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2012年12月17日 (月)

ちょっと待てお前、本の気持ち考えたことあるのか?

 いやあしかし圧勝でしたなあ。だけど苦節何年になるのだろうね。
 え? いや、ハマカーンが。

 それにしてもあっちのほうは数字的にはずっと集中治療室入りのレベルだったのに、一体いつまで引っ張る気かと思ってましたが。
 ダウンタウンの音楽番組が。
 
 もちろん、ハマカーンもその後の展開をしくじると、前政権じゃねえや前回優勝者のように残念なことになってしまうので気を付けないとね。

 先に触れたエーコとカリエールの対談本、邦題「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」 は、「紙の本は生き残るのか?」という表題とは関係のない「どうして、どのくらい、私たちは紙の本が好きでしょうがないか?」という内容がほとんどでありました。だから面白かったのですけど。
 イタリア語の原題も訳者によれば「本から離れようったってそうはいかない」というような意味だそうで、そっちの題名ならどんぴしゃな内容である。

 中で、おふたりとも愚説珍説の類に目がないトンデモマニアであることを盛んに強調している。

 すでに歴史から喪われた(ことすら定かではない)書物がたくさんあったのではないか、もう取り返しはつかないのではないか、と憂いている対談のコーディネーターに、「仮に喪失した書物があったとしても、その数は少なく、ほとんどが正直どうでもいい、しょうもない書物だったのだから気にするな」と答えている。

 失火、戦火、内乱などで教会や図書館が焼かれ、蔵書が灰塵に化したとしても、その蔵書数など、現代の図書館とは比較にならないほどごくわずか。焚書は火災と異なり為政者たちが「好ましからざる」書物を選択的に焼くことですが、むしろそのような取扱いを受けた類の書物こそ、信奉者たちが温存するために隠そうとするでしょう。

 戦乱や動乱の間でも、知識(厳密には書籍に記録された情報)の散逸や消失をどうにかして防ごうと尽力したのは教会関係者であったし、弾圧の対象となった書物も保護(あるいは隔離)の対象に含まれていた。

(DAの小説Asunderにオーレイのサークル・オヴ・メイジャイの記述がありますが、その地下の書庫には、上層の公開図書室とは別に、禁断の類まで含めた魔法関係の書物がチャントリー・テンプラーの管理下で厳重に保管されている様子が描かれていた)

 ではなぜ「大抵いらない書物である」と彼らが言い切れるかというと、蒐集家として触れてきた稀覯本には、その手のものが非常に多いから。でたらめ、思い込み、思い違い、牽強付会、ほら話、嘘八百などなど。

 もちろん、保存とか所蔵といった場合には、Googleのように「ありとあらゆる出版物を勝手にデジタル化して保存する」というポリシー(の不在)を享受できるほど条件は整っていなかったわけですから取捨選択がはいる。どうしても「何を残すか」の判断が入ってしまうわけですが、それこそが「文化」なんですね。

 例えば日本の国立国会図書館は国内のすべての出版物を「網羅的に」収集・所蔵する使命を担っており、実は官公庁・団体・企業だけではなく個人も出版物を納本することが義務付けられている。でも誰もが真っ先に気が付くように、日本の出版物のかなりの部分を占めているはずのポルノグラフィまで「網羅的」に収集できるのだろうかという疑問がわく。現にコミックやゲームは納本されていないもののほうが多いようだし、ネットワーク上だけに存在する文書(情報)類の収集も困難だ。(ちなみに発禁処分を受けた出版物は閲覧制限下にあるが保管されているそうです)

 これは技術的・物理的制約による側面(個人情報管理などでは問題がある)というよりも、為政者側が「内容にかかわらず差し出せ」と命じているのに、「滅相もない」と民間(出版)サイドが逡巡または無視しているから。つまりなんらかの「文化」的要素が関与している。自分らはアングラだから為政者の指図にはのらない、など。

 すべてを記憶してしまう人間は文化の対極にある、「文化とは永久に喪われた書物やその他の物品の墓場である」とエーコは言います。(すべてを記憶する人間は狂人にならざるを得ないことは容易に想像がつきます。Mass Effect 3に描かれたセインの種族は、経験した出来事の風景やそのときの感情を完全に正確に記憶する。どんな悲惨な経験も忘却することはできない)

「知識(仏:savoir)は何の役にたつかわからず溜め込んでもてあましているもの。認識(仏:connaissance)は知識を人生経験に変えるもの」

 日本語の借り物熟語そのものがいまいちなんで翻訳者も苦労している。このままではなんだかわからないことになってますが、それぞれ私なりに言い換えると「情報・雑学」と「知識・教養」という意味でしょう。

