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2012年12月17日 (月)

【DA3】head canon

 DA3のネタを探すのが大変。

 ゲイダーさんがちらちらフォーラムに登場しているが、いずれもちょっとしたコメントを投げるだけ。

 んー、おかしい。ライターがこの時期忙しいのはなぜ? 
 また小説を書いているのか、それともコミックの原作で忙しいのか。

 あんまり考えているとおっかないことを思いつきそうなのでやめておく。

 かろうじて引用に耐えるのはこれくらいかな?

 http://social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/14839445/

 OPはイザベラのファンである。カメオでいいからDA3に再登場してほしいと希望しているファンの気持ちはわかるというが、むしろそれは自ら窮地に追い込むことになるのではないかと危惧している。
 イザベラがすこし変貌して(おとなになって?)、かつホークとセットで登場しなければ意味がないが、ホークもウォーデンもDA3登場しない可能性が高い。ホークと別れて(関係を清算して)イザベラがひとりで登場したら、DAOのレリアナがウォーデンと別れて登場した例と同じである。二度続けるのはまずい。キャラクターの変貌(成長?)や真の関係づくりをプレイヤーにさせないということになるのではないか。

 ゲイダーさん。

**********

 説明しよう、誰であってもNPCとなったキャラクターには、プレイヤーのコントロールはもはやまったく及ばない。だからといってそのキャラクターを見境なく暴れ回らせ、以前のプレイヤーの怒りをわざわざ呼ぶつもりもない。もはや彼ら/彼女らに関する決断をプレイヤーに委ねることはない、という意味だ。だから彼ら/彼女らが、プレイヤーたちがまったく想像もしていなかった振る舞いをすることだって完全にありうるし、(レリアナやイザベラのように)以前のゲームでもNPCだったキャラクターの場合には、ことさらそうである。

 こう言えば、ゲイダーはみんなのヘッド・キャノン(プレイヤー各人の頭の中だけで形成された正典)を根こそぎ台無しにする宣言をしたと受け取る者もいるだろうね。ぜんぜん違うけど。だがわれわれはプレイヤーみんなのヘッド・キャノンに責任なんて負ってないよ。物語は進み、物事は変わる。プレイヤーの頭の中の物語と食い違い、それが「説得力に乏しい(弱い)物語」になると言うのだとしたら、それはそうかもしれんね(…, then so be it.)。まあよくありがちなことだよ。

 汝等、警告は正式になされた、とゲイダーは言った(スマイル)。

**********

 head canonはurban dictionaryで見つけました。上述のような意味ですね。まあ言葉にはなってなくても(私が知らないだけで日本語になってるかもしれないが)、同人などで創作上のキャラクター同士が勝手にくっついてるやつなんかも、その一種でしょう。

 でもOPの意見は、気持ちはわからんでもないが、まずあなたが成長しろよと言いたくなる。

 母方の祖父は私があまり記憶に残っていない頃に死んだのですが、母から聴いた話では、彼は映画(活動写真)をまともに観ることができなかった。なぜか途中で首をひねりながら帰ってきてしまう。

 映画で場面が転換すると、主人公はさっきまでいた場所から、どう考えても列車か自動車で移動しなければならない場所に移っている。途中の過程は描かれていない(省略されている)。それがどうにも理解できなかったようだ。

 つまり映画の文法がわからなかった。別に特別変な祖父だったわけではなく、活動写真の時代だって弁士が横で色々手取り足取り説明しないと観衆は映像を理解できなかったんです。それを思い出した。

 レリアナがDAOで例えウォーデンとねんごろになったとしても、DA2の物語にナイチンゲールとして再登場するシーンまでの間になんでもありうるじゃないですか。男女の色恋沙汰(んーと、バイもあるか)は移ろうこと秋の空のごとし(ちょっち違うか)。

