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2012年8月13日 (月)

悪魔と天使。

 前の記事で、書きたかったこと。

 もう、これ引用するの三回目かな。でもあまりにどんぴしゃなので何度でも使っちゃう。

 カート・ヴォネガット(KV)の「国のない男」("A Man Without a Country")の冒頭のフレーズ。

"There is no reason good can't triumph over evil, if only angels will get organized along the lines of the Mafia." (KVの署名)  

 日本語版訳者の訳。

 「善が悪に勝てないこともない。
  ただ、そのためには天使が
  マフィアなみに組織化される必要がある。」

********** 

 「天使」は辛く、孤独である。なぜなら、誰にも頼れないから。頼ってはいけないから。それでも勝たなければならないから。

 先日ある舞台を観ました。知り合いも出演しているし、こちらの素性がばれるのがイヤなんで(世間のしがらみに縛られてここに好き勝手書けなくなるのがイヤ)、どういう演題かは勘弁してもらう。

 そこに「悪魔」と「天使」が登場する。

 「悪魔」は、ちびで、頼りなく、力もなく、そのくせ饒舌でのべつ幕なしに妥協主義、宥和(ゆうわ)主義、事なかれ主義な発言を繰り返す。あんまし使えなそうな営業マンとか、店長とか、黒服さんという感じ。「まあまあまあ、そういわずに」、「みんな仲良くしようよ」、「けんかするなよ」、「がんばればできるよ、きっと」。常時半笑いしている感じ。

 「天使」は、でかく、逞しく、男前だが、一緒に観たお嬢に言わせると、「歌舞伎町のホストみたい」だと酷評。まあ、確かに私に言わせれば、今風仮面ライダーなんちゃらの主役みたいだともいえる(実際、そういう世界の俳優も何人か出ていたようだ)。
 粗暴で、ケンカっぱやく、人あたりはとげとげしく、大声で威嚇するくせに、その振る舞い自体が厚い殻に閉じこもっていることをうかがわせる。「どうせ無駄なんだ」、「これ以上がんばってどうする」。常時眉間にしわを寄せている感じ。 

 ところが途中、なぜ「天使」がそういう役どころであるか仄めかす、はっきり言ってしまえば「説明」してしまうところがある。
 まさかとは思うのだが、脚本家はこのテーマが大の大人の観客たちにわかってもらえないと思ったのだろうか。観客席は満員だったが子供はいなかったと思う。第一、子供が観る種類のものではない。

 「悪魔」と「天使」をとてもいい感じで表現していたのに、その説明が冗長であった。ちょっと残念。 

 悪魔自身は強くある必要がありません。なぜなら、他者を利用することができるから。人の力を使って、自分の欲望を実現できるから。あるいは人を操作することで、その欲望を達成させ、それを眺めて悦楽を得ることができる。それが悪魔の欲望、目的かもしれない。

 悪魔は、言葉さえ使うことができれば、周囲を、世界を思い通りに操ることができます。他者のちょっとした邪悪につけこみ、それを言葉巧みに増大させ、「悪の道」に誘導する。その意味で、悪魔はロジカルで、饒舌でなければならない。
 実はことさら「嘘」をつく必要すらない。なぜなら邪悪の種はすでにその他者の中にあるから、それをちょっと育ててやればいい。もちろん、結果的に行き着く先(悲惨な顛末)があらかじめわかっているのに伝えない。それも広い意味では「嘘」であるけど。

 天使は、善は他者を利用してはならないとすれば、誰にも頼ってはならない。戦いは基本自分ひとりだけのものです。事態はひとりで決着させなければならない。だから根源的に強くなければならない。肉体的な力でも精神的な力でも決して負けてはいけない。常時崖っぷちにたたされて、それこそ「ライジング」ではないが無理な登攀(とうはん)、大ジャンプを求められているわけだから、もちろん無口になるし、眉間にしわは寄るし、他者を巻き込むことを避けるためには、超然とした、あるいはつっけんどんな態度にならざるを得ない。 

