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2012年5月21日 (月)

金環日蝕の日に。

 金環日蝕(サイエンス、天文学)とスカイツリー(テクノロジー、エンジニアリング)で盛り上がっているところに水を差すようですが(インテンショナル)、この科学展は見たいなあ。

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120521/scn12052108000007-n1.htm

 「世界の終わりのものがたり」

 日本科学未来館

 視点が、「子供を持つ母親が核燃料発電事故で」どうしたこうしたとか、そんな話だけならあまりに陳腐で、それ以前に無意味で、興味が沸くわけなかったのだが。

 ”基調となるのは、文明も人類も地球も、いずれ終わってしまうという認識だ。「リスクをもたらす可能性のあるテクノロジーの研究を進めるべきでしょうか?」「人が生みだしたテクノロジーを、人は使いこなすことができるのでしょうか?」など、科学技術への信頼に疑問を投げかける質問文も多い。”

 これでもまだ正直物足りないが、事業仕分けの対象になった官製ハコモノの企画としては、精一杯のところを狙っていて、まあいい感じではないですか。

 そして、そういう問いに、未来館がどんなふうに勘違いした答えを出しているか(問いに答えていないか)観にいきたい。

 つまり「世界はどうせ終わるのに、どうして『科学の未来』を気にする必要がある?」という問いを自分で投げかけていながら、さくっとそれをはぐらかしてるんじゃないか、と期待されるのです。

 一言でいえば、そうした問いに答えるにあたって、リスク社会の論点をきちんと踏まえているんだろうか、ということですね。きっと踏まえてないでしょうねと想定しています。その期待が裏切られるならばいいんだが。

 そういえばようやくベックの「リスク社会論」を入手することができた。ところが1998年出版の日本語訳は「危険社会-新しい近代への道」という書名なのだった。原文ドイツ語なので私には何もつっこめませんが。

 いまや「リスク社会」のほうがとおりがいいらしい。

 二つの大戦からチェルノブイリ事故(1986年、「危険社会」の原書が発刊された年でもある)に至るまでの二十世紀におきた多くの破局的な事件を踏まえ、人類が自然を社会の一部に取り込む(支配する)ことによって、自然破壊を社会の一部としてしまい、さらには自然が社会にとっての脅威にまで変貌してしまう、ということがテーマであるようだ。

 読んでから観るか、観てから読むか。 

 その前にDiablo IIIをちょっとだけやろうかな(だめじゃん)。

 

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