フォト
無料ブログはココログ

« お嬢と騎士 | トップページ | ちょっと待てお前、本の気持ち考えたことあるのか? »

2012年12月16日 (日)

Kindleは忘れた頃に

 やってくる。 

 意表をついて、Paperwhiteがクリスマスよりだいぶ前に到着。とはいえ注文時から1ヶ月半。
 Kindle Fireも同時期に注文したが、それはやはりクリスマスぎりぎりかな。 なぜか急速充電器だけ単品で到着したけど。

 届くまで注文したことも忘れていました。

 でもPaperwhiteはちっさいなあ。今のアメリカ人はこんなちっさいもので喜んでいるのか・・・。あ、iPhoneもスマホもそうか。時代は変わりましたね。 

 もちろんKindleを使っても、読書がもっと楽しくも、もっと快適にもならない。そんなことはわかってまっせ。

 単に今まで活字など読みもしなかったアメリカ人に書籍を読むように仕向けたという点でAmazonはえらい。結果あちらのリテールが大崩壊してしまったけど。イノベーションはいつの世も残酷。

 日本語版ニューズウィークによれば、あちらは今頃になってBest Buy(エレクトロニクス関係リテールの代表)が「やばい」問題が騒がれているようですが、「リテールで下見(下手すると試着)してネットで購入」は日本のおばちゃんはずっと昔から平気でやってたはず。だからベスト・バイが本当にやばいと感じたのもずっと前のはずだ。 

 ゲーマー諸氏は世の中一般よりかはネット・リテラシーが高いので、ずいぶん前からリテール側は危機感を抱いていた。ヴィデオゲームをリテールで下見する必要は普通ない。現にSteamの登場にあわせて、GameStop(ヴィデオゲーム特化リテールの最大手)などはかなり早期から対策を打ち出している。

 ただし、あちらと日本とでは、国土の広さ(地域によって人口密度)もネットワーク事情やリテラシーもいろいろ違う。リテールは長時間ドライヴしてやってくる潜在顧客をある種の情報孤島に追いやって「何言ってんのお客さん、うちが一番だよ!」とハッタリをかますことができた。要するに「うちが一番安い」がベスト・バイです。「よそが安かったらチラシ持ってきて。同じ価格にするから」も普通に行われていたこと。

 スマホ・ネットの効用で、競合の価格を瞬時に参照することができるようになった顧客はそういうハッタリにひっかからなくなり、情報劣位を克服することになった。Target(Walmartに次ぐ全米二位のディスカウント・リテーラー)はこの価格比較を嫌って一部情報提供を取りやめている。(下手なしゃれだが)Targetの価格がターゲットにされ、特に特化型リテーラーから一段安い価格を後出しじゃんけんされることが容易に想像できるから。総合チェーンが中小企業からよってたかられてこれやられたら恐怖ですしね。 

 そんな向かい風でも生き残るのは二種類のリテーラー。これは考えなくてもわかりますね。売り手の言い値で売ることができるところ(いわゆる高級ブランド商売)と、本当にどこよりも安く、ヴォリューム商売ができるメガ・ディスカウント・チェーン(Walmart、Targetなど)。

 ビジネスの鉄則で、ここでもスタック・イン・ザ・ミドル、どっちつかずが一番やばい。Best Buyがその世界から脱出できるかどうか、その道のりは険しそうだというお話。 

 書籍は個人的に下見が必要ないと思っているのですが、そういう私はどうやら少数派のようだ。駅構内の書店は通勤時にはどこでも大変な人ごみで、まともに本を買うことすらできない。
 ネットで調べてAmazonで買ってしまう私にとって、リテール書店に足を向けることもめっきり減った。だが同世代から上の人たちは(昔からからそうだったら)いまだに書店通いを続けている人が多い。新しい出会いはネットでは難しいとはいうが、実際には一種の中毒なのかもしれない。 

 紙の手触りとか、インクの匂い、そういうフェチシズムの対象が失われることはあまり気にしないのですが、デジタル書籍で問題視すべきことがひとつある。あ、もちろん眼は悪くなりますが、スマホはもともとよくないし、紙の書籍を読んでいたって眼は悪くなるはずだし、だいたいゲーマーがそんな軟弱なこというなって。

 回し読み、貸し借り、また貸しができない。いや、もしかしたらできる(ようになる)かもしれないなどと甘い期待をしつつも、やろうとしたら閲覧端末ごと貸すしかないんだろう? 

