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2012年6月26日 (火)

P4G考(0)

 ファミ通がPSVitaの雑誌を出すというので、おまけにつられて買いました。

 おまけとはP4Gのシンボルカラー黄色をあしらったVita用ポーチ。

 失敗した。造りからデザインから、オリジナルポーチ群に比べていまいち過ぎる。
 「おまけ」につられやすい輩(苦笑)。

 別のおまけは、P4G特集の冊子。

 そこにプロデューサーのインタヴューが載っている。以前コメントでいただいたリンクのインタヴューと表層的には同じようなレベルの話しかされていない。

 ふたつばかり引用しよう。

「本作では,"殺人ミステリー"の要素をRPGに取り入れよう、という狙いがありました。有名な推理小説にも見られる設定なのですが、田舎町で起きた事件を、都会からやってきた探偵が解決してしまう。まったくの部外者だからこそ、何のしがらみも先入観もなく、解決できるんです。それを使ってみました」

「『こんな高校生活を送りたかった』という気持ちになってしまうような、もうひとつの青春を楽しめます」

 読まれてどう思うでしょうか? 陳腐? ありきたり?

 もしこれが小説(ラノベ)、コミックの紹介文だったら、きっと読まないでしょうね。

 でも、このブログでもしつこく書いてきたテーマがしっかりと顔をのぞかせていることは指摘しておきたい。

 一つ目の引用文が語っているのは、日本人ならおなじみの金田一耕助モデル。もちろん先達である欧米ミステリーでもこのモデルの作品には枚挙に暇がない。

 そしてこれはお気づきのとおり、マレビトの物語だ。

 「しがらみ」(柵)とは「絆」の裏返しです。絆はもともと家畜をつなぎとめる綱のこと。専ら家族の絆、恋人同士の絆、などと使う。切っても切れない縁のこと。

 決して「日本人の絆」という風には使わないはずだった。(「日本人」とは民族意識、ネイション、nationに由来する概念であり、本来的に「絆」とは組み合わせることができないから、などなど敷衍すると長くなるし、そこまで私も咀嚼できていないので、今回は説明をやめておきます)
 土着の狭いコミュニティの絆ならわかる。世間の絆ってやつがあった。 

 柵は漢字からも類推できるように、水流を堰き止めるため川の中に設ける木造の仕掛け。柵(さく)。こちらも血縁のしがらみ、恋のしがらみ、世間のしがらみ、せいぜいそこまでである。まあ、民主党の中での「しがらみ」なーんて今テレビで言ってるけど、「ムラ」だからいっか。「離党」というのは「村八分」だからねえ。でも「八分」とは「火事と葬儀」のときだけは許して協力するという意味だから、離党は正確には村十分だろうが。

 普通に英語の辞書を引くと絆はbond(ボンド、結びつき)、柵はbondage(ボンデイジ、束縛)が出てくるかな。個人的にはbind(バインド)なんかがいいと思う。結束(団結)でもあり束縛(苦境)でもある。 

 マレビトは、この絆からも柵からもすっかり無縁である。ゆえに、コミュニティの内部の者たちには見えない(見ない振りをしている)事柄が見える。違った見え方をする。

 RPGでいえば、アドヴェンチャラー(冒険者)がマレビトにあたる。解決すべき事件が殺人か、盗賊・化け物の襲撃(あるいは姫君の救出)であるかどうかの違いはあるが、(金田一耕助モデルの)ミステリーと(遍歴の騎士モデルの)アドヴェンチャーは形式的に類似しているといえる。ゆえに、両者の親和性は実は高い。

 ただし名探偵が殺人の謎を解く推理小説と、冒険小説が決定的に違う点がある。
 前者は「弔い」の物語なのだ。
 名探偵はなにを解いているかおわかりだろうか? ずばり「絆」であり「柵」なのだ。
 死者の、あるいは下手人の、そしてそのコミュニティで生きている者たちの人生を、今一度一からなぞっているのだ。

 有名どころでは「砂の器」、「人間の証明」などが典型的な作品である。
 またP4Gのプロデューサーが「先入観」と呼んでいるのは、しきたり(慣習)、掟(伝統)である。
 そして「社会派」というレッテルを付されることの多い優れた推理小説には、こうした慣習・伝統などが崩壊していく、社会が変容していくときにたち現れる「境界」部分が必ず描かれている。
 P4Gの場合は、以前も触れたように、「しきたり・掟」に則って生きようとする作中人物たちの「意識」と、それに抗おうとしている「無意識」(エゴ)の境界であり、またペルソナシリーズ全般では都市の侵食、「郊外化」という境界である。

 トリックが主眼だとしたら、やがて飽きられる(陳腐化する)はずの推理小説というジャンルがいつまでも愛されるのはなぜか。
 描かれているのが死者の送ってきた人生の暴露であるからだ。語られているのは死者の「葬式」であり、「弔辞」なのである。名探偵はその意味で送りびとである。

(金田一耕助の登場する作品でいえば、毛糸の玉、手毬、あや取りなどの、縺れ(もつれ)た「糸」のモチーフが散々登場してくるのも、シンボリズム、意味論的に語れるのでしょうかね)

 プロデューサーの二つ目の引用文もまた、そのまま読めば確かに非常に陳腐だ。なぜなら、ほとんどの青春もの、学園ものは読者にとって「もしかしたら違ったかもしれない」学生生活を描こうとするからだ。あるいはリアルタイムで学園生活を送っている(これから送ろうとしている)読者にとっては「こんなだったらいいな」と感じられるような学生生活だ。

 だがゲームデザイナーは、別に文章だけで表現することを求められない。
 

 そしていかに陳腐であろうが、これはRPGの王道、存在意義ともいえる「あったかもしれない別の選択」、この人生の「偶有性」(contingency)について語っている。

 「こんな高校生活を送りたかった」と仮定法過去完了形で語られていることは重要である。「もうひとつの青春」とはまさに人生が「偶有的」(contingent)であることを示す。 

 こうしたことをもうちょっと紐解きたいし、実はすでに記事を書き溜めてきているのだが、完成させる時間があったらいいんだけどね・・・。

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