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2012年8月18日 (土)

Prometheus再訪

 と言っても、もう一回観たわけではない。また観ようかなとも今のところ思っていない。

 ところが「アヴェンジャーズ」は、もう一回観ないといけなくなりそうだ。なんとなーく、観にいきそうだった人に(あ、ここは自慢ですが妙齢の女性)「いやあ、忙しそうだからひとりで観ちゃったんだよねえ」とメールしたら、「どうして一人で観るんですか?」となじられた。

 「あっ、でも前半すっげー寝てたから、また観てもいいかなあとか。言ってみただけだけど」

 読み返しても下心満載のイヤな野郎のメールになってるな。しかも、最後の「言ってみただけ」は、あれだ。断られてもいつでも脱出できるように準備している、情けない野郎の安全弁か脱出ポッド・・・。
 さらに、前半うとうとしてたのは事実だが、筋を見失うほど爆睡していたわけではないので、「嘘」まで入っている。

 (もっとも、予告編を観る限り、自分はスターク(アイアンマン)のくだらないせりふをいくつか見逃していたようでもあり、そこは(そこだけでも)ちゃんと観なおしたいかな、と思ってた(と、後から無理やり意味をこじつけた)。

 観にいくことになっちゃいました・・・。結論、男はバカです。 

 本題は「プロメテウス」について。先日書いたとおり、なんかよくわかんなかったんだよね。わかんないだけならいいんだけど、実際に意味あったのかしらねえ、と悩んでいた。

 「ほんとに何にもなかったのか」とあの後ひとりで結構うなっていた。

 「何にもなかったな」 "There's nothing to learn. "は、前回の関連記事で引用したとおり、「プロメテウス」の登場人物のひとりピーターの台詞である。その奥深い意味を語るとプロット的に結構なネタバレに触れてしまうのだが、もうロードショーもはじまっちゃったから、少しは仄めかしちゃってもいいかもしれない。本文末尾に記載。 

 特にあの、主人公であるエリザベス(ショウ博士)の擬似出産(堕胎)は意味がわからなかった。そこだけなら手の込んだスプラッターのノリであるし、確かに描くグロさも斬新なんだろう。スプラッター・ムービーは言うほどあまり観ていないけど。

 でも、ご承知のとおり人間がエイリアンを(擬似的にでも)孕むイメージは、シリーズ通じて何度か繰り返されてきたし、被害者(宿主)は男性も女性もいた。それはもう、「エイリアン」の恐怖シーンといえばあの擬似出産シーン。それと不気味な化け物が誰かの顔に飛び掛ってへばり付くシーンとで双璧でしょう。
 成体そのもの(いわゆる「エイリアン」)が登場するよりも生身の肌(肉体)に直接接触するおぞましさがあって、ずっとインパクトが強いんじゃないでしょうか。
 それをまた、なんでいまさら繰り返すのかなあ・・・。 

 そんなことで悩みながら、やりかけの読書を続けようとして、(もはや読書を始める前の儀式となってしまった)Amazon.co.jpでよく読む著者のチェックをしていたら、内田樹氏の「映画の構造分析」という、比較的古い本が目に留まった。
 映画「エイリアン」も分析しているという触れ込みなので、その部分がひっかかったのかもしれない。で購入(私の場合、ゲームと書籍の購入判断はほんとに一瞬です)。 

 そこから大きなヒントがいただけた。そしてさらに大きな疑問も生まれた。

 まず内田説。ご承知の方も多いかもしれないが、彼は(通り一遍の)フェミニズムに対する批判者でもあることは言っておかないといけない。

 普通に映画好きであれば誰でもわかるように、リプリーは「ジェンダー・フリー」の主人公である。当時からフェニミストに絶賛され、その後ハリウッドは「自立した女性像」を大量生産しはじめ、現在まで続く。

 「白馬の騎士の手を借りずに姫がドラゴンを倒す」モチーフは、ハリウッドではこれが嚆矢だそうだ(後述するが実は「再発見」かもしれない)。 

 「ジェンダー・フリー」ということは、「女性を武器にもしていない」。そこが重要。性差が(表面上)「無関係」であるってことですよね。 
 対して(成体の)エイリアンは、どう考えても「男性」の象徴である。あっさり言ってしまえば「男根」の象徴。

