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2012年7月21日 (土)

ザ・ダーク・ナイト・ライジズ騒動(2)

 前記事で訳したGameSpotの記事で引用されていたエッセイ。

http://www.thefinaltake.com/minority-report-the-stigma-of-contrarian-film-criticism/

 こちらもやってみましょう。

 表題は、Minority Report: The Stigma of Contrarian Film Criticism。

 「少数意見:逆張り映画批評の烙印」かな。 筆者はパーカー・モット。

 映画批評は重要だと思う。なぜなら映画に関する真実、美、知恵についての妥協のない追究の営みだからだ。社会的・文化的なパターンをスクリーン上の物事に紐付ける営みだ。映画批評がなければ、ある映画が感動的であるとか、大名作であるなどと思慮深い討議を交わすことはできないだろう。もちろん、「良き」映画批評の話だ。いまどきのブログやツイッターやフェイスブックでは、批評的な言説がある種の人々によって多少わかりにくくなりつつある。いやはっきり言ってしまえば、そんな連中はいったい自分が何をしゃべっているかすらわかっていないんだ。 

 だが、私自身がこれから述べる説によって生きる偽善というレッテルを貼られる前に、自分はそういう連中の意見そのものに飽き飽きしているのではないと断っておこう。私は連中が「どのように」意見を表明しているかについていらいらしているのだ。映画"Avengers"に5点満点中5点の評価をつける。だってすっげー映画だし、スカーレット・ヨハンセンがめちゃくちゃセクシーでやばいから、というのは映画批評じゃない。ただのファンボーイのオーガズムだ。そんな会話は映画館のロビーから出てくるときのためにとっておけ。そう、私は別に具体的な誰かを引用したわけじゃないが、そういうコメントは間違いなくどこかにある。Rotten Tomatoes のアカウントを二年有していたから、腐ったトマト(罵声)をぶつけることには慣れっこなんだ。

 なんでそんなに辛らつな出だし? なぜなら、すべての大作映画のうちでも最高傑作がこの金曜日にリリースされるからだ。実際、あまりに最高過ぎて、君たちの中には、深夜に165分の映画を観ることになる者がいるはずなんだから! (うーん、あまり気の利いた冗談じゃないな)。
 この映画は、もちろん、クリストファー・ノーランの"The Dark Knight Rises"、バットマン三部作の最終章だ(と思う)。2008年の"The Dark Knight"では、これまでの前任者たちすべてがちゃちに見えるくらいいかれた悪党とともに、ブルース・ウェイン/バットマンの謎を、究極の世界まで押し進めた。

 これを書いている時点まで、私は"The Dark Knight Rises"を見ていない(プレス試写会を見逃したからだ。ちっ!) 自分の懐疑心は認めねばなるまい、なぜなら"The Dark Knight"はス-パーヒーロー映画の"Touch of Evil"(1958、「黒い罠」オーソン・ウェルズ監督)のようなものだったから。このジャンルを究極の境界線上まで追いやって、ジョーカーの裂けた唇から人間性の底に流れるゴツゴツした岩だらけの激しい奔流を見せ付けてしまったのだから。そこから先に進む場所なんてもうあるわけない。いや、もしかしたらあるのか。さまざまな理由で大監督と呼ばれる者がいるが、不可能を可能にするのもその理由のひとつだ。ポール・トーマス・アンダーソンは"Boogie Nights"(1997)や"Punch Drunk Love"(2002)のような力技を示したし、2007年の"There Will Be Blood"(2007)は個人的な視覚・音響のトップ10入りした。

 ここまでで、「逆張り映画批評」という話題を避けていることに自分で気がついた。そろそろはじめてみよう。
 昨夜、"The Dark Knight Rises"のレヴューがRotten Tomatoes のデーターベースに現れ始めた。予期された賛辞が続く。「強力で刺激的」(Peter Travers, Rolling Stone)、「ありとあらゆるものを覆う陰鬱さに感嘆」(Joe Morgenstern, Wall Street Journal)、「でかく、切なく、壮大な野望の映画による叙事詩的偉業」(Richard Corliss, TIME Magazine

 そこで・・・、 Associated Pressの誠実なライターであるChristy Lemireが登場し、この作品について「がっかり」(letdown)であったと述べた。その理由はとりわけ、ノーランの映画に対する期待があまりに大きすぎたからだとしている。なるほど。さて、私はネタバレを避けたいから、金曜日にRisesを観るまではLemireのレヴュー全文を読みはしないつもりだった。でも、Lemireが彼女のレヴューをアップしてからたった数時間のうちに500近いコメントを浴びたということは知っている。不幸なことに、それらのコメントは、貴重な反論でもなければ、無害な思考の糧でもなく、無教養で自説に固持するばかりの中傷と脅迫であった。最初のコメントは予言的だ。「おっおー、お大事にね(good luck)、Lemireさん」 このお見舞いの言葉の次にトロールが到着した。「この女は偏見に満ちて無知だ(bias and ignorant)。Magic Mikeに4点をつけた。なんの意見も持ってない」、「この女はBattleshipのほうが好きなんだって、へえっ!」、さらにこんなのまで。「またたった一晩で有名になりたい奴が現れたな」

