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2012年11月

2012年11月23日 (金)

七曲船長

 アクセス減るのは世相ネタが悪いのか、BioWare以外のゲームネタが悪いのか、それともろくに更新できない私が悪いのか。(元々言うほど多くもないのはカウンターでお分かりのとおりだし、民主党の支持率みたいにぼっこり減ってるわけでもないのですけど、やっぱ気になる)

「元々つまらないから」はアクセスが少ない理由にはなっても、減った理由にはならないので、指摘しなくて結構です。

 
 お気に入りゲーム(あるいは周辺ジャンルである小説、アニメ、映画など)のネタに絡めずに他のネタを書くのはやめようと決めてブログを始めて、いくつか逸脱したものはあったが、だいたい守ってきたつもりである。いや文章の分量比で言ったらそうでもないかな。
  
 と、言い訳しているということは、これから書くことに世相ネタが含まれるからである。ごめんね。できるだけ目いっぱいお化粧するから許して。

 
 DAのリード・デザイナーのレイドロウ氏の喩えがへたくそというのは、もう何度も続いているので私の中ではすっかり定説として補強されてしまっている。へたくそというか、意味がよく通じないことが多々ある。
 

 喩え(メタファーなど)、類推(アナロジー)こそ、人類を未知の異星人と見分ける際の決定的なカギだというサイファイがあった。誰だっけなあ。
(そういう意味では、Mass Effect に登場するエイリアンは皆、ヒューマン(つか北米人)以上にアナロジーの名手だから、サイファイ・オタクは「えー」と言わないといけないのだ)

 その類推で(こう言えること自体、私が地球人類の一員であるという証明だが)、「こじつけ数え歌」とか、「暗記用語呂合わせ」とかそういうものも人類文明固有の試みであるとする作品もあった。これはデュプトリーかな。

 私なんか「いいくにつくろう(1192)」と覚えた世代だが、鎌倉幕府の創設時期は最近は違ってきたんだそうですね? え? 平安京とか平城京も違うの?
 応仁の乱(じゃなかった大化の改新)はさすがに大丈夫だろうな。違ってくると「バカテス」の物語が成立しなくなる(笑)。

 (なにがすごいって、ネットで裏を取っていたら「応仁の乱て有名ですねー、なにがあったんですか?」ってゆとりな質問が。あのな、日本の歴史で覚えておけばいいことは実際は数えるほどしかないのよ。応仁の乱こそ、そのとっても短いリストの一番上にあるのだよ。覚えとけよ!)

 別に宇宙は「熱死」を迎えないそうだし、原子も電子ももちろんまん丸くないし、恐竜は爬虫類じゃないかもしれないし、羽毛で覆われていて集団で狩りをしてたそうだし、人類はサルから進化してないそうだし、必死に覚えた漢字熟語の大半は実際は誰かの翻訳・造語だし、仁徳天皇陵は仁徳天皇の墓陵ではないそうだから、学校で教わった知識なんて今は全部ハナから疑っちゃってますけどね。あ、あとアメリカ人は普通"I am a boy."とか、"Are you a girl?"とは言わない。そんなこと口走ったら、ひどい目にあっても文句言えないシチュエーションすらある。

 作中に登場するのは確か元素周期表の暗記用こじつけ。日本人なら「水兵リーベ僕の船」? これも「リーべ」(liebe, 英語のlove)とかいきなりドイツ語が登場するくらい古いので、最近の子は違ったものを用いているのか。
 英語版にも色々な語呂合わせあるでしょうけど、例えば"Henry He Likes Beer Bottles Cold Not Over Frosty." とか"His Heels Like Better Business. Cause Nothing of Fun."などが見つかった。

 行方不明となった宇宙船の乗組員が人類であったのか、そうではなく敵対的異星人だったのか、それを推理する決め手として扱われていたはず。
 「異星人は語呂合わせをしない!」 
 
 脱線しますが(いつものことで、このブログ全体が脱線ですが)、よく映画やドキュメンタリーなどで見かけるシーンに米兵(あるいはコースト・ガード、警察官、CIAオフィサーなど)が無線を通じて「チャーリー、タンゴ、デルタ、ジーロウ、ナイナー」とか叫んでいるものがありますよね。軍隊やそういう組織が行う爆撃、救出、誘導などの通信で「言い間違い、聞き間違い」は多数の人命にかかわる重大ミスを招く。アルファベットひとつひとつに「聞き間違いようのない」単語が対応しているのですね。

 上だと"C、T、D、0、9"。ゼロはジーロウ、ナインはナイナーと長めになる。語呂がいいからでしょうね。こちらも様々なヴァリエーションがある。
 ご興味があればalphabetical code、telephony code、phonetic alphabetなどで調べると様々出てきます。個人的に次のNATOのものがなじみ深い。ナイナーも明記されているし。

http://en.wikipedia.org/wiki/NATO_phonetic_alphabet

 航空マニア、無線マニアは先刻ご承知でしょうか。そうですか。ラジャー。テンフォー。

 
 また発想がとんで、今度はフィリップ・K・ディック原作、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」。
 レプリカントなる労役用アンドロイドが火星植民地から脱走して地球の人類社会に紛れ込む。
 見かけも何も人類と見分けがつかないという設定で、捜査側は「連想ゲーム」を用いて割り出そうとする。「母親」とか「犬」とかの単語に対して思いついた単語などを応える他愛もないゲーム。人類とレプリカントでは、同じ「連想ゲーム」をした場合に回答内容と応答時間に統計上有意な差があるというのがその根拠。ディックらしく、その根拠すらやがてゆらいで行って、とうとう最後に吹き飛ぶのですが。

 
 一時流行したブリンの「知性化戦争」シリーズでは、ヒューマンがホストとなって知性化(uplift、アップリフト)した(すなわち共通の言語を手に入れた)イルカたちとチンパンジーたちが、アナロジーの使いこなしで苦労する。もっとも、非ヨーロピアン人種である私などは、この「アップリフト」の発想自体が「白人種の植民地主義」を含意しているような気がしてあまり気持ちのいいものではなかったのだが。これもまたアナロジー。

 ダン・シモンズのあまり評判のよろしくないギリシャ神話テーマのサイファイもの、「オリンポス」シリーズには、シェークスピア作品をこよなく愛する非人類種族が登場する。詩作の文言の解釈に苦労しながらも、並みの人類なんかよりずっと深く作品を味わっている様子が描かれている。

 アナロジーを逆手にとった遊びが得意なのはヴォネガットかな。どこかのドライブイン・モーテルの汚い男性用小便器にはこんな張り紙がしてあったそうな。「お前んちの灰皿に小便しないから、うちの小便器に吸い殻捨てないでくれ」とか。

 灰皿と言えば、鬼才シェイクリーのネタ。夫婦喧嘩の最中に妻から灰皿を投げつけられて怒った亭主は、妻を灰皿に投げつける。だったかな(笑)。まるで落語のネタみたいですね。

 
 つまり、アナロジー(類推、連想)こそ人類を人類として際立たせている(っても際立たせる相手の異星人や人工知性にはまだお目にかかったことはないんだけど)才能であり、資質であり、それがなければ科学も、政治も、経営経済も成り立っていなかったし、文学はもとからつまらないものだったろうし、笑いや感動のネタであり、豊かで味わい深い人生を送るうえでかけがえのないものであるというテーマが通底しているんですね。

 和製文芸でいえば、落語や漫才は言うに及ばず、諧謔性を際立たせることになった俳句なんかそうなのだろうね。
 

 逆に言えば、これもスコット監督の映画「エイリアン」に登場するアンドロイドや、カーペンター監督の映画「ゼイリヴ」に登場するエイリアンは、そういった人類固有のはずの才能まで完璧にマスターしてしまっている。その振る舞いからは容易に見分けがつかない。一般のヴァンパイアもの、ポゼス(憑依)ものも、ある弱点を知らない限りは大抵見分けがつきませんね。
 
 さて化粧も済んだ(これもひとつのメタファー、くどいかな)。

 
 心配なさるな、本題は短いぜ。
  
 ネットの毎日で見つけた、次のコラム。

 http://mainichi.jp/opinion/news/20121122k0000m070126000c.html

 「インフレは歯磨きペーストのようなものだ。チューブを絞ればすぐ出てくるが元に戻すのはとても難しい」。 ペール元ドイツ連邦銀行総裁の言葉だそうだ。
 ドイツ語原文どおりとすれば直喩の形式。もちろんそんなことはどうでもいい。

 こういうのを戦略的かつ天才的なアナロジーというのでしょう。

 歯磨きペーストは何の変哲もない日常雑貨であり、どこの家庭にもあって普遍的(庶民感覚を持ち込める)、思い切り出しすぎて苦労した経験は大抵誰にでもあり(国民みなが共感できる)、そしてスーパーマーケットでの買い物は家計をそのままイメージさせる(一般市民がインフレーションで気にするのは何を置いてもまず物価である。金利っていう人は投資家・年金生活者でもなければあんまりいない。ましてや為替も)。
 最後に、「零れたミルクで泣く」でも「覆水盆に返らず」でも言い表せない、あのペーストがにょろっとたくさん出てしまって宙ぶらりんになったときの中途半端な絶望感(笑)。だいたい使いまわされたことわざ・慣用句ではなかなか人の印象に残りません。

 やっぱ国家エリートとかトップのインテリとかは、(戦略的にも)優れた言語感覚がなくちゃダメだなあと素直に感じ入りました。 かつては英国の首相ウィンストン・チャーチルもそうだった。アメリカンの大統領には自分で草稿書ける人もいるにはいたが、今ではおつきのプロ・ライターが何人もいる。
 もちろん、これも使い方によってはゲッペルス宣伝大臣になる。

 「どじょう」だか「金魚」だか「宇宙人」だか「暴走老人」だか「チルドレン」だか「ガールズ」だか知らないが、しょんべん臭いメタファーでしか表現できない国の政治家たちはどうしようもないな。しかもガールズじゃねえし。こういうときは「ほんまにガールズおもてんの?」言っていいです。

 "Dare you tell me to deem you a 'girl'?"
 (一般の老人会はold boys、old girls言いますから、「ガールズ」以外に言っちゃダメですよ)

 「国民の生活が第一」なんかじゃないと言う政党なんて最初からないだろうよ。「スマート・アンド・チャージ」と同じくらい何も言っていない。
 でも悪いけど選んだのは君たちだからね(私は関係ないからね!)。

 それこそ「零れたミルク」に今更泣いてもダメ。どんだけ零したんだと。
 でも子ども手当は言うほどいただけなかったって?(最後の最後でへたくそなメタファー、すまん。朱に交われば赤くなる・・・)。
 
 さて、どんくらいアクセス減るか見物だな・・・。

2012年11月21日 (水)

【DA3】マイク・レイドロウは黙って。

 誰か、このおっさん止めてくれえ。

 また雄弁家の虫がムラムラ湧いてきているようだ。DA2の経験からすると、この流れはろくなことにならない。 

 私はツイッターはやらないので、最近の情報はもっぱらDAWikiに頼っている。

  http://dragonage.wikia.com/wiki/User_blog:IlidanDA/No_narrator_and_griffons_in_Dragon_Age_III

 

 「DA3にグリフォン・ライダーは出ないし、枠物語のようなナレーションも使わない」 

 そんな小ネタ、今出す必要あるのか?

 大体後者は自明である。個人的にDA2枠物語はあんまり成功したと思っていない(実のところ期待されていたような効果はさほど生み出していない)し、そんなナックルボールのような変化球の趣向を、もう一回使うなんてあまりに頭がおかしい。 

 前者は、グリフォン・ライダー(グレイ・ウォーデン)のイラストがあったから話題になったのだが、馬(ライダブル・ホースね)も出さないと言っているのに、ライダブルなグリフォンを出すわけないでしょう。

 そうではなくて、今言うことか、それ?

 おっさん、懲りてない。そういうようなまったく後先考えない、脊髄で反応するみたいにしてやらかした放言で、DA2は必要以上にヘイトを食らったのだ。 

 「(コントローラーの)ボタンを押すたびに、必ず何かすごいこと、ドラマチックなことがおきる!」

 今でもなお、「マイクのドラマチック・ボタン」と揶揄されている。

 しゃべりは専門のライター諸氏やPRに任せておけばいいのだ。 

 クリエーターが雄弁である必要はさらさらない。マイク・レイドロウ氏を見ていると、むしろ「有害」ですらあると思う。

 頼むぜ。マイクが黙ってたってDA3は間違いなくヘイト食らうのだから。

恋の十字砲火・・・。

 前回書き漏らしたけど、最近の「日常系」なるラノベなどのジャンルは、「繰り返しの物語」の発展系ですね。「非日常」を日常的に繰り返すものも含む。そう言ったら大抵のラノベが入ってしまうだろうか。

 今ネットの産経を見たら、あのH山が干されて選挙に出られない(公認されない)ことを指して、党の要人が「名誉ある勇退」などとのたまっていると書いてある。
 おいおい。ブレイブリー・デフォルト、「勇気をもって不出馬」かよ。名作の顔に泥を塗るなよ(って、ふたつのネタを結びつけてるのはお前だけだろう)。

 「ブレイブリー・デフォルト」、久々に意欲的な(作り手サイドがチャレンジングな)スクエニ・ゲームだなあ、というのが先の記事であった。
 正直なところ「任天堂でFF新作をやるわけにはいかんので、名前だけBDだけど中身FFやろ」と高をくくっていたのだが見事に裏切られた。FFの姿をした別物。
 スクウェアRPGの代名詞とも呼べる「クリスタル」をああいう扱いにするってのは「ありえへん」と思い込んでいたわけですけどね。まあそれを逆手に取られた。
 今気が付いたが、フライング・フェアリー(Flying Fairy)という副題がFFだな。なるほどそういう仕掛けまであったか。

 手放しで褒めているわけじゃない。オークワードなコンバット・システムなどのゲームプレイ、過剰なまでの繰り返し、意味不明な(場違いすぎる)、あるいはあまりにステロタイプで陳腐な敵側キャラクターなど色々文句はある。でも、そういう世界もよくも悪くも見かけ上FFの姿をさせるための仕掛けにはなってる(のかな?)。

 タイトルが英語的に正しいかどうか、どうにも気になっていたのだが、やっぱり「正しくない」ようだ。ゲームサイトのライターたちにはタイトルが「変だ」、「ばかばかしい」と言ってる人もいた。

"The ridiculously named Bravely Default: Flying Fairy …"

 ただし中身については、あちらのライターたちは「お前らだけで愉しんでんじゃねえ、英語版出せ、ごら」と皆一様に息巻いている。ざまみろ(笑)。

 やっぱそうだよねえ。ヴィデオゲーム、アニメ・コミックの「キテレツ和製英語」にもう慣れ親しんじゃってるから他のライターたちは「また日本人の考えたわけのわからない変なタイトル」だけど無視しているのかもしれない。何度言っても「ファイナル・ファンタジー」がアメリカのおもちゃ売り場の店員に通じなかった私自身の苦労も遠い昔の話である(発音が悪かったのかも)。

 
(追加: ああ、その後こんなこと書いてあるサイトも見つけた。誓って言うが、上の文章はこういうサイトを発見する前に書いたものだ。トラスト・ミー!
 「みょうちくりんな題名についてはさくっと無視しようぜ」という意味。

"Let's try to ignore the fact that it's called Bravely Default: Flying Fairy."

追加終わり)

 そういえば意味不明英語の代名詞と呼ばれたタバコの「マイルドセブン」。色々な意味合いで改名されるんだってね。「メビウス」。"Mobius"では英語読み「モビアス」なんで造語で"Mevius"。なんだか隠された意味も色々書いてあるが、それ自体日本人お得意の、他のどこにも通じない自己満足。センスもどうなんすかね? そもそも「メヴィウス」と読んでいただけるのかどうかも疑問だし、もとのモビアスともすっかり関係なくなっちゃたよ? ま、他人事なんでどうでもいいけどさ。
 望月先生の「ワイルド7」まで同じレベルでキテレツとか言わないように。あれは黒澤映画「七人の侍」をパク・・・、そのオマージュである映画「荒野の七人」"The magnificent seven"からの発想。でも、先生が「荒野の・・・」という意味合いも含めて名づけたとしたらそこまでは通じないかもね。英語的に正しくても「意味がよくわからん」というケースだってあるのですね。

 「ブレイブリー・デフォルト」というタイトルに関連して前回書き漏らしたネタがある。

 絶版となったサンリオ文庫で出ていた「暗闇のスキャナー」(サンリオ文庫にはよくあった「訳がキテレツ意味不明」という迷作もののひとつに数えられてしまったもの。その後、創元でも別訳で出ていた)というフィリップ・K・ディックの名作の最新訳は「スキャナー・ダークリー」という原文のカタカナ読みになっていた。
 (形式的にサイファイ小説ではあるが、もっぱらドラッグ文学の名作として扱われている。キアヌ・リーヴス主演で映画にもなったが観ている方はまずいないだろうか。あの映画のアニメ技法は実は映画「ドラゴンエイジ」が用いていたものと一緒なはずだから、日本でも一部好事家には受けていたのかもしれない・・・)

 "A Scanner Darkly"という題名をそのままカタカナにしたのは公開される映画の題名がそうだったから。そもそもDarklyは「暗闇の」というよりは「うすぼんやりして」、「おぼろに、曖昧として」という意味だし、だいたい副詞だし(ということが訳者浅倉さんの解説に書いてあったかもしれない。私の記憶も朦朧(もうろう)としている)。でも「朧げなスキャナー」じゃあインパクトがないしね。

 作品を読んだり映画を観た方には「おぼろ」とか「ぼんやり」の指し示すものが何重にも出てくるのはたちまちおわかりになるだろう。作中に登場する、出会った相手が後からどのような人物であったか思い出せないように着用者の容姿や人格まで変容させる、あの不思議な変装用迷彩(スクランブル・スーツ)もそんな表現で言い表すことができるもののひとつだ。

 「スキャナー・ダークリー」のタイトルについて当時なんとなく腑に落ちなかったがそのままにしていた。今回「副詞+名詞」は変じゃないのか、許されるのかしらと思っていた"Bravely Default"からの連想で、今回Wikipedia(en)でディックの作品のほうを覗いてみた。

 やはりというか聖書の一節にあるのだそうだ。コリント書。(このこと自体がちゃんと本の解説に書いてあったらごめんなさいね、って誰に謝ってるんだろう)

(追加:ようやく「スキャナーダークリー」を自宅から発掘して訳者あとがきを読み直した。故浅倉さん、小説本文にあるくだりから推理して、ちゃんと書いておりました。もう謝っても伝わらないけど、改めて合掌)

 "Through a glass, darkly"

 非常に多くの文学作品に用いられている、クリスチャン世界においては有名な一節だそうである。

 よって、小説の題名"A Scanner Darkly"は、この一節を知っていれば、glassがscannerに置き換わっていることがわかるし、ほかが省略されているだけで、なんら問題がない。

"For now we see through a glass, darkly; but then face to face: now I know in part; but then shall I know even as also I am known."