 リプリーに対して、作中登場するノストロモ号のクルーの野郎どもは皆クソの役にも立たない。それどころかもうひとりの女性クルー、自己主張しない(フェミニンな役どころの)ランバートも結局何もできずに終わる。クルーの中で唯一事態に自律的に向き合っているのが皮肉にも「性別」のないアッシュ、アンドロイドだけである。(あの猫の話は置いておこう) 

 内田説によれば、この表層の「ジェンダー・フリー」の物語を、つまり「女性主人公の自立を」、映画は「これでもか」というくらい執拗に妨害し続ける。考えようによっては「あぁ、あたしってばバカ、やっぱひとりじゃもともと無理じゃん」と無力感に苛まれても不思議ではない状況に追いやられる。 

 一番重大なことは、エイリアンの擬似出産で象徴される、「産む性」である事実とそれへの嫌悪と恐怖という相容れない二面性。映画は、「女性であり続け、かつ女性であることを忌避する」両立しがたい要請を両立させる物語を語らなければならない。 

 事実、リプリーは作中なんども暴力的に押しつぶされそうになる。アンドロイドのアッシュに(擬似)レイプされそうになるシーンのむき出しの暴力の壮絶さ、めちゃくちゃさはなかなか忘れることができませんよね(内田説では、あそこのシーンにこそ大量の性の記号が示されている)。

 内田説は、さらに脱出直前のリプリーと生き残っていた他二名のクルーの不可解な行動について詳説します。なぜ、必要とも思えない酸素冷却材を大量に探し出す必要があったのか。なぜ、行方がわからなくなった猫を探さなければならなかったのか。
 前者が男性、後者が女性を示す記号だからだそうですが、これ以上書くにはただ内田説をコピペする他ないので、ご興味があれば本をお読みください。ノストロモ号の自爆装置もまた男根の象徴(つか、自爆自体が男性の象徴)であったなどと、例証が次々と出てきます。 

 そしてクライマックス。私は1979年版を観たときのことを今でも覚えています(画面をちゃんと観ていられなかったから音響効果だけはよくわかったのです!)。
 長い間、リプリーの激しい喘ぎ声しか聴こえませんね。内田氏は、汗まみれのリプリーが最後に見せる表情も絶頂に達した女性のそれに見えると言う。

 ジェンダー・フリーなヒロイン(う、heroinは政治的に正いpolitically correctな言葉ではないのかな)じゃなくてプロタゴニスト(主人公)が、「性」と無差別に活躍するためには、膨大な「性」に関する記号の波の中をのた打ち回り、喘ぎ、そこからなんとしても逃れなければならない。

 一言で言ってしまえば「ただの女のくせに!」というような圧倒的な固定観念が屈服を迫ってくる。その力と命を懸けて戦わなければならない。 

 あ、なるほどなと、これで「プロメテウス」のなぞのひとつが解けました。 

 「創造主を探せ」なんてどうでもいいテーマだったんですね。

 これはリドリー・スコットが「遣り残した」、自分のリプリーの物語への再訪なんだ。

 だって「創造主」ははじめからわかっているんだもん。リドリー・スコットにしてみれば「私だ!」なんですよ。

 長くなったのと、記事を稼ぐためとで、次回へ続く。

**********

 「何にもなかったな」
  "There's nothing to learn. " 

 大富豪でもあり、ウェイランド財閥の棟梁でもあるピーター老人の今わの際のこの台詞に、なぜいたく惹かれるのか。 

 この台詞には私がここで書く以外にも細かい含意がいくつかありそう。
 たとえばピーターやエリザベスたちが創造主と考えていた異種族(エンジニア)も、人類同様に暴力優先のドアホだったから「こいつらからは、なーんも学べないな」とか。
 だって人類とDNAが完璧に一致してるんですぜ? 同じドアホに決まってるじゃんねえ? 

