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2012年7月21日 (土)

ザ・ダーク・ナイト・ライジズ騒動

 (新作映画自体のネタバレは一切なし。映画に関する騒動のみを取り扱っています)

 The Dark Knight Rises。

 なぜか日本では「ダーク・ナイト・ライジング」。

 「ライジング」。MGSの影響だろうか。だとしたら配給会社も(他のメディアのこと)勉強してるのかな。実際にはただ単に「ライジズ」の語感が悪かっただけだろうけど。

 「ライジズ」は、「ビギンズ」のトーンを踏襲している。観る前には直前作「ダーク・ナイト」(The Dark Kinight)ではなく第一作「ビギンズ」(Batman Begins)をもう一度見直したほうがいい、というアドヴァイスがIGNのレヴュー記事かどっかに載っていた。これかな。

http://www.ign.com/articles/2012/07/16/the-dark-knight-rises-review

 このアドヴァイスを受けて、つい先日久しぶりに「ビギンズ」をDVD(英語版)でフルで見直したところでした。新しい発見もあった(つか、忘れていただけのものを再発見したのもある)。

 http://www.gamespot.com/features/the-criticism-we-deserve-6387829/

 その上で、新作についての辛口レヴューがヘイターの集中砲火を浴びているという、このGameSpotのエディター、キャロライン(ペティト)の書いた記事を見つけ、結構面白いので週末だらだら訳そうと思って待ち構えていたのだが、完全に出遅れてしまった。

 産経。

 米西部コロラド州デンヴァー郊外のオーロラで20日午前0時半(日本時間同日午後)ごろ、ガスマスクを着けた男が映画館で銃を乱射し、子供を含む少なくとも12人が死亡、38人が負傷した。地元警察当局は24歳の白人の男の身柄を拘束した。 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120720/amr12072023380003-n1.htm

 CNN。

http://edition.cnn.com/2012/07/20/us/colorado-theater-shooting/index.html

 痛ましい事件である。犯人になんらかの動機があるとしても今回のここの主題とはまったく関係ないのだろう。

 まあ・・・。「まったく」関係ないわけじゃないけど、直接は関係ないだろう。 

 うーん。決してコロラド・デンヴァーの事件に便乗しているわけじゃないと信じてほしい。

 単にPCの前に座って記事にする時間がなかっただけのことなのです。

 お気づきのように、直近ではMass Effect 3エンディング騒動、あるいはBattlefield 3、CoDMW3などの低すぎるユーザー・メタスコア問題、ちょっと前にはDragon Age 2のデザイナーへの誹謗中傷騒ぎなどと通底している問題です。 

 文脈上、お茶らけて訳すことができなくなってしまった。苦手だがわりとまじめにやってみましょう。

**********

 The Criticism We Deserve 

 必要なのは、映画やゲームに対する意見の表明を抑制することではない。怒りに任せることのない、より思慮深い表現なのだ。

 さてさて。クリストファー・ノーラン監督のあのケープを被ったクルセーダー(the Caped Crusader)、バットマンの最終章にあたる映画がリリースされたとたん、ファンの一部は轟々たる非難の声を上げた。彼らは、あの映画が彼らの期待に応えなかったから怒りに燃えているのではまったくない。だいたい騒いでいるほとんどの連中は映画なんて観てやいない。そうではなく、彼らは自分たち以外のある連中に対して怒っているのだ。現に映画を観て、生業としてその映画について物を書いている者たちへの怒りだ。

 向こう見ずにも、"The Dark Knight Rises"は映画として完璧には程遠いと語らざるを得なかった者たち。ファンたちは気に食わないことを書いたレヴュアーに対する中傷、侮辱、あるいは脅迫じみたコメントを書き記すことで、その怒りを皆に知らしめている。 

 一面では、私が個人的に敬意を払っている映画批評の分野がこのような憂き目にあうのは心底がっかりさせられる事態だ。だが反面、私はこの出来事にわくわくもしている。なぜならゲーム批評ではごくありふれたこのような事態、とても期待されていたヴィデオ・ゲームについて、完璧とはほど遠いと評したレヴューにファンがぶちきれるのと同じような事態をオンラインの映画批評の世界で目にしたのはおそらくはじめてだからだ。しかも愉快なことに"biased"(偏見に満ちた、バイアスのかかった)という単語の綴りを何通りにも間違えてくれるおまけつきだ。 