 
「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。然れど、かの時には顏を對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし。」(大正訳)

 
 わざわざ文語訳なのは、そのほうが品詞なども含めしっかり訳されているんじゃないかと思ったから(でもごらんのとおりかなりの超訳も含まれていた)。

 darklyは「(見るところ)朧(おぼろ)なり」となっていますね。「朧(なり)」は形容動詞であるそうなのでどちらかというと形容詞の役割、あるいは名詞に「なり」が付いただけという説とか色々あるらしいけど、「朧に見える」、「朧に浮かぶ」、「朧に霞む」など動詞にもつくし、形容詞、あるいはほかの形容動詞を修飾もできるから副詞の一種ではありますね。本当の副詞として用いるには「朧朧(おぼろおぼろ)」があるそうな。

 glassは上では「鏡」となっていますし、それが主流の解釈だそうですが、英訳をするときに「石を磨いて窓に用いたもの」あるいは「レンズ」のようなものかもしれないという論争はあったようです。
 うまく曖昧さを残した英訳はスペキュラ(反射鏡、スペキュラムの複数)を用いたものであるという。モーゼ以外の預言者にとって、神は九つのスペキュラ(反射鏡)を通して見えるかのように「おぼろ」で「ぼんやり」としか見えなかった。ただひとりモーゼのみが一つだけのスペキュラムを通したかのように眩しい神の姿を目にすることができたという伝説がその根拠だそうだ。
 
 って、そっちのネタを広げてどうする!(でも調べてたらメチャクチャ面白いんだもの)

 「ブレイブリー・デフォルト」はいわば「勇敢なり、その不履行」?(やっぱ苦しいなあ) 

 そういえば、H山の頭の中こそ、「おぼろ」で「ぼんやり」なり。
(世相ネタ書くとアクセス減るんだよなあ・・・)
 

リングアベルは黙って。

ようやく「ブレイブリー・デフォルト」の本性がわかってきた・・・。

 ということでプロットのねたばれあり。「もう一生遊ばないよ」という人と「とっくに遊び倒したよ」という人たち以外、以下ご注意。

(ねたばれ注意)











 うわあ、これもろに反復・繰り返しネタじゃないか。しかも毎回同じ反復・繰り返し(repetition)ではなく、それぞれ展開が微妙に異なるイタレーション(iteration、反復代入)ネタではないですか・・・。

 そして、今から書くこのお話もここで何度繰り返したことか(笑)。
 
 もともと数学(リニアプログラミング)、コンピューター用語であるイタレーションをサイファイ的に用いたのは古くはウィリアム・ギブソンあたりから。
 現代サブカルチャー作品における繰り返し(レペティションでもイタレーションでもどちらでも)プロットの増大に関する考察は、これまでも色々な人たちが行ってきている。

 繰り返しの物語は、見かけ上では「次の展開(ひいては結末)になかなか(決して)至らない」物語である。その形式は別段目新しいものではない。続き物・シリーズものでは昔からふつうにある世界だ。小学五年生のまま定年年齢を迎えそうな少年が登場するテレビアニメもあれば、日本全国一体何回漫遊してんだよというご老公もいる(ただし沖縄だけは一度もいかなかったそうだが)。

 シリーズもの(冒険活劇小説、コミック、テレビ番組)はもちろんだが、ヴィデオゲーム(広い意味でのゲーム全般)にだって「同じ趣向の繰り返し」がビルドインされている。その形式自体に「現代的な」大きなテーマを孕んでいる。

 
 ひとつは「決定不可能性」である。今や、物語の結末はどんなものであっても結末を迎えた途端に「正典」性を喪ってしまう。たとえそれがオリジナルの作者の選んだ結末であったとしても「そんな結末は認めない」、「違う形の結末があったはずだ」という批判を浴び続ける。これは極めて現代的なオタク文化的な特徴であることは間違いないでしょう。しかも日本だけの問題じゃない。Mass Effect 3のエンディング騒動を見ればおわかりのとおり、世界中の(日本だけを除く)先進国で一斉に騒ぎが起きる。
 「カサブランカ」や「風と共に去りぬ」などのエンディングに「それは違う」と異を唱える人は確かにいたではあろうが、それがムーヴメントになることはなかった。作者(物語の紡ぎ手)には一定の「権威」があった。物語には「正典」(カノン)があった。

 作者の「権威」が長期低落傾向にある理由については、発端はマス・サーキュレーション・メディアという情報大量複製媒体、その後にインターネットというさらに情報の普遍性を増進させることになる技術の影響があることは誰でも指摘できる。そしてインターネット時代には作品のオーサーシップはそもそも誰のものかという重大なテーマが浮上してきている。オーサーシップはオーナーショップ(所有権・著作権)とはちょっと違って、本当は誰が作者か、作品は誰の創造物かという意味だ。

 例えば「ファンの声、声援」なるものに支援されて続くシリーズものの作者は本当はだれか、という話。なんとか48のオーナーシップは(一応法治国家の日本では)ゆるぎなく規定されてはいるものの、ではオーサーシップは誰のものか?
 ましてやプレイヤーの介在なくしては一歩も進まないヴィデオ・ゲームのオーサーシップとは何か。アーケードでコインを投下するプレイヤーがいなければ、ただただ延々とデモを垂れ流している筐体のゲームは、ではいったい何なのか。

 オタク・同人の二次創作(小説、コミック、アート、コスプレ、同人ゲームなどなど)が花開いたのも、オリジナル作者の相対的な「権威」が低下してきたからと読み解ける。そうした二次創作の世界では「正典」のエンディング(ロマンスなどの特定コンテンツを含む)は反発を浴び、ときにはあからさまに無視される。

 原初的なゲームの世界ではもともと勝敗のエンディングなどわからない。チェス、将棋、バックギャモン、カードゲーム、麻雀、様々な競技スポーツ、初期の対戦型ヴィデオゲームなどなんでもいいが、誰が(どのように)勝つかわかっているゲームなどいかさま・八百長以外にありえない。ゲームにはプレイヤーの技量に差があるから誰かが勝ち続ける(負け続ける)ことはもちろんある。だが毎回まったく同じ「勝ち方・負け方」は普通はしない。(いかさま・八百長は誰がどう勝つかのパターンが一定なので判別しやすいという説がありますね)

 RPGやADV系のヴィデオゲーム(原初的にはゲームブックを含む)は、誰が遊んでも結局同じストーリーで同じ結末を迎えるという欠点があった。その欠点を克服しようとしてマルチ(プル)・エンディングが導入される。複雑な(ときには場当たり的な)要因を代入値として、異なる複数のアウトカム(エンディング)を導出しようという試みだ。
 だがすべてのエンディングを見ないと我慢できないプレイヤーたちは、結局すべてのエンディングを見ても決して満足しない。

 なぜなら、簡単な言葉でいえば「話がすべて終わってしまう」ことが許せないから。
 村上龍氏(だったと思う)の喩えを借りれば、「ストーリー」はエナジーの減衰過程(エントロピーの増大過程)であるから、エンディングを迎えたストーリーには残余エナジーがない(対して「ドラマ」はエナジーの爆発であるという)。ストーリーの行き着く先(エンディングは)、そういう意味ではその世界の衰退、滅亡、「熱死」だ。

 
 繰り返しの世界には、「話が終わってしまうこと」、「その世の中のあるタームが固定されてしまうこと」、「物語が過去になってしまうこと」が許せない人々の欲望が表現されている。
 彼らには結末を選ぶことなどできないのだ。なぜなら、その結末が過去として固定されてしまうことが許されないだけではなく、他にあったかもしれない結末が「排除」されてしまうことも許せないからだ。

 だから文化祭の前日の準備を延々と続ける、彼女へのプロポーズの一日の経験だけを何度も繰り返す、不治の病の少女の命がはかなく消えゆく姿をただ何度もみつめる、ヴァーチャル・ゲームのラスボスを倒すことができずにいつまでも挑戦を繰り返す。結末を迎えることをかたくなに拒否している。

 実は「原因」というものが先に存在するという感覚は間違いであって、「結果」がなければ「原因」は存在しない。同じことの繰り返しをいつまでも続ける行動は、「結果」を出してしまうことで「原因」を創り出す主体になることを拒否し続けているともいえる。(「いつになったらあなたにお似合いのいい人を紹介してくれるのよ」と母親に愚痴られる主人公ホークもそうなのかなあ・・・)
 同じように「失敗」がなければ「理由」もない。「理由なき敗北なし、理由なき勝利あり」は野村元監督がそこまでわかって述べているかどうかは別にして至言である。

 だが一方でこの繰り返しには、「傍観者の無能性」という意味もまた含意されている。「不治の病の少女」の例もそうだが、結局のところ主人公(つまり私たち)は世界のことわり(少女の死)をどうこうすることなど決してできない、ただの無力で無能な傍観者である。(翻って、この主人公の視点こそ本当の「神」の超越的な視点であると解釈する説を私は気に入っているだが、ここで敷衍するほどロジックをよく覚えていないので、また今度ね)

 マルチエンディングやマルチパスに代表される「選択重視型ストーリーRPG」も、ローラーコースター型「一本道ストーリーRPG」もどちらも滅びはしないのは、実のところ根底では双方ともこの世の中のなりわいをそっくりそのまま表しているからである。どちらも正しい。どちらも真実である。「あり」である。どちらも欲望されている。

 青少年よ、大志を抱け。諸君の前には見渡す限り無限の可能性が横たわっているのだ。何かを決定するまでは。しかもその決定には実は諸君はまったく関与できないし、ましてやその結末などなるようにしかならない。なぜなら人生とはそういうものだから。この世界はもとからそうなっているから。諸君の都合など一顧だにしない運命の歯車が回っているから。

 私は「決定論者」でもなんでもない。だが「無限の可能性がある」と言っている瞬間から、それがどんどん浸食(erode)されていくことはよく知っている。何もしてなくたって時間が過ぎていき、その分可能性が消えていく(という現代人の時間感覚に苛まれている)。だが定義上無限の可能性があるならば、時間の経過とともにまたどんどん生まれているのかもしれない。「命短し恋せよ乙女」も正しければ、「待てば海路の日和あり」も正しい。
 
 さて、いつも同じ話の繰り返し、だいたいどこにも「ブレイブリー・デフォルト」のねたばれがないじゃないか、といい加減怒り出している方もいるだろう。

 もうとっくにずいぶん書いたよ? ねたばれ。

 3DSだから容量制限きつくて、ゲームプレイのヴォリュームを維持するためには結局マップ使い回し倒す「繰り返しネタ」に走ったのかなあと疑っていた。それもきっとあるだろうが、それだけではない。仕掛けはもっと凝っていた。
 
 Bravely Defaultって英語的に正しいのかしらと以前書いた。
 ゲーム・メカニズム的にコンバット・ターンの前借り(引当て)をブレイブ、ターンの保留(繰延べ)をデフォルトと言っているので、これにまんまと騙された。
 そっちは些末な使い方だ。

 真実こそ、ねたばれこそ、一番最初からゲーム・タイトルそのものとしてギラギラ輝いていたのである(私はスクエニの連中をちょっと見直したぜ、正味の話)。

 Bravelyは、もちろん「勇気をもって」、「勇敢に」という副詞だ。「元気よく」の意味もあるがここではちょっと違う(むしろLivelyを用いるだろうし)。
 Defaultは、本来やらなければならないこと、やることを期待されていることの「不履行」や「放棄」という名詞の場合が多い。動詞でも用いられる。コンピューター用語でデフォルトと言ったら「何もしない(手を加えていない)初期値」のことであるのはご承知のとおりだ。
 すなわち(英語的に正しいとするなら)意味は「勇気をもって(やるべきだった何かを)履行しない」ことである。

(追加:次の記事で明らかにしましたが、やはり英語的には「正しくもないし、何言いたいんだかちんぷんかんぷんな和製英語であった。うひひ)

 
 登場人物に「拒否します」が口癖の女性がいる。主としてセクハラまがいな言動を受けた時に使うので、最初は生真面目な彼女の口癖であると思っていた。 
 そうではないのだ。まだゲームを(本当には)クリアしていない私が言うのもなんだが、推理の材料は前半部ですでに全部与えられていたのだ。
  

 「勇気をもって拒否する」のがこの物語のテーマだ。ぶっちゃけると、それだけだ。
 勝間なんとかの本の題名みたいでイヤだがしょうがない。そんなしょうもないレベルのテーマじゃないし。

 「勇気をもって拒否する」ことができず、誰かの指示に盲従して言われるままに口開けて同じような行動(プレイ)を何度も何度も繰り返しても、この世界にはいつまでたってもロクでもないことしか起きないように仕掛けられている。違う「結果」を創り出そうとせず、主体的に「原因」を引き受けることを避け続けている主人公たちは、自分たちこそが決定不可能性の罠に陥る「原因」を創っているのかもしれないと知って絶望する。だが同時に、実際には自分たちが不能性の罠に陥っていることにも気がついていく。ただしイタレーションの妙で、主人公たちの出会う者たちの言動や世の中の姿が少しづつ異なっていき、大きな謎を解明する糸口が示されていく。
 (でもマルチエンディングを解明するため最後まで盲従するのも必要みたいだから面倒くさいけど)

 主人公たちは世界の危機を救う旅を進めると同時に、いずれも「自分探し」の旅を進めている。四人とも「境界人」。それぞれ「村を襲った災厄のソロ・サヴァイヴァー」、「唯一生き残った世界を救うべき霊能者」、「記憶喪失者」、「裏切り者」である。
 だが「自分探し」こそ決定不可能性の罠の最たるものである。「どこかここではない場所の、今の自分と違った自分」を探す行動こそ、「結果」を出さず、同時に「原因」も主体的に引き受けない「堂々巡り、繰り返し」の生き方そのものなのだ。なにを隠そう、れっきとした現代病であり、日本人の場合は特に重篤患者が多いのだ。創り手が意識していたのならこれも大したものだ。

 登場人物のもうひとりの女性は、当初は何事でも「白か黒か」ハッキリかたをつけないと気が済まないという血液型A型みたいな言動を取る。設定14歳、中二病だからしょうがないのかもしれない。
 やがて世の中には「白でも黒でもない、そもそもそんな尺度などにははじめから乗っからないことがたくさんある、むしろそっちのほうが大多数、デフォルトである」ということがだんだんわかってくる(本当の中二病は、やたらこっちばかり気にすることだけど)。

 私はスクエニの開発者たちのインタヴューなどをまだできるだけ読まないようにしているが、間違いなく核燃料発電問題のことも含意しているのだろう。

 だとすれば目の付け所は立派であると思う。核燃料発電は、果たして「安全」なのかそうではないのか、主張するお互いの論者は決して歩み寄る気配がなく、百かゼロか、「白」か「黒」かの世界から一歩も抜け出せない。多数の科学者をもってしても「正しさ」が解明できない、決して合意できないリスク社会の権化のような存在だからだ。
 作中では「クリスタル」がこれにあたる。これ以上はプレイした(している)人には説明不要だろうね。

(正義を履行するため邪悪な手段を用いることは果たして「善」なのか。「白」か「黒」かには、そういう派生テーマも含まれているのだが、そっちはちょっと陳腐かもしれない。ここにも「ゼッタイ的正義を履行するために自分の国を武力で征服しようとする」男も登場する)

 だがスクエニの開発者たちはきっとこのゲームのテーマについて、「世の中の物事には白黒つけられないことって、ありますよね」ととっても平板な物言いをするんだろう。あるいはペルソナ4の開発者のセリフ「世の中の噂ってなんでも信じちゃダメですよね」と似たようなセリフ、「人から言われたことをそのまま鵜呑みにしたら怖いですよね」かもしれない。
 クリエーターは雄弁である必要はひとつもないので、それでいいと思う。

 このゲーム、日本語版以外は今のところローカライズの予定がないそうだ。その「不履行」の意図もわかる気がするし、それでいいかもしれない。
 プレイしたかったら日本語勉強しろ(笑)。
(日本語シナリオやコーデックスは珍しく膨大な分量であるのだが)

 
 ただしイデアお嬢(白か黒かハッキリしろの女性)があまりにストライクど真ん中だからここまで頑張って苦労してきた私も、あと何周しないといけないか判明した時点で気持ちがだいぶ萎えてきちゃった。コンバットも非常に面倒くさいし、かなりこなれているとは言いながら、青臭いセリフも結構多いし。
 おっさん用簡易版も欲しかったなあ・・・。(私よかこらえ性のないガイジン向けを万が一出すときには、きっとおっさんにもやさしいヴァージョンになってるんだろうなあ)

2012年11月16日 (金)

【DA3】サヴァイヴァー

 データーを見たらとりあえず分析する。雑学で終わってはつまらないですね。
 さて、スティーヴのリストから何を見るかというと、いくつか思いつきますね。スティーヴ自身はDA3に再登場しそうな(してほしい)キャラクター選びに用いているようだ。

 まずちょっと整理を。
 お気づきのとおり、「本編内で死亡が確定している」キャラクターはオミットされています。
 アレインおるのに「グレースがおらんやん!」と思ったら、そういうことですね。同じ理由でサー・タラスクもしかり。
 あのすべり知らずのエミールのおかんとか、レディ・エレガントとかは「重要じゃない」とされたようだ。DAOレッドクリフでの戦いで、最後まで生存させるのに当初死ぬほど苦労した村長さんとかも除かれている。そこらへんは恣意的。
 エイリアネイジのシアナお姐がおらん!と怒ってみたが、もしかしたら私の発現させていない展開で死んじゃうのかな・・・。「エイリアネイジのエルフもダークスポーンと戦え!」とか言ったこと一度もないのでわからない。

