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2012年8月25日 (土)

力は悪である。

 「力」=「悪」、そして「正義」について、最近の産経新聞にふたつのエッセイが載っていた。

 まず「力」から。

 作家・曽野綾子氏は、おそらく自分のエッセイのネット公開を認めていないので、リンクは引用できない。
 私は本紙で読んだのだが、以下の字句で検索するとヒットするかもしれない。

 小さな親切、大きなお世話 領土奪還に必要な「力」 作家 曽野綾子

 本日、私が検索でヒットしたものはブログ主の手打ちの引用らしく、誤字脱字、漢字かな遣いの変更があるし、いつまで残っているかはわからない。
 なお、このブログをイデオロギーで貶めてはならないから、その手のサイトは注意深く迂回して見ている(品性下劣ならぜんぜんかまわないけど。しょせんゲームブログだし)。

 文脈は当節の外交問題、具体的には竹島に関するものであるが、次の一文が気になった。

"日本人はオリンピックに熱狂するときだけ、「力」というものを礼賛した。オリンピックは体力を示すと同時に、持続する力、耐える力なども要るからだ。
そしてこの時だけは、「勝った、勝った」と喜んでも無難だと敏感に感じたのだろう。それ以外の力は、現代ではすべて悪と見なされる面がある。"

 ここでいう「力」とは、「暴力」を指している。厳密には、他者を自らの思い通りに動かすことのできる力、他者を屈服させ、あるいは出し抜き、さらには抗ってもムダだと黙らせる、闘争の現場から排除する(結局自分の思い通りにさせることのできる)力のことだ。当然、他者を死傷させることも含む。

 曽野氏は「力」の一種として、武力・闘争力(抑止力としてのそれらを含む)、お金、胆力、直観力、企画力、組織力、性的魅力などを例にあげている。

 ところで、このエッセイの本題は言葉による「表現力」という曽野氏のいうところの「かなり平和的な武器」のことである。
 (言葉は「専ら」かなり平和的である、という点には確かに私もアグリーだが、「常に」ではないのはいうまでもない)。

 そして言葉について、曽野氏は昨今の政治家たちが「粛々と」、「厳正に」、「しっかりと」などの、表現力の貧困な人たちの自己満足の常套句ばかり使うと手厳しい。それらの言葉で他者を動かすことなどできないと断じる。
 (私から言わせれば、これらはまさに「思考停止」的発想の語彙である。さすがに小説家の曽野氏としては引用すらも憚っただろうものに「きっちり」、「きちっと」という当代政治家たちの最頻出副詞もある。連中の発言でこういう語彙が登場した瞬間に私も思考を停止することにしている。なぜなら、それらはなにひとつ意味あることを語っていないからだ。えーと、「政治家はなにひとつ意味あることを語っていない」とすると、上は冗長だな)
 
 ともかく、引用文で気になったのは、「それ以外の力は、現代ではすべて悪と見なされる面がある。」というところである。
 果たしてそうなのか。(答えを先に書いてしまえば「まさしくそのとおりだ」ですけどね)

 まず「それ以外の力」とあるように除外された「力」とはどんなものか。

 近代以降のスポーツでは、まず人は死なない。たまに痛ましい事故は起きるが、そもそも人(選手、審判、観客など)が死なないようにルールや防具・施設などに様々な工夫がされている。
 でも峻険な山岳の登頂、ヨットなどによる遠洋航海、そういうので人は死ぬではないですか。登山やセイリングはスポーツではないのですか?
 違うとしたら、ではなんと呼ぶのですか?

Adventuring
「冒険!」

 「スポーツ」にハンティング、トローリングなどのフィッシングを含めるなら人以外の生き物は死ぬ(ワイヴァーン狩りではたまに人も死ぬが)。また競技施設を作り運営する段階で虫や小動物は死に、レーシング・サーキットではのこのこ出てきた蛇なども死ぬ。それらはおいといて。 
 オリンピックで私たちが目にするのは管理された「暴力」、手加減された「暴力」であり、暴力ではない。

 次に「現代では」のところは、「現代の、特に日本などの先進国に代表される国家群では」と読むことにする。
 そうした国家群では、オリンピックに代表されるスポーツなどの管理された「暴力」以外の暴力は「すべて悪と見なされる面がある」。
 
 まさしくそのとおりだ。(それはもう書いた)

 そしてまごうかたなき悪であるはずの暴力は、全て国家が手中に納めている。国家独占事業である。
 「国家」は他の国家の存在・認知があってはじめて成立するので、そう呼べない場合、あやふやな場合は「体制」と呼んでもいいのかもしれない。

 国家は他者が暴力を手にするのを執拗に嫌う。また何があっても手に入れたそれを決して手放さない。
 どうしても手放させるためには、例えばNATO軍による熾烈な空爆が必要になる。国家基盤が完膚なきまでに叩かれないと手放さない。手放すもなにも、その時は行使できるような暴力を有していない状態になっちゃってる。

 でも引用文の最後は「見なされる面がある。」ですよね。あなたの主張は「常に例外なくそうだ」となるから、曽野氏の見解を超えちゃってるよね? 拡大解釈ってやつ?
 私も彼女の真意はよくわからないが、「見なされる」(perceived)だから、実際にどうかではなく、個々人の主観(perception)では概ねそうだ、ということかな。暴力が国家・体制に占有されていることから生まれる、「国家・体制」=悪、という直感的なイメージを言っているのですかね。
 
 あるいは、曽野氏が例えば今回のような紛争解決には、あんまし人が死なない「かなり平和的な」武器(=悪)である表現力を用いなさい、そういう力を身に着けなさい、鍛えなさいと主張しているのであれば(そうなんですが)、悪と見なされる「力」にも有用なものがある、という意味かな。
 身に着けるのは誰かって? いうまでもない、国家=為政者でしょう。

 理想主義的(空想的?)平和主義者には申し訳ないが、口先三寸、「はったりの天才」だけで国際政治を乗り切れるわけではない。言葉で他者を動かすためには、その裏づけとして軍事的打撃力や経済制裁力などの暴力の存在が必要である。
 幸いにして日本は、そのどちらも有している(と見なされている!)から、国会でのんびりと大騒ぎしたふりしていても済んでいる。今のところは。
 「どでかい棍棒をテーブルの横に置いて、静かに話す」。USが常に用いたがるこのポリシーが残念ながらいつも最強なのだ。人類は石器時代から進歩してないのね。

 いつになく短い? だって曽野氏のエッセイに「下手な文章ほど長くなる、というのは私たち(引用注:文章家)の間では常識だ」ってあるから(笑)。

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