 こう書いてくれば、まず「ダークナイト」のジョーカーとバットマンが当てはまるのがおわかりだろう。

 映画「ライジング」には、ブレイクから正体を曝したほうがいいと忠告されたバットマンが「マスクを被らなければ、周囲を事態に巻き込むことになるのだ」と嘯(うそぶ)くところがある。「あんた独身主義者だから関係ないじゃん」とつっこまれていたけど。まあ、独身主義者だって守るべき人はいる。
 バットマンがマスクを被るべき本当の意味は、やりどころのない「憤怒を隠すため」なのだ。それを仄めかすブレイクのせりふは本記事の末尾に。 

 映画「スターウォーズ」に目を向けてみれば、エピソード3のジェダイ・ナイツは、もはや完全に上述の「悪魔」のステータスまで堕落していたことがおわかりだろうか。手ごわい敵の姿が視界から消え去った善の騎士団は、権力の中枢で権勢を誇り、その振る舞いは傲慢なほどだ。頑なに旧来の規範を墨守し、周囲で密かに起きている事態を見つめる目も曇っていく。
 ジェダイの感性は、目の前の仇敵を見破れないほどまで鈍っている。いくらシス卿が欺瞞の天才だって、四六時中行動をともにしているのにその邪悪を感知できない、ってことはないはずだよね。DnDパラディンなら失格だ(いやDnDパラディンじゃねえし)。

 そしてヨーダとオビワンだけが生き残る。ふたりだけが規格外のジェダイだから生き残った。もちろんふたりとも(クワイ・ガンも)無茶苦茶つおいこともあるのですが、それだけでは足りないことが、マスター・ウィンドゥの悲惨な最期で示されているわけです。

 オビワンの師匠であるクワイ・ガンは、その時代屈指の悟りを開いたジェダイであったが、過激な(リベラルな)思想のためカウンシルから放逐された「はぐれジェダイ」だ。その奇抜な行動(研究)を許したのはヨーダで、ヨーダは自らの弟子(パダワン)をクワイ・ガンに託している。それがオビワン。ヨーダはクワイ・ガンをそこまで信頼していた。 

 陳腐だが、絶えず価値観の揺らぎがなければ権力・組織は内側から堕落・腐敗し、無能化していく、そういう寓意でしょうかね。冒頭のヴォネガットの箴言(しんげん)に照らし合わせれば、「マフィア並みに組織化されたジェダイは強い。だが、やっぱりマフィア並みに堕落していく」ってことかなあ。

 そして、ヨーダもオビワンも、ジェダイの復活だけを胸に秘めて長い期間隠遁生活に入る。つまり上でいう「天使」のステータスに移行したといえる(いや、元からそうだったのがよりハッキリわかるようになったということかな)。誰にも身分を明かせず、誰にも頼れない孤高の身であるが、それに耐えうる悟りは開いていたんですね。

 エピソード6のルーク・スカイウォーカーは、すでに悟りを開いた姿で登場する。もはや手のつけられないワン・マン・アーミーになっており、たったひとりでも向かうところ敵なし、かつての仲間の助力すらまったく必要のない存在となっている。だが心の奥底に秘めた妹の存在をヴェイダーに看破されたところで、思わず自制を喪ってしまうってのが特筆すべきところでしょう。「天使」の類型そのものですね。 

(ええと、R2などのドロイドは「他者」じゃないので、利用してOK。そうじゃないとルークはエピソード4冒頭ですでに奴隷を使役していることになる。邪悪!) 

 そうみていくと、ノーランの「バットマン三部作」も、映画「スターウォーズ」も、わりと純粋な善悪の話、それが言いすぎなら「悪魔と天使」の話であることがわかる。 悪魔にはいろいろな類型があって、ぶっちゃけなんでもありであるが、天使にはたったひとつの類型しかないし、それを貫くのは窮屈きわまりない、ということがわかればいいかと思います。

 Dragon Age、Mass Effectにもちょこっと触れておく。お気づきのとおり、そこまでハッキリとした善悪、あるいは悪魔と天使の物語ではない。あえて「類型」を避けている、ともいえる。

 たとえば、DA:Oのローゲインのオステガーでの裏切りはどうか。王の大軍を見殺しにしたというその事実の見た目は確かに邪悪だ。だが(彼の危惧が正しいかどうかはともかく)ブライトの軍勢との戦いで兵を損耗することを避け、彼がより大きな危機とみなしていたオーレイとの戦いに備えたというのが本意だったら、どうか。

 MEのジェノフェイジはどうか。出生率抑制はやはり形式的に邪悪だろう。
 だが出生を抑制しなければクローガンの人口が爆発的に増加して、結果全銀河に災いをなすのであればどうか。