 では、本題。「サヴァイヴァー」は誰だ。
 リストの中には「死亡の場合」という表記が多々出てきます。かほどさようにDAシリーズのコンパニオンは(下手するとウォーデン主人公も)長生きできない人(んー、ヒューマノイド)ばかり。
 でも、中には必ず生き延びているはずの人も少数おります。 
 この場合MIA(Missing in Action、戦闘中行方不明(注))の扱いは、「まだ死んでない」とみなしましょう。作者サイドとしても意図的にMIAとしているわけですから「死んではいないだろう」と考えていいと思います。

 (注)Missing in Actionというクエスト名はDAOにもあったはずだし、Skyrimにもあったような。DDOにもあったし、いろんなRPGに登場しますね。
 あちらの軍隊表記では戦死はKIA(Killed in Action)、戦闘時負傷はWIA(Wounded in Action)、戦争捕虜はPOW(Prisoner of War)、無許可離隊(無許可外出、脱走まで含むことも)は、AWOL(Absence wothout Leave)。AWOLは無断欠勤にも使われるので日常の話にも出てきますね。

 コンパニオン

・モリガン
 いつの時代のどこに飛んだのかは不明ですが、きっと生きてるんでしょう。ゴッドベイビーを孕んでいたならそっちも生きているでしょう。

・犬
 勘定には入れません? セダスのマバリの寿命って地球の犬と同じなのかな。

・レリアナ
 例の「レリアナ・チート・デス問題」(DAOで殺すことができるのにDA2でそれがチャイにされてしまい、ナイチンゲールとしてしれっと復活していること!)はともかく、シリーズ主要人物になっちゃいましたね。チート・デスはまさにレリアナにこそお似合いだと思うので私はこの矛盾を気にしない。

・スケッチ、サイラス・コースウェイト、ジェリック・デイス、ブローガン・デイス、アリアン、フィン
 DLC端役群。サイラスについてはGreywarden.comのスティーヴはじめ、再登場を期待する声があるが、どうかねえ。
 キャラ的にはアリアン、フィンあたり顔出しあるんじゃないかしら?(個人的に好きなもんで)

・ホーク
・アヴェリン
・ヴァリック
・イザベラ
・セバスチャン
・タリス

(Laffyさんいわく、フェンリスも死なない? これについては考察に入れていなかった)

 死屍累々かと感じていたDA2のコンパニオンは意外と生存率が高い。
 ヴァリックは語り部だから当たり前か。イザベラは実はすっかり無視することができるオプション・キャラ。セバとタリスも(広い意味ですっかり無視できる)DLCキャラ。

 ヴァリック以外に、アヴェリンもまたDA2の物語全体の支柱の役割を担う存在なんですね。ホークの家族以外で物語ほぼ冒頭から一番最後まで主人公にお付き合いする(ラストでホークと袂を分かつケースは私は発現させていないがあるらしい)。そしてここが大事なところだがDAOアリスター、モリガン、レリアナと違ってホークのロマンス相手では「ない」。放浪からはじまり放浪で終わるホークの物語の中で、定住し、定職を得て幸せな結婚という日常生活を送ろうと意図的に行動しているのも実は(この頭のおかしい殺人者たちの群れの中では)異色。街の「警察署長」と考えれば当然か。

 実は書き始めた頃には、さらっと次の人物も含めていたのですが、あわてて消した。いかんいかん、殉死する場合あるじゃないか。自分のプレイスルーにもあったじゃないか!(エルフメイジ女子ウォーデンとの涙の別れ・・・。ごめんね、実はあのビター(スウィート?)・エンディングにじんときちゃったのだ。そのあとすぐにゼヴちんといちゃついちゃうのだけど!)

・アリスター
 飲んだくれてでも生きている。「調子はどう?」("What's up? ")という挨拶に「生きてる」("Alive.")と答える感じ。Barely surviveってやつですね。アル中は四六時中栄養補給しているわけだから容易に死なないですね。

 私のようにずぼらで手なりのプレイスルーだと、最初に集まるメンツ(アリスター、モリガン、レリアナ。犬は勘定に入れません)で間に合っちゃうのでこれが常時スタメン・レギュラーになってしまいがち。一歩だけ加入が遅れたステンなんてずっとベンチ・ウォーマーだった。(一番最初のウォーデンはタンク・ウォーリアーにしてしまったので、ロールかぶっちゃったアリスターをツーハンに育てようとして序盤えらい苦労しましたが。あとレリアナは弓が得意というのをすっかり知らずに、ずっとツー・ウェポン・ファイティングでやっていた。ちっとも使えないのでなんでだろうと悩んでいた。そのくらいずぼら)

 でも(アリスター殉死の場合とレリアナ・チート・デス問題を無視すると)結局この三名だけ(犬は勘定に入れません)がサヴァイヴァーなんだよね・・・。DAOの物語はそういう意味でもヒューマン偏重なのだ。アリスターとエルフ女子が結婚して国を治めようようなんて言い出したら、えらい苦労してせっかく蘇生させたイーモン卿が卒倒してまた昏倒しちゃうのよ。

テンポラリー・コンパニオン

 
 リリイ(生きてるっても監獄の中じゃな・・・)
 ゴリム(Darkspawn Chroniclesでは無残にもダークスポーン・ジェネラルに討ち取られてしまうが、DCはもちろん考察範囲に含まれない)
 フランドル・アイヴォ

 この分類に登場するのは、基本DAOのオリジン・ストーリーに登場する面々ですが生存率低すぎ・・・。

 
DAO重要なNPC

 フレメス
 ファースト・エンチャンター・アーヴィング
  (死んでしまう場合あったような気がするんだが)
 カレン
 イーモン
 ティーガン
 カードル(生きてるってもリージョン・オヴ・ザ・デッドのかしらですからね・・・)
 ボウダン
 サンダル
 アノーラ

 ここも非常に少ない感じですね。ところが生き残ったのは、DA3にも顔を出しそうな感じのやたら重たいメンツばかり。アノーラ再登場はプレイヤーの決断による場合分けにさらされるけど、セーヴ・ファイル・インポートで可能かな。

DA2

 カッサンドラ
 ギャムレン
 シャレード
 フェンリエル(死ぬケースはなかっただろうか)
 ストラウド
 オラナ
 ドニック

 
 こちらはDAOのNPCに比べるとちょっとしょぼいメンツ。カッサンドラはDA3にも出るだろうが、あとはどうかなあ・・・。シャレードが隠し玉かな。フェイドのフェンリエルはすっかり無視することができたはずなんだが記憶違いかな?

********** 

 言いたかったことはすでに書きました。まとめて補足すると。

 DAOでは主人公とあの三名(アリスター、モリガン、レリアナ)がやっぱ物語の中核的位置を占めているのであった。グレイ・ウォーデン、フェラルデン国王候補、ヘッジ・メイジ、チャントリー信奉者(のふりだけかもしれんが)ですから、フェラルデンとセダス大陸の(少なくともヒューマン文化の)ありようを覗く窓口としてもほぼ網羅的ではないでしょうか。
 (その他ヒューマンではメイジにしてメイカー・チャントリー信奉者のウィンを配しているが、彼女はスピリットに憑依されて死から蘇生した存在でもあって、政治的にもはざまにあり、生死(現世・フェイド間)の点でもはざまにあるという、ユニークな役割を付されている) 

 
 ヒューマン以外の種族は、その周辺に配置されている感じだ。ステン、ゼヴ、オーグレンは、ノンヒューマン文化を覗く窓口でもあり(ゼヴはその面ではちょっと不足だが)、ヒューマン文化に対する辛辣な批判者・観察者でもある。シェイルはさらに超越的な、ヒューマノイド全体に対する批判者。
 ここまですべて、主人公ウォーデンまで含めて、帰属するコミュニティをもともと持たない(モリガン)、あるいは捨てた(レリアナ、ドワコモナー・ウォーデン)、わけあって帰れない(ステン、ゼヴ、デーリッシュ、シティエルフ・ウォーデン)、はじき出された(オーグレン、メイジ、ドワノーブル・ウォーデン)、帰属コミュニティ自体が破滅・消滅し(かけ)た(シェイル、ウィン、ヒューマン・ノーブル・ウォーデン)「境界人」なんですよね。

 ひとつだけ「欠点」を指摘するとすれば、これはフェラルデンという魔法に比較的無頓着なお国柄のせいもあるのですが、DAOで「メイジ・ヘイター」の役割を担うキャラクターがNPC含めほとんどいない。
 主要登場人物では、ダンカンなどはメイジへの弾圧は「やりすぎ」で「益なく害ばかり」という立場。ケイランだって「おお、新しいウォーデンはメイジか、そっかそっか」と気にしないし、ローゲイン、アノーラにしても別段メイジに差別的ではない。
 サークル・タワーでもコマンダー・グレゴーは(のちのDA2で登場するサディスト・テンプラーたちに比べて)比較的合理的な男。当時未熟であったテンプラー・カレンだけがメイジ・ヘイターの代弁者となっているが、これも直前でブラッド・メイジのアルフレッドに散々神経を弄ばれたためだ。

 コンパニオンを見ても、テンプラー出身のアリスターはいかんせん経験が浅い。コナーにディーモンが憑依したくだりでは親戚の身を案じる発言をするだけ。本来メイジを忌み嫌うクナリの戦士のステンも魔法の話題にはあまり触れない。(むしろ、女性ウォーデンに対して、家父長制的発想に基づく女性の家庭的役割のほうをしつこく力説する)

 よく指摘されるように、ウォーデンがエルフ・メイジ(二重苦!)の場合ですら、自分がエルフであることも、あるいはメイジであることも、ほとんど意識せず忘れたままプレイしているケースに陥りやすいんですね。
(私がメイジエルフでプレイしているときのように、デネリム・エイリアネイジのホスピスの入り口でテヴィンター・マジスターから「はいはい、あんたはこっちだよ」と言われるままに連れて行かれて、はじめて「あ、自分エルフか!」と思い出した人は結構いるのでは? また戦闘以外で自分がメイジであることを意識するのは、同じデネリムの魔法商店でクソ高いメイジ・ローブやスタッフを涎を垂らしながら見ているときくらい)

 
 前述したようにフェラルデンというお国柄が理由のひとつ。それから「火付け夜盗の類であろうが、エルフ、メイジであろうが、誰であってもただ才のみ挙げよ」というグレイ・ウォーデンのリクルート・ポリシーがひとつ。ダークスポーンとの戦いに有益な才能(およびダークスポーンの血の汚染に耐えうる肉体)だけが価値基準ですから、そこに差別もへったくれもないわけだ。

 舞台裏まで覗けば、その時点で「メイジ・テンプラー抗争」の構想はまだ真剣には描かれていなかったともいえるわけですね。

 
 DA2については、「メイジ・テンプラー抗争」という特定のテーマについてこれでもかというくらい前面に押し出してきているから特に掘り下げることはない。
 ちょっと視点を変えてみます。

 ヴァリックとアヴェリン。このふたりのコンパニオンがホークを支える柱となっている。
 ふたりとも(セバを除くとこのふたり「だけ」が)ロマンス相手ではないところが、くどく繰り返すが「ミソ」。
 でもふたりの役割はだいぶ違う。

 ヴァリックは、自発的にホークに近づく。やがてホークの「マブダチ」を自認する相棒となり、英雄譚のおつきライター、偉業の喧伝者でもある。ホークに対する信頼は(ロマンス相手を除けば?)コンパニオンの中で一番高い。ほとんどの場合、ホークの言動に対して真剣に異を唱えることはない。コミットメント(のめりこみ)度は最大である。

 
 アヴェリンは、やむを得ずホークの「旅の道連れ」になった関係である。カークウォールでは衛兵隊長、治安部門の責任者となるが、ホークの動向については良い面についても悪い面についても目を離さず、ときには眉をしかめ、激しく叱咤し、ときには距離を置いて至極冷淡に対応する。デタッチメント(つきはなし)の態度を保ちながらホークの行く末を見つめる視点だ。
 

 結局のところプレイヤーが物語を眺めるときは、その二つの態度の間を行き来するわけで、「行け、ホーク!」と叫びたいときはヴァリックの声援、「おいおいまじかよ」というときはアヴェリンの辛辣な一言が代弁するわけです。

  
 そして、ヴァリックは兄バートランドの行方を執念深く追い続けているが、兄との再会とその結末については(カッサンドラに多くを語りたがらないように)つきはなした態度を取る。アヴェリンのドニックに対する求愛の態度は、まるで他人事のようにつきはなしているかのように見えるが、内心では居てもたっていられなくなっている。そういうひねりを持ち込んでいるわけですね。 

 
 ちなみに、「境界人」セオリーでいうと、DA2のコンパニオンもみな当てはまりますね。

 帰属するコミュニティをもともと持たない(いない。見方によってはフェンリスを入れてもいい)、あるいは捨てた(アンダース、ヴァリック、フェンリスの最近)、わけあって帰れない(セバスチャン)、はじき出された(メリル、タリス)、帰属コミュニティ自体が破滅・消滅し(かけ)た(ホーク、ベサニー、カーヴァー、アヴェリン、イザベラ、フェンリスの一時期)。
 フェンリスは、これでもかってくらい悲惨な目に合っているんだなあ。

 
 「境界人」セオリー(よく対になるのが「マレビト」)はいつでも通用するわけじゃないけど、そういう設定がなきゃないで「カルマを背負っていない」、「平板」、「陰影がない」、「機微がない」、「キャラたってない」、「ジェネリック」とケチをつけられやすい。

 わりかし物語の王道ですね。Dragonborn、Lone Wanderer、Courier、Arisen、Chosenなど代名詞で呼ぶことができるRPG主人公は全部そう。The Witcherもそう(ウィッチャーでもゲラルトだけがそう)。陳腐さを避けようとした結果、メタ的に「みんなカルマもち」という陳腐な世界になってるともいえる。
 全く無視するのが「日常系」かというと、これがまた意外にそうでもない。登場キャラにはなにかしらの「欠陥」なり「他人がひく部分」が用意されてませんかね?

 例えばMass Effectシリーズでも遊べます。軍隊ベースの話であることから所属部隊を「コミュニティ」としていいかどうかってのはあるけど。

 帰属するコミュニティをもともと持たない(モンリス、グラント、ジャック、カスミ)、あるいは捨てた(ME1ギャレス、ジェイコブ、ミランダ、モルディン、テイン)、わけあって帰れない(ME1タリ、ME1リアラ、ME2シェパード、レックス、サマラ、リージョン)、はじき出された(カイダン、ME2タリ、ザイード)、帰属コミュニティ自体が破滅・消滅し(かけ)た(ME1シェパード、アシュレイ、ME2ギャレス、銀河が滅びかけてんだからME3の全員)。

 DAに話を戻すと、登場コンパニオンは「戦略的に」配置されている。
 NPCレベルのカメオ(顔見世再登場)ならファンの要望も通ることがあるだろう。キャプテン・カレンは間違いなくDA3に登場するでしょう。もしかしたらコマンダー・カレン?! あるいは反逆テンプラー?
 だがコンパニオンはどうかな。

 ようやくスティーヴのコンパニオン予想リスト(some wild companion speculation)に話を進めることができる。(お前が無駄話書きすぎ!)

・カッサンドラ:シーカー(DA2、Dawn of the Seeker)
  再登場は言うまでもないでしょう。アニメも作っちゃたし。
  コンパニオンとしてどうか? この中では一番近いかもしれないですねえ。

・フィオナ:グレイ・ウォーデン(Calling)
 ないでしょう。ウォーデンから選ぶとしてもこれはないかな。
 グレイ・ウォーデンは(コンパニオン当然いそうだが)できればフレッシュなキャラクターがいいな。アンダースみたいに「ウォーデン」だと言われないと思い出せない人じゃなく。

・カレン:テンプラー(DAO、DA2)
 再登場は間違いなくするでしょう。ボウダン・サンダル親子と違った意味の歴史の傍観者として。
 コンパニオンとしてはやめといたほうがいい。その場合、間違いなく反逆テンプラーになってしまうわけで(コマンダー・カレンが少人数のゲリラ戦しますか?)、だとすると歴史の傍観者じゃなくなってしまう。

・サイラス:チャントリー(テンプラー?) (Leliana’s Song)
 あちらの人って、ほんまこのキャラ好っきやねえ。まだスケッチ君(ヘッジ・メイジ)のほうが再登場の可能性ありそうだが。どちらも本編のコンパニオンとしては線が細すぎ。

・エヴァンジェリン:テンプラー(Asunder)
 あ、なるほどねえ。登場はあるっちゃあるな。Callingからも何人か出たし。
 でも颯爽とした美麗女性剣士。カッサンドラとキャラかぶるんじゃないかな。

・レッド・ジェニー:ローグ?(DAO、DA2)
 いつまでたっても話題に登るDAO、DA2のミニクエスト関連キャラ。
 実際画面に彼女(ジェニーだから女性です)が登場したことは一度もなく(あのDA2のハングドマンに出没する女性が本人でなければだが)、逆にそれが「すごいキャラ」という説の根拠になっているという、いかにもオタク好みのキャラクター。コンパニオンはないと思う。でもDA3も姿なきキャラとして出てくると思う。

・モリガン:メイジ、ゴッドベイビー・マザー、フレメスの「娘」(DAO、Witch Hunt) 
  もちろん再登場希望します。でもコンパニオンはないなあ。
  だって低レベルからやり直しなの?

 
 スティーヴのリストも、どうしてもテンプラー・サイドに偏ってしまうんですよね。DAO、DA2に登場したメイジのサヴァイヴァビリティが低いのだ。

 では、私のワイルド・スペキュレーション。どっちかってとメイジサイド。

 
 ・シャレード:ローグ・アーチャー(DA2)
  ホークつながりで。意表をついてるんじゃない? ひとりはアーチャーいるでしょ?
  DA2のギャムレンのクエストを発現させなかったとしても、彼女が死ぬわけじゃないし。
  再登場させるなら、もうちょっと美形にしてほしい。

(驚くべきことに、スティーヴの記事への最初のコメントもまったく同じ発想。いやいやオタクは万国共通だな!)   

