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2012年7月

2012年7月28日 (土)

ニューウェル、Windows8に吼える?

 Windows8、賢者ニューウェルの意見が聴きたいですね、と以前書いた。 

 ご託宣は、「否定的」。

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 ニューウェルはWindows8がお気に召さないらしい。

http://www.ign.com/articles/2012/07/26/gabe-newell-windows-8-is-a-catastrophe

 Windows 8は破滅的といえる。「PCゲーム世界に破滅を招きかねない」、が正しいか。

 読めば、亡きジョブズが推し進めた「プラットフォーム囲い込み」にMSまでもが追従したことに物申しているようだ。

 ニューウェルにとって、テクノロジーの変遷について考えることは、ヴィデオゲームの世界に限らず、「デジタル世界の商品・サービスすべて」について考察することだ。アップルが「囲い込みプラットフォームによるソフトウェア、ハードウェア開発」の道を敷いたが、ニューウェルには、他の企業もそのトレンドを踏襲しているように見える。特にMSがそうだ。

 技術的な開発制約をきつく締め付けることは、PCゲーム・デザイナーに大きな苦難を与えるか、あるいはみなが愛想をつかしてPCゲームから退去してしまうことを意味するかもしれない。ニューウェルによれば「今のプラットフォームを眺めればわかるように、(SteamとValve)はこれまで(オープン・プラットフォームに)『ただ乗り』してきたわけだし、PCやインターネットからすべての便益を享受してきたわけだから、オープン・プラットフォームがこれからも続くように考えていかなくちゃならない」

 当然の帰結はLinuxで動くゲーム、ということになる。だが事は容易ではない。これまでLinux陣営がゲーム分野を見落としてきたのは大問題だ。消費者の行動様式に対して、ゲームが与える影響度合いの大きさを誰もわかっていない。 

 Windows8の登場によって、上位のPCメーカー、OEMメーカーがそっぽを向いてしまうかもしれない(という意味で破滅的という意味)。だからLinuxへのプラットフォーム移行(あるいはプラットフォーム多様化)はSteam/Valveにとっての「リスクヘッジ」ともいえる。

 (少なくともゲームの世界に限って言えば)タッチパネルについてもニューウェルは懐疑的だ。むしろ、ポスト・タッチパネル、すなわちアイ・トレーシング(視線捕捉技術)、タング・インプット(口唇入力技術?!)などのサイバーテクノロジーへの期待のことを言っているようだ。技術自体はすでに開発されているものもあるが、ニューウェルを悩ませている問題はやはりコストとそして実装の仕方だ。 

 SteamそのものはWindows8 を受け入れる準備は整っている。だがゲームメイカーが追従できるのか、それが問題ということだ。

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 Appleなど足元にも及ばない膨大なゲーム・ライブラリ。Windows8、そのタブレットPCに期待するのはそういう部分でした。

 だがよくよく考えれば、ライブラリには、色褪せた、今更遊ぶに値しないものも数多い。本当に今でも通用するものは、いずれリメイクされるだろう。FFVII。ベイグランド・ストーリー。その他もろもろ。

http://www.ign.com/articles/2012/07/24/11-retro-remakes-we-need-right-now

 コンソールであるかPCであるか(あるいはMacintosh!)に限らず、レトロゲームの「リメイク」についての議論がIGNなどの専門サイトでは延々と続けられている。ハリウッド映画と同様で、マーケットの拡大に作り手の育成・発掘が間に合わず、業界における才能の総量が先細ってきたようだ。

 日本も(ゲームもアニメも)人のことは言えない。ある部分ではまったくそのように見える。唯一ラノベ隆盛が救いの道かな。

 過去の膨大なライブラリには言うほど価値がなく、今後PCゲームの開発が(Windows8の技術的制約のせいで)困難になる、はっきり言って「ペイしなくなる」というニューウェルの危惧があたっているのであれば、PCゲーマーにとって暗黒の未来が到来することになるわけです。 

 マルチ・プラットフォームを考えると、ことはPCゲーマーだけの問題でもない。XboxシリーズがWindows8ベースに移行するなら(するでしょうね)、PS3だけ取り残される。

 たとえば、Dragon Age 3はどうなるんでしょうね・・・。 

 プラットフォーム問題で、またしても待たされるのかなあ。 

 個人的には、MacやPC-DOSで遊んだAD&Dの名作群、特にPool of Radiance、Curse of the Azure Bonds、あるいはEye of the Beholder。

 ここら辺をリメイクしてほしいなあ。

http://www.baldursgate.com/news/category/all/

 そういえばBaldur's Gate Enhanced Edition については、ここのところ、とんと音沙汰がない。

新宿ジャングル

 ひょんなことで大のゲーム好きであることがわかったとあるお嬢と、炎天下新宿くんだりまで行ってきました。本来の目的は観劇。そっちは、そこそこまあまあだったし、本題じゃない。

 都内主要駅前では、夏祭りシーズンらしく、新宿東口もエイサー祭りとやらで、準備でざわついている。

 ホコテンの人ごみから「暑い」、「あっつーい」という叫びが聴こえるたびに気温があがっていく感じだ。

 どんだけ暑いかというと、伊勢丹地下で買ったアイス(お嬢お勧め)が、外に出たとたんに急速に液状化したくらいだ。なんつうの、ホイップじゃない、シェイクじゃない、どろどろのやつ。

 「どうして東京はこんなに暑いの?」 

 だってモンスーン地帯だからねえ。しかも新宿駅前あたりはコンクリート・ジャングルだ。

 ちなみにお嬢が目下めちゃくちゃはまっているのは「Tokyo Jungle(トウキョウ・ジャングル)」だそうだ。うーん。あれには一生手ぇ出さへんやろなあ。 

 「池袋編とかも出せばいいのに」 

 池袋かどうか知らないけど、続編は出すんじゃねえの。あれ予想外にバカ売れだから。ガイジンとかもめっちゃはまり倒してる人多いらしい。(知らん人のため付け加えるなら、今のことろの舞台は渋谷、原宿、代々木らしい)

 お嬢はその攻略本と、それから新作ソフト(PS3、PSP用)を買うというので、ビックカメラに向かう。

 って東口ビックカメラ新店? なもの、一体いつできたん? あそこ三越ちゃうん?
 調べると7月初旬。まだ出来たばっかりじゃないか。

 コンソール、ハンドヘルドゲームのリアルの売り場、超久し振りに訪れたが、正直なんの驚きもない。完璧に管理されたマーケット。ある意味つまらないね。かつてのPCゲーム(洋もの含む)売り場のいかがわしさ、雑多さ、でたらめさが懐かしい。

 わけわからないくらい種類があるアクセサリー類で「おおっ!」というものがたまーにあるくらいかな。

 お嬢は攻略本とソフトを探して、ソフトのひとつは売り切れで買えなかったけど、一応目的達成。ところがお嬢はすぐ近くのガチャ工場(売り場横のゲーム場に百台くらい並んでいるんだね)のなんとかいうキャラクターを出したいそうで、しばらくはまっている。

 まあ、こっちはその様子を眺めて暇こいていてもしょうがないので、まだ目撃していないハードウェアの実物でも見学しておこう。

 白いやつがいない!(Vitaホワイトね)

 とっくに出たはずなんだけど、飾ってあるのは全部黒だ。

 まあ、PSPと違って、Vitaの色違いを買うなんて逡巡する。3Gどうすんだい、という問題があるから。一台でもとっても無駄かなあと思っているのに、二台も契約するなんて完璧に無駄。

 めっちゃeモバイル? ポケットWiFi? ともちんのCFは100点だが、あれどうなの?

 そもそもWiFiってそういうものだったっけ? 知らないうちにそこらじゅうで無料でつながるってのが本来の目的だったんじゃねえのかね? 

 もうひとつは赤いやつ。だが3DSLLは売り場に箱しかおいていない。

 よくよく探したら売り場ど真ん中のショーケースに展示奉られていた。だが手にとって触ることが出来ない。

 「なんだよ、触れねえじゃん」 

 思ったまま口に出したおっさん(私だ)の声を聴いた女性の店員が、わざわざ一台実機を出してくれた。 

 おっさんは強い。ガキンチョだったら完璧無視されていただろう。

 第一印象。「でかっ!」

 「そうですね、3DSと比べると、こんなに画面が大きいんですよ」 

 女性店員はさらに3DSの実機まで出してきて、両方を並べて大きさを比較してくれる。

 いやあ、そういう意味ではないんですよね。かさばる、分厚い、デザイン悪い、単純に繊細さが微塵もない、という意味だったのだ。

 「これですと、『脳トレ』なんかもやりやすいですよね」

 あのね。おっさんぱかしゅるな。こう見えてもゲーマーだよ? セミリタイアとはいえ、「脳トレ」とか「数独」(だっけ?)とか、そんなのやってないと頭がぼーっとするとか、そこまでまだ耄碌しとらんわい! 

