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2012年5月14日 (月)

世界史ブーム

 なんだそうです。

 文藝春秋を買って橋下市長がどうしたこうしたの部分だけ読んで、あとは(じじ臭い内容がほとんどなんで)ぶん投げようとしたら、ふと佐藤優氏のエッセイ(というか書評?)が目についた。

 学生にマクニールの「世界史」が売れている。 

 佐藤氏の本題は「世界史の哲学」のほうを紹介することであったが、書き出しはそうであった。あれ? 「世界史の哲学」なら読んでるぞ、大澤真幸氏のやつでしょ、古代編と中世編まで出てるけどまだ連載中だよね、と思ったがそっちはよくよく調べると「<世界史>の哲学」と、社会学でよく使うらしい"< >"がついていた。

 「世界史の哲学」のほうは高山岩男著であって、大澤氏の著作の表題はそのオマージュの意味だったのかどうか、それは知らない。 

 こちらのブログの本題は、マクニール博士のほう。今更なぜ?

 東京の有名国立大、私立大の学生がこぞって読んでいるそうだ。ほんまかいな。だがその宣伝文句に惹かれたさらりまんたちがこぞって読んでいるらしく、ばか売れしてるみたい。 

 実は、佐藤氏のエッセイを読んだ日の帰宅途中に、とある副都心の駅構内にある書店で探してみたのだが、中公文庫のはずなのにマクニールの著作は文庫の棚には一冊しかなかった。

 やっぱ、Amazonで買うべきだったか、と後悔した。

 目的の書籍を探そうとして、めったに近づかないリアルのリテール書店に立ち寄るとまず見つからない。ろくな目にあったことはない。だからAmazonが重宝するわけなんですが。 

 失意とともに書店を去ろうとしてのけぞった。

 入ったときには気がつかなかったが、入り口付近の特設スペースに「世界史」上下二巻が百部以上、それこそはいて捨てるほど山積み・平積みになっていた。垂れ幕というかど派手なバナーまで飾ってあった。 

 それって、むしろ買うのが恥ずかしいじゃん!

 はいはい、世の中に思いっきり迎合してますよ、人の言説に流されて思考停止、判断停止してますよ、居酒屋で吹聴するネタ探しに来たさらりまんですよ、みたいに見られるのを覚悟で購入。行きがかり上ってやつ。

 ああ、恥ずかしい。やっぱAmazonで買うべきだった・・・。

 日本に関係ありそうなところを中心に、パラパラ斜め読みしたけど、いったいこのどこが受けてるんだろう? 

 1.大学の試験に出るから。読まないと担当教授が単位よこさないから。

 2.中身が優れているから。 

 3.世界史の「教科書」としては薄くて読みやすいから。 

 1.はともかく、2.と3.が理由だとしたら、それ以前に「世界史を読む」という動機づけが必要なわけですよね。

 なんだろう、「世界史」が若者のファッションになってるのか? 

 この「世界史」(A World History)自体はオックスフォード大の教科書として執筆されたそうだ。英語版初版は1967年刊行というからもうすぐ半世紀になる(日本語版は1971年)。

 半世紀前ではあまりに古い。歴史の本だからそれでもいい、ってことになるわけじゃないだろう。歴史の本だからこそかなり見直しがいるはずだ。この「世界史」もすでに改訂を重ね、1999年に第四版が刊行されたそうである。(つまり2001年のあのイヴェントは反映されていない)

 訳者によれば、ウィリアム・H・マクニール博士はカナダ生まれ。シカゴ大学教授を勤めた歴史学者で、珍しく人類学的アプローチを取り入れた、リベラルなコスモポリタン的歴史観の持ち主だという。

 だが、主著が「西欧の興隆」(Rise of the West)というのであるから、先日ここに(ひとつ前のブログに)ちょっと書いた、現代の人気歴史学者、ハーヴァード大学のニーアル(ニール)・ファーガソン博士の"Civilization: The West and The Rest"という強烈な題名の書籍とお題は一緒である。(マクニール博士もファーガソン博士も西暦1500年をひとつの区切りとして)どうして西欧文明が、地球のほかの地域の文明から抜きん出て興隆したのかというテーマ。比較文明論の形をとっていても、一歩間違えれば西欧優位論にならざるをえないテーマ。

 学生たちがどういう態度で読んでいるのか(それとも本当に読んでいるのかどうか)わからないが、少なくとも、そういう(バイアスがかかる危険の)前提をおいて読んでいることは期待したいものです。

 マクニール博士も自著「西欧の興隆」については、「この一冊の本を人間の文化史の中で意味のあるものにするため、どんどん誤解してほしい」という趣旨の序文をつけているそうだ。リベラルだからね。

 ま、そういうバイアスを意識する、しないかにかかわらず、この手の包括的世界史を読むときは、(世界四大文明にまったく数えられていない)日本文明の今日に至るまでのサヴァイヴァビリティって、きちんと学者として説明できてるのかね、という意地の悪い興味を持って読むと非常に面白い(はずな)んですけどね。