 ・フェンリエル:メイジ(DA2)
  生きてれば。彼が死ぬケースはなかったことを信じて。
  本当はコナー(DAO)と書きたいが、彼が生存する可能性、ちょっと小さすぎる。
  (コナーはDA2再登場のプロットがボツっているらしいし、出ればいいな)
  フィン、スケッチなど他のメイジ・サヴァイヴァーがあまりによわっちいんですよ。

 
 逆に、このコンパニオンは勘弁してほしいという「ブロックリスト」。

・タリス(Mark of the Assassin)
 説明は不要すよね・・・。

・サンダル(DAO、Witch Hunt、DA2)
 さすがにやりすぎでしょう。

・エミール(DA2)
 ぼくちゃん、そんな如何わしい危ないところに行っちゃダメざます!

 

 
 
 
 

2012年11月15日 (木)

【DA3】これまでのキャラクターリスト

 さて、DA3の登場人物はどうなるんだろうかについて、自力で妄想を深めてもよろしいのですが、せっかくなのでgreywardens.comのスティーヴの網羅的キャラクター・リストを訳しながらつっこんでみよう。
 ま、これだけ書けば「どれかあたるでしょう」リストです。
 キャラクター名のカタカナ訳は(自分でもぶれまくってますが)日本語版ゲームと異なっているかもしれないので、原文を載せておきます。
 
 【注意】小説版、コミック版のネタバレあります。「もうそんなネタバレ気にしないよ」という人以外は「末尾のネタバレコーナー」は避けるべき。

コンパニオン 

ウォーデン(The Warden) 戦闘中行方不明(MIA)、DAOウォーデンは殉死の場合あり, オリージャン・ウォーデンの場合あり(「アウェイクニング」)、モリガンとともにエルーヴィアンの彼方に消えた場合あり。

アリスター(Alistair) フェラルデン王、イザベラ・ヴァリックとともに冒険の旅に出る(Those Who Speak comic、BioWare正典扱い)。インポートファイルによっては殉死の場合、ウォーデンの場合、酔っ払いの場合あり。

モリガン(Morrigan) エルーヴィアンの彼方に旅立つ姿を目撃されたのが最後、生存の可能性あり(ウォーデンに刺された場合でも)。

犬(Dog) ウィッチハントDLCでウォーデンに付き従っていたのが最後に目撃された姿。

レリアナ(Leliana) ザ・ディヴァインにシーカーとして仕える。DA2のラストシーンが最後に目撃された姿。【末尾へ】

ステン(Sten) 死亡の場合あり、セヘロンに帰投している場合あり。【末尾へ】

ウィン(Wynne) 【末尾へ】

オーグレン(Oghren) 死亡の場合あり、グレイ・ウォーデンとして仕えている場合あり。

ゼヴラン(Zevran) 死亡の場合あり、アンティヴァン・クロウの追手から逃亡中の場合、最後に姿を目撃されたのはカークウォール近辺。

シェイル(Shale) 【末尾へ】

ローゲイン(Loghain) 死亡の場合あり、グレイ・ウォーデンとして仕えている場合あり。

ナサニエル・ハウ(Nathaniel Howe) 死亡の場合あり、グレイ・ウォーデンとして仕えている場合あり。カークウォール近辺で最後に姿を目撃された可能性がある。

シグルーン(Sigrun) 死亡の場合あり、グレイ・ウォーデンとして仕えている場合あり、レジョナーレとしてダークスポーンと戦っている場合あり。

ヴェレナ(Velanna) 死亡の場合あり、戦闘中行方不明(MIA)の場合あり、MIAの場合はヴィジルズ・キープにおける姿、またはヒューマンをダークスポーンから救おうとしている姿のいずれかを目撃されたのが最後。

ジャスティス(Justice) 死亡の場合あり、アンダースとともに生きている場合あり。

アンダース(Anders) 死亡の場合あり、カークウォールの騒動の後で戦闘中行方不明(MIA)の場合あり。生存しているならホークと行動をともにしている可能性あり。

スケッチ(Sketch) カークウォールでテンプラーの追跡から逃亡しているのが最後に目撃された姿。

サイラス・コースウェイト(Silas Corthwaite) チャントリーへの入信を計画。「レリアナズ・ソング」の結末以降の動向不明。

ジェリック・デイス(Jerrik Dace) 最後に目撃されたのはアムガラークからの脱出時。

ブローガン・デイス(Brogan Dace) 最後に目撃されたのはアムガラークからの脱出時。
アリアン(Ariane) 「ウィッチ・ハント」のエンディングで目撃されたのが最後。部族の元に帰還した可能性大。

フィン(Finn) 「ウィッチ・ハント」のエンディングで目撃されたのが最後。フェラルデンのサークルに帰還した可能性大。その後の運命は不明。

ホーク(Hawke) 戦闘中行方不明(MIA)、カークウォールの騒動以降姿を目撃されたことはない。

カーヴァー・ホーク(Carver Hawke) 死亡の場合あり、カークウォールのテンプラーに仕えている場合あり、グレイ・ウォーデンに仕えている場合あり。死亡していない場合は最終的に戦闘中行方不明(MIA)。

ベサニー・ホーク(Bethany Hawke) 死亡の場合あり、カークウォールの叛乱メイジに与している場合あり、グレイ・ウォーデンに仕えている場合あり。死亡していない場合は最終的に戦闘中行方不明(MIA)。

アヴェリン(Aveline) カークウォールの騒動後、戦闘中行方不明(MIA)。

ヴァリック(Varric) Those Who Speak に描かれているアリスター国王の旅に同行、またはカークウォールで目撃されたのが最後(ふたつの出来事が起きた前後関係が不明)。

メリル(Merrill) 死亡の場合あり、そうでなければカークウォールの騒動後に戦闘中行方不明(MIA)。生存しているならホークと行動をともにしている可能性あり。

フェンリス(Fenris) 死亡の場合あり、そうでなければカークウォールの騒動後に戦闘中行方不明(MIA)。生存しているならホークと行動をともにしている可能性あり。

イザベラ(Isabela) Those Who Speak に描かれているアリスター国王の旅に同行しているのが最後に目撃された姿。

セバスチャン(Sebastian) カークウォールの騒動後に戦闘中行方不明、カークウォールのチャントリーに戻る、あるいはスタークヘイヴンに帰還した可能性あり。

タリス(Tallis) 「マーク・オヴ・ジ・アサシン」の出来事を生き残ったのが目撃された最後の姿。

DAOのテンポラリー・コンパニオン

サー・ギルモア(Ser Gilmore) ハイエヴァー襲撃時に死亡の可能性大。

エレサ・クースランド(Elethea Cousland) ハイエヴァー襲撃時に死亡の可能性大。

ジョワン(Jowan) 死亡の場合あり、フェラルデンのサークルに召還の場合あり、レヴィンの助力により逃走中の場合あり。

リリイ(Lily) エイオナーの監獄へ送られたことまでがわかっている。

ゴリム(Gorim) デネリムの商人として目撃されたのが最後。デネリムの戦いには生き残った。

フランドリン・アイヴォ(Frandlin  Ivo) ディープ・ロード・エクスペディションの最中に、彼が生存していることが話題に出ている)

ラスケ(Leske) カルタのアジト襲撃の際に自由放免の身となった可能性あり。収監されたままで放置すれば死亡の可能性あり。

ソリス(Soris) 死亡の可能性あり(デネリム監獄に収監のまま放置の場合)、そうでなければ生存し、ヒューマンの女性と再婚して子供を何人か授かる。

タムレン(Tamlen) グールとして姿を目撃されたのが最後。死亡していなければグールとなっている可能性大。

フェナレル(Fenarel)サンダーマウントのデーリッシュ部族:にいる可能性あり、死亡の可能性あり。

DAO重要なNPC

 
マレサリ(Marethari) DA2の最後には死亡。

フレメス(Flemeth) 最後に姿を目撃されたのはサンダーマウント離脱時。

ナイトコマンダー・グレゴー(Knight-Commander Greagoir) 病死。

ファースト・エンチャンター・アーヴィング(First Enchanter Iriving) 【末尾へ】

カレン(Cullen) カークウォールのナイト・キャプテンとして仕えている。

ペトラ(Petra) 死亡の可能性あり。ブロウクン・サークルを生き残る可能性あり。その後の運命は不明。

ケイリ(Keili) 死亡の可能性あり。ブロウクン・サークルを生き残る可能性あり。その後の運命は不明。

イーモン(Eamon) 生存しているらしい。デネリム卿を拝命しているか、引退。

イゾルデ(イソールド、Isolde) 「マーク・オヴ・ジ・アサシン」のオーレイにおけるパーティーで目撃されたのが最後。(ティ--ガン!)(訳:ああ、ここ「死亡の場合」が漏れてますなあ)

コナー(Connor) 死亡の場合あり、ディーモンに憑依された場合あり、サークルに召還された場合あり。

ティーガン(Teagan)DA2で生存。新しいレッドクリフ卿に任命された可能性大。【末尾へ】

ベーラン・エイデューカン(Bhelen Aeducan) オーザマー王の場合あり、死亡の場合あり。

パイラル・ハロウモント(Pyral Harrowmont) オーザマー王の場合あり、死亡の場合あり。

カードル(Kardol) 最後に目撃されたのはリージョン・オヴ・ザ・デッドとともに戦う姿。

ザスリアン(Zathrian) 死亡の場合あり、部族のキーパーに依然として留まっている場合あり。

ラナーヤ(Lanaya) 死亡の場合あり、部族のキーパーに就任している場合あり、ザスリアンのファーストの地位にとどまっている場合あり。

レディ・オヴ・ザ・フロスト/ウィザーファング(Lady of the Forest/Witherfang) 死亡の場合あり、生存の場合あり、フェイドに送還された場合あり。

スウィフトラナー(Swiftrunner) 死亡の場合あり、ヒューマンの姿に戻っている場合あり、ウェアウルフのまま野放しの場合あり。

ゲイトキーパー(Gatekeeper) 死亡の場合あり、ヒューマンの姿に戻っている場合あり、ウェアウルフのまま野放しの場合あり。

マジョーレイン(Marjolaine) 死亡の場合あり、オーレイに帰投している場合あり。

ヘレン(Herren) 死亡の場合あり、ヴィジルズ・キープで目撃されたのが最後の姿。

マスター・ウェイド(Master Wade) 死亡の場合あり、ヴィジルズ・キープで目撃されたのが最後の姿。

ボウダン(Bodahn) カークウォールに逗留し、ホーク家に仕えていたところまでが知られている。オーレイに向かったという噂あり。

サンダル(Sandal)  カークウォールに逗留し、ホーク家に仕えていたところまでが知られている。オーレイに向かったという噂あり。

ブラザー・ジェニティヴィ(Brother Genetivi) ウォーデンに殺害された可能性あり、それ以外の場合デネリムにて生存。

アノーラ(Anora) フェラルデン女王の可能性あり。それ以外の場合は最後通告により投獄されている。

サー・コウサリン(Ser Cautherin) 死亡の場合あり、それ以外の場合は不明。デネリムの戦いを生き残ったか死亡したか不明。

セネシャル・ヴァレル(Seneschal Varel) 死亡の場合あり、それ以外の場合はヴィジルズ・キープに引き続き勤務している模様。(訳:あれ、セネシャルが生き残るパターンもあったんだ?).

キャプテン・グラヴェル(Captain Garavel) 死亡の場合あり、それ以外の場合はヴィジルズ・キープに引き続き勤務している模様。

ミストレス・ウースレイ(Mistress Woolsley) 死亡の場合あり、ヴィジルズ・キープにとどまる場合、ワイズホプト要塞に帰投している可能性あり。

サージェント・マーヴェリーズ(Sergeant Maverlies) 死亡の場合あり、それ以外の場合はヴィジルズ・キープに引き続き勤務している模様。

ヴォルドリック・グラヴォナク(Voldrik Glavonak) 死亡の場合あり、生存の場合はヴィジルズ・キープにとどまっているかもしれない。不明。

ドウォーキン・グラヴォナク)(Dworkin Glavonak) 死亡の場合あり、それ以外の場合はクナリの追手を避けるため逃避行。

ザ・ダーク・ウルフ(The Dark Wolf) 死亡の場合あり、それ以外の場合は不明。

DA2

カッサンドラ(Cassandra) カークウォールでホークの行方を捜索する姿が目撃された最後。

ギャムレン(Gamlen) カークウォールで生存しているところまでわかっている。

シャレード(Charade) 父親ギャムレンと初めて出会う。カークウォール近辺にいることまでわかっている。

バートランド(Bartrand) 死亡の場合あり、チャントリー・サニタリウムに送還された場合あり。

ミーラン(Meeran) 死亡の場合あり、それ以外の場合はレッド・アイアン傭兵団に所属している姿が目撃された最後。

アセンリル(Athenril) 死亡の場合あり、カークウォールで密輸に従事している姿が目撃された最後。

イダンナ(Idunna) 死亡の場合あり、ギャロウズに収監された場合あり、その後の運命は不明。

ケラン(Keran) 死亡の場合あり、それ以外の場合はテンプラーを去る。カークウォールで姿を目撃されたのが最後。

フェンリエル(Feynriel) トランクィルになる場合あり、テヴィンターに赴く場合あり。(訳:ん、それだけだっけ?)

アレイン(Alain) 死亡の場合あり、それ以外の場合はギャロウズに戻る。

キャスティロン(Castillon) 死亡の場合あり、それ以外の場合は逃走。

ストラウド(Stroud) グレイ・ウォーデンの任務に従事。カークウォールで姿を目撃されたのが最後。

ダナリアス(Danarius) 死亡の場合あり、ミンラソウスに帰還する場合あり。

ヴァラニア(Varania) 死亡の場合あり、カークウォールから逃走する場合あり。

オラナ(Orana) 解放されるかもしれず、チャントリーに送られるかもしれず、ホーク家に仕えるかもしれない。

ドニック(Donnic) カークウォールの衛兵勤務を続けている場合あり、それ以外はアヴェリンと結婚。

ジャネカ(Janeka): 死亡の場合あり、それ以外の場合コリフェウスに憑依された模様。

ラリアス(Larius) 死亡の場合あり、それ以外の場合コリフェウスに憑依された模様。

**********

 さて、スティーヴは、このリストと何の関係もなく、次の記事で「DA3に出たらいいな」キャラクター・リストを掲載している。  
 ちょっと待て、このデータはただ載せただけか?
 たしかに、さすがのスティーヴでも記憶違いのせいか網羅できていない部分も、なんか違うなという部分もある。私もいまいち不確かな記憶に頼らざるを得ない部分もある。あるいはガイドブックあたりで読んだ内容が本編からサクッと削除されているのかもしれない。例えば。

・イゾルデ(イソールド)はコナーを救う犠牲となって死ぬことありますね。私がなにもわからずプレイした一周目がそう。かなり悲惨。
 だがウォーデンたちがコナー自身を手にかけてしまう場合もあると後で知って、「BioWareひでえ」と口では言いながら、まだまだすごい選択があるんだろうなと喜んだ記憶がある(で、その後でわけもわからずサークルタワーのアナルメントを不本意ながら発動してしまったのだ・・・。ひでえ)。

・「アウェイクニング」のセネシャルがダークスポーンとの戦いに生存する場合ってあったんだっけ? つまり、アマランティンからヴィジルズに一旦戻らず、直接ジ・アーキテクトの元を目指せば、結果的にヴィジルズは保たれるから? いやあ、それだとヴィジルズは壊滅するんじゃなかったのかあ・・・。

・フェンリエルは、いきなりフェイドに放置される場合ありませんでしたか? つまりホークたちがサボって何もしない場合。あのクエストはクリティカル・パスじゃなかったような記憶が。放置の場合、フェンリエルの精神が夜な夜な悪夢の姿としてカークウォールの街に徘徊するとかなかったでしたっけ?

 
 せっかく訳したスティーヴのリスト、そんなオタクの重箱の隅つつきをやって喜んでいる場合ではない(たしかに面白いけど)。
 少し分析してみましょう。
 それについては次回だ。

**********

ネタバレコーナー
 くどいですが、以下小説版、コミック版の内容に触れていますので、老後の愉しみにとってある人は読まないのが吉!