 むしろ、ああして唐突にしれっと登場してきたほうが(「女子豹変す」の物語が大好きな私としては)めちゃくちゃそそります。きっと色々あったんですよ。

 もっとも女子だけです。野郎はいや。

 だからイザベラがDA3にひとりで登場してきたって「ふーん」ですけどねえ。イザベラらしいし。

 会うたびに違う表情を見せる女性のほうがよくありません? 違う顔かたちだと怖いけど。

 それから、くどくなるので詳述やめるけど「ロマンスを完全無視したプレイヤーに報酬よこせ」ってのもあった。ロマンスを無視するとアチーヴメント・トロフィーがもらえなくなるからか。

 ゲイダーさんじゃないけどそれは私も白眼視するな。ロマンスはオプションだって断ってるわけだから。恋愛成就しないのがトロフィーだって? 逆じゃないのか。

 

 

 

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コメント

うーん、私としてはプレイヤーにある程度そのキャラの行動や行く末を決めさせるルールなら、次の作品でそれらをまったく無視して「なかったこと」にするようなことだけは避けて欲しいです。
それをやるならJRPGのように「プレイヤーの判断など1ミリも反映されない」NPCにすべきです(笑
私のプレイの最後のほうはもう面倒だったりなんだりでロザリング素通りしたことがあります(エヘ
だから私の中ではレリアナなんていなかったんやーというウォーデンもしましたが、しらっとDA2にでてきてましたねえ。
いやそれは別にいいんですけど(笑きっとホークとかと同じように逃げたんでしょう!

あと、恋愛しなかったときのトロフィーっていうのは、きっとあんな状況で愛だの恋だのいってられっか!というストイックなプレイを貫いた場合のトロフィーがあってもいいってことではないでしょうか。
ロマンストロフィーがあるなら馴れ合いをしない孤高トロフィーを!どっちもあっても悪くはないですよね。

MEシリーズ初回プレイ終わりました。最後の最後でイルーシヴおじさんに対して1回パラゴン会話してないことが判明して絶望的な気分になりましたが、最後なんとかシェパード生存エンディングになりました。
WAR ASSETは4100くらい。オメガ、リヴァイアサンとDLCをすべてやり、マルチなしでこのくらいでした。
wikiみたらエクステンドカット適用後は最後の判定がかなり甘くなったみたいですね。助かりました。

DAO/DA2近辺で言えば、アンダースが猫好き(出来ればトラ猫)というのはCANONですが、フェンリスが魚嫌いというのはHead Canonでしょうね。まあそういうイメージ。はて、ウォーデンが大体において大食漢というのはどっちでしょうね。

お祖父様の話、大変興味深かったです。昔の人というのは遙かにスレてないというか、映像になると皆現実の物と思い込みがちだったのかも知れません。

そうそう、ご存じかとは思いますが、ゲイダーさんはtumblrでもぶつぶつ呟いて(笑)いらっしゃいます。(dgaider.tumblr.com)

私もVaniさんのおじい様の話が面白かった。
Vaniさんは、ちゃんとおじい様の血を受けてるのかも。(笑)

>映画で場面が転換~
どうなんでしょう。昔のお芝居でも幕・暗転で時間経過や場面転換は約束事としてあったでしょうから、ご存知だったんじゃないですか?
映画の画像と弁士の語りの整合性の方が怪しい気はしますね。
弁士の勝手な解釈やアドリブもあっただろうし、弁士にも上手下手もあっただろうし、そのへんのしっくりこない部分も更に納得できないものにしたんじゃないかと。

E様

 特にロマンスネタは私の感覚とE様はじめ、みなさんのそれとのdisagreeを確認するために書いているようなもので。
 disagreeであることにagreeすればいいんじゃないかと思ってますけどね。
 もちろんオタクの端くれとしては大好物の継続性、あちらでいうレトコン(retcon、retroactive continuity)を守らないのはがっかりしますね。
 死んたはずだよレリアナちゃんの再登場に怒る人の気持ちがわからないわけじゃない。「チャイ」の似合うレリアナだから許す(笑)。
 
 ところでレリアナ・スルーはやる勇気がなかったです。
 基本私はコンパニオンやNPCをスルーできない。ステンも「うっとおしいなあ」と思いつつ毎回拾った。
 と言っても今のところあそこを通過したランは12回くらい、うちコンプはまだ5回。
 