 これは、サイファイの世界の話ではない。今でこそ犯罪発生率がマネジャブルとなったUSの大都市ですら、かつては高い出生率が(格差・貧困とあいまって)治安悪化の原因であったのだ。ガン・コントロール云々は副次的な問題で、本質論はバース・コントロールだった。そしてそれはUSにとって宗教的にもっともコントラバーシャルなテーマのひとつだから悩みが尽きない。
 あまり知られていないが「アラブの春」の前に葬り去られた欧州の独裁者チャウシェスクは、出生率増進策を国力増強の手段として用いていた。育児放棄が増加して大問題となる。かの国の一人っ子政策も逆向きの同類。マニピュレイションには違いない。

 アフリカの貧困国では人口が増えれば貧困が増す。生産手段が限られている以上、これは当たり前だ。だが一方では若年層の寿命も当然のように短い。飢餓、疫病だけではなく兵士として戦って死ぬこともある。産むはじから子供が死んでいくことを予想している親に、もう産むなと誰が言えるのか?

 個人的に、さらに邪悪だと思うのは今でも大陸国が恒常的に実施している少数民族の民族浄化、あるいはデポーテーション(民族強制移住)だ。だいたい人間を「マス」(mass)で考えればその瞬間に邪悪な発想が忍び込む、と考えるといい。

 MEのイルーシヴ・マンは他者を躊躇なく利用するから邪悪だ。それは間違いない。だがその目的が(彼が言ったように)ヒューマニティの存続と繁栄であったなら、どうか。いや邪悪であることは避けられないが、高尚な目的のある邪悪はどうか。そんなものは最初からないのか。 

 BioWareのシナリオの売りは、そうやっていつまでも結論の出そうにないテーマをこれでもかと投げつけてくることにあったのだ。「大人の」ロープレだった。
 

 残念ながらDA2では、少しは残り香があったとはいえ「悪魔と天使」論に大きく偏ってしまった。もちろんオシノが悪魔で、メレディスが天使だ。 

 オシノは、最後にアンダースから罵倒されたように、現状を守るのに汲々として、自分たちがいかに虐げられた弱者であるか不平不満をたらたら吹聴するが、結局グランド・クレリックの介入を待ち、妥協的結果を期待しているだけである。メイジの叛乱に加担するわけでもなく、掣肘するわけでもない。事態を傍観しているだけだ。傍観もまた、消極的に他者を利用しているといえるのだ。
 本来いじめ問題は傍観者まで罰せられるはずだ。いや、昔なら「あんたたち、よしなさいよ!」と介入してくる女子委員長が必ずいたから学園は平和だった。(ちなみに必ず「女子」です。別に天使だからってわけじゃなく。天使に性別は最初からないだろうし)
 そのくせオシノはこっそりブラッド・マジックに手を染めつつ、その発覚を隠すためならどんな嘘でもつく。 

 一方、メレディスは絵に描いたような天使キャラだ(つまり女子委員長キャラ)。いぶかしそうな顔をしている人がいるので言っておきますが、天使が最終的に正義や幸福をもたらすなんて、一言も言っていません(悪魔は必ず災厄をもたらすのですが)。

 何度も言うように、天使には道がひとつしか用意されていない。一歩でも踏み外せば奈落の底だ。それを堕落(だらく)という。メレディスもはしごを踏み外した。Fallen、堕天使としてお亡くなりになったわけですね。 

 ME3ではイルーシヴ・マンが完全な「敵対者」となってしまって彼のトリッキーな立ち位置の妙味が薄れた(なくなった)。シェパードの警告をガン無視し続けたカウンシルではなく、彼に絶大な信頼を寄せるハケット提督が指揮官となって、後顧の憂いまでなくなった。

 「おいおい、勘弁しろよ、こんなの選ばせんのかよっ!」と悲鳴を上げて喜ぶのがBioWareゲームの愉しみ方だったのだ。 

 その思い出も遠くなっちゃったねえ・・・。

**********

 「ライジング」で密かにすごいと思った(連れに言っちゃったから「密か」じゃなくなったが)のが、ブレイク刑事が孤児院の子供たちを連れてゴッサム・シティから脱出するため橋に到着するくだり。