(すまん時間切れ。明日更新予定)

 

 ここのネタバレは主として小説版Asunderの内容に触れます。一部だけコミックのネタバレもある。

レリアナ(Leliana) ザ・ディヴァインにシーカーとして仕える。DA2のラストシーンが最後に目撃された姿。【末尾へ】Asunderにも登場。

ステン(Sten) 死亡の場合あり、セヘロンに帰投している場合あり。【末尾へ】先代アリショクがカークウォールでのホークとの決闘に敗れた後(正典扱い)、後継アリショクとなっている。Those Who Speakでアリスターと再会。アリスターをぶん殴るだけだが。

ウィン(Wynne) 【末尾へ】 Asunderエンディングで死亡(というか延命切れか)。

シェイル(Shale) 【末尾へ】Asunderに登場。生存している。

 

2012年11月13日 (火)

ジャンル小説におけるロマンス(のなさ)

 こんなところで物語のハッピーエンドが是か非かなどと論じても、何も得るものはないでしょう。世の中には二種類の物語があって、ハッピーエンドかそうじゃないか。両方あるんだから、両方求められてるのでしょう、きっと。 

 ただゲイダーさんのいう、「メイン・ストーリーと関係しない、予め成就が約束されたロマンス」ってのは、実はそこらじゅうにありますね。主としてジャンル小説に。

 ラノベなんかはメイン・ストーリーがロマンスの場合がほとんどでしょうから、対象外だろうけど、テーマがそうではないもので探せばあると思う。

 かつてミステリー(推理小説)は、異性交遊ご法度であった。

 推理小説の古い掟、いくつかヴァリエーションがあるが、日本人(いまや「だけに」かもしれない)に有名なのは「ヴァンダインの二十則(20のルール)」でしょう。
 詳細をお知りになりたければ「Wikiれ、ぐぐれ」ということですが、その三番目にあります。

 "ストーリーを読み解く上で意味のないラブストーリー的要素を登場させてはならない" 

 じゃじゃーん。

 似たようなものにこんなのもあります。十六番目。

 "ストーリー展開に影響を及ぼさない描写や文学的表現は省略すべきである" 

 ヴァン・ダインの説明からはじめなければならないとすると、おっさんちょっと脱力してしまいますが、一時期は米国推理小説界のエースとされていた作家さん。フィロ(ファイロ)・ヴァンスなる、叔母の莫大な遺産を相続して暮らすハーヴァード大学卒の有閑独身主義者が名探偵役で、ニュー・ヨークを舞台に「僧正殺人事件」など、いくつもの難事件を解決したことになっている。

 上のルールは、英国のアガサ・クリスティがそれまでの推理小説の暗黙の掟を無視しまくって好き放題やりまくって、かつ大絶賛を浴びたことを受け、おそらく嫉妬の念ともに「掟を守れや!」という意味で怒りに任せて明文化したのでしょう。(つうか「そんなトリックわしゃとーっくの昔に気づいとったんじゃが、恥ずかしくて使えんかったのよ!」というスノッブ主義の負け惜しみだろう。立派に研究している人いるだろうから、知りたければそっちに聞いてみて)

 前身となったかどうか知らないがさらに古いノックスの10のルールに「恋愛禁止」はないので、ヴァン・ダインがクリスティなどの作品のロマンス重視の傾向を苦々しく思って書いたのか。(名探偵フィロ・ヴァンスが作者ヴァン・ダインその人のアヴァターであるそうだが、そうであれば「有閑独身主義者」ってところ、ミソですよね)

 いずれにしろ、20のルールはごらんのとおり「破ってなんぼ」の世界にさらされ、今では逆に掟破りが陳腐すぎて、必然的にみな守るようになったとか?

 ヴァン・ダインなどとっくに忘れ去られた一方で、アガサ・クリスティを知らない現代人はまずいないのではないかしらというのも皮肉。

 ヴァン・ダインを弁護するなら、ポオから連なる分析的知性の小説であるジャンル(推理小説)にフリル(飾り)は必要ない、と言いたかったのだろう。ま、今誰も彼のことを知らないのだから、結局間違ってたんだね。

 次にサイファイ(SF)行ってみよう。って、完全に詳細失念してしまっているのだが、こちらのより若いジャンルにも黎明期には同じように「掟」、あるいは「タブー」のリストがあったはずなんだよね。

 こちらの「掟」は、主としてパルプ・フィクション時代の売れてなんぼ、「BEM(目玉のやたらでかい異星怪物)とレーザーガンを持った半裸のお姉さま」が登場する名ばかりのサイファイ(SF)とは一線を画して、「少しはまじめに科学やろうよ」と訴えかけた専門誌編集サイドの要請だったと記憶している。

 そのタブーにふたつ、「宗教ネタ禁止」と「セックスネタご法度」というものがあった。
 ふたつとも一気に掟破りしたことで有名なのがフィリップ・ホセ・ファーマー。爾来、何人かが続いて広げて、ふたつともサイファイになくてはならない重大テーマとして今日まで至る。

 広い意味でのサイファイにあたるファンタジー、たとえば火星の大元帥閣下「ジョン・カーター」にもあられもないヌード(半裸)やら、サドマゾもどきの際どい描写は山ほど出てくるが、セックスネタ自体は避けられている。 

 思いっきり男性中心の物語ですから、「コナン」のように主人公が出会う美女は片っ端から不幸な結末をたどる趣向もシリーズを続ける上で不可欠な要素だったのだろう。
 逆に「ジョン・カーター」のように「一目あったその日から」麗しの彼女と相思相愛、娶ってからもお互い一生尽くし倒すのもなんか気恥ずかしいけど。

 あちらではかつてジャンル小説の王道だった「ウェスタン」でも露骨な性描写は避けられていた。基本的にアメリカ女性嫌い(ミソジニー)文化の象徴的ジャンルであることはすでに書きましたね。「ホラー」はかつてエログロの代名詞。ただ最近ではもうジャンル小説の域を超えちゃったらしい。「ハードボイルド」はハメット、チャンドラーなどの「文芸」作品も登場するが、基本は「俺様のガンがものを言うぜ」のエログロ・ヴァイオレンス。でもマッチョなタフガイは女性に優しいのだ(男性視点でね)。

 なにが言いたいかというと、こうやって列挙してきた私は「一般化」したいわけだ。

 まずはアメリカのことしか言ってないな、と気がついた人鋭い。結局こうしたジャンルが花ひらいたのはアメリカで、かつパルプ・フィクション・マガジン勃興時代。スタンド売りの雑誌にはエロ・グロものもたくさんありました。一方で特定ジャンルに絞った作品で売っていこうとしていた刊行物の編集者たちは、マーケティング上、「エロ・グロ」とは一線を画そうとしていたのでしょう。次号も間違いなく買わせるには、エロ・グロじゃない続き物のほうが固いもんな。前提として、当時の読者は大多数が男性である。 

 つまり、アメリカのジャンルものはここで戦略的に「毒抜き」された。セックスと一緒に、ついでに紛らわしいロマンスまで毒抜きされちゃったのじゃないか。ここにも女性嫌い(ミソジニー)文化の影響もあったのでしょう。

 まあ、その後の展開について、根拠のない妄想を爆発させていきますと、半裸のお姉ちゃんが表紙に乗ってない、中身にエログロのないパルプ・フィクションは家庭に持ち帰りやすい。女性も手に取るようになったが、登場人物には何のロマンスもない。つまらない。そういう読者の声が編集に伝わるようになる。 

 編集は手のひらを返したように、「おい、作家ども。ちっとは、ロマンスも入れろや」と号令をかけるが、でもジャンル小説にロマンス?
 上のヴァンダインやサイファイの掟ではないけど、そういうの抜きでいいっていうから書いてたんだよな。ロマンスなんてそう簡単に書けません。

 「いいんだよ、とりあえずチューさせりゃいいのさ、チュー!」

 セクハラなんて言葉すらない時代ですからあしからず。もちろんホモセクシャルなんて話題にするのもまだタブー(ここにも掟破りはあっただろうが)。

 で、結局話の筋とはまったく無関係に、主人公(ほとんど男性でした)とヒロインとのとってつけたようなロマンス劇が繰り広げられるようになっていく。言葉が適切かどうかしらないけど、ジャンル小説にロマンスが「移植」された。

 有名ミステリーなら、クイーンでもカーでもおして並べて主人公と相方のロマンスはあけすけに好意をさらけ出しあうヴィクトリア朝風で「ああ、このふたりはくっつくんだな(くっついてるんだな)」と最初からわかるようになっている。まずほとんどがこういうパターン。
 もともとミステリーといってもパズラー、殺人「パズル」だから、謎解きに影響を与えない、解明過程で変数とならない(でも触媒にはなりうる)、読者が安心できるようなこっち(読者)側の視点にたったカップルが都合よかったのでしょうね。 

 でも、きっかけがないと手を握りあったりさえしない、やたら純情カップルなの。

 そして、深夜に屋敷の回廊で怪しい人影を見かけたそんなふたりが、犯人らしき者の魔の手から逃れるため狭いクローゼットかなんかに一緒に身を隠し、彼女のブラウスを通して若く早い鼓動が彼の手の甲に、胸元には熱い吐息が、とか陳腐な流れになるわけよ。

 中学生の肝試しレベルかよ。いやほんとそんなもんよ。 

 予め約束されたロマンス。しかも物語のメイン・プロットに一切関係しない、というのはこういうものが好例だと思います。サイファイにも、ファンタジーにも、ほかのジャンル小説にもたくさんあるでしょう。

 そんなもんでも読者が感動していた時代、作家は楽っちゃ楽だったのだろうね。

 今となっては読者サイドがすれっからしてるから、やれロマンスが陳腐だの、ハッピーエンディングはだめだの、悲恋がいいだの、うるさいったらありゃしない。

 「ハリポタ」まで、主人公がやむにやまれない性の衝動にかられてしまうご時勢だ。現代的? 
 もちろん、あの「オズ」にしても実はただ「性」しか描いていないといううがった見方はあるのですけどね・・・。

 一部を除いて、なんら時代考証もしていなければ、裏もとっていなければ、ろくな引用もしていませんが、時間とやる気あったらできます。当たらずとも遠からずだと思いますけどね。

 

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2012年11月11日 (日)

【DA3】ハッピーエンディング

 DA3に関する「公式」情報は、来年春まで刮目(かつもく)して待て。

 そんなに眼をこすりながら見開いていたら(刮目していたら)、ものもらいでもできてしまいそうだ。ドライアイなんて現代病もあるらしいし。 

 「春っていつのことだ」という例によって例の如しのくだらない論議(ホリディシーズンっていつだ、年末っていつからだ、とか)もあるだろうけど、情報のない期間のフォーラムで個人的に唯一楽しめる話題は「文学的な」あるいは「物語構成上の」話題です。

 人間、情報が乏しい状況に置かれると、どんどん細部(枝葉末節)に、ミクロ的な世界に思考が行ってしまう人もいれば、逆に「そもそも論」というか「本来論」のようなマクロ的な視座の議論になっていく人もいます。

 演繹(数学的帰納含む)に頼りがちな人は(たぶん多数派だと思うのですが)ミクロ的思考を愛するのでしょうが、帰納的に考えがちな人は(きっと少数派でしょうね)マクロ的な結論を手に入れたがる。

 別にここでロジックの厳密性を求めるわけじゃないんで、よくある例で言うと。

演繹:人は必ず死ぬ。ソクラテスは人だ。ゆえにソクラテスは必ず死ぬ。

(枚挙的)帰納:人であるアリストテレスは死んだ、人であるソクラテスは死んだ、人であるプラトンは死んだ。よって人は死ぬ。 

 なにか未知の事柄を推測したいとき、別に特定の誰かが常に演繹・帰納で考えているわけじゃなく、アナロジーとかアブダクションとか(広い意味での帰納)もいろいろ組み合わせているはずなんですけど、演繹は前提が正しければ結論も正しい(ざっくり言っています)が、情報量は前提以上に増えない。帰納は基本的に一般化ですから、前提が正しくても結論の正しさは保証されない(正しくないときもある)が、情報量は前提より増える。

 個人的に帰納を選好するのは、演繹は(1)「前提が正しければ」という条件がきつい、(2)情報量が増えない、という二点からだと思います。

 もっとも、最初から同じ結論を導こうと思えばどんな方法でも一緒だ。たとえばヘイターのロジックは大体次のような類型になるでしょうな。

演繹:BioWareの作品はファンの支持を得られない。DA3はBioWareの作品である。ゆえにDA3はファンの支持を得られない。

(枚挙的)帰納:BioWare作品であるSWTORはファンの支持を十分得られなかった。BioWare作品であるDA2はファンの支持を十分得られなかった。BioWare作品であるME3はファンの支持を十分得られなかった。ゆえにBioWare作品であるDA3はファンの支持を十分得られないだろう。

アナロジー:Mass Effect 3のエンディングはファンから惨憺たる非難を浴びた。Mass Effect 3もDA3もBioWareの作品である。ゆえにDA3のエンディングもファンから惨憺たる非難を浴びるだろう。 

アブダクション:DAOに対するファンの評価は高かったが、DAOに次ぐシリーズ続編であるDA2に対するファンの評価はDAOより劣った。シリーズ続編に対するファンの評価は大抵前作より劣るものである(仮説)。ゆえにDA2に次ぐシリーズ続編であるDA3に対するファンの評価はDA2より劣るだろう。

 まあ、お遊びはそのくらいにして。

 なんらかのロジックを用いて、DA3は(主人公にとって)ハッピーエンディングにならないだろうと推論しているのがOP。本旨はだからこそハッピーエンディングにしてほしいという要望だ。

 http://social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/14838427/1

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 ひとたび世界が救われたなら、主人公にもなんらかの個人的幸福を与えてほしいと切に願います。
 惨めにひとりきりで残されるなら、たとえ世界を救ったとしても苦い思いしか感じない。DAOのエンディングには本当に苦々しい思いをしたから、その後本当に吐き気を催し、ベッドから起きてGravol(カナダのおう吐抑止薬)を取りに行かなければならなかった。

「イェイ! みごとに世界を救ってくれたな! 悪いけどそれでも君はメイジ/どうでもいい非嫡子/エイリアネイジから追放されたエルフ/一族から追放されたエルフ/カーストレスのドワーフ/居場所のない元王子(王女)なんだよな、申し訳ないね」

 あのさ、あなたのポキッと折れそうな首が救われたのはいったい誰のおかげだと思ってるんだい?

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 うおっと、OPの文章があまりに面白いので丸ごと訳しちゃいましたぜ。

 しかもOPがリンクした先のファン・コミックは、DAOエンディング後に女性エルフ主人公が戴冠したアリスターとも(ウォーデンであるだけじゃなくエルフだからなあ)ゼヴとも(例のループ・バグだな)ロマンスが成就しないでさびしい思いをしています、BioWareちね、ってネタですね。

 ハッピーエンディングを求める声は常にありますね。これぞ私の求める「そもそも論」のひとつです。

 さすがにゲイダーさんも登場してOPに対して答えてますね。 

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 DAOが苦いアンハッピーなエンディングだと考えているなら、DAは君向けのシリーズじゃないかもよ。この種のトピックの他のスレッドから、ある人々はファンタジー的な願い事の成就を真に求めているってことが私には容易に読み取れるんだ。世界を救い、恋人を手に入れ、その後幸せに暮らしましたとさ、ってやつ。それはそれでまったく真っ当だよ。

 でもDAはそういうシリーズじゃない。すべての物語は苦い調子で終わる必要があるといっているのではないが(私はほろ苦いエンディングが一番好きだとよく冗談をとばしてはいるけど、実際にはすべてのエンディングがほろ苦くあるべきだと考えているわけではないし、「ほろ苦い」(bittersweet)って言葉のとおり、そこには実際にどこかに「甘さ」(sweet)がなくちゃならないと思っているんだけどね)、ヒーローがなんらかの個人的な代償を払わないエンディングってのはありえないと考えている。(スターウォーズの)イウォークのパレードみたいな「イェイ! 欲しいものは全部手に入ったよ!」といった感じの自尊心を増大させるようなエンディングはわれわれは用いないよ。そのことが過去二作品のDAゲームでいまいちハッキリわからなかったなら、君は注意を払ってなかったのではないかな。

 また、ちなみに付け加えるならば、Mass Effectについて君たちがどう考えるかは、この点についてはまったく関係ないんだ。開発サイドで両者のスタッフが交流することなど極めてまれであるから、過去のパターンみたいなものを探したり、認識されたパターンが将来も続くと期待したりすると、君の側にさらに多くのフラストレーションを溜めるだけになる。だからなんだってわけじゃないが、そう言っておくよ。

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 ゲイダーさんは、もっかい出てるな。

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(OPの望みは、DAOのエルフ女性主人公がひどいやり方で振られたからじゃないんだろうか?)

 私の印象じゃ、ロマンスのプロットがメイン・プロットと分かれているとみなしている人々がいるみたいだね。つまり、どんなロマンスでもそれを提供するってことを、プロット上で他にいかなることが発生したとしても、ハッピーな結末として成就することが保証されている契約みたいにみなしている。結婚して子供を産むためではないとしたら、自分たちの望む形のロマンスの世界に逃げ込んで舞い上がってみたいってことなんだろうな。 

 それには賛成しかねるんだ。そういうエンディングはもちろんあってしかるべきだが、必ずそうであるべきだって発想にはね。だって彼らの存在そのものが、物語全体をラヴストーリーと化してしまい、それ以外の一切合財が二次的なものとなってしまうんだよ。それを望む人がいることはもちろん理解できるけど、端的に言って決してそうはならない。十三年前に私がゲームのロマンスを書き始めた頃にもそうはならなかったし、今でもならない。私がそう告げると、苦しみのあまりのた打ち回って、われわれがなぜ「わかってくれないのか」、物語を素晴らしいものにする方法を完璧に間違えているのか、と絶望に打ちひしがれる人たちが出るんだろうか? おそらくね。と言ってもねえ。

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 英雄が個人的代償を払わない勝利はありえないって話には深く頷いちゃいますけどね。
 古今東西、英雄ってそんなもんですよ。

 ハッピーエンディングは御伽噺の世界ですね。英雄(ヒーロー)は旅立ち、ドナー(英雄になんらかの力を授ける存在)の試練を乗り越え(力を獲得し)、姫(あるいは同種の相手)と結婚するのが定型だそうである。裏返すと、シンデレラなんかもそうかな。

 英雄と怪物(宿敵)の戦いは基本相討ち。しばしば不可思議な死を遂げ、遺体は逸失する、埋葬されない、子孫を残さない。あるいはひとたび勝利して生き残っても復讐による殺害、嫉妬による追放、政敵の追及による投獄、慢心による油断、不幸な結末はなんでもありだ。
 また家族・友人を喪う話は必ず含まれる。そもそも貴種流離譚のように、出生時点で親に忌み嫌われる、家族から引き離される、里子に出される、不可思議な存在に養育されるなんて話もたくさんある。 

 なぜそうかなのかというと、あんまし自分で考えがまとまっていないけど、ひとつには乱世と平時の間の「バランス」を保持するって発想があるのでしょうかね。「英雄のいない国が不幸なのではない、英雄を必要とする国が不幸なのだ」というフレーズが言い当てているように、本来人間社会に必要ない存在。必要とされるときにだけ世界に顕れ、必要がなくなれば消え去る運命。役割が終わってもこの世界に残ってしまうとバランス的に「余り」、「過剰」となってしまうとみなされたのか。ユング心理学に造詣が深いわけじゃないけど、英雄元型が自我の肥大であるとか母親コンプレックスとの関係とかそういう無意識に関する話題も関連するんでしょうね。