 批評家としての自分にとって、もっとも残念だったのは、レヴュアーに対する脅迫でもネガティヴな反応そのものでもなく、読者たちが、すでに予め用意されていた自分たちの意見(their pre-existing opinions)をただ単に補強すること以外の何事も望まなかったことである。それはとても批評とは呼べない。レヴューはそんなことのためにあるのではない。批評家は、少なくとも良き批評家は、ゲーム、映画、音楽、書籍、芸術に対して、読者が好きなものを好み、嫌いなものを嫌うというという気持ちを感じさせるために批評を書いたりはしない。

 パーカー・モット(Parker Mott )がThe Dark Knight Risesの初期のレヴューに対する怒りに満ちたファンの反応について素敵なエッセイをものしているが、その出だしはこうだ。

 「映画批評は重要だと思う。なぜなら映画に関する真実、美、知恵についての妥協のない追究の営みだからだ。社会的・文化的なパターンをスクリーン上の物事に紐付ける営みだ。映画批評がなければ、ある映画が感動的であるとか、大名作であるなどと思慮深い討議を交わすことはできないだろう」 

 そうした批評文によって、そうした議論や思慮深い討議によって、私たちの映画に対する審美眼は鍛えられていく。自分自身のものと相容れない視点に曝されるからと言って、恐れる必要も怒る必要もない。別に自分が傷つけられるわけじゃない。ただ自分のものの見方(perspective)を拡げ、自分が好きでやまないものについて、自分はどうして好きなのか再び考えることを促(うなが)し、もしかしたらまた異なる見方を与えてくれるのだ。

 私はゲーム批評についても同じように感じている。自分が好きなゲームについて上手に書かれたレヴューを読むのは大好きだ。自分自身の感覚を結晶化するのに役立つし、自分がどうしてそのゲームに感動したのかについて理解を深める助けになる。

 しかしながら、自分が賛同し得ない、自分が持っている確固たる意見について反論しているレヴューからのほうが学ぶものは多いのかもしれない。私が賛同し得ない内容の優れたレヴューによって、私は自説を変えるかもしれないが、変えないかもしれない。いやたぶん変えないだろうが、そのゲームについて違った角度から見ることを促し、別の見方を与えてくれるのだ。そういう経験を積み重ねてきたことによって、私の審美眼は、特定のゲームに対するものだけではなく、ゲーム一般に対して養われてきたのだ。究極的に、批評というものは、ある映画が観るに値するとか、あるゲームがプレイするに値するとか、そういうことを伝えるだけのものではない。それは私たちが大好きなものに対する審美眼を拡充するための対話(dialogue)なのだ。

 そう、対話。理想的には、積極的に関与しあう熱心なファンと批評家の間で執り行われるべきものだ。もちろん、AmazonやTwitterやそのほか数え切れないくらいの場所で大勢の人々に対して自分の意見を表明することは一昔前と比べようもないくらい容易にできる。だが、意見がたくさんあるからといって、建設的な対話もたくさんあるとは限らない。映画に関するすべての意見が映画批評ではないし、ゲームに関するすべての意見がゲーム批評ではない。
 

 モットが述べているように、「映画"Avengers"に5点満点中5点の評価をつける。だってすっげー映画だし、スカーレット・ヨハンセンがめちゃくちゃセクシーでやばいから、というのは映画批評じゃない。ただのファンボーイのオーガズムだ」

 そして、大洪水のように押し寄せるコメントが、ある作品やあるアート形態についてのより大きな議論に関して何一つ「本質的」に貢献していないという事態にフラストレーションを抱くとしても、それは耐え忍ぶに値することだ。人々が「本質的」な物事を語るべき権限を与えられている、そのコミュニティに参加する特権を保持するためには。

 私のTwitterフィードには、The Dark Knight Risesの一部のレヴューに対して怒りの声をあがているファンたちに関する会話がある一方で、あるゲームの、例えば性的暴行についての描き方、宗教的存在の描き方などについて、一種のデ・ファクト・センサーシップ(事実上の検閲)を持ち込むべきか否かという会話もある。

 それについての私個人の率直な意見は「ノー」だ。ゲームやその広告宣伝について本質的な意見を表明することも、そういう意見に曝されることも、なんら危険をはらむことではない。逆に、そういうことへの関心や表現こそ必須(vital)なものだ。映画、ゲーム、そのほかの作品を製作する側には、どんな主題や対象を取り上げ、どう取り扱うかについての自由があるし、そうしたアート形態について情熱を有している私たちも、意見を自由に述べ、批判し、ある部分は侮辱的であるとか、有害であると主張することができる。

