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2012年6月 7日 (木)

死ぬときはひとりぼっち。

 レイ・ブラッドベリ逝去。合掌。
 
 個人的には彼の作品群に言うほどハマったわけではない。サイファイ・オタクを名乗る以上、もちろん和訳されたものはあらかた読んでいますが。
 あちらでも主要メディアが訃報記事を掲載している。(リンクは本記事末尾) 

 どこのサイトを見ても、どうしても「華氏451」(Fahrenheit 451)とか「火星年代記」(The Martian Chronicles)に触れる分量が多い。それももちろん仕方がない。一般的に有名な作品はそれらでしょう。
 前者は映画にもなったし、かのマイケル・ムーアがドキュメンタリー「華氏911」でタイトルをパクッって、珍しくブラッドベリ氏が怒り出した(彼も怒ることあるんだと思った)という事件もあったですものね。後者はテレビドラマかアニメになったかな。
 
 私がいたいけな少年の頃には、レイ・ブラッドベリを批判などしたら学園内で同級生のブンガク女子たちから社会的に抹殺された。殺して生き埋めにされた(焚書坑儒ね)。
 当時サイファイといえばブラッドベリ。彼の作品が怖いくらい鉄板であった。少女マンガ(あるいは少女漫画家たち)の影響なんだろうな。間違いないと思う。
 
 「だって、これサイファイちゃうやん」というのが私の感想であったのだが(そんなこともちろん身の危険を案じて人前で言いませんでしたが)、やはり好きな(というよりも正確には今訃報に触れてイヤでも思い出した)作品群というのはある。 
 調べると、"Dark Carnival "(1947)という彼の処女短編集の作品群で、この和訳は「10月はたそがれの月」(創元)に再録されているようだ。(大昔は「黒いカーニバル」として単体で出ていたそうだが、同名の「黒いカーニバル」という文庫(ハヤカワ)が今もある。中身一緒かどうか知らない)
 
 闇、夜、草原、霧、霧笛、港、湖、観覧車、夜店、鏡の間・・・。
 いくぶん私の記憶が他の作品群、他の作者の作品群とコンタミしているかもしれないけど、ブラッドベリと聴くと、こういうもののイメージが一斉に想起されるんです。
 なにかの意味のあるシーンが浮かぶんじゃないんですね。パノラマチックな風景が、一人称視点でぱっと目の前に(頭の中に)拡がる。

 Amazonの紹介文にある「(エドガー・アラン・)ポオの衣鉢を継ぐ」って表現も最初はいかがなものかと思ったが、よく考えるとこのようにパッとイメージ群が沸いてくる点ではポオも確かに近い。
 イメージ群そのもののコンテンツは違うけど。ポオのほうは、夕暮れ、墓(土葬)、墓地、鴉、立ち枯れた並木、朽ち果てた大邸宅、荒野、打ち付ける風雨、かなあ。
 スティーブン・キングもこんな感じでイメージ沸くかなと思ったが、あんまりうまくいかなかった。ラジオ・テレビ(の音声)、バドワイザーの缶、ネオン・サイン、オープンカーのアメ車? キングの場合は、観覧車にも電飾イルミネーションがついてますよね。 
 
 無理やり意味をこじつけると、ブラッドベリとポオに共通しているのは(もしかしたらキングもそうかもしれないが)、例の振動(振幅、swing)する時間観念ってやつです。昼と夜は、円環的(サイクリック)に訪れるのでも、直線的(リニア)に過ぎ去るのでもなく、対となる両極を往復するという発想で、人類にとってとても原初的なものだそうだ。

 平たく言うと(だから不正確だが)、時間は澱みなく流れるのではなく、昼と夜は激しい緊張関係にあり、昼から夜、あるいは夜から昼への遷移にはある閾(しきい)があって、それを超える遷移自体が(原初的人類には)毎度毎度一種の「危機」と感じられていたはずだっていうお話。平たくないか。つまり、夜と昼(の時間)はまったく違うものである、ということですかね。平たすぎてほとんどの意味が失われたかな。