 高齢ゆえに自分の死期が間近に迫っていることを知っているピーターは、不老長寿の秘法を目当てに「プロメテウス計画」に出資したのです。(映画はリプリーが生まれたとされる2089年から2093年あたりの銀河が舞台ですが、ピーターに扮するガイ・ピアースの醜悪なまでにぼろぼろの顔のメイクからは当時の加齢防止技術を全部使い切っていることがうかがえます(まさか、特殊メイクが下手なわけじゃないだろうし)。 

 人類がいまだ手にしていない不死を、その手がかりだけでも創造主は有しているのではないか。
 ピーターは、私の解釈では「なんだよ、不老不死の秘法はなかったのかよ」と言って死ぬのです。そりゃあ、そんな便利なものはないんですよ、はじめから。

 なお、プロメテウス神話には、プロメテウスが人間に不死の地位を与えようとして失敗した(人類が死すべき宿命を負った)くだりがあります。また人間が一度奪われた火を再度与えた(つまり人類に文明を与えた)のもプロメテウス。これは映画内でもピーターが述べているし、有名なんでご存知でしょうね。

 ピーターが莫大な資産を用いてプロメテウス計画を実現させたという事実は、この物語が成立するためにゼッタイ必要なものだったのだが、彼の動機づけは「創造主探し」(人類に文明を与えたプロメテウス探し)ではなく、「不老不死」(人類に不死を授けようとしたプロメテウス探し)だった。そしてそれは最初からアタリ牌ナシ、意味ゼロだったんですね。
 彼のゲームは、始まる前から終わっていた。
 皮肉としては素晴らしいと思います。 
 ここに「性」の記号を無理やり見つけるなら「回春」ですね。永遠の支配を追求するという「父性」の意味もあるのかなあ。

 思い出すのは、「もののけ姫」ですね。あそこでは不老長寿を求めるミカドから、「カミの首をとってこい」と命じられた朝廷直轄のスペシャル・フォーシズが終盤に大騒ぎをやらかすが、派手なわりには、実は本筋(テーマ)とまったく関係ない。話をガンガン進めるエンジンとしてしか使っていません。

 そしてピーターに応じる(すでに首だけになったアンドロイドの、えーと、首だけになったは「去勢」の記号です)デヴィッドの台詞もいい。

 「ですね、ウェイランドさん。道中ご安全に」 
 "I understand, Mr. Weyland. Have a safe journey." 

 アンドロイドは定義上"immortal"、不死。だって最初から生きていないのだから。そして、別のシーンで死に瀕した人間を見ながらデヴィッドは"Merely mortal."、「あっさり死ぬね」と呟く(直訳は「ただの人間(定命)」)。

 これから死に行くものに「道中ご安全に」と呼びかけるのは、死の意味がわからない無邪気な、フィクションによく出てくるステロタイプのアンドロイド(あるいは人間の子供)なら場違いなコケティッシュさがにじみ出て逆に涙を誘ったりするのだろう。ピノッキオの物語。

 だがデヴィッドは、人間の生死、業(ごう)について、まるで彼のライフワークのように熟知している。もちろん教え込んだ(コーディングした)のはピーターだろうが。お気に入りの映画はなんと「アラビアのロレンス」だ。

 その分、この台詞の空恐ろしさが際立つと思います。
 あまり書きたくないけど「人間て簡単に死ぬのかな」とか言って、ほら、あったでしょう・・・。もちろんオウムにも通じるんだ。

 ピーターの「何にもなかったな」を、「やつら、人類である自分たちと一緒じゃん」という失望の意味に捉えると、ピーターの台詞は「あなたたち(人類とエンジニア)は確かにそう、定命ですね。でも、私は不死ですよ?」という意味にもなる。

 デヴィッドを「2001年宇宙の旅」および「2010年」のHAL9000や「A.I,」のアンドロイドに例える向きもあるようだが、それら人工知性の底抜けの、幼児の「無邪気さ」とはちょっと違う。
 「性」の記号は「楽園の蛇」でしょうか。「邪悪なピノッキオ」っていうとB級AVみたい。だってお鼻が天狗さんの(こらこら)。

 観客たちは、デヴィッドはピーターの娘にあたるメレディスをモデルにして製作されたのではないかと思い始める。あるいは、(私も一瞬疑ったが)メレディスまでもアンドロイドではないのか、と考える人もいるだろう。
 作り手も「そう思われるといいな」と考えていたことは認めているようだ。
 メレディスの「性」の記号は「天使」が言いすぎなら、「天女」、「女神」かな。

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