 「おっさんだからって、『脳トレ』を薦めるわけですね?」 

 実際に返した皮肉は精一杯でこれ。でも女性店員は普通に微笑んでいたので、皮肉の効果はゼロだったようだが。 

 「赤だね」 

 「ん?」 

 ガチャにひととおり満足したらしいお嬢が後ろにきていた。 

 「赤しかありえない」 

 つまり白も銀もデザイン的にアウトという意味だ。 

 でも赤だってデザイン的にどうなの。

 まあ、コストがね。3DSのようなデザイン・カラーリングはいかにもコストかかる。 

 コスト切り詰めたあげくが、あの3DSLLのださい、もっさりした仕様、デザインなのだ。 

 あの画面の大きさであのお値段は、相当むちゃくちゃ無理して苦労しているに違いない。そこは認めよう。

 でもお目当ての「デビルサマナー」も出ていないのに先に本体だけ買うわけにもいかず、「見てるだけ」ショッピング。 

 結局、自分は何も買ってないんですね。買ってませんね。ネットで買えちゃうからね。

 買えなかったソフトを探して、西口まで遠征(!)しようかと聞いてみたが、暑さに負けて辞退。

 観劇、食事・喫茶も含めて、結果的に伊勢丹あたりの半径150メートル圏内ですべてが済んだ。行動範囲せまっ。

 久し振りだったけど、新宿は便利でいいね。

 とにかく、クソ暑かったけど。

2012年7月21日 (土)

ザ・ダーク・ナイト・ライジズ騒動(2)

 前記事で訳したGameSpotの記事で引用されていたエッセイ。

http://www.thefinaltake.com/minority-report-the-stigma-of-contrarian-film-criticism/

 こちらもやってみましょう。

 表題は、Minority Report: The Stigma of Contrarian Film Criticism。

 「少数意見:逆張り映画批評の烙印」かな。 筆者はパーカー・モット。

 映画批評は重要だと思う。なぜなら映画に関する真実、美、知恵についての妥協のない追究の営みだからだ。社会的・文化的なパターンをスクリーン上の物事に紐付ける営みだ。映画批評がなければ、ある映画が感動的であるとか、大名作であるなどと思慮深い討議を交わすことはできないだろう。もちろん、「良き」映画批評の話だ。いまどきのブログやツイッターやフェイスブックでは、批評的な言説がある種の人々によって多少わかりにくくなりつつある。いやはっきり言ってしまえば、そんな連中はいったい自分が何をしゃべっているかすらわかっていないんだ。 

 だが、私自身がこれから述べる説によって生きる偽善というレッテルを貼られる前に、自分はそういう連中の意見そのものに飽き飽きしているのではないと断っておこう。私は連中が「どのように」意見を表明しているかについていらいらしているのだ。映画"Avengers"に5点満点中5点の評価をつける。だってすっげー映画だし、スカーレット・ヨハンセンがめちゃくちゃセクシーでやばいから、というのは映画批評じゃない。ただのファンボーイのオーガズムだ。そんな会話は映画館のロビーから出てくるときのためにとっておけ。そう、私は別に具体的な誰かを引用したわけじゃないが、そういうコメントは間違いなくどこかにある。Rotten Tomatoes のアカウントを二年有していたから、腐ったトマト(罵声)をぶつけることには慣れっこなんだ。

 なんでそんなに辛らつな出だし? なぜなら、すべての大作映画のうちでも最高傑作がこの金曜日にリリースされるからだ。実際、あまりに最高過ぎて、君たちの中には、深夜に165分の映画を観ることになる者がいるはずなんだから! (うーん、あまり気の利いた冗談じゃないな)。
 この映画は、もちろん、クリストファー・ノーランの"The Dark Knight Rises"、バットマン三部作の最終章だ(と思う)。2008年の"The Dark Knight"では、これまでの前任者たちすべてがちゃちに見えるくらいいかれた悪党とともに、ブルース・ウェイン/バットマンの謎を、究極の世界まで押し進めた。

 これを書いている時点まで、私は"The Dark Knight Rises"を見ていない(プレス試写会を見逃したからだ。ちっ!) 自分の懐疑心は認めねばなるまい、なぜなら"The Dark Knight"はス-パーヒーロー映画の"Touch of Evil"(1958、「黒い罠」オーソン・ウェルズ監督)のようなものだったから。このジャンルを究極の境界線上まで追いやって、ジョーカーの裂けた唇から人間性の底に流れるゴツゴツした岩だらけの激しい奔流を見せ付けてしまったのだから。そこから先に進む場所なんてもうあるわけない。いや、もしかしたらあるのか。さまざまな理由で大監督と呼ばれる者がいるが、不可能を可能にするのもその理由のひとつだ。ポール・トーマス・アンダーソンは"Boogie Nights"(1997)や"Punch Drunk Love"(2002)のような力技を示したし、2007年の"There Will Be Blood"(2007)は個人的な視覚・音響のトップ10入りした。

 ここまでで、「逆張り映画批評」という話題を避けていることに自分で気がついた。そろそろはじめてみよう。
 昨夜、"The Dark Knight Rises"のレヴューがRotten Tomatoes のデーターベースに現れ始めた。予期された賛辞が続く。「強力で刺激的」(Peter Travers, Rolling Stone)、「ありとあらゆるものを覆う陰鬱さに感嘆」(Joe Morgenstern, Wall Street Journal)、「でかく、切なく、壮大な野望の映画による叙事詩的偉業」(Richard Corliss, TIME Magazine

 そこで・・・、 Associated Pressの誠実なライターであるChristy Lemireが登場し、この作品について「がっかり」(letdown)であったと述べた。その理由はとりわけ、ノーランの映画に対する期待があまりに大きすぎたからだとしている。なるほど。さて、私はネタバレを避けたいから、金曜日にRisesを観るまではLemireのレヴュー全文を読みはしないつもりだった。でも、Lemireが彼女のレヴューをアップしてからたった数時間のうちに500近いコメントを浴びたということは知っている。不幸なことに、それらのコメントは、貴重な反論でもなければ、無害な思考の糧でもなく、無教養で自説に固持するばかりの中傷と脅迫であった。最初のコメントは予言的だ。「おっおー、お大事にね(good luck)、Lemireさん」 このお見舞いの言葉の次にトロールが到着した。「この女は偏見に満ちて無知だ(bias and ignorant)。Magic Mikeに4点をつけた。なんの意見も持ってない」、「この女はBattleshipのほうが好きなんだって、へえっ!」、さらにこんなのまで。「またたった一晩で有名になりたい奴が現れたな」

 こうしたコメントの厚かましさには恐れ入る。しかし、彼らも、彼ら自身、なぜ映画批評が重要であるかを表明している。なぜなら誰しもが批評家だからだ。もし君の好きなある映画を誰かが嫌うなら、君が頭にくるのは避けられない。仲間に裏切られたとか、傷つけられたように感じるだろう。映画批評が必要なのは、「偏見に満ちて無知」だからだめだという連中を排除するためなんだ。もちろん誰にだって偏見に満ちて無知なときはあるが、この場合、そうした特性は誰の視点から見るかによる。

 まず第一に、Lemire はすばらしい映画批評家だ。Ebert PresentsのショーにIgnatiy Vishnevetskyと一緒に出演しているところを観たが、きわめて明晰にしゃべる。過去読んだ書き物も明敏かつ簡にして要を得る。Risesに関する彼女のオンライン・レヴューのひとつは、「ザ・ダーク・ナイト・ライジズには失望した。しばしばただ単に退屈なだけだ」という題名である。トロールどもは、ここだけ読んだのに違いない。なぜならこれは曖昧な表現だからだ。

 この記事を書くにあたり、Lemireのレヴューをちら見してしまったことは告白しよう。とてもよく書けていて、明確にしっかりと批評している。例えば「ノーランのアプローチは、冷たいほどにあまりに知性的で、映画の感情的な核心部分とはそぐわない。描かれているのは悲運と陰鬱(doom and gloom)のことばかりで心がない。登場人物のことを心配する理由がない。なぜなら皆、魂が危機に瀕している生身の人間というよりも、手の込んだ複雑に入り組んだマシンの歯車のように思われるから」(なるほどね)
 面白いことに、 かつてArmond White もThe Dark Knightのレヴューに同じようなことを書いていて、彼自身もそのときには集中砲火を浴びたのだった。

 これまで数え切れないくらいの映画批評を読んできた。今となっては、良き書き手かそうではないかはだいたいわかる。それは本能だ。やりこむほどに上手になるようなことだ。だがそこが要点じゃない。要点は、誰でも自分の意見を組み立てるのは構わないが、それは他の者といつも一緒ではないということだ。誰でも、自ら明らかに望んでいない限り、大多数と意見が異なるからといって嫌悪されるべきじゃない。Ms. Lemire はそんなことを望んでいない。彼女のレヴューは賢く、礼儀正しく、ノーラン監督への敬意に満ちている。だがRisesには失望した。まあ、仕方がない。そういうときもある。