 橋の向こう側にはゴッサムに隣接する管区の警官隊が待機していて、誰一人通過させないように見張っている。一人でも逃がせば街全体を中性子爆弾で吹き飛ばすとベインから脅迫されていて、上層部はその脅しを信じているからだ。
 警官隊の隊長はその命令を鵜呑みにして、じりじりと近づくブレイクに威嚇射撃を繰り返し、最後は物理的に通過させないように、橋そのものを爆破してしまう。

 「話せばわかる」などと甘い結末を期待していた観客は絶望に打ちひしがれる。
 私も意表をつかれたが、その後はやっぱノーランわかってるわあ、と感激していた。

 状況や周囲の環境を一切考慮せず、自分の目を信じず、命令墨守。「秩序にして中立」、ロウフル・ニュートラルの類型なんですね。

 秩序にして中立のアライメントは、よくジャッジ(判事、裁判官)に例えられるが、そんな格好いいもんじゃない。私に言わせれば下級官僚、木っ端役人のアライメントだ。

 でも隊長にだって、言い分はある。ベインの脅しが本当なら1200万人の命と、目の前の10人ちょっとが引き換えになる。それを天秤にかけろっていうのか?!
 いやあ、天秤にかけちゃいないだろう(天秤にかけた瞬間にそれは「正義」ではないのだが)。ただ命令に従っただけだろう。それが一番良心の呵責を感じなくて済む。

 ちょっと待て。それは「上層部」っていう「他者」を利用しているよね? 
 そう。邪悪にはいろいろな形があるんですね。

 余談ですが、そのちょい役の隊長役の役者がまたいいんですよ。あちら、どんだけ層が厚いんだって感じ。

 

 さて、ブログ書いていたらテンションあがってきたので、リドリー・スコットの「プロメテウス」先行ロードショウでも観てきますね。善悪とは関係ないだろうから、気楽に観れるかな。 

**********

Not a lot of people know what it feels like to be angry, in your bones. I mean, they understand, foster parents, everybody understands, for awhile. Then they want the angry little kid to do something he knows he can't do, move on. So after awhile they stop understanding. They send the angry kid to a boys home. I figured it out too late. You gotta learn to hide the anger, practice smiling in the mirror. It's like putting on a mask."

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コメント

メレディス天使論。いやその通り。本来テンプラーはそうで無きゃいけないの。純粋無垢なパラディン。
ところが彼女は自らの業というかメイジだったお姉さんの業、それを負ってしまったが故にどっかでねじ曲がってしまい、道を踏み外した。リリウムとかは後付け。

ただ、オタクだけに売っていては商売成り立ちませんよねえ……。勧善懲悪が何故売れるか。安心感があって「ハズレはない」と消費者に思わせる、ほとんどのハリウッド映画はそうでしょう。(ボリウッドはもっと)
やはりある程度「判りやすく」しないと駄目っぽい。そもそも買った人の半分しか最後まで行かないとなれば、なおさら。

> 「おいおい、勘弁しろよ、こんなの選ばせんのかよっ!」と悲鳴を上げて喜ぶのがBioWareゲームの愉しみ方だったのだ。 
いや、結構まだまだありますよEvil pathを選べば(にま

>勧善懲悪が何故売れるか。
 
 あちらのオタク方面を含む若者たちから信じられないくらい絶賛されている「ライジング」、「アヴェンジャー」を見比べて思ったのですが、今の(アメリカのあんちゃんたちの)好む題材には、勧善懲悪+やり場のない怒りの吐露、この両方が含まれているようです。

 あるべき世界(理想)への願望と、どうしようもなく残酷な世界(現実)への憤怒と諦観なんですね。

 
 かつては別々のジャンルでしたよね。後者だとジェームス・ディーンの時代から始まる一連の怒れる若者ストーリー、無頼漢、レネゲイドものがジャンルとしてあった。タランティーノなんてそんだけで食っているようなもの(食えているかどうかは知らない)。
 
 前者が「善」、後者が「正義」を取り扱っていると割り切ることもできそう。いつまでも答えの出ない究極のテーマ。BioWare作品に惹かれてしまうのも、そこらへんをおさえてくれていたからなんですけどね。

>Evil path
 確かに。でも昔のBioWareのEvil Pathなら、ホークはアンダースと一緒にチャントリー爆破を先導したかもしれないですよね?
 

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