 DAOでシカトされたレリアナがDA2ナイチンゲールで登場するシーン、ぜひ見てみたいっすね。
 無理やりウォーデンとつるんでいたことにされてしまうのかな。それとも、そこのセリフはオミットされるのか。
 BioWareのライター・デザイナーたちは、たぶん網羅的な場合分けのリストを考えてやってるんでしょう。
 以前Mass Effectのリード・ライターが、続編に再登場させたいキャラがそれまでに死んでしまうケースがないかどうか、MEWikiでもチェックしていると告白していたので、いまいち信頼性に乏しいのですけど。
 彼(ウォルタース)も製作途上でシナリオ・カットやら修正やらやっているうちに、なにがなんだかわからなくなるんだよ、と愚痴っておりました。

 レリアナ・スルーみたいに「据え膳みたいに提示された選択肢を用いない」って場合の展開は意外にフォローが抜け落ちやすい気がします。
 あと「どれも選ばない」というようなnull値も。私の場合アリスターがウォーデンとして引き続き残る(国王にも、飲んだくれにもならない、かつ死なない)ケースがあることはすっかり失念していた。運よくDAOのセーヴファイルの一個がそれだったのでDA2でなんとか再登場できましたが。
 
>エクステンドカット適用後
 あの修正後、エンディングまではまだやってないのですが、DLC全部こなすとレベル60になって、War Assetも集まって、最終ハードルをクリアできるようになる設計なのですかね。当初はiPodアプリがないとマルチプレイ抜きではきつかった(PC版)。
 エクステンデドで追加された赤でも青でも緑でもないエンディングがNull値エンディング。
 オリジナルではなかったのは、やっぱ納期制限でカットされたからなのか。それともデザイナーたちが失念していたか(笑)。

L様
 
 ファンジンの大向こうをうならせる説得力のあるhead canonが生まれればオリジナルの勝利。サブカルでは間違いなく勝利の構図ですよね。南米で「聖闘士星矢」がバカウケとか聴くと、「あー、はいはい」と思ってしまう。わけのわからないレベルでhead canonが横溢しているのでしょう。キャプツバのそういうのはちょっとどうかしてるぜと思ってついていけなかったけど。最近のラノベは敢えてその線を狙った設定をしているきらいもある。
 フェンリスが魚嫌い、ウォーデンが大食漢というのは同人由来ですか?
 パウンスロットでいえば、猫の大冒険ものがありそうですね。ジェンロックの顔をパンチした後どうたらこうたらの話。
 祖父の話は事実のようです。次のコメントに続く。
  

B様

 そんなむちゃくちゃな場面転換のある舞台は当時なかったと思います。瞬時に場面が変わる活動写真とはまったく違う世界だったのでしょう。

 「暗転」という手法はなぜかやたら多用されている印象がありますが、照明依存なのでかなり新しいのではないかと思う(1913年オリジン説があった)。または小劇場などの事情によってやむにやまれず用いる変化球だと思います。(「板付き」の場合)暗闇では演者が位置につけませんから蓄光テープなどを予め設置しないといけないとか、面倒多くてとても人工的な香りがします。

 それと、これもエーコらの受け売りですが、(日本だけではなく)、活動写真黎明期には観客はほおっておくと画像の意味すら一切わからなかったそうです。本当に懇切丁寧に弁士が説明を加えてはじめて合点がいく。映像を解釈するため、言語ですごい量の追加情報を与えてやっと意味が通じた。そのくらいの文法上のギャップがあった。弁士による解釈の揺らぎは当然あるでしょう。

 むしろ上演回の違いによる「揺らぎ」は舞台でも当然ありますし、わかりやすい例では音楽ライヴを思えばいいかと。毎回芝居も演奏も違いますね。二度と同じものはない。キャスト交替制(いわゆるダブルキャストなど)だと、もう最初から解釈が違うに決まっている。

 インダストリアルな「文芸」である映画との決定的な違いですね。007のM役で知られた英国女優ジュディ・デンチさんは舞台俳優ですが、映画での演技はもう二度と修正の利かない「死んだ」演技だと言ってます。舞台なら毎回変えていくことができる。彼女の好みでは後者が断然勝ると語っていました。
 
 

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