 私も二日前にBeasts of the Southern Wild(2012)を観て、失望した。批評家からは絶賛だったし、しかもサンダンスとカンヌの映画祭も絶賛だった。自分で観ていたとき、きっとダイアモンドだと思っていたものが、実際にはただの石ころであると気がついたとき感じるであろう落ち込んだ気持ちになったものだ。この映画のレヴューを書けるようになるまで、しばらく気持ちを立て直す必要があった。広く好かれている映画を批判するのは、賞賛するより遥かにつらい。LemireもRisesのレヴューを書く際には似たような気持ちであっただろうし、ほとんどの者から拒否されたり反論されたりする意見をはっきり述べるのは難しいのだ。

 だが、それこそが映画批評の美点なのだ。心底喜びをこめて、自らの意見を述べること。私も金曜日に"The Dark Knight Rises"を観て好きになるかもしれないし、そうではないかもしれない。言わせてもらえば、"Magic Mike"だって今年のベスト映画のひとつだと思ってるから、Lemireと私に大きな違いがあるわけでもない。しかしながら、映画批評はある映画と別な映画を比較して行うべきではない。とりわけそうすべき根拠があるなら別だが。そうすることは映画批評の死を、そしてわれわれ批評家全部の死を招くんだ。 

 「無知こそ至福」なんてことはありえない(Ignorance is not bliss)。意見は重要だが、礼儀正しい意見に限る。それはプロの批評家にも当てはまる。もちろん、自分の感情に従い、どんな攻撃にも耐える覚悟があるならガリレオになるのは構わない。この記事によってトロールが静かになるとは思えないが、これだけは言っておこう。ひとりの映画批評家として、次のように叫ぶことはなんら恥ずべきことではないのだ。
 「それでも回ってるんだって!」

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 いかん、最後はじんときた・・・。

 個人的にも、「ダークナイト」ではなく「ビギンズ」のトーンを踏襲、という説を読んで、「まあ、そうやろなあ」と思っていました。

 筆者がいうように、「ダークナイト」は期せずしてか高みに上り詰めてしまった。あれはあれで、もういいっす。確かにどこにも行きようがない。 

 ま、こちら日本でも来週からですか。公開したらできるだけはやく自分の目で観てみようと思ってます。

ザ・ダーク・ナイト・ライジズ騒動

 (新作映画自体のネタバレは一切なし。映画に関する騒動のみを取り扱っています)

 The Dark Knight Rises。

 なぜか日本では「ダーク・ナイト・ライジング」。

 「ライジング」。MGSの影響だろうか。だとしたら配給会社も(他のメディアのこと)勉強してるのかな。実際にはただ単に「ライジズ」の語感が悪かっただけだろうけど。

 「ライジズ」は、「ビギンズ」のトーンを踏襲している。観る前には直前作「ダーク・ナイト」(The Dark Kinight)ではなく第一作「ビギンズ」(Batman Begins)をもう一度見直したほうがいい、というアドヴァイスがIGNのレヴュー記事かどっかに載っていた。これかな。

http://www.ign.com/articles/2012/07/16/the-dark-knight-rises-review

 このアドヴァイスを受けて、つい先日久しぶりに「ビギンズ」をDVD(英語版)でフルで見直したところでした。新しい発見もあった(つか、忘れていただけのものを再発見したのもある)。

 http://www.gamespot.com/features/the-criticism-we-deserve-6387829/

 その上で、新作についての辛口レヴューがヘイターの集中砲火を浴びているという、このGameSpotのエディター、キャロライン(ペティト)の書いた記事を見つけ、結構面白いので週末だらだら訳そうと思って待ち構えていたのだが、完全に出遅れてしまった。

 産経。

 米西部コロラド州デンヴァー郊外のオーロラで20日午前0時半(日本時間同日午後)ごろ、ガスマスクを着けた男が映画館で銃を乱射し、子供を含む少なくとも12人が死亡、38人が負傷した。地元警察当局は24歳の白人の男の身柄を拘束した。 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120720/amr12072023380003-n1.htm

 CNN。

http://edition.cnn.com/2012/07/20/us/colorado-theater-shooting/index.html

 痛ましい事件である。犯人になんらかの動機があるとしても今回のここの主題とはまったく関係ないのだろう。

 まあ・・・。「まったく」関係ないわけじゃないけど、直接は関係ないだろう。 

 うーん。決してコロラド・デンヴァーの事件に便乗しているわけじゃないと信じてほしい。

 単にPCの前に座って記事にする時間がなかっただけのことなのです。

 お気づきのように、直近ではMass Effect 3エンディング騒動、あるいはBattlefield 3、CoDMW3などの低すぎるユーザー・メタスコア問題、ちょっと前にはDragon Age 2のデザイナーへの誹謗中傷騒ぎなどと通底している問題です。 

 文脈上、お茶らけて訳すことができなくなってしまった。苦手だがわりとまじめにやってみましょう。

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 The Criticism We Deserve 

 必要なのは、映画やゲームに対する意見の表明を抑制することではない。怒りに任せることのない、より思慮深い表現なのだ。

 さてさて。クリストファー・ノーラン監督のあのケープを被ったクルセーダー(the Caped Crusader)、バットマンの最終章にあたる映画がリリースされたとたん、ファンの一部は轟々たる非難の声を上げた。彼らは、あの映画が彼らの期待に応えなかったから怒りに燃えているのではまったくない。だいたい騒いでいるほとんどの連中は映画なんて観てやいない。そうではなく、彼らは自分たち以外のある連中に対して怒っているのだ。現に映画を観て、生業としてその映画について物を書いている者たちへの怒りだ。

 向こう見ずにも、"The Dark Knight Rises"は映画として完璧には程遠いと語らざるを得なかった者たち。ファンたちは気に食わないことを書いたレヴュアーに対する中傷、侮辱、あるいは脅迫じみたコメントを書き記すことで、その怒りを皆に知らしめている。 

 一面では、私が個人的に敬意を払っている映画批評の分野がこのような憂き目にあうのは心底がっかりさせられる事態だ。だが反面、私はこの出来事にわくわくもしている。なぜならゲーム批評ではごくありふれたこのような事態、とても期待されていたヴィデオ・ゲームについて、完璧とはほど遠いと評したレヴューにファンがぶちきれるのと同じような事態をオンラインの映画批評の世界で目にしたのはおそらくはじめてだからだ。しかも愉快なことに"biased"(偏見に満ちた、バイアスのかかった)という単語の綴りを何通りにも間違えてくれるおまけつきだ。 

 批評家としての自分にとって、もっとも残念だったのは、レヴュアーに対する脅迫でもネガティヴな反応そのものでもなく、読者たちが、すでに予め用意されていた自分たちの意見(their pre-existing opinions)をただ単に補強すること以外の何事も望まなかったことである。それはとても批評とは呼べない。レヴューはそんなことのためにあるのではない。批評家は、少なくとも良き批評家は、ゲーム、映画、音楽、書籍、芸術に対して、読者が好きなものを好み、嫌いなものを嫌うというという気持ちを感じさせるために批評を書いたりはしない。

 パーカー・モット(Parker Mott )がThe Dark Knight Risesの初期のレヴューに対する怒りに満ちたファンの反応について素敵なエッセイをものしているが、その出だしはこうだ。

 「映画批評は重要だと思う。なぜなら映画に関する真実、美、知恵についての妥協のない追究の営みだからだ。社会的・文化的なパターンをスクリーン上の物事に紐付ける営みだ。映画批評がなければ、ある映画が感動的であるとか、大名作であるなどと思慮深い討議を交わすことはできないだろう」 

 そうした批評文によって、そうした議論や思慮深い討議によって、私たちの映画に対する審美眼は鍛えられていく。自分自身のものと相容れない視点に曝されるからと言って、恐れる必要も怒る必要もない。別に自分が傷つけられるわけじゃない。ただ自分のものの見方(perspective)を拡げ、自分が好きでやまないものについて、自分はどうして好きなのか再び考えることを促(うなが)し、もしかしたらまた異なる見方を与えてくれるのだ。

 私はゲーム批評についても同じように感じている。自分が好きなゲームについて上手に書かれたレヴューを読むのは大好きだ。自分自身の感覚を結晶化するのに役立つし、自分がどうしてそのゲームに感動したのかについて理解を深める助けになる。

 しかしながら、自分が賛同し得ない、自分が持っている確固たる意見について反論しているレヴューからのほうが学ぶものは多いのかもしれない。私が賛同し得ない内容の優れたレヴューによって、私は自説を変えるかもしれないが、変えないかもしれない。いやたぶん変えないだろうが、そのゲームについて違った角度から見ることを促し、別の見方を与えてくれるのだ。そういう経験を積み重ねてきたことによって、私の審美眼は、特定のゲームに対するものだけではなく、ゲーム一般に対して養われてきたのだ。究極的に、批評というものは、ある映画が観るに値するとか、あるゲームがプレイするに値するとか、そういうことを伝えるだけのものではない。それは私たちが大好きなものに対する審美眼を拡充するための対話(dialogue)なのだ。