********** 

 以下、本当の本題。 

 マクニールの「世界史」を眺めていたら、「時間的深度」なる言葉が出てきた。

 ちょうど真木悠介著「時間の比較社会学」を読んでいたところなんで、ここは反応した。(真木悠介氏は、大澤真幸氏が師と仰ぐ社会学者の見田宗介氏と同一人物です)

 「時間の深み」、「歴史の重み」。

 誰もが普通に用いているこうした「時間」とか「歴史」にかかわる言葉の意味を(比較社会学的に)真剣に考え始めると、人類が有している時間感覚、時間意識が解明されてくるという。 

 その著作の序章に、「くりかえし」についての記述がある。個人的にこれがクリティカル・ヒット。

 真木悠介氏は、人類学者エドマンド・リーチのあるエッセイの一節を引いて、次のように述べている。

 "リーチははじめにわれわれ自身の時間の観念に、「それぞれ論理的に異なり、矛盾し合いさえする二つの異なった種類の経験がふくまれている」ことを述べている。"

 その二つとはすなわち、

 ・自然の現象はくりかえすものだ

 ・人生の変化はもとにもどらない(くりかえしはない) 

 前者はもちろん、脈搏、呼吸がそうだし、日、月、季節のめぐりなどの「反復」(repetition)。後者は、生まれ、育ち、老いて死ぬ人生の「不可逆性」(irreversibleness)などを指し示す。

(インド神話の三柱の最高神は、それぞれ「創造」(ブラーマン)、「維持」(ヴィシュヌ)、「破壊」(シヴァ)に対応するという。この三つは同時に「時間」の三側面でもあり、上述の生誕、成育、老化・死去という人生の三局面とも対応している) 

 つまり、時間は「サイクリカル」(cyclical)でもあり「リニア」(linear)でもあるという見方だが、実はそのどちらも「連続性」という先入観を持ち込んでいる。「サイクリカル」をさらに原初的にさかのぼれば「振動」(繰り返す逆転の反復)であるという。「振動」の原語がわからないが、引用された論文をざっと検索すると、swing(スウィング)あたりかな?

 その「振動」にまで至れば、もはやそこには時間の(過去の)「深さ」はなく、すべての過去は等しく過去である。それは単に現在の対立物にしか過ぎない。 

 どんどん難しくなっていく(でもどんどん面白くなっていく)ので、ここら辺にしますが、長いあいだ答えも出ずに私がうんうん唸ってきたことについて、少し道が開けそうな気がします。 

 そう、あのCRPGや、ラノベや、そうした世界で必ず見られる二つの事象のことです。

・結末の拒絶、「正典」の拒絶、果てしない「繰り返し」(repetition、あるいは少しづつ異なる繰り返しならiteration)、「日常」系ラノベ。二次創作。

・ローラーコースター的、ライド的一本道の物語、プレイヤー=傍観者・目撃者、「幕引き」(closure)の感覚。(アニメなどの)最終回メドレー。  

 これらはそれぞれ、次のような意識と関係しているという。

・その結末はたまたまである。もしかしたら違ったかもしれない、いや本当は違ったはずだ(遇有性) 

・これしかなりようがなかった、たしかにそういう形で終わるべきだった(必然性)  

 つまり、物語は終わってはならず、かつ、必ず終わらなければならない。 

 「ゲーム」内では、ありとあらゆる選択の自由を求め、物語の結末ですら自分の選択の結果に完璧に整合していなければ認めない、許さないという態度。
 実はそんなことは実現できない、ありえないわけで(自由な選択といってもすべて幻想)、どんな結末であっても、結末がつけられること自体を拒否しているともいえる。物語の終わりを拒絶しているのかもしれない。
 Mass Effect 3のエンディング騒動は、一部デマゴーグ(煽動家)がこういう意識をうまいこと利用したといってもいい。

 一方で、「ゲーム」とは名ばかりの、なんの選択の機会も与えられない「ヴィジュアル・ノヴェル」的「ゲーム」も一部では大変人気があるそうだ。(これは私などより読者諸氏のほうが詳しいかもしれない。例としては過去コメントいただいた「うみねこのなく頃に」などがよくあげられている)。
 それらは(一般に)不遇な境遇の登場人物(一般にヒロイン)がただ悲惨な運命に翻弄され続けるのを、プレイヤーが目撃者・傍観者として見つめるだけの物語。ただ涙するだけ。もっとも最終的には、プレイヤーにもなんらかの関与する権利が与えられるのだろうが(ゲームだから?)、本来的な立場は、無力な第三者であるという。

(さらに、そういう物語だったはずの「うみねこ」すら、エンディングではディスピュートが巻き起こったそうだが、それはME3とはきっと違う理由によるものだと思う。あるいは、本来そういう楽しみ方をしていた人たちに引きづられて参入してきた余所者(失礼)がただ騒いだだけとか?) 