 この喪失は重大だと思う。書籍の回し読み、貸し借りは文化形成に役立ったはずだから。
 実は音楽(レコード)だってかつてはそうだったんだけど、「減るものじゃないから貸せよ」といわれても逡巡したのは、貸すと減っちゃうからな!
 (返さない人もいるしね。書籍だって取り扱いによってはむごたらしい格好になる)

 先日触れたエーコとカリエールの対談本、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」(末尾に注)はKindle到着前だったのでAmazonから「紙で」取り寄せて読みました。

 対談者はふたりとも大変な稀覯本蒐集家であるから「貸し借り」なんてしませんが、稀覯本の世界ではその書籍を「誰が書いたか」という側面のほか、「以前は誰が所蔵していたか」も大変重要であるという話はつながるところがあると思いました。

 日本でも自分の蔵書とわかる印(蔵書印)を押すことはちょっと前まで普通にやられていたし、他人に本を贈るときに署名する人たちは今でもいる。蔵書印は今なら図書館の本でお目にかかることがあるかもしれない(最近図書館に通ってないけど、なんとなく省略されてるくさいね)。「これは自分の(国家、市町村の)所有である」と宣言するということは、他人に貸し出すことを前提としているわけで、回し読み、貸し借りが前提にあった。格好よく言えば良質な情報の(少なくとも知人・仲間内での)普及と伝播、良質であることのお墨付き(くだらない本に蔵書印は押さないよね)、そういう効能があった。

 つまり、書籍に単なるワン・ノブ・メニー、オリジナルの複製(Deplication)ではないユニークさを求めていた。そのとおり、印刷技術発明初期の段階では、装丁は印刷と別の工程、別の職人がいた。だから同一内容の書籍でも装丁がいちいちまるで違うものが出回るし、ページの最初のアルファベットを手書きで彩色した絵文字にする趣向も用いられた。

 そのように書籍自体を一冊本としてユニークなものとして扱う世界は、もちろん印刷技術がもっぱら宗教普及目的で用いられたことに由来するのは間違いないでしょう。現在の版元製本の形式はずっと後、17世紀から18世紀に生まれたのだそうである。 

 対談によれば、ある未来学者が2008年のダボス会議で、将来15年の間に考慮すべき4つのポイントとして、石油(500USDまで価格高騰)、水(の売買)、アフリカ(の発展)、本(の消滅)をあげた。

 すでに一つ目の予言が当たる可能性は、最大消費国アメリカでシェールガス革命がはじまっているなどしているので絶望的なのかもしれないが、まあエネルギーがいつの世もイシューであることは間違いないし、未来学者は予言をはずすのが仕事だし。

 対談の入り口の議論はデジタル革命によって紙の本は絶滅するのか。おふたりともずっと以前からそんな話は語りつくしていて、今更のようにマスコミが騒いでいることに呆れてもいるようです。しかもそれに答えることが、この対談本の企画の趣旨でもないんです。ビジネス的見地から売れるというもくろみはあるでしょうが。

 書物は、車輪と同様に発明された時点で完成品であった。ゆえに今後テクノロジーがどう発達したとしても、あるいは紙ではない素材が普及したとしても、書物は書物として残り続ける。

 対談はそのほか歴史から無視された書き手、埋もれた書物を発掘する話や、蒐集家はハンターと一緒で稀覯本を見つけて手に入れるまでは心底腐心するが、いざ入手すると保管などにはあまり注意を払わず、あげく入手した当日の帰りの旅客機に置き忘れてしまったがさほど気にならなかった話とか、ふたりとも珍説愚説に目がないトンデモマニアであるとか、「馬鹿」と「阿呆」と「間抜け」の違い(原語は残念ながらわからない)とか、さかんに脱線を繰り返しますが、結論はそんなところですね。 