 たぶん上とも関連するのでしょうけど、物語論としてとらえれば、主人公へのコミットメント(のめりこみ)とデタッチメント(突き放し)の話題なのでしょうね。で、DAでは少なくともデタッチメントも重視するということでしょう。「世界は(人生は)やっぱりこうなってるよな」という納得感を与えるようにするということ。

 リアンドラの話のように「やりすぎ」は勘弁して欲しい。確かに現実社会でも事故や犯罪に巻き込まれて家族・友人を喪う場合はありますけど、物語の中まで(単に感情を揺さぶるためだけの目的で)そういうのを持ち込むのはどうかと思う。

 逆に、ギャムレンとシャレード(でしたっけ)の再会(ではなく初対面)シーンにはグラッときました。あれはやばい。うますぎ。発現させなかった人お気の毒。

 でも、お分かりだと思いますが、ギャムレンやシャレードに(あるいは突然従姉妹が現れたホークに)なんらかの思い入れ(コミットメント)があったからジンときたんじゃないのです(いや、だってあれまでの過程でどうやって思い入れしろっていうの?)。ああいう話は世の中にきっとあるから。デタッチメントでいっちゃいましたね。「あるある、あるなあ」って。 

 でもリアンドラとの関係でバランス取れてるとは思わないけどね。

2012年11月10日 (土)

ポー、リンカーン

 強行軍で観てまいりました二作品。 

 「推理作家ポー・・・」は"The Raven"(2012)。

 「リンカーン」と書くと、スピルバーグの"Lincoln"(2012、日本公開は2013年春ですかね)と混同しそうですが、ここのブログでそっちを先に取り上げることはあるはずがない。もちろん"Abraham Lincoln: Vampire Hunter "(2012)のほうです。 

 「ポー」は期待したんだが・・・。

 ひとことでいうと、オタクが「雑学」をちりばめた(つうか、眼いっぱい放り込んだ)中途半端なオマージュもの。 

 誰か(内田樹氏かな)の受け売りですが、「雑学」と「教養」は違う。

 「雑学」は、「ある分野について、知りもしないことまで含めて必死に網羅的に覚える」ことで、映画なら「観てもいない映画に関する表層的な薀蓄(誰が監督で、主演が誰で、どうしたこうした)をひけらかすため溜め込む」ようなこと。

 一言で言えば、あのNHKこどもニュース出身のなんとかいうおっさん(固有名詞忘れたが調べる気も起きない)のやってるようなこと。つまり、薀蓄の羅列にはこどもしか感動しない。

 そして雑学博士は「(ある特定ジャンルに関する)知識を知らない(と白状する)ことは許されない」。非常にたちの悪いオタクの類型ですね。知ったかぶりのカーミット(セサミストリート)。 

 「教養」は、「そういえばあれもそうか」、「その話で思い出した」というフレーズが象徴するような、ある種本質的、根源的につながりのある事柄を連関付けること。それができる人が教養ある人だそうです。 

 (おおかたの)庶民にとっては悲しいことに、ほぼ生まれつきで素養が分かれてしまうそうだ。(ほとんど生い立ち、保護者のおかげなのだが)幼少の頃から青年期に達するまでに広く文芸や芸術・知識に触れることによって、自然と身につくのが「教養」。

 そういう青少年時代を経ていない者には、「雑学者」になるしか道がない。武士の情けで「オタク」と呼ぶのはやめておく。

 たとえば映画なら、「雑学」しかない者は「この映画は誰それが誰それの原作に基づき、アカデミー賞受賞者が三名出演していて、登場する艦船・列車などは実際のなんとかを実寸大で再現したセットを半年の工期で完成させ、撮影は実際の事件の起きたどこそこで数千人のエキストラを動員して数十台のカメラをどうしてこうして、だからすばらしい」、あるいはそういうスペックではないから「つまらない」とかのたまう。
 逆に言えば、そんな内容なら映画を観なくても評価できる。

 「教養」ある者は、誰が監督だとか脚本だとか、どうしたこうしたなど一切知らずとも、実際に映画を観れば、直感的に「すばらしい」、「つまらない」と述べることができる。「これは違う」、「これはいいものだ」と嗅ぎ分けるのは、なんすかね「テイスト」なんでしょうかね。

 テイスティングは、圧倒的に「場数」の勝負ですからねえ・・・。

 別に私が教養あふれる人物であるなどとは言っていない。

 だが、ガキの頃にポーを読んでちびり、その後も何度か読み直してちびり、今回また翻訳者丸谷才一さんの訃報に接して読み直してちびった者として言いたいが、あの映画は、ちょっとないよ。 

 ネタばれになるので詳細触れませんが、「ポー」のミステリー系、ホラー系の小説群の本歌取り的な犯罪が連続して発生する。いわば、できの悪い「セヴン」("Se7en"、1995)だ。いや「セヴン」も言うほど出来がいいとは思えないけど、あれ観ちゃった人に「ポー」を観て驚けはきつい。小説ではもっと隠避で残酷で鬼畜な犯罪(事件)だったはずのシーンが、どれもこれもあまりにちゃち過ぎて一気に興をそぐ。

 味わい自体、テレビ映画的な安っぽさが拭い去れない。物語進行も典型的マッチポンプ。犯行現場の何箇所かで主人公たちは犯人らしき姿を見かけるが、その都度必ず取り逃がす。次の犯行現場を指し示すシグナルが残されているが、カギはすべてもとの小説の中にあるので、予備知識なしで観た人にとっては、主人公たちのせりふに頼るのみで、ただわけもわからず誘導されているだけでしょうね。
 しかも、あまりに多くの「事件」を盛り込んでしまっているので、ひとつひとつの事件(小説)に関する薀蓄をひけらかす暇もないくらい、表層的にエピソードをなぞっていくだけである。

 ダウニーJr主演の「シャーロック・ホームズ」シリーズも原作を大きく逸脱していたけど、予備知識なしの人が取り残されるようなことはなかったと思う。しかもダウニーJrのホームズは、あれはあれで「あり」だから。

 「闇」の作家と呼ばれたポーの描く神秘的な闇の恐怖も、深夜にランタン(あるいはむき出しのロウソク)の灯りだけに頼って活動する主人公たちの捜査で表現したつもりなんでしょうか。それも見事に怖くないんですよね。
 ポーの定番とも言える生きたままの(早すぎる)埋葬も描かれてはいるのだが、見せ方どうでしょう。あれが怖いのは元から閉所恐怖症の人かな。土葬文化のアメリカ人は怖がるんだろうか。もうちょいやり方あったな。

 ポーが前から好きな人は「ずいぶんぞんざいに扱ってくれたな」と思うし、予備知識のない人には「なんだか途中意味がよくわかんないところがいっぱい」となるんじゃないかな。

 結末もあまりにポー自身にまつわる薀蓄にこだわりすぎて、こじんまりしすぎ。

 むしろポーの短編、「お前が犯人だ」のプロットでもそのまま使ったらどうなんだ、と思いましたよ(それこそ私の薀蓄か)。

 ヒロイン役のアリス・イヴは今をときめく女優なのか、とても魅力的だ。映画を観るべきかどうか悩んでる人にはそこだけは推せる。ただ登場場面はそんなにないけど。
 主演ジョン・キューザックも立ち居振る舞いが窮屈そうでもったいない。

 一方、「リンカーン」のほうは「つべこべ言わずに観ろ!」というつくり。リンカーンに関する史実をいやになるほど知っているアメリカ人でも「なるほどね」と頷けるようにうまく利用しているそうで(本気で怒っている人ももちろん多いそうだが)、吸血鬼譚という荒唐無稽な話のつくりを邪魔しない。むしろ立身出世前のリンカーンの生活ぶりや家族関係は史実を逆手にとって物語の起承転結にばっちり役立てているところもある。

 敵役ヴァンパイアの表現は・・・、まあもう誰もがヴァンパイアものには飽き飽きしてますからねえ。きっとあんなもんでしょ。奴隷商が吸血鬼であるという露骨なアナロジーに眼をつぶることができれば問題なし。天草四郎が実は魔界とコンタクトしていた、みたいに考えればいいんじゃないでしょうか。

 南北戦争、ゲティスバーグの戦いのくだりでは、ヴァンパイアが劣勢な南軍を加勢するというわけのわからない展開となり、さすがに南軍びいきは怒るだろうなあと思いましたが、今となっては奴隷制を正面きって弁護できる人など(アメリカ人では特に)いるはずもないんでいいのか。 

 リンカーン本人が登場するラストシーンも非常におしゃれで(ネタばれになるから書かないけど)、私は気に入った。あれはうまい。歴史を知らん人にとっては、あれじゃ何にもわからないのもいい。そのくらいは知っとけ、です。

 その後のエピソードもいい。マリン・ワン(大統領専用ヘリ)が登場することで現代のホワイトハウスに時代が移ったことが示されるシーン。
 「ふふっ」と思わず笑ってしまうような素敵な仕掛けがあります。まあ、悪趣味だといえばそれまでだが。 

 ということで、意外にも当初期待しなかった「リンカーン」のほうが高評価でございました。

 ただ、両方の映画ともエンディングであんまし大したことのない大音響のディストーション系ロックをBGMに用いるのはなんでなんだろう。最近の流行だろうか。若者に媚びているのだろうか。あれは正直いらないな。

【DA3】アップデート(が当分ない件)など

 DA3に関するアップデートは、来年春までございません。

 DAWiki経由でDAフォーラムにそういう公式見解がアップされていることを知りました。

 PR担当イーヴィル・プレスリー氏のポストは公式情報です。

http://social.bioware.com/=http:/social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/14842778

 やっぱこの人たちの情報の出し方は、相変わらずこなれてないなあ。

 設立者ムジカ・ゼスチャック両氏のリタイアにあわせて無理に開発を発表しちゃったんだろうなあ。それはそれで気の毒なのだけど。

 私がスペキュっちゃうと、DA3はマルチプレイ・ポーションの内容が詰まってないんだろうな。ソロ・パートだけはすでに情報リリースできるのだが、EAのマーケMBAから「待った」がかかったとみた。ME3で一回ソロプレイを先行開示して、あとからマルチプレイを追加するというPR面での失敗やらかしてるからね、連中。あのときはリリース自体が半年遅れた。

 DA3もマルチプレイが固まるまであと半年かかるんだよ。よって2013年秋というリリース時期も磐石じゃないなどとは口が裂けても言いたくないが。

 フォーラムではすでに、「BioWareの(毎度お粗末な情報管理の)ことだから、どうせすぐにリーク情報が出るよ」という声が多数。またスペキュレーション(憶測)情報に基づいてスペキュっちゃう人がいっぱい出てくるのだろう。

 「新作の情報をいずれ出す出す」といってほとんど出さないこともあって、World Bookにしろ、ゲイダーさんのコミックにしろ、あのアニメ映画にしろ、「EAの金儲け主義が猖獗(しょうけつ)を極めているその証左」というふうにしか扱われていない。「なんならもう一本アニメ映画を出したらどうだ」と、あのDawn of Seekerまでが冗談ネタ扱いにされてしまっているのがわびしすぎる。でも、もうちょっとDAの考証は尊重してほしかったよ。

 一方MEシリーズは、すでにトリロジーが出ていますね。PC版はOriginで入手可能であることを確認しました。さすがに買ってはいない。DLCのOmegaが11月27日(現地)リリースなのでOriginでも入手できそうだから最低そこまでは触らんでおく。

 PS3日本語版も、もちろん待つぜ。

 Mass Effectのアニメ映画もそろそろリリースではなかったかな。

http://masseffect-anime.jp/

 おっと、日本語公式もあるのか。ってぜんぜんアップデートしてないし。

http://www.gamespot.com/news/mass-effect-paragon-lost-teaser-released-6398962

 GameSpotによると12月28日リリース。ヴェガが主人公? 個人的に様子見です。というかたぶんスルー。

  ちなみに実写版MEについては、ライターも交替して二転三転、まだ企画の命が続いているとしてもまだまだ先ですね。アニメもそうだけど、旬の時期は完全に喪ったくさい。

http://www.gamespot.com/news/mass-effect-movie-loses-thor-writer-6398862

 ああ、お気に入りのフランチャイズふたつが眼に見えて勢いを喪っていく様を目の当たりにするのは残酷な体験だなあ。

西へ西へ(3)

 「西へ西へ」で ひとつ(いや、ふたつ・・・、みっつか)書き忘れたことがありました。

 まず「インクィジション」に無理にでもこじつけると言っていながら、こじつけてないことに気が付いたことがひとつ。
 あとは直接DAシリーズに関係ないので、まあいいかと思っていたものもあるのですが、もしかしたら関係あるかもしれないので書いてみる。

 関係ないかなと思ったけど、おもしろそうなのは、「アメリカの西漸運動は今も続いているのではないか」との絡みで、中華思想(華夷秩序)との関係。
 大陸国の中華思想で皆が(日本人が特に)誤解しているのは「版図には境界がある」という考え方。 
 日本人は中途半端に詳しいのが問題。世界史(東洋史)の教科書なんかで、東夷はこっち(日本を含む)、北狄 、南蛮、西戎はここらへんという例の地図を一度は見ているので、なんかその範囲が決まっていると勘違いしている。

 
 境界は「ない」です。天子のいる中央(中原)があり、臣民(民草です)がおり、その周りは化外の地(王化が及んでいない土地、天子の支配の及ばない地域)で全部果てしなく周辺です。日本人のようにこっからここまでおれのものと線を引いて喜んでいるような島国の発想はない。(日本人の島国根性を示す好例は大東亜戦争(太平洋戦争)時の「祖国防衛生命線」というやつですね。自分から戦争仕掛けておいて最初からすでに守りに入っているわけです)

 よって中華思想の持ち主にとって領土に対する欲望は無限(というか地球全部、月とか火星は除く)です。そして大陸国は中華思想の持ち主が統治しています。
 島嶼問題にしても、日本人がここらへんをいつもどおりに間違っているので脱力するしかないのですが。
 (島嶼問題を抱える半島国の発想はまた全然違いますし、今やロシアが領土的にはカンペキに守りに入っているのも興味深いところです)

 アメリカの場合は(その生い立ちから当然のように)非植民地主義を標ぼうしているから、領土に対する欲望を直接的に表明することはないが、キリスト教的価値観(信仰)、民主主義(自由主義経済を含む)、法の統治(ローマ法準拠)という(ほとんど同じことを言っている)三点セットの価値観を全世界に広めることがすべての政治活動の根底にある。
 これも誰か(佐藤優氏かな)の受け売りですが、とても鋭い見方ではないでしょうか。

 不信心で(キリスト教徒は2%)、法の支配が及ばない人治主義(検挙されたら99%有罪)の日本がなぜアメリカの「同盟国」として許されているかというと、形式上は民主主義国家だから。20年で16人も指導者(内閣総理大臣)が変わるなんて、民主主義が立派に守られている証拠ですね。あ、もうすぐまたひとり変わるのかな。
 でも生まれた時から100点満点のアメリカ合衆国からみたらこの島国は(三点セットの面で)ひどい劣等生なので、政治・経済的には内政干渉されまくり、外交・軍事的にはレッドペーパーなる「指示書」、すなわち「お達し」が米政府からばんばん来まくりだそうです。

 大航海時代に先手を打つことができたスペインとポルトガルは、支配権争いのいざこざでお互い消耗することを避けるため勝手に地球をふたつに分割しました。これは親戚同士の遺産分割みたいなもんだから、二国で地球を山分けという発想でした。一緒ですね。
 遅れてやってきた英国やオランダはそんなローカル・ルールは「知らんがね」と無視したのですが。

 帝国主義は(資本主義の最終形態とみなしたレーニンの影響もあって)植民地主義を指すのが一般的ですが、直接的に他民族・国家の領土を獲得する拡張主義のほか、生活水準や文化的に「後進」している地域に対するコスモポリタン的人道主義を標ぼうした文明啓蒙主義も含むことがあるといいます。

 レーニンにとって皮肉なことにソビエト・ロシアは両方の意味で帝国主義と呼ばれるようになり、かつて大英帝国だった英国とアメリカ合衆国は後者にあたり、日本国(かつては大日本帝国)ですら敗戦後の今もって帝国主義であることは間違いない(後者の意味では経済大国としてそうである。また沖縄がある限り日本は前者の意味でも「帝国主義」であるというのは佐藤優氏の説)。
 EUにしても集団的帝国主義を模索している段階でしょう。そして大陸国は言うに及びません。
 こうしてみると、先の大戦の主要プレイヤーが全部登場して、チーム分けが違うだけで結局何にも変わってねえんじゃねえの、ということになるのですが、そう簡単に変わるわけないよね・・・。

 信奉する宗教・思想の普及や統治がまだ手つかずの「後進」地域が世界にあるなら、そこにも「手を差し伸べ」て「啓蒙」しなければならないというのは、宗教的・思想的使命・責務といってもいいでしょう。そうしないのは(宗教・思想の担い手にとって)不信心、怠慢、あるいは反逆的思想なのです。

 「後進」とか「啓蒙」という言葉が相手に対する蔑視・差別を意味するのは言うまでもないですよね。 

 DA世界でいえばテヴィンターがインペリウム、「帝権国家」、「帝国」と名乗っているわけですが、もちろんオーレイも正式名称はオリージャン・エンパイア(帝国)。初代ドレイケン帝(Kordillus Drakon I )は拡張主義・帝国主義を標ぼうしていたといい、フランク王国の国王、自ら西ローマ皇帝を名乗ったシャルルマーニュ(カール大帝)がモデルだそうです。

 ドレイケン帝の誕生によってオーレイの領土は皇帝が一括所有することとなり、爵位は(ドレイケン帝のものも含め)あわせて全廃されました。
 よって「マーク・オヴ・ジ・アサシン」に登場するデューク(侯爵)やバロン(男爵)は正式名ではなく慣例的に用いられる呼び名。「アウェイクニング」に登場するバロネス(女性男爵)もオーレイのフェラルデン統治時代からフェイドに巣食っているのでやはり正規の爵位を有している人物ではありません。 