 
 果てしない繰り返しの物語も、一本道ストーリーも、だから、どちらもあるっちゃある。
 

 まだよくまとまっていないが、「ある」ってことがわかった。

 ということで、この記事も結末がついたかどうか、さっぱりわからないところで終了・・・。

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コメント

 通史的な歴史本が売れる時ってのは、厭世観が漂う時だと思いますね。
 「宇宙ヤバイ」というスレが定期的に立つのと同じで、歴史の長大な流れや宇宙の広大さからしたら、自分の抱える悩みなんかは取るに足らないものという錯覚をするための、安全装置みたいなもんじゃないですかね。
 江戸中期以降に古事記研究なんかの国学が隆盛したみたいに。まあ同じ時期に蘭学も流行りだしてるのがおもしろいですけど。歴史のくりかえしから見ると、橋本知事のあれが大塩平八郎の乱で、30年後に明治維新的な何か…。なんちゃって。

なんかどんどんゲームブログじゃなくなってる気がw
「西洋の興隆」と聞いてピンと来たのがシュペングラーの「西洋の没落」
ヨーロッパの文明は世界で発生した8つの文明の一つで特に優れてはいない
どの文明も大体寿命は約一千年 生まれ成長し死んでいく生物のようとかでしたかね
この2人はちょうど対極の歴史観を持ってる事になりそうです

m様
 
 厭世観。ペシミズム。
 ニーチェ曰く「時間こそニヒリズムの元凶」であるとか。

 まじめにレスすると長大な話になるので、ここではやめときますが、真木氏によれば、「抽象的に無限化されてゆく時間関心」と「虚無化してゆく不可逆性としての時間了解」とが時間をニヒリズムの元凶たらしめる基礎感覚であるという。それぞれ、「時間軸が過去と未来に延々と連なるなら、その中で自分の存在など塵芥以下である」、そして「時間がすべてを無に帰するなら(どうせみんな死滅するなら)たった今この時点にはなんの意味もない」、そういう(近代文明以降の人類が抱く)時間感覚。

 「世界史」については、さらりまんが居酒屋のネタで吹聴するならいいけど(私だ)、(最高学府の連中が、まさかそんなことはないと信じているけど)歴史を学んで明るい未来に役立てよう!とかこどもニュース出身のなんとかっちゅう解説者みたいな無邪気な話で流行っているのではないと祈ってます。  
 
 国学と蘭学、過去と(未知の世界であるという意味での)未来。そういう見方は面白いですね。でも橋下が大塩平八郎(儒学者)の再来説は大阪(大坂)からの連想でしょうけど、ちょっと持ち上げすぎではないですか?
 ぱっと思いついたのは新撰組の伊東甲子太郎。橋下ファンにはとっても申し訳ないけどあんな最期じゃないんかなあ。なにしろ追随者が下衆すぎます。
 でも内乱と外乱がなければ動かないのは日本の常(お前も歴史に学んでるじゃないか!)。今は内乱、外乱だらけ。三十年後といわず、維新級のできごとがきっとありそうですね。
 

?様
>なんかどんどんゲームブログじゃなくなってる気がw

 「ゲームは文化だ!」といいたいところですが、そこはつっこまれると一番痛いところ(笑)。ME3とかこじつけたんだけど。
 次回ちゃんとゲームのことを書きます。つっても洋げーではないけど。

>シュペングラーの「西洋の没落」

 いい振りをもらっちゃいました。実は本文のファーガソン博士は「西洋の没落」(独原題:Der Untergang des Abendlandes)が現実のものとなることを心底憂えるあまりに、「西欧の興隆」(The Rise of the West)のリヴィジョンを出したようなもんなんです。それが新著(Civilization: The West and The Rest)です。

 ファーガソンによれば、ローマにしろソヴィエト・ロシアにしろ、(寿命を迎えた)世界帝国の崩壊過程はあっという間にはじまって即座に終わる。西暦1500年から勃興した西欧文明(世界帝国)もそろそろ寿命ではないか、あっという間に滅びるのではないか。リーマン以降、今ギリシャ・EU問題、資本主義社会の西欧人たちが心から心配していることがそれだそうです。
 
 「西欧の興隆」のほうは、中心文明が周辺・近隣社会に攪乱をもたらし変容を与える(acculturation )というテーゼを追求している。「西洋の没落」は、Wikipedia(en)に頼るしかないが、文化は生物(organisms)のように生まれ死ぬという発想。文化(culture)の最終形態がなんと文明(civilization)。うーん読んでみたいが分厚いなあ。
 なぜかどちらも生物学的な比喩なんですよね。

 ちなみに「興隆」の原題は「没落」(英訳題:The Decline of the West)へのアンチテーゼとしてわざわざつけられたものだそうな。だから前者は後者を意識しているんですね。

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