 そう、対話。理想的には、積極的に関与しあう熱心なファンと批評家の間で執り行われるべきものだ。もちろん、AmazonやTwitterやそのほか数え切れないくらいの場所で大勢の人々に対して自分の意見を表明することは一昔前と比べようもないくらい容易にできる。だが、意見がたくさんあるからといって、建設的な対話もたくさんあるとは限らない。映画に関するすべての意見が映画批評ではないし、ゲームに関するすべての意見がゲーム批評ではない。
 

 モットが述べているように、「映画"Avengers"に5点満点中5点の評価をつける。だってすっげー映画だし、スカーレット・ヨハンセンがめちゃくちゃセクシーでやばいから、というのは映画批評じゃない。ただのファンボーイのオーガズムだ」

 そして、大洪水のように押し寄せるコメントが、ある作品やあるアート形態についてのより大きな議論に関して何一つ「本質的」に貢献していないという事態にフラストレーションを抱くとしても、それは耐え忍ぶに値することだ。人々が「本質的」な物事を語るべき権限を与えられている、そのコミュニティに参加する特権を保持するためには。

 私のTwitterフィードには、The Dark Knight Risesの一部のレヴューに対して怒りの声をあがているファンたちに関する会話がある一方で、あるゲームの、例えば性的暴行についての描き方、宗教的存在の描き方などについて、一種のデ・ファクト・センサーシップ(事実上の検閲)を持ち込むべきか否かという会話もある。

 それについての私個人の率直な意見は「ノー」だ。ゲームやその広告宣伝について本質的な意見を表明することも、そういう意見に曝されることも、なんら危険をはらむことではない。逆に、そういうことへの関心や表現こそ必須(vital)なものだ。映画、ゲーム、そのほかの作品を製作する側には、どんな主題や対象を取り上げ、どう取り扱うかについての自由があるし、そうしたアート形態について情熱を有している私たちも、意見を自由に述べ、批判し、ある部分は侮辱的であるとか、有害であると主張することができる。

 それこそ、昨今アートに関して行われている社会的対話にとって欠かせない部分なのだ。話すことをやめてしまえば、映画やゲームについて特に深く理由も述べずに「すげえ」とか「くそだ」とかしか語らなくなったら、モットの言う「真実、美、知恵についての妥協のない追究の営み」を放棄してしまうことになるのだ。 

 だから是が非でも議論に割ってはいるべきだ。自分の意見を述べよ。そして意見の多様性を受容せよ。それは自分にも有益で、自分の大好きなものに対する審美眼を養うことになる。自分が好きでもないものを誰かが好きだったり、自分が好きなものを誰かが嫌ったからといって、動揺したり怒ったりする理由はない。それが、自分や他の多くの人々が長いこと待ち望んだもの、例えばThe Dark Kinight Risesだったり、Assassin's Creed IIIであってもだ。思慮深い討議と議論が対話を促進し、私たちは真実、美、そして知恵にまた一歩近づけるのだ。恐怖や敵意はその妨げでしかない。

**********

 うーん、無邪気なまでにリベラル。 

 デンヴァーの事件を絡めたり、それをネタに揚げ足を取るのはさすがにやめておこう。  

 それ以外でひとつだけ言えることは、おそらく引用されているパーカー・モットのほうは気がついていることだが(キャロラインは気がついているかどうか不明)、こうしたオンラインのファンの憤怒の大洪水という事態が(最近ではもうかなり見飽きたものだが)、メタ的に「社会的・文化的なパターン」をそっくりそのまま映し出していることである。 

 パブリッシャー(大企業!)や開発者という「権威」が否定されたのが、BioWareのDA2、ME3、あるいはBF3、CoDMW3の騒ぎ。他にも例はたくさんありますね。

 今回のThe Dark Knight Risesでは、批評家という「権威」が否定されているわけだ。 

 この流れはもうとめられない。

 もちろん、インターネットの力が必須であった。だがこれは十分条件。

 必要条件は、民主主義への疑念。その否定。制度疲労。でも、それを代替するものが見つからない焦燥感。 

 インターネットで皆が皆自分の意見を表明するのが、究極の民主主義じゃないの?

 どうして民主主義への疑念とか否定になるの? 

 その話は長くなるので、詳しくはまた今度にするが、簡単に触れておきましょう。

 民主主義が前提としているのは多数決の理論。平たく言えば、意見の相違はだいたい真ん中近辺、中庸・平均あたりで収束するという前提に立っている。 

 もはやその世界が成立しなくなってきた。なぜか。権威が地に墜ちた。権威が権威とみなされなくなったから。 

 意見集約の「権威」であるはずの政治家(ロウメイカー)たちが何百人も集まって議論を尽くせば、全体として「悪いようにはならない」結論が出るはずだった。「おそらく正しい方向に向かう」結論が出るはずだった。民主主義の基本。

 EUを見ても、USを見ても、日本を見たってそんな結論はここのところ出ていない。
 「権威」は「無能」、「決定不能」を指し示すことになった。各国の政府や中央銀行がいまやどう取り扱われているか見ればいい。

 優秀な科学者たちが頭割れるほど考え、大勢で「思慮深い討議」を尽くせばやがて意見は収束の方向に向かい、(きっとあると思われてきた)「真実」に近づけると考えられてきた。これも「民主主義」。 

 だが例えば科学者たちは、足下の核燃料発電問題について、なんら解答を出せていない。騒いでいる連中と言えば、物理も数学もまったくできない(できるとも思えない)輩ばかりだ(私もどちらかといえばできない方だが、もちろん騒いではいない)。
 「権威」はなにか邪悪なものとして取り扱われるようになった(もちろん「核燃料発電ムラ」には邪悪な部分が間違いなくあったのだが)。

 EUの破綻の有無、その影響度合いを予測できる経済学者もいない。それどころか経済学者を集めればその頭数だけ異論が出てくる。 

 環境問題もしかり。 

 もちろん、政治・財政や核燃料、地球環境の話と違って、映画やゲームで人は死なない・・・、と書こうとして・・・。うう。

 もうやめておこう。

 

2012年7月14日 (土)

Valve、EAのSteam批判に反論する。

 EAのSteamに対する難癖は、あまり理屈が通ってなくて、ちょっと見苦しい気もしますがGameSpotによれば、次のようなものだそうです。

 「Steamの過激なディスカウント商法は、ゲーム業界が必死に築き上げた知財(IP)の価値を貶め台無しにしている(cheapen)」

http://www.gamespot.com/news/valve-responds-to-steam-sales-criticism-6386601

発言者は、EAのOriginを担当するDeMartini副社長(VP)。

 Originは、すでに11百万の顧客を獲得しているそうで、ヴィデオゲームのデジタル・ディストリビューション分野ではトップ独走のSteam(40百万ユーザー)を追撃中。

 EAの2012年3月末までの会計年度(FY12)について発表したファイナンシャル・ステイトメントによれば、同社は「翌年度中(FY13、つまり今)には伝統的なゲーム会社とは似ても似つかない姿に変貌し、団子レースの群れから躍り出て、デジタル分野のどの競合相手も追いつけないくらい一気に引き離す」ときわめて威勢がよい。

"In the coming year, we break away from the pack, with a very different profile than the traditional game companies and capabilities that none of our new digital competitors can match."

http://investor.ea.com/releasedetail.cfm?ReleaseID=671113 

 EAはFY12の純収入42億USDのうち、デジタル分野で12億USDをあげている(対前年47%上昇)。(数字はすべてnon-GAAP basis、以下同じ)

 EAのFY12Q4(2012年1月から3月の四半期)には、フルゲームのデジタル販売が、前年同四半期に対して76%上昇し、同四半期60百万USDの純収入をあげた。その一部はMass Effect 3とSWTORの牽引によるものである。

 "On a non-GAAP basis"というのは、US会計基準(GAAP)との整合性が確保されていない数字という意味で、企業独自の計算方法に基づくものという程度の意味です。それすら公表ルールが定められているので、「企業が都合よく計算した数字」という意味ではありません。ゲーム業界は特に出荷/売上げの分野で複雑なルールが多いですから、独自の会計計算が必要になるのでしょう。

 純収入(net revenue)は、売上げから製品原価を引き(これが粗利、gross revenue)、さらにその他もろもろのコスト(コミッション、リファンド、減価償却、税など含む)を差し引いたもの。企業の最終的な儲けを示すもの(配当前)で、よく"bottom line"といわれるように、通常は収支表(P/S)の一番下に書かれる。net profitとも、net incomeとも呼ばれるときがある。

 ところがデジタル商法の世界ではすでに団子レースから一歩抜け出しているのがSteam/Valveであるわけだから、EAのデジタル分野の責任者がSteam商法を批判する舌鋒も鋭くなるわけです。仮想敵どころか「宿敵」そのものとみなしている。  

 Steam/Valveが珍しく反応している。ValveのHoltman(この会社はNewellだけじゃなく、誰も肩書きがないようだ)によれば・・・。 

 「(ある価格帯で提供してみたが)売上げが思わしくないのであれば、(パートナー)企業はいつまでもその価格に固執しない」わけだし、「プレイヤーに新しいIPを提示するためには、何はともあれ、まず売らなければならない」 