 クナリも現実に拡張主義であり、広い意味ではクン(キュン)の教え(宗教というより哲学)を他国家、他民族(注)に広める帝国主義的な側面もありそうですが、さて、ほかのセダスの国家はどうか。
 (注)クナリは国家でもないし、人種や民族を示すのでもないから、「他国家、他民族に」というのは語弊があって、「クンの教えの行き届いていない者たち」というべきなのですが、あのツノの生えた種族コシス(Kossith)が数的支配力を持っているため便宜上支配種族とし、その支配システムが集中しているPar Vollenを彼らの国家としておきます。

 面白そうなのでDAWikiで、ヒューマンの国家別の統治形態などを調べてみる。

Antiva: Constitutional Monarchy(立憲君主制)、その実はPlutocracy(金権制)
Ferelden: Feudal Monarchy(封建制)
Nevarra: Monarchy(君主制)
Orlais: Absolute monarchy(絶対君主制)
Par Vollen: Triumvirate(三頭政治)
Rivain:  ?
Seheron ?
Tevinter Imperium: Oligarchy(寡頭制)
Anderfels: Constitutional Monarchy(立憲君主制)
Free Marches: Confederation of city-states(都市連合)

    "?"がついている国々は、ライターたちがちゃんと背景設定をしていない、ということもあるのですが、クナリやテヴィンターの植民地か、かつて植民地であった土地なんですね。

 
 フェラルデンは封建制(フューダリズム)である。各地方にはレッドクリフ卿などの有力なアール(Arls)のほか、バノーン(the Bannorn)と呼ばれる細かく分割された領土のひとつひとつに領主(バン、Banns)がいる。DAOランズミートの場面のように、諸侯(領主たち)の多数の賛同を得なければ国王(あの場面のローゲインは摂政ですか)も重要な政治的決定を行うことはできない。

 テヴィンター帝国やオーレイが拡張主義、帝国主義であるのに対し、DAに登場する国家群のなかで最重要なフェラルデンがそうではなく、「いいこちゃん」に見えるのは、「なんだかアングロサクソン的えこひいきなのではないか」と思っていました。

 実はフューダリズムは、絶対王政(皇帝制)や独裁制(寡頭制)のような中央集権制とは程遠く、防衛戦争では(自分自身の領地を守るモチヴェーションが高いので)頑強に戦うものの、版図拡大戦争に向いた形態ではないのですね。

 リアル地球のヨーロッパでは、軍事技術が急激に進化した時代に、中央集権制への移行が加速した。騎士の活躍する時代では領地と鍛冶屋程度を準備すれば戦えたのだが、高価な兵器、複雑な軍隊組織、それを支える大規模な後方組織を一貴族、地方領主が運用することはできなくなった(もちろん、宗教改革の進展によって、従来の教会の取り分まで中央政府が合理的に接収できるようになったことも背景にある)。

(それがまた、絶対王政のスペイン・ポルトガルが大航海時代のさきがけとなり、立地的には同様に恵まれていたはずの英国・仏国では封建制のしがらみが足かせとなって内政掌握に手間取ったのが出遅れた理由でもあったのですね。大航海へ乗り出すためには国家規模のスポンサーシップが必須であったということでしょうね)

 封建制と書くと日本人は幕藩体制や「武士道」のイメージから「滅私奉公」とか「忠義」とかの美徳を体現していると考えがちですが、封建はあくまで君臣間の双務契約であり、間抜けな君主や怠慢な君主に殉じる義務はないし、君主ひとりきりに仕える義理もなければ、直接契約関係にない「君の君、臣の臣」は縛られない。支配秩序を高めるシステムではなく、むしろ支配階級に混沌を招くシステムであったようです。 

 都市連合の「連合」(Confederation)とは、それぞれ独立した主権(統治権)を有している都市(国家)の便宜的な寄り集まりという意味であり、盟約に基づく主権の元に都市(国家)群が寄り集まって外部に対して国家として振舞う「連邦」(Federation)とは違う。

 カークウォールにはヴァイカウント、スタークヘイヴンにはプリンス、タンターヴェイルにはロード・チャンセラーというそれぞれ独立した統治者がおり、フリーマーチズに彼らの上位にたつ統治者はいない。軍事的な結集を実施したことも極めてまれである。

 なお、建国初期のアメリカ合衆国が「連合」の形態で、現在の形が「連邦制」ですね。

【Skyrim】 Dragonborn

 噂はアタリ。タイトル(Dragonborn)も舞台(Solstheim)もフィーチャーされる仕様(dragon mount)もそのとおりのようです。

http://www.gamespot.com/news/skyrim-adds-dragonborn-dlc-december-4-6399474

 

 そして不肖あたくしが取り敢えず置いておいた「よくあるもうひとりの(そして悪の)ドラゴンボーンの話じゃないの?」というものもアタリ。
 みんな、褒めなさい! 

 だが、ふつうにもうひとりのドラゴンボーンを登場させたら「ドラゴンボーンが同世代に二人以上現れることは極めてまれである」という設定からしてご都合主義にならないか、どう料理するんだろうと思っていた。

 もうひとりのドラゴンボーンは最初の(ザ・ファースト)ドラゴンボーン。(Skyrimの主人公であるドラゴンボーンと)生まれた時代を変えてきやがりました。

 そして、トレイラーのナレーションの筋からいうと、そのファーストはドラゴンプリーストでもある(あった)ようだ。ただし、ドラゴンに仕える者ではなく、ドラゴンをむさぼり食らう者(デヴァウアラー)として。 

 Hearthfireでは私の心に安らぎの火は点らなかったが(うまいな)、Dragonbornは期待できそうです。問題は20USD(X360)というエキスパンション・セット並みのお値段。
 ま、買っちゃいますけどね。その分コンテンツの分量も多く、プレイ時間も(同じ20USDだった)Dawnguardよか長そうな感じだもの。 

 

 もちろんPC版のお友達が遊ぶことができるのは、1ヶ月以上はあと、クリスマス直前だろうね。その間、MS/X360版のいぢわるなお友達が遊ぶのを指が真っ白にふやけるまで咥えてみているしかない。

 さあて、これで私もようやくドラゴンプリーストのマスクも集めきることができるかな(それもやってなかったのね・・・)。

2012年11月 7日 (水)

西へ西へ(2)

 アメリカに国教はないと書きましたし、最近では政府任官時のオース(宣誓)は聖書ではなくてコーランに誓うことも認められたそうですが、合衆国大統領候補が明白にノンクリスチャンである場合、将来にわたって当選することはないと思うし、まず候補になれないでしょう。

 合衆国におけるモットー、いまでは硬貨に刻印され、紙幣にも表記されている"In God We Trust"でいう神は暗黙裡にキリスト教の神。モットーは南北戦争で一躍広まり、その後冷戦時に再脚光を浴びたという。

 DAのフォーラムではないが、信仰の自由には「無神論者」であることも含まれるわけですから、実は矛盾しているんですね。アメリカ人は細かいことは気にしない。ちなみにある時期発行された一部紙幣にはこのモットーの表記が欠落しているものすらあるという。印刷ミス。アメリカ人はちっちゃなことは気にしない(いいのか)。 

 先進国の中で、神(超越者)を信じる国民の割合は、合衆国が突出して多い(八割を優に超えているという調査もあった)。信仰心に篤い国であることは間違いありません。 

 さて、西漸運動によって、合衆国の領土は急速に拡大していく。「明白なる天命」という宗教的煽動が後押ししたのは間違いありませんが、背景には東部に遅れて入植した者たちが貧しい暮らしを余儀なくされていたこともありました。西に行けばなんとかなる、だって人は誰もいないから、という功利的な発想があった。

 いろいろな資源が(それまでネイティヴがほとんど用いていないため)手付かずのまま豊富にある一方で、労働力が追いつかない。アフリカから強制的に連行された奴隷の使役も広まっていく。やがてアジア大陸から大量の労働者もやってくるようになる。

 「ここら辺の土地全部とーった」と誰もクレームしていない広大な土地に縄を張って一安心しても、成功物語まではまだ遠い。家族で小さな牧場なり農地なりの世話をしつつ、細々と経営をはじめるしかない。クリント・イーストウッド監督主演の映画「許されざる者」(Unforgiven)でもなんでもそうじゃないですか。なお、あの映画こそ修正主義西部劇と呼ばれた理由はいくつかありますが、実際に当時アジア大陸からの移民が大勢いたことをはじめて表現したのもひとつ。登場人物のひとりである英国人の暗殺者・殺人鬼イングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)のあだ名を覚えていますか? 「チャイナメン・キラー」。

 考えればすぐわかりますが(といっても大陸の本当の規模感は日本にいるとなかなかイメージ沸かないかもね・・・)、そこまで版図が拡大してしまうと、まず「法」が行き届きませんね。同様に(というか実は同じことを言っているのだが)「教会の教え」も行き届かない。まるで映画のような、無法で堕落した西部が実現してしまった。酒、賭博、暴力、売春、詐欺、人攫いなどなど。

 教会がないから、当然学校もない。必然的に文字を学べない、読めない者が増える。聖書だけ配られても意味がないんですね。 

 比較的大きな集落でもなければ法の執行者である保安官(マーシャル、一部ではシェリフ)を置く余裕もない、ましてや無頼漢が徒党を組んで集落を襲ってきたら多数に無勢、ライフルで迎え撃とうにも保安官助手(デピュティ)だって数が揃わない。騎兵隊なんて呼んだってきやしない(今わの際に突撃ラッパの音が聞こえ、颯爽と駆けつけて来るのは映画の中だけだ)。このトラウマがあるから全米ライフル協会が今でも暗然たる政治力を有している、ってのもこじつけでしょうけど。 

 ところが、げに宗教的熱狂は恐ろしい。当時宗教的空白を恐れた教会は宣教師をリクルートします。集められたのは当時から合衆国の知性を司っていたハーヴァード大学など東部エスタブリッシュメント出身者の牧師などではなく、まともに聖書を学んだこともない無学な、だが屈強で不屈の闘志を有している若者たち。マッチョなタフガイ牧師。もちろんガンさばきも必須要件です。説教の途中でならず者がやってきたら、住民たちと一緒にライフルで撃退しなければならないのだから。

 その説教も中身なんてどうでもよく、「細かいことは気にしない」ノリそのまま、神の教えは「こうじゃあ!」、お前たちはみな「呪われているのじゃあ!」と叫び続けたりする。集まった住民たちは熱狂して、恍惚感にみまわれる。

(いま、オバマ大統領の勝利演説をテレビのCNNでやっていますが、まあ、きっとノリはこれと似てるんでしょうね。みんなただ踊ってるもの!)

  内田樹氏がいみじくも指摘しているように、クリント・イーストウッド監督主演のもうひとつの西部劇映画「ペイルライダー」の主人公はガンマンでかつ牧師である。保安官のバッジをつけてカリフォルニアの金鉱街を牛耳っているのは逆にただのならず者出身。そのデピュティーズもぜんぶ強盗・殺人鬼の類。

 正邪が見事に逆転しているのですが、この設定は史上、荒唐無稽でもなんでもないんですね。(ゴールドラッシュの時代には、とてもここには平気で書けないような惨たらしい鬼畜のような事件が数多く起きているのであった)

 あんまし人気が出なかった(1985年はちょうど西部劇の人気がどつぼの時期でした)けど、私はあの映画は大好きでしたねえ。

 映画はたしか聖書(Book of Revelation、黙示録)の一節から始まるんですね。そしてうろ覚えだが、すべて事が済んだ後、主人公が青毛の馬に跨って立ち去るシーンで、若い女性(地元の娘かな)がまたその一節を読むのです。公式訳が正確だろうがリズムが悪い。勝手訳してみます。ちょっとじんときちゃうかも。 

”そして彼(小羊)が第四の封印を解いた時、私は、第四のビーストが「来たれ」と言う声を聞いた。
 私が見ていると、見よ、青白い馬が現れた。跨る者の名は「死」。付き従うのは「地獄」”

"And when he had opened the fourth seal, I heard the fourth beast said: "Come and see." And I looked, and behold a pale horse. And his name that sat on him was Death.
 And Hell followed with him." 

 話を戻すと、この情熱的な(一種熱狂的な)伝道活動が、エヴァンゲリオンの語源でもあるエヴァンゲリズム(福音主義)でした。腕っぷしやライフルの腕に自慢の、聖書の知識はともかく、人間的魅力にあふれたマッチョなタフガイが、「神の教えはこうだあ!」と休みなく全米を叫んで回ったおかげで、アメリカのスピリチュアリティは保たれたのでした。

 ぶっちゃければ、「牧師がうちにもやって来たー」でよかったんだよ。それだけでありがたかったんだよ。

 テレビ伝道師の素地は、アメリカにはとっくの昔からあったのですね。

 「アメちゃんらしく単純明快」という根拠は、そういうことでした。説明終わり。

 さーて、全部説明できたかな?

 DAシリーズとの関係? 

 ええと・・・。んーと、つまりですね、DAのファン(特にアメリカン)は、そういうアメリカの発想でDAの描く宗教を見てしまうのですね。どっこいこの世の中、君たちみたいに単純に割り切れるわけないんだよね。少なくとも世界は理想を実現してもいなければ、従うべき規範は完全無欠でもないし、ましてやフェアでもない。

 「アンダースは許せない」とアメリカ人が騒ぐのは(手法はともかく)、実は矛盾してんだよな。国教(チャントリー)から離反しようとした活動だからアメリカ建国の思想と実は直結しているのだ。もちろんDAのスタッフは、むしろイングランド国教とアイルランドの関係、イギリス国内の国教反対をイメージしていたのかもしれないのですが。

 「セバスチャンが朴訥すぎて、いやーっ」というのも、これも笑止なのだ。だって、あれこそアメリカ人の一般的宗教観に近いはずだから。「チャントリー、イェイ!」

 チャントリーがメイジ弾圧に加担している、総本山オーレイはフランスをモチーフにしているとか、シナリオは捻ってはあるわけですし、ライター衆はあくまでカナディアンですから、(英仏、米加という軸の)複眼的な視点を持ち込んでいるのでしょうけどね。 

 それからネイティヴとしてのデーリッシュ、エイリアネイジ設立とネイティヴ・アメリカン移住政策の関係。
 さすが、いやらしいくらいに仕掛けがてんこ盛りですな。

 そういえばDAでマッチョでタフガイ、不撓不屈の伝道師のイメージに一番近いのは、オーザマーにチャントリー教会を設立しようとしていたドワーフの神官かな?
 どう転んでも彼は悲惨な結末を歩むのでしょうけどね。

 え? レリアナちゃんも実際はそうだろう? 残念ながら当時の牧師は男性限定だ(今は一部で女性もありだそうです)。そもそも女性がほとんどいなかった西部に女性牧師を派遣するのはいろんな意味で危なかったでしょう。んー男装の牧師? 誰かがもうすでにそういう話を書いていそうだね。

西へ西へ

 アップする前に結果が出てしまったのですか・・・。

 なんだ世相ネタかよパス、とかちょちょ、ちょい待ち。ご心配なく、インクイジションのネタにつながると思う。無理にでもつなげる。

 あちら(US)のプレジデンシャル・エレクション。大接戦という噂ですが、デジタル勢力の大攻勢によって青息吐息のUSマスメディア、大接戦でないと耳目を集めず売上がたたないので、序盤戦からむりやりこじつけて接戦であるということにしているという説もあった。
 ところが、嘘から出たまことかどうかしらないが、専門家によると実際に接戦になっているそうだ。(すでに結果がでたので「いたそうだ」、しかもそんな接戦じゃなかった)
 州によっては投票に導入されたタッチパネルの不具合も露見して、あのアル・ゴアの悪夢、フロリダの悪夢の再来があるかもしれないと予言する専門家もいる(「いたが杞憂だった」)。

 「このくそ忙しいのに、また再投票とかやらすなよな!」(お前有権者じゃねえだろう)by爆笑問題

 
 観たい映画もなかなか観れずに終わっている。すでに話題にした「ポー」もそうだし、「リンカーン」もそうだ。
 しょうがないので映画評論だけで満足している。今週末観ることができるだろうか・・・。
 
 第16代大統領リンカーンがヴァンパイア・ハンターだったら?
 夏には映画館に入り浸ったので、この映画の予告編は散々観た。

 知る人ぞ知る、リンカーン大統領はエドガー・アラン・ポーの作品や詩をそらんじるほど熱狂的なファンであった。
 屈強な肉体の持ち主という設定なので、ヴァンパイア・ハンターという話もまあね。リンドン・ジョンソン、ジミー・カーター、ニクソン、ジョージ・ブッシュ(SrもJrも)とかではありえない(中にはあきらかにヴァンパイア側のキャラもいそうである)。

 
 これまで小出しにしてきたいろいろなネタ、「アメちゃんらしく単純明快という物言いには平和ボケ日本人と同じくらいれっきとした根拠がある」とか、「大統領選挙はキリスト教的世界観をよりよく実現できる者を選ぶ場」とか、「アメリカ人のフェアネスは、おれたちのルールからみてフェアかどうか」だとか、「ノンクリスチャニティ世界は結局のところファウル(foul)であると思っている」とか、全部同じことを言っているのですね。

 
 答は簡単です。もちろん世の知見の受け売りです。主として内田樹氏(内田氏もトクヴィルからの受け売りに基づいている)、そのほかいろいろな方の説を含む。

 
 アメリカ合衆国は、建国の瞬間に理想を達成した。
 

 この一言ですべてが説明できてしまう。一方、これを本当に理解することは非常に難しい。

 「理想を達成した」の説明はいいですよね? 中学生の歴史かな? ピルグリム・ファザーズのメイフラワー号が英国プリマスから出航して新大陸(現:マサチューセッツ州プリマス)に到着。乗員乗客百数十名は、本国でイギリス国教の迫害を受けていた分離派と呼ばれるピューリタン一派であった。
 国教反対を示す"dissent"がDA2のクエスト名に使われていたが、一般的には国家(体制)の認定した教会の教え(国教)に異議を唱えること。国教(state charch、state religion)は、もとはローマ帝国の国教を指しているため、キリスト教(Christianity)のことである。

