

 誰にも明らかなように、P3P(ペルソナ3でもいい)にもこの世界が原型としてある。

 世に言う「育成ゲーム」。「育成(あるいは恋愛)シミュレーションゲーム」。

 お気づきのように「日常系」である。この系譜はとっても根強いですね。いまだに山ほどあるんではないか。健全な私が遊んだものでも「ぱすちゃ」がそうだし、つい先日も遊んでいた「王と魔王と(略)」にも反映されているし。

 繰り返される平穏な日常。必ずやってくる明日。でも今日は昨日とちょっとづつ、気がつかないくらい違う(恋愛なら進展が少しづつある)のでこの繰り返しはiteration。 

 ヴィデオ・ゲームは(もっと言ってしまうとレジャーとしてのゲーム一般は)、本来的・根源的に繰り返しゲーム、iterationである。ゲーム理論はレジャーとしてのゲームだけを扱うわけではないが、術語としての「繰り返しゲーム」は原語ではrepeated game、あるいはsupergame、iterated gameと呼ばれるそうだ。iterationは私だけが言っているわけではない、ということを強調しているだけですが。

 繰り返しゲーム、シミュレーション(根源的に繰り返しモデルでもある)ともコンピューターにとっても親和的。だから流行るのもとてもよくわかる。実装も(複雑なシナリオ・ツリーの管理は別としても)へっちゃらでしょう。 

 卒業(別離)、恋愛成就(失恋)、優勝(敗北)、そうした結末には不可逆性があるっちゃあるが、やはりある意味で「日常」。まあ、彼女にしたい子となんにもないのに卒業しちゃたり、失恋しちゃったりしたら、死にたくなるのかもしれないが、それも常。勝敗(成敗)は兵家の常です。 

 P3Pの場合、そうした学園生活の部分だけが「日常」というわけじゃない。実は裏の時間帯、シャドウと戦う魔時間ですら主人公たちにとっては「日常」。戦いと探索が(ペルソナ持ちである彼ら彼女らの)日常の任務なのだ。

 ここまでなら、似たような趣の物語は他のゲームだっていくらでもある。ぶっちゃければMMOで遊ぶ人たちだって、やってることはみな似たようなもんだ。つまり、MMOサーバーの中にいるときが、君たちの魔時間だっ!(いろいろな意味でね)

 ところがP3Pの物語が進展していくと(ネタばれにならないようにぼかすが)、 ある時点で帰無性が、「虚無化してゆく不可逆性」が露骨な形で呈示される。

 まさに前回触れたように、主人公たちが暮らし(学園)、戦い(魔時間)、結束を固めてきたこれまでの過去の生活(日常)が、すべてが無に帰して「なんの意味ももたない」という事態を突きつけられる。

 そうした事態が迫っていることを知りつつ、日常の終焉が、すべてが喪失される締め切りが迫っていることを知りつつ、主人公たちは引き続きやっぱり「日常」を送る。なぜなら、それ以外になんの手段も持ち合わせていないわけだから。 

 この部分が、不可避な帰無、虚無化が訪れることを知りつつ、今までどおりの日常生活を送るという展開が、このゲームが他に抜きん出てしまった理由なんじゃないだろうか。

 結末がどうかは触れないでおく。 

 失敗例と思われるものにも触れよう。P3Pと似たような味わいがありながら、きっと同じ効果を狙っていながら、なんだかよくわからないまま終わってしまう物語がある。「ファイナルファンタジー零式」がそうだ。ゲームとして失敗作などと言っていない。だが物語としてはちょっといただけないという意味だ。

 国土全体が焦土と化すことが避けられない戦乱の中で、学園生活を送る。そこで描かれているのは戦時下における奇妙な日常であるはずだが、どうにも説明できない形で、その感覚がうまく描かれていない。戦死者の思い出は生き残った者の記憶から消えてしまうなどという仕掛けも、そして現に昨日まで一緒に生活していた仲間が次の日には消えている(ことすら誰も覚えていない)という事態も、おそらく虚無感を表現しようとしているのだろうが、正直ほとんど共感できない。 