 「知識」(connaissanceに対応する英語はknowledgeですか)は、本来取り出して他人に見せることのできないもの。そうすることができるのはあくまで「情報」ですね。「知識」は各自の脳みその中にしかない。こうやって書いたり他人に喋ったりした瞬間に「情報」になる。受け手はもしかしたらその「情報」を脳みその中で「知識」の一部として吸収してくれるかもしれない。ただの「情報」としてしか受容されなかったり、あるいは無視されたり放棄されるかもしれないけど。コミュニケーション・ブレイクダウン。ツェッペリン再結成公演のDVD/BD「セレヴレイション・デイ」には残念ながら収録されていなかった・・・。

 雑学や情報はそれこそ書物やデジタル形式の情報で記憶(保管)しておけばいい。必要なときに解凍できればいい。こういう時代に求められるのは知識であり教養。もっといえば「知性」ということになる、と対談は(一応)結論付けています。もっとも「知性」(仏:intellect、英:intellect)ってのも難しい言葉なんですけどね・・・。

 トンデモ本マニアのおふたりは、過去の歴史に関しての我々の知識は、馬鹿や間抜けが、狂信的な敵が、あるいは正真正銘の狂人が、自己顕示欲のみに基づいて書き残したものに由来していることが多いと喝破する。

 自己顕示欲、虚栄心、うぬぼれは英語でvanityです。どうもお世話様、もちろん知ってます。この本にも登場しますが、自分の本をどうしても出版したい人がまんまと騙され、完璧にぼったくられる自費出版請負業者のことをvanity pressといいます。

 もちろん過去を規定するのは現代です。過去葬り去られたはずの物事は現代で再評価され復活することだってある。その逆だってある。だから、歴史とは馬鹿と間抜けが描いたものだと絶望するような必要はないのかもしれない。

 現在があるから過去が存在する。結果があるから理由や原因が存在する。この順番を間違えちゃいけませんからね。

 対談者たちが次々と列挙する馬鹿と間抜けの愚説珍説を読んでいるだけでも愉しいのですが、最後に対談者たちの馬鹿と間抜けの定義で締めくくりたいと思います。

 原文(伊語)がわからないのがなんとも悔しいのですが、どうせ伊語はわかりませんが、翻訳者の訳語に従うと次のようなこと。

 間抜け:スプーンでスープをすくって口ではなくておでこに持っていくような人。終わってる人。エーコいわく審理の終わった案件。

 馬鹿:社会的な特性。ある決まった時宜にさいして、言うべきでないことを言ってしまうような人。不適切で軽率な発言をする人。

「弟様が亡くなられたそうで」
「たった十歳でした」
「それでもやはり、お気の毒なことで」

 阿呆:一見したところ正しく思考しているようにみえるが、言っていることは何かしっくり来ない、厄介な人。
 間違うだけでは飽き足らない人。間違った考えを強く声高に肯定し、主張し、みんなに聞いてもらいたがり、騒々しくとんでもないでたらめを述べ続ける人。あるいはわかりきった平凡な真実をしつこく叫んで回る人のこと。

 そして愚か者は結論を出したがる。決定的な解決方法を自力で到達したがる。なんでも自分で締めくくりたがる。誤謬と無知の歴史をしばしば形成する。

 愚か者とは、一貫してぬけぬけと阿呆な発言をすること。

 まあ、こんな定義がおいそれと成立するわけはないんですが、なんとか定義を煮詰めようとするおふたりの語り口のなんと愉しそうなこと。読んでいるこっちまでにこにこしてきてしまいます。

 私の含意は勝手に想像してください。あれとか、あれとか。馬鹿になってしまうので敢えて言わない(笑)。

 とっても残念なことにこの本にはKindle版がない。というか読みたい本は基本Kindleで読めないというわけのわからない矛盾。何のために買ったのでしょうね。Kindle Fireももうすぐ到着するが、当分もてあましそうだ。 

 

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コメント

エーコの作品は読んでも、対談までなかなか手が伸びないので、楽しく拝見しました。
絶滅するかもしれない紙の本でもなく、紙かデジタルかでもなく、本にまつわるおもしろ話から本の魅力や果たしてきた役割を再発見する感じなのかなぁ。

エーコがお孫さんとゲームに興じる姿は想像しにくいけど、普通におじいちゃんしてるだけですもんね。
そういえばMMOでも、外国のおじいちゃんとお孫さんの楽しそうなコンビに出会ったこともあるくらいだからあたりまえですよね。
それもまた、ゲームの一つの楽しみ方。

前のめりじゃなく、メリハリの利いたスタンスが、大人の洒落っ気に思えてしまいます。

 買いためたエーコ本、年末年始にようやく読めそうです。この対談本でだいぶネタバレされてしまいましたが(笑)。

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