 つまりプレイヤーの知らないもの、手にしてもいないものの価値について論じても意味がない。 

 よく批判される、やがて行われるだろうディスカウントを期待してプレイヤーが新発売時期に買い控える行動を誘発する(将来のディスカウント期待がリリース直後の売上げに打撃を与える)可能性については、「ファンであれば新発売で買うだろう。なぜならファンなんだから」

 そしてそもそもそのIP(フランチャイズ、シリーズ)のファンになるためには「まず手に入れて(買って)遊んでみなければならない」 

 ロジックはValveのほうがカンペキ勝っているんですよね・・・。 

 実は問題の本質は、Steamのディスカウント商法そのものではない。EAにしたって苦労してOriginを立ち上げ、案の定今ぐだぐだになっている運営をぼろかす批判されてまで、ディスカウント商法にこだわっているわけじゃない。それだけならあんな複雑なサイトはいらない。

 表面上は、Steamの厳しいコンテンツ・アップグレード管理基準を嫌ったことがEAのSteam離脱の理由にされているが、ま、ただのこじつけ、言い訳でしょう。   

 単純にSteam/Valveが要求するマージンをEAが合理化できるかどうか(仲介業者のコミッション・フィーの一種として納得できるかどうか)が論点だったはずで、それがまずひとつ。でもこれだって歩み寄れたはずなんだ。

 もっと重要なことは、そうしたディスカウント、バンドルなどのプロモーションでプレイヤーがどのように反応するか(しないか)、またプレイヤーがどのようにゲームを遊ぶか(選ぶか)、そういうプレイヤーの挙動に関するデータをSteamがおそらく囲い込んでいること。

 デジタルの覇者を目指すEAにとって、ゲーマーの挙動についての知見を有しないのは致命的だ。Steam以外のデジタル販売が、たとえばD2Dなどがほぼ壊滅しているのも根本的にはそこに問題があったのだ。

 PC/Mac専業でかつ、ヴェンダーから中立であるSteamとは土俵が違うが、Steamと同様に賢い連中が頭が割れるくらい考えているMSのXLIVEが追従しているくらい。(Amazonがまじめに取り組めば戦えるかもしれないけど、Steam、XLIVEはもうかなり先行してしまった)

 なぜなら、単純に販売価格の問題であれば、D2DだっていくらでもSteamをミミック、模倣できたし、現にしていたのだから。だってSteamはプロモーションもディスカウントも手の内を世界中にあけすけに見せているんだから!(ユーザーによって一切差別していない、という意味) 

 そういう手の内が「なぜ」成立するのか、そうした知見はもちろん模倣できない。

 また、そういう手の内(プロモーション)をパートナー企業(つまりヴェンダー、ゲームメーカー)に受諾させる、信頼されるための裏づけとなるデータを持っていなければ、容易に同意を得られない。

 そしてその手の知見を手に入れるためには長い時間がかかる。まさにNewellのいう試行錯誤の連続でしか手に入らない。 

 EAとSteamの間で行われているのは、そういう種類の戦いなんですね。

2012年7月11日 (水)

My Shepard has a first name.(抄訳)

 ここで紹介するPodcastはSpoilercast、すなわちMass Effect シリーズのネタバレてんこもりです。

 この記事もMass Effect 3、Extended Cut(EC)、シリーズ全体にわたるネタバレが出てくることでしょう。

 あなたがME3、あるいはME3:ECクリア前で、これからクリアするつもりなら読むのは避けたほうが無難。

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 以前、置くだけであったGameSpotのPodcast。表題はこの記事表題のとおり、"My Shepard has a first name."。 

 下を読んでいただければわかるが、真意を直訳すると「私のシェパードにはちゃんとファースト・ネームがあるのにっ」って感じか。
 

http://www.gamespot.com/features/my-shepard-has-a-first-name-mass-effect-3-extended-edition-spoilercast-6384777/ 

 先の週末までには書くことまで決まっていたのですが、書かないでいたらもう一度聴き直さなくてはならなくなった。

 ケヴィン他、計4名のGameSpotエディターのMass Effect Extended Cutについての、お話である。

 実は、この記事でも触れましたが、オリジナルのエンディングが大騒動を呼んでいたころ、オリジナル・コンテンツについてもケヴィン他のエディターたちが同じようにPodcastで話をしていた。次は、このブログでそれに触れた記事(Podcastのリンクも記事内にある)。

 http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/me3-6250.html

 さて、今回の冒頭は追加された4つ目のエンディングについての説明。

 経験された方はおわかりのとおり、スターチャイルドとの間のダイアログ(せりふ)の選択によって行き着くことができる。

 せりふで発現させず、その後三本道の選択の際にいきなりスターチャイルドに発砲することでも発現する(私はこっちだったかな)。

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「好きにさらせ」 "So be it."

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「元の木阿弥だな」 "The cycle continues."

 エディターの誰かが、上の画像のチャイルドのせりふはハーヴィンジャーの声であったと主張しているが、うーん。リーパーズって皆同じようなヴォイスチェンジャーを用いて喋ってたんじゃなかったっけ? ME1のソヴリンにしろ、ME3のタリの母星で撃沈したデストロイヤーにしろ?

 とはいえ重要な指摘は(5:20あたり)、「このエンディングが示すものは、過去のどのサイクルにも『シェパード』がいて、そのすべての『シェパード』たちが今まで銀河を救うことに失敗してきたということ」というものでしょう。卓見だと思う。

 私がこのエンディングを「Null値エンディング」と考えていることにも発想は近い。このサイクルのシェパード(つまりヒューマンの彼/彼女)がME1からME3までの間のどこかでしくじったら、やはりこのエンディングが発現するわけだ(そのことについてもエディターたちは後で触れている)。

 つまり一つ前のサイクル、プロシアンのサイクルにも「シェパード」がいた。もちろん、ME3のDLCで登場するプロシアンではない。彼の役割は種族絶滅に対する「報復」、「鎮魂」であるから。

 カッコつきの「シェパード」とは、(銀河の)救世主、セイヴィアー(savior)とでも呼ぶべき存在のこと。もちろん、今までは全部失敗しているので、would-be-savior(なるつもりセイヴィアー)かな。 

 そしてこの説は、それらの過去のすべての『シェパード』たちが、少しずつ、一歩ずつ、リーパーズを打倒する手段、銀河を破局のサイクルから救う手立てを積み上げてきた、と続く。

 私はそれについてはちょっと異論がある。欧米特有の「進歩思想」が見え隠れしているのが気になるのだ。当然、一歩も進めなかったサイクルもあっただろうし、あるいは仮に蓄積されたものがあったとしても、それらすべてが無に帰してしまったサイクルもあったかもしれませんよね。なにしろ敵はリーパーズだ。 

 直近のプロシアンのサイクル(で蓄積された知識)と、現下のヒューマンが出現したサイクル(の解読力、実行力)、このふたつのサイクルのワンツー・パンチで解決策を導き出したのかもしれないじゃないですか。現に今のサイクルのリーパーズとの戦いで活躍した種族たちは、プロシアンが見守り、育ててきた種族が多いわけですし。

187
 シャドウブロウカーのような優れた情報管理の才能の持ち主がいなければ、現サイクルで(あるいはそれまでに)蓄積された知見を次のサイクルに引き継げるとは限らない。

 さて、話題は変わって次の画像、追加されたエンディングに登場する新しいスターゲイザーのシーン。
 オリジナルのVO(声優)の手配がつかなかったので、スターゲイザーは女性に変わったんだろうな、と以前書きました。

194
 新しいスターゲイザーはアサリだと思って気にもしなかったのだが・・・。あっさり信じた私が浅はかだった(ああっ、親父ギャグだ!)。

 声優の手配説は、半分当たっていて、半分以上のことを見逃していた(足したら100%超えるじゃん!)

 オリジナルのスターゲイザーのVOはなんと、あのバズ・オルドリン(Buzz Aldrin)であったのだ!

 若い子は知らんか? 僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号が月に行ったんだってさ、って子たちは知らんか。

 バズ・オルドリンといえば、アポロ11号のルナ・モジュールのパイロットだ。ニール・アームストロング(Neil Alden Armstrong )船長に続いて月面に降り立った二人目の人類だ。

 本編を遊んでいるときには気がつかなかった。

 そのUSの国家的英雄、いや人類の英雄であるバズ・オルドリンをまたわざわざ呼びつけるわけにもいかない、という事情はあったであろう。

 だが、エディターのひとり(カーティスかな)は、もうひとつ4つ目のエンディングでカットシーンが変わった重大な理由だと思われることについて語っている。

 新しいスターゲイザーは、見たことのないエイリアンである。アサリではないようだ。

 
 つまり、この追加されたエンディングを選んだ場合、「次のサイクルにはもはや人類は存在していない」ことが暗示されている。

 そしてもちろんアサリもいないだろう。なぜなら、リーパーズによって(現サイクルの)すべての(一定以上の文明を築き上げた)オーガニックは破滅させられたか、改造されて取り込まれてしまったはずなのだから。

 次のサイクルにも、少なくともスターゲイザーのように言語を操るほどの知性を有するオーガニックが生まれるだろう。だがそれは私たちの知っているMass Effectの世界には登場していなかった種族に違いない。

 さて、残りの三つのエンディングについては、それぞれ贔屓するエディターが選んだ理由と、ECで追加された部分について、思いを語っている。

 ・緑、シンセシス(ケヴィン)、エンディング・ナレーション:EDI

 最も外交的な選択だと思われたから。BioWareも最高のエンディングと位置づけている(必要なレディネス・ポイントが高い)。皆がハッピーになると思われるから。 

 ただし、ケヴィンががっかりしたというのが次のシーン(12:00あたりから)。

401
 戦死者、殉職者リスト。私の場合、ミランダが特に悔やまれます・・・。レックスはとうの昔にあきらめたよ。そういえばケリーの名前がない。どうしちゃったのかな。シタデルで生き残ったことになってるのかな?