 日本神話でも、創世の物語に登場する三柱のうち「夜を統べる(支配する)」とされた(異説あり)ツクヨミはほとんど登場しない。これを上述の概念で説明すると、アマテラス(およびスサノヲ)の支配する世界(昼、スサノヲには異説あり)とツクヨミのそれとはまったく別の世界だから当然、という説になるそうだ。つまり「記紀」はこっち側(と信じてますが、私たちのいるほう)の世界のお話であり、ツクヨミ側のお話は最初から語るつもりがなかった(ほとんど語らないことで、その存在をむしろ強烈になぞっているのかもしれない)。

(「まったく別の世界」というのをパラレルワールド的なものと思い込んでしまうと、きっとそれも違うんでしょうね。比較したり並置したりできるなら物語に登場するはずなんだ。それすらできない、うまく言葉にできないけど、異なる次元の世界でしょう)

 「古事記」には黄泉(よみ)の世界(死者の世界)が頻繁に登場するのに、おかしいじゃないか。黄泉の国は穢れなき昼の世界の中で唯一穢れた場所であり、世界の穢れの象徴である。昼の世界の一部だからいいのだそうです。
(勘違いしてる人も多いと思うから断っておきますが、黄泉の国は夜の世界にあるわけでもなければ、決して地下世界にあるわけでもない。昼の世界のどこかに闇があって、そこに存在するのだ。一説には「夢」の世界のことだという)

 なんと昼と夜の間の隔絶は、生者と死者の間の隔絶よりも大きいってことになるんですね。これも、実は原初的時間観念では当然の発想なんだそうだ。
 
 ポオの時代の道路は馬車の通う泥濘(どろ)道、ブラッドベリの時代は港町の石畳、キングの時代には自動車が通るコンクリートのハイウェイ。アメリカの(その時代では)ごく当たり前な日常の光景を描きながら、やがて夜の帳(とばり)が下りれば日常(昼)とは隔絶した不可思議な世界の物語が展開する。ラヴクラフトのように「冒涜的」な「神話」を作り出したわけではないのだけども、クリスチャニティとは無縁な、どこか「土着」の匂いがするのはそういう原初的な時間観念のせいなのかもしれない。
 あるいはハロウィン(もとはケルト)、イースター(復活祭だがもとはゲルマン)、さらにはネイティヴ・アメリカンの習俗など、クリスチャニティによって「奪われた」、「習合された」(どちらかといえば原初的な)文化への一種の無意識な回帰なのかもしれない。

(昼と夜の隔絶の話だったら、ドラキュラに代表されるヴァンパイアリズムのお話も含まれるかというと、十字架がどうしたこうしたってんだから、それは違うわけです)
 
 私と同世代の女子たちは、そういう闇に関する世界の話であることを、わかって読んでいたんだろうか?
 でも、そういった時間観念に対する感受性は、女性のほうが野郎どもより遥かに強いのかもしれないね。
 ツクヨミ、「月読み」だけに。
 
 ブラッドベリは別にサイファイとして読まれなくても全然よいわけで、ポオも(おそらキングも)そうだが、西欧人に限らず日本人なども含めた、上述の原初的時間感覚をどこかに残している者には等しく共感を与えるから、長く広く読まれてるんじゃないでしょうかね。
  
 ちなみに表題はブラッドベリにしては珍しいハードボイルド作品のもの。"Death is a Lonely Business"(1985)。
これは読んでいない。むしょうに読みたくなったが時間がないので我慢だ。

  

http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-ray-bradbury-20120607,0,5622415.story

www.nytimes.com/2012/06/07/books/ray-bradbury-popularizer-of-science-fiction-dies-at-91.html

http://edition.cnn.com/2012/06/06/showbiz/ray-bradbury-obit/index.html?hpt=hp_mid

http://www.washingtonpost.com/local/obituaries/ray-bradbury-sci-fi-author-of-fahrenheit-451-martian-chronicles-dies-at-91/2012/06/06/gJQAy9HiIV_story.html

http://www.washingtonpost.com/business/economy/ray-bradbury-10-of-his-most-prescient-predictions/2012/06/06

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