 対談者のひとりであるエーコが、バリバリのコンピューター・ゲーマーであったという話には受けました。昔とった杵柄のつもりでお孫さんと最新のゲームで戦ったら10対280でぼろ負けしたそうな。インキュナビュラ(厳密には15世紀中の西洋における最初期の印刷物)蒐集家とコンピューター・ゲーム。イメージが容易に結びつかなそうだが、1983年にDOS機を自宅用に買ったと言っているのでわりかし早い段階でコンピューターに親しんでいる。もとは記号学者ですからコンピューティングには造詣が深いんでしょうね。ぶっとんでて格好よいなと思ったわけだけど。ま、どちらもマニアックな志向ですね。

 つまり技術の進歩なんてこれからも早すぎてついていけないだろう、その(言語や文法の)習得もまた間に合わなくなってくる。過去の媒体は急速に忘れ去られていって、それに依存したコンテンツも喪われていく。
 今のレコード復興なんてまさに好事家の嗜みであるし、オープンリールなんて知ってますか? 一世を風靡したヴィデオカセットのコンテンツは保存も難しく、他に移行することすら絶望的に難儀だし、CD-ROMもDVDも先は長くなさそう。

 逆に無理に紙の書物を避ける理由はなんだろう、と読者は思っちゃいますね。デジタル革命が環境には決して「やさしく」ないのはわかりますしね。 

 ひとつには、紙の本は「燃える」という理由をあげられるかもしれない。対談のコーディネーターであるドナックは、歴史上火災や戦乱、あるいは焚書などの政治的暴挙で喪われた(ことすらわからない)書物群のことを非常に気にしているのですが、対談者ふたりは、過去喪われたかもしれない書物はだいたい数も非常に少ないし、ほとんどがいい加減な本だったろうと突き放す点で一致している。つまり人類の歴史に残るべき書物にはまるで意思があるかのようにひょっこり現れるのだそうだ(一方では、とても詩とも呼べない駄文がなぜか崇め奉られて残ってしまうというと悔しがっているのも笑ってしまいましたが)。

 だが、保存と復元に発電が必要なデジタル・メディアは果たして万全なのか。百歩譲ってユニヴァーサルな保存閲覧テクノロジーが成立したとしても(まさにGoogleが野心を抱いている部分ですが)、どうなのか。

 テクノロジーもビジネスも寿命があるのは一緒。SonyやAmazonやAppleがつぶれるとき、あるいはとある事業から足を洗うとき、Cloudにある「私のものであるはずの」関連コンテンツがどうなるか?
 テクノロジーもビジネスも何が起きるかわかりません。少しは紙にヘッジしておいたほうがいいかもしれません。

 ネタ満載の対談ですが、ひとつ面白かったのは、アメリカのNASAあたりの政府機関が核燃料廃棄物の捨て場を検討した際の話。仮に捨て場が見つかったとして、ではその厳重立ち入り禁止とすべき場所を何千年後の未来の住民(人類か、地球人かどうかもわからないが)にどのようにして伝えるべきなのか、というお話。英語はじめ現代の言語はもちろん通じません。検討に招聘された人類学者兼言語学者が出した結論は、言語や標識での伝達は不可能というものだったそうだ。唯一効果のありそうな手段は「その場所は立ち入り禁止というタブーを共有する結社を作ること」かもしれないとも付け加えている。タブーは世代を超えるから。 

 これを読んで、どこかの国の政治が心底「適当」であることを強く感じてしまいましたね。教養も誠意もないから仕方がないか。

********** 

(注)「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」(阪急コミュニケーションズ)

 「薔薇の名前」などの作家としても著名なイタリアの記号学者ウンベルト・エーコと、「ブリキの太鼓」などで知られるフランスの脚本家ジャン・クロード・カリエールの対談本、進行役ジャン・フィリップ・ドナック

« お嬢と騎士 | トップページ | ちょっと待てお前、本の気持ち考えたことあるのか? »

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1586985/48341875

この記事へのトラックバック一覧です: Kindleは忘れた頃に:

« お嬢と騎士 | トップページ | ちょっと待てお前、本の気持ち考えたことあるのか? »

2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31