 アンダーソン提督ですら、デヴィッドというファーストネームが記されているのに、シェパードだけ、コマンダー・シェパード。肩書きだけ。

 作中では決してVOで呼ばれなかった(当たり前だ)ファースト・ネームをここで表示したらよかったのになあ、残念、ということです。

 DDのエンディングにおける史書のあの粋な趣向(ネタバレになるので書かない)に「やるじゃん!」と思ったばかりなので、特に同感、納得しちゃいますね。 

 ケヴィンの総括的な感想は、すべての追加コンテンツは隙間を埋めただけであり、オリジナルの「緑」と感動は何も変わらなかった、というもの。むしろオリジナル・エンディングの不足している部分、隙間は皆自分自身で埋めていたのである。

 別のエディター(カーティスかな?)は、ギャレスの粋なせりふについて語っている。

 ECでは、シタデル・シーンの直前、コンデュイットに突撃する際、ハーヴィンジャーが攻撃してきて、クルーが負傷してしまうシーンが描かれる。
 上空待機中のノルマンディを呼び出して(まあご都合主義的だけど)、負傷したふたりのクルーを乗せて脱出させますよね。

 (私の場合は大変不幸なことに、ここで出たのはプロシアンのせりふであった・・・) 

 その際、ひどく負傷したクルーがギャレスの場合、彼はこういうのだそうだ(15:30あたり)。

 "Hey, you are always the better shot、Shepard." 

 例の、シタデルでのシューティング競争で、シェパードが最後の的をわざとはずしてギャレスを勝たせた場合(私がそうだ)、 「気がついていたんだぜ」という意味になって、あまりにクールすぎる。また、シェパードが普通に勝っていたなら、「あんたにはいつも勝てなかったよな」と素直に受け止めればいいだけだ。

 ・青、コントロール(カーティス)、エンディング・ナレーション:シェパード

 イルーシヴ・マン贔屓、サーヴェラス支持であったから、イルーシヴ・マンが望んだエンディングを選んだ。

 実際に、オーガニックもシンセティックもそれぞれの本質(characteristics)を残したまま存続することになった。シェパードは肉体こそ失ったものの、人格・意識はそのまま保持され、究極のスペクター(亡霊)になった、あるいは、全能の神(the omnipotent god)のような存在となった。 
 非常にパワフルな存在となったわけで、実はこれがベスト・エンディングであろうという説。

 ・赤、デストロイ (トム) エンディング・ナレーション:ハケット

 深呼吸エンディングは以前どおり。オリジナルの三つのエンディングの中ではECで一番変化に乏しいのではないか。 

 この三部作シリーズそのものがリーパーズの「デストロイ」を目的としてきたわけで、それを選ばないなんてありえない。 

 コントロール?(青) 邪悪なイルーシヴ・マンの求めていたエンディングだよ?(しかもイルーシヴ・マンは目の前で頭を打ち抜いて自殺してる。どうしてその後コントロールなんて選べるんだ?)
 ロボットになる?(緑) 気持ち悪い。 

 だがデストロイ(赤)ではリーパーズのみならず、シンセティックであるゲスもEDIも道づれになる。全体善のために! 果たしてそれでいいのか? 

 それでいいのだ、そうだ。  

 最後に各人の総括的意見。

 アーロン: BioWareに感謝し、満足している。オリジナルで不足している部分は自分の想像力で穴は埋めていたものの、追加された部分を実際に見るのは有意義であった。いくつかのシーンはすばらしい。

 カーティス: EC開発は時間の無駄ではなかったか。BioWareは他のことをやるべきだった。マス・リレー網が本当に吹き飛んでしまって、銀河がゆっくり死んでいくわけではない、と示されたのはよかったが。

 トム: (ユーザーに口出しを許すという)危険な前例を作ることになってしまった。あるゲームのすべてを万人が好むわけはない。エンディングがひどいとしても、それはそれとして次に進むべきだ。気に食わない者、怒り出す者がいたって、それは仕方がないと割り切るべきだろう。 

 ケヴィン: 三ヶ月待って、結局がっかりした。追加されたものがあっても、それは話を「なぞってわかりやすくする」(illuminate)だけであった。世の賢いプレイヤーならオリジナル・エンディングから、ほとんどの意味を汲み取っていたはずであろう。
 個人的にも一回目の感動になんら付け足されたものはない。 

 私自身も、個人的に二三の追加シーンは粋だな、と思った(とすでに書きましたよね)。

 でも基本的には「時間の無駄」説にくみしたいな。
 無料DLCだからブツブツ言ってもはじまらないけどさ。 

 げに恐ろしきはEAの納期なり、ってことですよねー。
 あと仕様変更もあったよね-。マルチプレイ導入。

350
「ジョーカー・・・、もうそろそろ出さないと納期が・・・」

050
「あいたたた、奴め、やってくれたわ」 

 素敵なシーンも、文脈を無視すると、どうとでも訳せちゃうね・・・。

2012年7月 9日 (月)

BioWare@SDCC

 恒例のサンディエゴ・コミックコン(SDCC)。7月11日から15日開催(現地時間)。

 BioWareは特に目玉となりそうな出しものなし・・・。

http://blog.bioware.com/2012/07/05/bioware-coming-to-the-2012-san-diego-comic-con/

 BioWareベース(ホテル)では(SDCCバッジ不要)。

・ME3の新しいマルチプレイDLCをBioWareの人と遊ぼう。

・DAのリード・ライター、ゲイダーさん(他)のサイン会にいこう。 

・MEシリーズのVO(声優)さんたちと話そう。 

・「パーガトリ・バー」でフリー・ドリンク・パーティー、コスプレ・パーティーを楽しもう。

 

 以下SDCCコンヴェンション(バッジ必要)。

・Dark Horse のコミックブック他、商品即売会。 

・Dark HorseのDAシリーズの原作者ゲイダーさん、およびMEのライターたちのサイン会。  

・Mass Effect 3開発者たちのパネル・ディスカッション。 

・Dark HorseとBioWareによる、DAとMEユニヴァースについての特別なお知らせ
(… exclusive news on Dragon Age, and the ever-expanding Mass Effect universe)。 

・パートナーたちの商品ブースも乞うご期待。

 Square Enix
 SideShow Statues
 Kotobukiya
 Triforce
 FUNimation

 まるで、次の作品まで食いつないでいるときのガイナックスの出し物みたいな様相を呈していますが。

 たぶん、コミックコンだから、これでいいんだと思う。DAとMEはまがりなりにも、Dark Horseの目玉商品にはなっている。きっと、DAのコミック次回作もその場で発表になるんだろう(アリスターが主人公のやつの続編かな)。

 でも寂しいっすね。ゲーム関係の情報はほとんどない。ME3はECの後も、まだストーリーDLCが出る予定のはずだが、その話題は出てこないんだろうか。

 DA3(仮称)については影も形もない。パネルディスカッションもMEシリーズだけだ。 

 かつてのBioWareはこんなもんでしたけどね。DA3(仮称)については、開発段階でも見せられるものができたら、お見せするという話だったんだけど。例のアーマー着せ替えのデモンストレーション以外は特に情報がありません。

 

 

 

2012年7月 2日 (月)

ドラゴンズドグマの勝手格付け

 過去、お気に入りのCRPGについて勝手格付けをしてまいりました。

 最近では英語版のDragon Age 2、The Witcher 2、Mass Effect 3、Skyrim、日本語版のFFXIII-2など。

 アマチュア・レヴュアーの特権として、お気に入りの作品しかやらないので、だいたい成績はいい。少なくとも最低一回はクリアしたもの、本来クリアに要する時間より長時間没頭したものに限っている。  

 ドラゴンズドグマもやってしまおう。ルールは全部自分勝手なもので11個(以前より一つ増えた)。

ルール#0:世界はできるだけ広く。行動の自由を要求する!