 それこそ、昨今アートに関して行われている社会的対話にとって欠かせない部分なのだ。話すことをやめてしまえば、映画やゲームについて特に深く理由も述べずに「すげえ」とか「くそだ」とかしか語らなくなったら、モットの言う「真実、美、知恵についての妥協のない追究の営み」を放棄してしまうことになるのだ。 

 だから是が非でも議論に割ってはいるべきだ。自分の意見を述べよ。そして意見の多様性を受容せよ。それは自分にも有益で、自分の大好きなものに対する審美眼を養うことになる。自分が好きでもないものを誰かが好きだったり、自分が好きなものを誰かが嫌ったからといって、動揺したり怒ったりする理由はない。それが、自分や他の多くの人々が長いこと待ち望んだもの、例えばThe Dark Kinight Risesだったり、Assassin's Creed IIIであってもだ。思慮深い討議と議論が対話を促進し、私たちは真実、美、そして知恵にまた一歩近づけるのだ。恐怖や敵意はその妨げでしかない。

**********

 うーん、無邪気なまでにリベラル。 

 デンヴァーの事件を絡めたり、それをネタに揚げ足を取るのはさすがにやめておこう。  

 それ以外でひとつだけ言えることは、おそらく引用されているパーカー・モットのほうは気がついていることだが(キャロラインは気がついているかどうか不明)、こうしたオンラインのファンの憤怒の大洪水という事態が(最近ではもうかなり見飽きたものだが)、メタ的に「社会的・文化的なパターン」をそっくりそのまま映し出していることである。 

 パブリッシャー(大企業!)や開発者という「権威」が否定されたのが、BioWareのDA2、ME3、あるいはBF3、CoDMW3の騒ぎ。他にも例はたくさんありますね。

 今回のThe Dark Knight Risesでは、批評家という「権威」が否定されているわけだ。 

 この流れはもうとめられない。

 もちろん、インターネットの力が必須であった。だがこれは十分条件。

 必要条件は、民主主義への疑念。その否定。制度疲労。でも、それを代替するものが見つからない焦燥感。 

 インターネットで皆が皆自分の意見を表明するのが、究極の民主主義じゃないの?

 どうして民主主義への疑念とか否定になるの? 

 その話は長くなるので、詳しくはまた今度にするが、簡単に触れておきましょう。

 民主主義が前提としているのは多数決の理論。平たく言えば、意見の相違はだいたい真ん中近辺、中庸・平均あたりで収束するという前提に立っている。 

 もはやその世界が成立しなくなってきた。なぜか。権威が地に墜ちた。権威が権威とみなされなくなったから。 

 意見集約の「権威」であるはずの政治家(ロウメイカー)たちが何百人も集まって議論を尽くせば、全体として「悪いようにはならない」結論が出るはずだった。「おそらく正しい方向に向かう」結論が出るはずだった。民主主義の基本。

 EUを見ても、USを見ても、日本を見たってそんな結論はここのところ出ていない。
 「権威」は「無能」、「決定不能」を指し示すことになった。各国の政府や中央銀行がいまやどう取り扱われているか見ればいい。

 優秀な科学者たちが頭割れるほど考え、大勢で「思慮深い討議」を尽くせばやがて意見は収束の方向に向かい、(きっとあると思われてきた)「真実」に近づけると考えられてきた。これも「民主主義」。 

 だが例えば科学者たちは、足下の核燃料発電問題について、なんら解答を出せていない。騒いでいる連中と言えば、物理も数学もまったくできない(できるとも思えない)輩ばかりだ(私もどちらかといえばできない方だが、もちろん騒いではいない)。
 「権威」はなにか邪悪なものとして取り扱われるようになった(もちろん「核燃料発電ムラ」には邪悪な部分が間違いなくあったのだが)。

 EUの破綻の有無、その影響度合いを予測できる経済学者もいない。それどころか経済学者を集めればその頭数だけ異論が出てくる。 

 環境問題もしかり。 

 もちろん、政治・財政や核燃料、地球環境の話と違って、映画やゲームで人は死なない・・・、と書こうとして・・・。うう。

 もうやめておこう。

 

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