 ひとつには「零式」の複雑怪奇な世界設定のせいがあるかもしれない。個人的にはいまだになにがなんだか理解できていない(するつもりもあまりない)。
 P3Pのように誰でもなじみの、至ってシンプルな世界であるから、あそこでは非現実的な虚無感が鮮明に表現できたのかもしれない。

 また「零式」の仕組みとして、二周以上しなければ、物語自体の意味をわからないようにしているつくりも感動を阻害しているのかもしれない。
 P3Pも普通は二周以上しなければ物語を隅々まで経験することはできないのだが、本筋は一度きりのプレイでわかる。二周目以降は枝葉の部分を回収することになる。「零式」は本筋(があるとして)自体周回を重ねなければわからない(みたい)。 

 どちらのデザイナーも、狙いはおそらく似たようなところにあったんだと思う。ふたつの時間感覚を表現しようとしたのではないか。そういう意味で共時性はあるのではないかと思う。

 巧拙が出たのは、だからテーマとは違う部分だ。 

 そういえば、散々に批判されたFFXIIIの続編、FFXIII-2には私はかなり好感を持っている。やはり「時間」をテーマにしたその物語は、本編よりずっとシンプルだが、FFには欠かせない「チャーミング」な物語は、シリーズの正統な系譜に乗ってしかるべきものだと思う。
 ここでも、日常と虚無の両面をP3Pや「零式」とは違った形で表現しようとしている。手法はP3Pよりずっと陳腐ではあるが、決して物足りないわけじゃない。いや、ある種の王道かもしれない。
 「時間」テーマ特有のトリッキーな仕掛けもかなりうまくいっているのではないか。

 エンディング(がないこと)と、しょーもないDLCを出し続けようとしていること以外は文句なし(笑)。

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コメント

 ペルソナ3に似ているゲームで連想するのは「ガンパレード・マーチ」ですねえ。アホみたいにやりこんだんで、思い入れもひとしおです。ゲームアーカイブスに登場して歓喜。当然PSPはガンパレ専用機になっています。
 ちなみに、ガンパレ世界ではプログラミングでテレパスもテレポートもできますよw

 ガンパレなら知ってますよ、と書こうとしてイヤな予感がして調べたら、熊本? 青森じゃなかった? 「オーケストラ」とは別ものなんすね。しかも「オーケストラ」もアニメしか知らない。暗黒時代長かったなあ。

 Wikipedia(jp)の「マーチ」に関するこの記述が受けた(笑)。

 発売元であるSCEはこのソフトを売れる見込みが無いソフトと判断し、生産数は少量で宣伝費が0円という異例の扱いとした。

 紹介記事から推測するしかありませんが、すでに破滅的となった状況に投げ出された主人公たちの「日常」生活を詳細多岐にわたって扱ってるって意味で、似てるということですね。
 P3Pが「そこまでひどいことにはならないだろう」という期待をあるとき無残に打ち砕いてくれるのに対して、いきなり破滅的状況なんですかね。

 って、一部同じシステムで「エヴァンゲリオン2」も開発してるんだ。これはPSPでやったなあと、無理やりPSPの話題に持っていく。なるほど、「日常」と「虚無」の同居、そのはしりにはエヴァも入れないといけないですね。

 そういえば「ヴァルキリア」もいきなり破滅的状況というコンセプトは近い。と、無理やりPS3の話題に持っていく。あれは「日常系」とはとても呼べないだろうけど。戦場が「日常」になってしまうわけだから。
 
 「日常系」ゲームってのは、「神は細部に宿る」って言葉に通じるんでしょう。そして細部は全体を形作らなければならない。そこで違いが出てくるんだろうなあ

 それにしても、PS、PS2時代はプレイしてないよさげな作品が多いなあ。HD化してくんねえかなあ。
 
 
 

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