○: オープンワールドというわりには、実はフィールドは思ったほど広くはない。これはSkyrimなど比べる相手が悪いこともある。
 行動の自由はかなりあって、エヴァーフォールまで含めればそれなりに長く遊び倒せるはずだ。その点でもSkyrimの膨大さとは比べられないけど(あちらのAIジェネレーションのランダムクエストを比較対象から除いてもそうだ)。

 主としてガイジンが嫌っているのがファスト・トラベルが当初はない、限られているという点。あちらでは年配者が普通にゲームを遊ぶ。そういう人はオポチュニティ・コスト・オヴ・タイム(時間の機会費用)が一般に高いと考えられるので時間の浪費に対する批判が出やすい。簡単に言えばゲームに費やせる時間の稀少性が高い、貴重であるということ。

 でも考えればわかりますが、ファスト・トラベルをむやみに渡しちゃったら、このフィールドでは「かなり狭い」という印象しか与えられなかっただろう。

 また批判が多いのがダッシュで走っている間にすぐスタミナ切れすること。確かに私もプレイの最後のほうではイライラしてました。これも接敵開始・終了の判断が難しいからそうせざるを得ないんだよね。スタミナ切れはあっていいが、もうちょっと甘くてもよかったのかな?

ルール#1:メインプロットはこの世の破滅の阻止。それ以下のテーマは小さすぎる。

?: そもそもメインテーマがよくわからなかったですね。きっと、永久に円環する時間のくびきからの脱出がテーマなんだろうけど。目前に迫る破滅の危機(が実際にあったのかどうかも定かではないが)の表現はうまくいってない。

 領都が終盤ああなっちゃうのも試みとしてはもはや陳腐だし、さらに言えば巧妙な伏線はなく、予感もなし、あまりに唐突、いきなりすぎるので逆に衝撃の効果もない。ここら辺の破滅(破局)の見せ方、驚かせ方、例えばFFシリーズなどはずるいくらい上手いから、ちょっと比べられない。

ルール#2:サイドクエストがたくさんないといけない。

○: これはこれで十分ではないだろうか。基本はフェッチ(お遣い)クエストとはいえ、お遣いが面白すぎる(お駄賃がよすぎる)場合はみな許すだろう。しかも、ひととおりやって終盤やることがなくなるくらいのタイミングでエヴァーフォールが出てくる。
 問題はメインクエストのほうが「?」なことかもしれない。

ルール#3:大事な仲間が死ぬ。その方が感動的だから。

 
◎: ◎は「無闇に死なない」という意味。ゲーム内で主要人物と呼ばれる複数のキャラクターが、プレイヤーの作為(不作為含む)の結果死ぬことはあるみたいです。でも物語進行上の要請から勝手に死んだりはしない(はず)。

ルール#4:ロマンス!

△: とりあえずロマンスらしきものがあるってだけで△。実際には×にしたい。
  ロマンス入れるなら、せめて男女の区別は付けてほしいよね・・・。うちのアリズンは知らないうちに百合族になってしまった。百歩譲ってもベルバラ。

 自分は経験していないが、笑ってしまうのが「宿屋の親父とフォーリンラヴ」。ドラゴンが親父を拉致るわけ? うーん。それは新しい。新しすぎる。

 素直に男性キャラ限定で、妃との間の秘められた恋だけでもよかった気がしますが。
 あるいは、男性ならメルセデス、女性ならあいつ(野郎の名前は覚えない)とのラブが設定されていて、決闘時に反映するとかベタだけどもやればよかったのに。

ルール#5:武器の山。持ちきれないくらいの装備の山と超レア品。

◎: デザイン周りに趣味の違い、好き嫌いがありそうですが、これは文句なし。しかも装備はきちんとヴィジュアルに反映される。
 クラフティングがちょっと乱暴でおざなりな造りなのが残念すぎる。せっかく膨大な数のルート・アイテムを用意してあるのに、ほとんどが代替可能で、大したものに化けないってのはもったいない。

ルール#6:みにげー。

×: なかった気がする。もうこの項目自体が陳腐なので、格付け要素からはずしたほうがいいかな。
 レンタル・ポーンの仕組みは面白いけど、評価する格付け項目がないね。 

ルール#7:戦闘はリアルに!

◎: 「リアル」が何かという神学論争はやめよう。同じ場面、同じ敵、似たようなパーティー構成でも毎回がらっと違った展開になることが多いので、なかなか飽きがこない。反面、一晩寝たらモブがリスポーンしていて「またかよ」と辟易することはある。特にハーピー系はねえ・・・。
 結構うざいオオカミ系も最後ヘルハウンドまでいくと、動きが巧妙すぎてぶち切れそうになりますよね。だけどチート臭くはない。秀逸だと思う。
 夜戦のクソ面白さも触れておこう。暗闇の中、敵に取り囲まれたエンクロウチメント戦。ここまで面白いものはあまりないですよ。逆に闇に乗じて敵のキャンプに仕掛けるのも乙(でも敵にはこっちが見えてる臭いんだけどね・・・)。

 ボス級戦は敢えて言うまでもないでしょう。これを経験しないのはあまりにもったいない。 

ルール#8:会話は小粋に。

△: アリズンや主要登場人物との会話には、とりたてて粋なところはなかった。
 ポーンのセリフにはもう少しヴァリエーションがほしいね。コンバットの回数がなにしろ多いので、最後は同じセリフの繰り返しになってしまう。

ルール#9:収集癖に答える。

◎: 色々なやりこみ要素、いいんではないでしょうか。

ルール#10:主人公はできるだけカスタマイズ。

○: キャラメイクは結果的に「鉄板」、「定番」と呼ばれるあるところに収束していくし、それは避けられないのだろうけど、必要十分なヴァリエーションが愉しめると思う。マイ・ポーンも含めれば楽しさ倍増?

 

 レンタル・ポーンのシステムを評価するところがないんだよね。それもそのはず、もともとソロゲームを念頭においた格付け項目だから。

 まあ、だから勝手格付けなんて信用するなってことなんですが。

My Shepard has a first name.(GameSpot PodCast)

 とりあえず置くだけ。

http://www.gamespot.com/features/my-shepard-has-a-first-name-mass-effect-3-extended-edition-spoilercast-6384777/

 35分のPodcastなんだけど、今全部聞く時間が惜しい。iPodに移して電車の中で聞けるしね。

 ただ最初の10分ほどをちょっと聞いてみたけど、ケヴィン他GameSpotのスタッフ(全部で4名かな)が以前のPodcast(リンクは次の私のブログ記事内にある)にもまして、クソ面白い話を繰り広げています。 

 前回、エンディング騒動前後のケヴィン他のPodcastについての記事。前回のPodcastもたいそう面白かった。

http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/me3-6250.html

 聴ける人は、ぜひ聴いてみるよろしね。もちろんネタバレてんこもりだけどね。

 聴けない人は? 今から英語勉強するよろしね(うそ)。

 いや、いずれかいつまんで超訳しますよ。・・・おそらく週末にはね(どんだけ忙しいねんって、しょうがないからね)

2012年7月 1日 (日)

ドラゴンズドグマよ、お前もか。

 (以下、ドラゴンズドグマのごくちっちゃいネタバレがあります。全然たいしたことないけど)

 ドラゴンズドグマ、昼過ぎにようやく一回クリア。クリアっていうか、うーん。二周目を開始できる切符をもらったという意味でクリア。 

 レベル72だったかしら。

 なにやらエンディング最後のほうで、アリズンの絆(笑)の人(私の場合セレナちん)がマイ・ポーンまわりのことで不穏なこと(消えてなくなるみたいな?)を口走ってるので、正直エンディング・クレジットが終わって二周目開始まで気が気じゃなかった。

 二周目をはじめて、カットシーンは全部吹き飛ばして、サイクロプスは瞬殺して(簡単だけど)速攻でマイ・ポーンを手に入れるところまで進めて、一周目の彼氏がまだ選べることを確認してほっと一息。そこで封じ手。セーヴしてUSBからPCのHDDにコピってしばらく封印しよう。

 エヴァーフォールとか気合いれてやる人では全然ないので、それで特に問題なし。 

 二人目以降がぜんぜん進んでなかったんで、保存しておいた別ファイルからやりなおす。
 一人目で取りきれていないトロフィー、一部はデーター継続してくれないのかな、たぶん。

(もちろん二周目のキャラメイクの時点で別なルックス・技能でやり直す、って方法はありますけど、レベル70以上でやってもしゃあないしね)

 当然ながら、(セーヴファイルを変えた)二人目には何の情報も引き継がれていないようだ。DLCで購入して共用できるアイテム類のほかは、すっぴんスタート。

 まだレベル6あたりでうろうろしていた新米メイジ女子にはぴったりの買っていなかったDLCを購入。あと衣装セットも思い切って購入。これで買っていないのはリムの結晶サービスパックのみ。私の場合これはいらない。

 ま、たいした金額ではないけど、お布施です。

**********

 おっと、記事の表題の説明をしないと。 

 誓って言いますが、Mass Effect 3 Extended Cutの感想を書いていたとき、DDのエンディングのことなんてこれっぽっちも知りませんでした。

 DD、またしても「円環する時間」のお話でしたねえ。しかもはっきりと「始めも終わりもない円環を断ち切る」とか、「高みに上る」、「くびきから解放する」とかそんなことを言ってましたよね。