 ピルグリム・ファザーズは新大陸最初の入植者ではないが、新大陸到着時に乗客たちが結んだ社会契約説に基づくメイフラワー誓約(Mayflower Compact)が合衆国憲法の原初的役割を果たしたという説もあり、のちにアメリカ建国のシンボル、信仰の自由の広告塔として利用された。
 現在でも「国教」を有する国家は多い。合衆国は建国後しばらくのちに初めて国教を持たない国家となり、現在もない。
 (ちなみに日本国にもない。かつては「国家神道」が政策的に作り出されたのだが、占領軍GHQによって「国教分離」を命じられた。大陸国では現在、政府の認めたキリスト教教会のみで礼拝が認められている建前、実際には非合法教会は人気だそうだ)

 
 つまり、合衆国は天命(Destiny)を実現した最初のそして唯一の国家である。生まれた時から百点満点でスタートしているので、以後、何も向上する必要はない。完全状態の維持こそが後世の者たちの役割になった。
 アメリカ人の言うフェアネスは、アメリカ人の信じるフェアネスである、という説の根拠はこれだ。彼らが拠り所とする規範にはもとから瑕疵ひとつない。それに照らし合わせて判断するのであるから迷うことなどあるはずがない。すべては神の思し召し、アーメン。アラーは偉大なり、と同じ発想。

 そして開拓時代に突入するきっかけとなった西進のドグマ、西漸運動が起きる。「明白なる天命」(Manifest Destiny)というスローガンのもと、合衆国の領地を可能な限り西に拡大するのが至上命題となった。
 入植者たちがライヴァルたちより一刻も早く縄張りを手に入れるため、西を目指してまるで大陸横断耐久レースのようにがむしゃらに突き進む様は、トム・クルーズと(そういえば結婚してたな)ニコール・キッドマン共演の映画「マーヴェリック」などでもおなじみだろう。領土こそ獲得しても労働者が十分にいなかったわけだから、これが奴隷制の拡大に寄与したという批判も大きい。メキシコとの戦争や、英国の新大陸への干渉に対する政治的口実に使われたという説もある。
 だが、この熱狂的な運動の根底には「建国の理想」、すなわち信仰の自由や民主主義を世界に広めるという無意識の衝動があった。

 西漸運動の過程でネイティヴ・アメリカン(昔でいうインディアンを政治的に正しく呼みかえた用語)を駆逐していった事実については、さすがのアメリカ人もなかなか口が重いのだが、一方でNFLシアトル・シーホークスといえば、これはネイティヴの酋長の名前(シアトル)と部族の別名(シーホーク)を用いているわけだし、以前ワールド・シリーズでMLのアトランタ・ブレーブスのファンがスタジアムで応援する際のトマホーク・チョップがネイティヴを侮辱していると問題になったことがあった(ブレーブスとはネイティヴの勇者を指し、トマホークはもちろん彼らの武器だ)。首都ワシントンのNFLチームはなんとレッドスキンズとそのまんまである。ジェロニモ、アパッチ、チェロキー、ブラックホーク、イロコイス、カイユース、ここらへんも全部ネイティブの部族由来。軍用ヘリコプター名に多いのは運用するのがもともとはネイティヴ戦士たちと戦った合衆国騎兵隊由来だからかな。

 このずぼらで能天気な感性はなかなか理解できませんが、これこそ「敗者にも栄誉を、その名を残すべき」というアメリカ人のフェアネスに基づくのでしょうか。それとも「これほど勇敢で強力な敵と戦った自分の兵士たちはすごいので、それを記憶をとどめよう」というほうが正しいかな。どちらにしろ駆逐されたほうにとってはたまったものではない。 

 
 日本にも関係するのですが、西漸運動は入植者がカリフォルニア、オレゴン、ワシントン州に到達して終わったわけではないのです。その先は見渡す限り太平洋。日本人みたいに、もう十分じゃない、ここらでええんちゃいますか、腹八分目とはならない。それが宗教的信念の恐ろしさである。
 ハワイもあれば、フィリピンもある、その先には日本だって、アジア大陸だってあるのですよね・・・。

 アメリカから見て大西洋を挟んだ東側は、まあ彼らから見たら古色蒼然としていて不完全とはいえ一応クリスチャニティが普及している国々である。入植者のオリジンも(勝手に連れてきた奴隷やアジア大陸から大挙して押し寄せてきた大陸人たちを除けば)大抵ヨーロッパだ。そっちは置いておく。
 西漸運動は以来まだずーっと続いている、というのも一つの見方ですよね。最近になってクリントン国務長官がアジア回帰と叫んでいるけど、アメリカの本性は昔から西を向いているのです。

 
 関連する興味深い話としてひとつ(故小室直樹先生からの受け売りに脚色)。
 先の大戦でナチスがヨーロッパを席巻していた頃。フランスの戦いで潰走した英国遠征軍の残余部隊はダンケルクから命からがら奇跡的に脱出し、英国陸軍の滅亡こそ防いだものの、ヒトラーの軍隊が英本土上陸を本当に実行したら阻止できない見通しであった(英国内の兵役に耐えうる人口は当時から非常に少なかったので、英連邦の植民地兵を駆り出さねばまともに戦えない状態であった。ゆえに英軍は以前からコモンウェルス(Commonwealth、連邦)と呼ぶ習わしです)。

 首相チャーチルは、ルーズベルト大統領に執拗に参戦を要求するが、自国民の反発を恐れた米政府は、レンドリース(武器貸与)以上の手段で協力することができなかった。「どうしてそんな遠い国々のためにわれわれのボーイズの血を流さなければならないのか」、というのが国民の一般的なムードであった。ヨーロッパをオリジンに持つ国民が多数を占めているにも関わらず、一般のアメリカ人にとってヨーロッパ大戦はどこか遠い国の、よその世界の戦争だったのです。
 ヒトラー配下のナチス海軍(主力Uボート)も、決して米国籍の船には手を出さない、米国に参戦の理由を与えないとの命令を発し、それは厳重に守られていた。

 そこに飛んで火にいるではないのですが。ハルノートによって勝手に対米開戦が不可避と思い込んだ大本営は、ヒトカップ湾を隠密裏に出航していた大日本帝国海軍連合艦隊の機動部隊に対し、米太平洋艦隊の金城湯池である真珠湾への攻撃を命じる。不意打ちの効果もあって、この奇襲(raid、レイド)は見事に成功し、太平洋艦隊を長期間半身不随状態に陥らせることとなる稀に見る大戦果をあげる。
 (エンタープライズ他の米空母が訓練中で湾内に不在であったなどの事実は、「日本に先に殴らせた」という陰謀説に加担するなら意味があるが、私は本筋には関係ないと思っている)。
 ところが、これこそが米国が対ナチス戦に参戦する口実となったのでした(日独は同盟国であった)。
 ヨーロッパの戦争は「遠い国の別世界の話」であったのに、当時の一般的アメリカ人にとって「おとぎの国ジパング」でしかなかった日本との戦いがはじまると、太平洋で命を懸けて戦うため全米の若者が志願兵募集所に殺到した。
 
 いろいろな説があるでしょう。

 ハワイはそもそも米国領である。映画「硫黄島からの手紙」に対するアメリカ人のコメントで印象深かったものは次。「もともと日本領でなかった離島はともかく、硫黄島は日本にとって聖地(the Sacred Land)の一部である。そこでの戦いは必然的に熾烈にならざるを得ない」
 満州、サイパン、硫黄島、あるいは沖縄の違いを当時の日本人がどう感じていたか私は知らないがここでは問題ではない。アメリカ人がどういう考え方をするかだけが問題。

 上と関連するが、真珠湾で実際にアメリカ人が空襲によって殺された。しかも正規の宣戦布告なしの卑怯な不意打ちである。ヨーロッパの戦いはあくまでよそ様の戦争。今度は自分たちの同胞が巻き込まれた戦争である。

 日本の実力と意図を実態以上に過剰に見ていた。スピルバーグの映画「1942」が題材にしたように、帝国海軍がカリフォルニア沖まで攻めてくる空想物語は当時もあったようだ。
 だが帝国海軍には、例えばサン・フランシスコの軍港を急襲して上陸する能力も、意図もなかった。

 米国資本の権益が太平洋方面に集中していたので、政治的に誘導した。眉唾ですが、陰謀説のひとつ。 

 あーあと、太平洋方面極東軍司令官のマッカーサー中将が国民的人気者であったと言う説があるが、これは後付け。ルーズベルト大統領も、嫌なクソ野郎だった彼を嫌っていたが、アジア方面に詳しい候補がほかにいなかったから選任されただけだ。

 
 いくつかはもっともらしい説であるが、ここに「アメリカはもとから西方を向いている」という説を入れると、どうにもしっくりくるのです。
 (一方で、日本はずっと大陸方面ばかり見ていたという説も根拠がありそうです)

 だいぶ長くなってきたし、話も拡散しているので、一旦ここまで。

  
 
 

2012年11月 4日 (日)

【ME3】トリロジー

 PS3版もオリジナルを揃えて12月4日(現地)に出すみたいだ。X360とPCのリリースが11月6日だから約一ヶ月遅れ。やるなBioWare。これを読むと実際に苦労したのはサードヴェンダーらしいけど。

http://blog.bioware.com/2012/11/01/ryan-warden-an-update-on-the-mass-effect-trilogy/

 ただし、DLCについてはかなりややこしいことになっている。

http://www.gamespot.com/news/mass-effect-trilogy-dlc-detailed-6397522

 上のGameSpotの過去記事では、PC版にオリジナル一作目のDLCである"Bring Down the Sky"、"Pinnacle Station"も同梱となっているが、一番上のリンク先でBioWareのプロデューサは「無料で提供される」としか言っていない。現在同様にダウンロードして入手せよということだろう(ただし"Bring Down the Sky"は当初無料ではなかった記憶がある)。

 PC版に同梱されるのは、ME2のサーベラス・ネットワーク(ザイードDLC、ファイアーウォーカー、サーベラス・アサルトギア、アーク・プロジェクト、ノルマンディ・クラッシュサイトDLC)と、ME3のオンラインパス(マルチプレイに必要)。

 本編同時リリースDLCまで含まれているわけではないのです。 

 X360版もPC版とほぼ同様。本編リリース時に同梱されていたDLCが手に入る。"Bring Down the Sky"と"Pinnacle Station"はXLive経由で有料ダウンロードなところが無料提供されるPC版とは異なる(といってもお値段はそれぞれ1USDと5USD)。

 PS3版は謎のままだったが、上述の2プラットフォームと逆に、第一作のDLC"Bring Down the Sky"が本編に取り込まれているという("Pinnacle Station"については触れられていませんね)。
 ME2のDLCはサーベラス・ネットワーク分に加えて、カスミDLC、オーヴァーロードDLC、シャドウブロウカーDLCも同梱するという、こちらは大盤振る舞い。ME3分はオリジナルどおり(オンラインパスは同梱扱いかな)。 実はME2のPS3版も、もとから大盤振る舞いであったのでその路線を維持しているだけではある。

 なんでこんなにややこしい話になっているのか。オリジナルのMass Effectは、リリース当初は実質上、MSとEAのものだったんですよね。その後開発会社が離脱したりとややこしい関係となって、すったもんだしてきた。そもそもXboxのキラーソフト的に編み出されたものだから、プレイステーションへの展開は最初は眼中になかった(MSがかんでいたのだからあるわけない)。

 さらにはDLCビジネス自体も複雑怪奇となってきた。
 MEでも当初のDLCは「おまけ」、無料ギヴアウェイだったのに、途中からお金を取り始めた。
 その後EAはゲーム本編リリース同時発売のデイワン・DLCという手法まで編み出して、ただでさえややこしい世界をますます込み入ったものとした。

 そういう自由競争至上主義を含めた、いろいろな大人のこ汚い事情の結果、このように何回読んでもよくわからない、なんか私が誤訳をやらかしたか、訳がへたくそかみたいな内容になってしまう。
 「あんたらまじめに売る気あんのか」みたいな世界に突入してしまっているのです。

 しかしながらこの記事を読む前、思考停止状態のままでPC版トリロジーをAmazonにでも予約しようとしていた私ははたと思い直した。

 これ、PS3版のほうがお得ちゃいますか?

 次の公式トレイラーを見ても、おせじにもきれいとは言えなかったオリジナル第一作目の画質も多少というかだいぶ改善されている。もちろんトレイラーの画像がどの版のものか(それとも複数の組み合わせか)わかりませんが、シリーズ途中でエンジンが変わっているので、その点からもまっさらから作ったPS3版に期待が持てそうだが。 

http://www.gametrailers.com/videos/8gusu0/mass-effect-trilogy-trilogy-trailer

 次の問題は日本語版は出るのかしら?というところだ。 

 もしPS3版第一作目の日本語版を出すのであれば、訳が「シェパード少佐」でもなんでも許すが、そうでなければ許さない。
 そのように、シリーズつぎはぎだらけ、歯抜けだらけ、しりつぼみ、竜頭蛇尾な中途半端な世界が嫌だから、痛い目にあい続けたから、洋げーを日本語版で遊ぶのはだいぶ前に放棄したのである。

 オリジナルMEのPS3日本語版が出るなら、PS3のMEトリロジー日本語版、買ってやろうじゃないか。リリースがいつになっても待ってやるぜ。

 遊ぶ暇? そんなのもちろんないが、もはやここまできたらそういう問題じゃない。
 ことは地球の未来に関する問題なのだ。

 (でも日本語版と英語版の字幕(音声ではないよ)が切り替え可能なら、なおうれしいのだが・・・)

**********

 以下は一番上のリンクのDLC関連部分原文。

The PlayStation 3 version of Mass Effect Trilogy will have the original Mass Effect with Bring Down the Sky integrated into the game, both on-disc and on the PSN download. Mass Effect 2 will still have the same DLC on-disc that it was originally shipped with: Cerberus Network; Kasumi; Overlord; and Lair of the Shadow Broker. Finally, Mass Effect 3 will also be exactly as it originally shipped.

The Xbox 360 version will include all DLC that came with the original games – Cerberus Network with Mass Effect 2 and Mass Effect 3 remains unchanged as well. The PC is the same as Xbox 360, except both Bring Down the Sky and Pinnacle Station are available for free – just as they are for all PC players who purchases each standalone product today.

ブレイブリーデフォルトにハマってしまって・・・

 大変。3DSのフレンド登録はじめるとどっちがゲーム本編かわからなくなるんですね。

 一週間馬車馬のように働いて(表現が古いなあ)、ようやくまとまって遊ぶ時間ができたな・・・と思い、そろそろクライマックスに近づいていたデビルサマナーでもやるかと3DSを手にしたら、Bravely Default(BD)がネット購入できるようになっていた。

 体験版はイマイチぴんとこなかったんですが。アート・デザイン的にはたいして好みでもないし、やたらコンバットが長くて面倒かなと。村の復興作業も(すれちがい通信で集めたゲストのおかげで)あっという間に終わってしまった。

 「ふーん」という感想で、本編を買うつもりはなかったんですよね。

 だが、ようやくゲームを遊ぶ時間が生まれた感動に後押しされ、気がついたときには衝動買いしていた。

 特に「ともだち」がいなくても問題ないという話もあったようですが、やっぱりどうせやるなら本格的にやってみようと、インターネットの募集サイトを使わせてもらって、たった一晩であっという間に数十名登録できた。

 実際に一度にゲーム内で活用できるのは20名まで。100名登録したら逆に選抜作業が面倒くさいことに気がついたがもう遅い。

 ゲーム自体の感想については、体験版よりだいぶ好感度が向上したと思います。

 とはいえ、いつものスクエニ、ジェネリックな一本道ストーリー、「大事な人が死ぬ、そのほうが感動的だから」物語に違いはないのですが。ま、シナリオのクオリティは高いし、なにしろ破綻しているところはあまりないですから。

 コンバット・ターンの引当て(前借り)をブレイブ、繰延べ(先延ばし)をデフォルトと呼ぶらしく、果たして英語的に意味があっているのかどうかはしらないが、それらを合わせてブレイブリー・デフォルトだそうだ。どうなんかなあ。このシステムでは悪用(搾取)できちゃうような気がするのだけど。だって一発で相手を倒す技を何タームも前借りして使ってもバトルがおわっしまえばご破算でお咎めなし、チャラですからね。

 そうするためには、それなりに先行している「ともだち」が何人かいなければならないが、逆に「ともだち」のおかげで(うまくはまれば)バトルでは序盤かなり楽できる。

 「ドラゴンズ・ドグマ」(DD)のポーン制までの可能性を秘めているとはさすがに言えないけど、こういう試みは日本人ならではですねえ。付かず離れずの距離感が。

 どこかに、このゲームについて「旬のものは旬で味わえ」という趣旨のことが書いてあった。つまり「ともだち」が誰もいない状態で遊んでも楽しくないという意味だろう。

 DDについて「旬が外れたって引き続き遊べるものがいい」と以前に書いた私としてはそれを読んで少しむっとしたのだが、実際にBDを遊んでみるとそれはそれで趣がある。ひとりで花見やったって愉しい面もあれば、面白くない面もある。

 余談だが、このブログ全体が余談(略)、「デビルサマナー」のほうは、ここのところすれちがいでソウルが集まらなくなり、3DSユニーク・デヴィルの収集が危うくなっていた、
 「しまった、旬が過ぎたか」とあせって、なにも考えずに3DS(古いほう)をもう一台購入し、自家栽培(自家撞着ともいう)方式で集めようとしていた。

 ところが、8時間以上経たなければ同一マシンとのすれちがいは成立しないことを知って愕然とした。ずっと二台を一緒にしていても一日3人分×2台=6人分。たしかあと数十名分以上のソウルがいるのではなかったか。
 コンプするには一体いつまでかかるんだろう・・・。
 呆然として二台の3DSを眺めていたのだった。

 二台目の3DSが到着して自家栽培のセットアップした翌々日、ユニークデヴィルをあっさりコンプした。

 旬は過ぎていなかった。ここのところ所用で本来のオフィスではないところに一日中いることが多かったので、高校生あたりと同じ通勤・通学時間帯に電車に乗らなかったのが理由のようだ。 

 その目的のためだけに購入した二台目は完全にムダな投資、無残な失敗投資と化してしまったわけです。
 仕方がないからゲーム好きのお嬢にでもくれてやろう。新品同様の3DSをあげよう、そう告げてもまったく喜んでくれなかったのですが。ちぇ。

 

 

 

 

 

 

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