 こうしたコメントの厚かましさには恐れ入る。しかし、彼らも、彼ら自身、なぜ映画批評が重要であるかを表明している。なぜなら誰しもが批評家だからだ。もし君の好きなある映画を誰かが嫌うなら、君が頭にくるのは避けられない。仲間に裏切られたとか、傷つけられたように感じるだろう。映画批評が必要なのは、「偏見に満ちて無知」だからだめだという連中を排除するためなんだ。もちろん誰にだって偏見に満ちて無知なときはあるが、この場合、そうした特性は誰の視点から見るかによる。

 まず第一に、Lemire はすばらしい映画批評家だ。Ebert PresentsのショーにIgnatiy Vishnevetskyと一緒に出演しているところを観たが、きわめて明晰にしゃべる。過去読んだ書き物も明敏かつ簡にして要を得る。Risesに関する彼女のオンライン・レヴューのひとつは、「ザ・ダーク・ナイト・ライジズには失望した。しばしばただ単に退屈なだけだ」という題名である。トロールどもは、ここだけ読んだのに違いない。なぜならこれは曖昧な表現だからだ。

 この記事を書くにあたり、Lemireのレヴューをちら見してしまったことは告白しよう。とてもよく書けていて、明確にしっかりと批評している。例えば「ノーランのアプローチは、冷たいほどにあまりに知性的で、映画の感情的な核心部分とはそぐわない。描かれているのは悲運と陰鬱(doom and gloom)のことばかりで心がない。登場人物のことを心配する理由がない。なぜなら皆、魂が危機に瀕している生身の人間というよりも、手の込んだ複雑に入り組んだマシンの歯車のように思われるから」(なるほどね)
 面白いことに、 かつてArmond White もThe Dark Knightのレヴューに同じようなことを書いていて、彼自身もそのときには集中砲火を浴びたのだった。

 これまで数え切れないくらいの映画批評を読んできた。今となっては、良き書き手かそうではないかはだいたいわかる。それは本能だ。やりこむほどに上手になるようなことだ。だがそこが要点じゃない。要点は、誰でも自分の意見を組み立てるのは構わないが、それは他の者といつも一緒ではないということだ。誰でも、自ら明らかに望んでいない限り、大多数と意見が異なるからといって嫌悪されるべきじゃない。Ms. Lemire はそんなことを望んでいない。彼女のレヴューは賢く、礼儀正しく、ノーラン監督への敬意に満ちている。だがRisesには失望した。まあ、仕方がない。そういうときもある。

 私も二日前にBeasts of the Southern Wild(2012)を観て、失望した。批評家からは絶賛だったし、しかもサンダンスとカンヌの映画祭も絶賛だった。自分で観ていたとき、きっとダイアモンドだと思っていたものが、実際にはただの石ころであると気がついたとき感じるであろう落ち込んだ気持ちになったものだ。この映画のレヴューを書けるようになるまで、しばらく気持ちを立て直す必要があった。広く好かれている映画を批判するのは、賞賛するより遥かにつらい。LemireもRisesのレヴューを書く際には似たような気持ちであっただろうし、ほとんどの者から拒否されたり反論されたりする意見をはっきり述べるのは難しいのだ。

 だが、それこそが映画批評の美点なのだ。心底喜びをこめて、自らの意見を述べること。私も金曜日に"The Dark Knight Rises"を観て好きになるかもしれないし、そうではないかもしれない。言わせてもらえば、"Magic Mike"だって今年のベスト映画のひとつだと思ってるから、Lemireと私に大きな違いがあるわけでもない。しかしながら、映画批評はある映画と別な映画を比較して行うべきではない。とりわけそうすべき根拠があるなら別だが。そうすることは映画批評の死を、そしてわれわれ批評家全部の死を招くんだ。 

 「無知こそ至福」なんてことはありえない(Ignorance is not bliss)。意見は重要だが、礼儀正しい意見に限る。それはプロの批評家にも当てはまる。もちろん、自分の感情に従い、どんな攻撃にも耐える覚悟があるならガリレオになるのは構わない。この記事によってトロールが静かになるとは思えないが、これだけは言っておこう。ひとりの映画批評家として、次のように叫ぶことはなんら恥ずべきことではないのだ。
 「それでも回ってるんだって!」

**********

 いかん、最後はじんときた・・・。

 個人的にも、「ダークナイト」ではなく「ビギンズ」のトーンを踏襲、という説を読んで、「まあ、そうやろなあ」と思っていました。

 筆者がいうように、「ダークナイト」は期せずしてか高みに上り詰めてしまった。あれはあれで、もういいっす。確かにどこにも行きようがない。 

 ま、こちら日本でも来週からですか。公開したらできるだけはやく自分の目で観てみようと思ってます。

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