 その裏返しは「果てしのない繰り返し」、「幻想と知った上での安寧」でした。

 「お前もか」というのは、その部分を言っています。その話をまた私がしちゃってもいいのか、という。

 Mass Effectの「サイクル」、DDでいうところの「円環」、他にもいくつも例が挙げられますが、逆にそういう時間感覚のないゲーム作品のほうがきわめて稀なのでしょう。

 ひとつにはヴィデオゲームという、コンピューター・プログラムというメディア自体、サイクリック(cyclic、周期的)、イテラティヴ(iterative、反復的)な繰り返しを前提としたものであること。それが非常に得意であり、それ以外は実はとても苦手であるということ。

 文明がある程度確立すると、(それまでの人類にはなかった)円環的な時間感覚が生まれ、やがて文明が近代へと移行するにつれて、直線的な時間感覚が根付いてくること。現代の時間意識はその両者が激しくせめぎあっていること。

 そしておそらく、人類を含めた哺乳類が、広く地上の生物がそういう定めにあるものだということ。ホメオスタシス(Homeostasis、恒常性、ホメオステイシス)。

 そうだとすると、BioWareが言っている「高度な芸術性」(artistic integrity)とは何か。ひとつは、そういう深遠な時間に対する人々の感覚を見事に表現できていること、という意味にも取れるのですが。 

 Mass Effect 3でそれがうまく行っているかどうかはわからない。っていうか、別段うまく行ってないね。
 もちろんDDだって、そんな世界観をうまく表現なんてできていない。できていないと言い切ることについて、私は万全の自信がある。

 Mass Effectは(あるいはDragon Ageも含めたBioWare作品は一般に)、コミットメントのレベルでは優れたゲームであると言っていいのだと思う。
 コミットメントとは、この物語は、主人公は、大事な登場人物はこれから一体どうなるんだろう、と気が気ではなくなること、前のめりに、感情的に、ときとして絶望的なまでに物語に「コミット」してしまうというレベルだ。まあ、普通に言われる「愛」だ。

 一方で、デタッチメントとは、「そうだ、世界は確かにそう動いている」と物語を突き放し、引き気味に、知的に冷静なまでに分析する心構え。科学者のような視点で事態を見守って、「あるある、世界はきっとそうなってるんだよな」と納得する喜びだ。これもまた実は別の種類の「愛」の形だ。

 Mass Effect 3に関して言えば、コミットメントについては文句なしだろう。オリジナル・エンディングに対する「私のシェパードはどうなったの? 銀河はどうなったの?」という世界中のファンの大合唱を見たら、証明終わりでいいよね。皆、怖いほどのめりこみ過ぎ。

 だがデタッチメントについては、オリジナルのエンディングは、どう贔屓目に見てもその喜びを与えることができたはずの部分をはしょってしまった。Extended Cutで多少は物語につじつまが合ったものの、「(その銀河は)本当にそう動いていたの? なんか矛盾してないか?」という根本的な疑問は拭い去れなかった。「きっとそうだ、あるある」とは感じられなかった。

 だから、あのエンディング騒動の元になった批判には「私のシェパードをどうする気?!」というコミットメント方面からのものと、「そんな銀河あるかい!」というデタッチメント方面からのものと、二つの面があったわけです。私がオリジナルで萎えたのはもっぱら後者。

 P4Gはまだクリアしていないので、決め付けられないけど、P3Pあたりの印象から類推すれば、両者どちらもそれなりに良くできているようだ。だから物語としては秀逸なのだと思う(それについてはクリアしてから存分に触れてみたい)。

 DDについて言うと、そのどっちもほとんどできていない。つうか、物語も世界観も最初から存在していないと言い切っておく。

 「私のポ-ンは二周目どうなるの?!」とお前があわてたのはどうなんだというつっこみありますかね? 正直に言えばその部分でコミットメントは間違いなくあったといえるが、100時間以上を費やしてつきあったキャラクターが「はい、チャラ、都合により消えましたあ」というのは、Wizardryの時代ならともかく、今のゲームでは禁じ手と言ってもいいでしょう。そういう手法でコミットを実感させるのはもう下策だよね。

 (これについては、ご紹介いただいた「ゼノブレイド」の社長インタヴューにおいて、開発者たちが似たようなジレンマを吐露していましたね。「ずっと長く付き合った仲間が最後に裏切る」っていうライターの書いたシナリオは、アニメ・コミックの脚本としては秀逸かもしれないが、ゲーム・デザイナー側から拒否られた。プレイヤーが何十時間もプレイしたRPGのキャラクターを取り上げてはいけないというのが理由。
 それってBioWare作品でよくある展開ではないかって? あっちでは、それはプレイヤーのあなたがそう選択した結果だからね、という言い訳が必ず用意されてますよね。上のゼノブレイドの例では必然的に裏切る原案だったそうだ) 

 でもヴィデオ・ゲームは小説や映画ではないから、物語も世界観もそんなにちゃんとしていなくてもいいんだと思う。(あれば尚いいけど)

 スーマリやデモンズ・ソウルと一緒で、「作業」のレベルで「リアリティ」を感じさせることに関しては秀逸なのだ。だから、DDが本当に優れているパートは、さっぱりよくわからないストーリー部分(実際ストーリーなんてないんだけど)ではなく、エヴァーフォールを延々と探索するほうの部分で表現されるんでしょうね。

 そういうRPGも「あり」だとは思うんだけど、せっかくドラゴンを出すんだから、空飛ばさなくちゃならんし、そうなるとフィールドがいるし、やっぱ町とか城とかいるから物語らしいものも少しはつけとこうと、そうなったのかな。

 つまり、面白くするなら元から「モンハン」で十分であるし、「モンハン」のように作ったから優れたものができたのに、これって「モンハン」じゃんと批判されるのがあれなんで、RPGの衣装を無理やり着てみました、ということなんでしょうね。 

 「何がしたいかわからない、雑多な印象」と批判されるのはそこに起因するのだ。だが芯のコンバットの部分では、しっかりと「愉しい世界」を守っている。まあ、モンハン・マニアに言わせればただの「水割り」だろうが、PRGファンは元からアクションなど苦手な層が多いのだ。

 これからDD2を作るんだろうけど、そこから飛翔するカタパルトとしては、このDDは十分な出来栄えだと思いますよ。 

 二周目もやっぱ、愉しいわ。

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 (追加。それとエンディング最後の最後のネタバレあり。クリア前の方はここまでが無難。)

 えっと。エンディングでマイ・ポーンがどうなるか気が気じゃない、はコミットメントじゃないのか。それはそうだが、ヘンチマン、フォロワー、コンパニオンのことを気にするのは、なにもDDに限ったことじゃないよね。

 だが、もう一個大事なことを忘れていた。

 エンディング最後に、分厚い史書のページをめくって行くような形式で、社長(アリズン)と正社員(マイ・ポーン)が紹介されますな。

 それだけじゃなく、確か数名の派遣社員、レンタル・ポーンも紹介されますね。

 お付き合いいただいた時間順なのか、獲得Rポイント順なのか、わからないけど、私の場合三名くらい選抜されて表示されました(上位何名じゃなく、ある基準値以上で出てくるなら、プレイヤーによっては、もっと多いのかもしれないが、尺はあわせるか)。

 そうした派遣社員とは、ゲーム内でももう二度と出会うことができなかったんですね。私はフレンド登録とか要請しないもんだから。もし仮にそうしたって、レベル差が大きすぎたり、クラスが変わったりしてどもならんかったかもしれない。

 でも、この趣向とっても好きです。風来坊、流れ者、冒険者の世界は、たしかにそうだろう。ましてや異界から呼び出されるポーンであるから、もう二度とお目にかかれないのだって自然である。

 しかも、最初の出会いだって私の見積もりでは何万人(注)のポーンのうちから、そのレベル帯にいて、(全数表示じゃないはずだから)サンプリングでたまたま表示された中から選んだだけだ。

(注)DDのコミュニティの画像数などから、PS3では日本の30万プレイヤーのうち10%から20%くらいしかオンラインしていないのではないかと見積もっている。海外はPSNのオンライン事情がわからんが、やっぱそんくらいとすると世界で100万本売れたって、10万人から20万人くらいかな。
(上で推測していたとおり、全世界100万本出荷達成、しかもカプコンはDDをフランチャイズ化して続編を計画とのGameSpotの記事)
 http://www.gamespot.com/news/dragons-dogma-global-shipments-top-1-million-6383920

 人生において出会いは偶然である。しかも一度別れたら二度と出会うことはまずない。この出会いは一回こっきりであると期待し、その発想に基づいて振舞え。

 一期一会といいますね。

 「たしかに世界はそう回ってるよなあ・・・。なんか、これってすごい新鮮な感動だよなあ・・・」

 しょうがない、認めよう。デタッチメントによる感動を感じさせる部分もあったのでした。

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